第二十九話 一方その頃
シドが立ち去った巨木でジグムンドは一人佇む。
「神の加護を強くうけた少年、シド……。ムニン、いやウォーデンに見初められているようだが……余りに強い加護は人を狂わせる。己を磨き、内なる神を飼いならせば、その力を十全に扱えるようになるはずだが、シドはそこまで辿り着けるだろうか……」
思案しているジグムンドの頭上をなにかが通り過ぎる。
通り過ぎた者を確かめるようにジグムンドは空を見上げる。
通り過ぎた者は空中で一回転してジグムンドの前に降り立つ。
音もなく静かに降り立った何者かをジグムンドは知っているようで笑いかける。
「友よ、来てくれたのか。嬉しいことだがそちらは大丈夫なのか?」
語りかけられた何者かは苦笑しながら言葉を返す。
「盟友ジグムンドよ、久しいな。辺境地域近くまで来る任務があったからな、どうせならとここを寄ったんだ」
「そういうことなら余り長くはここにいられないな。何といってもお前はエインヘリアルの団長、ワルキューレなのだからな」
「やめてくれ、神国ヴァルハラのエインヘリアルの団長は務めているが、本来のエインヘリアルの団長はジグムンド、お前だろう」
そう言ってワルキューレは苦笑いする。
「今の団長はお前なんだ。ゲッテルデメルングを生き残った仲間を率いられるのはワルキューレしかいないからな」
「そうだな……」
それっきり二人は巨木を挟んで口を閉じてもたれ掛かる。
ワルキューレは何か言いたいが言い出せないという風に顔をしかめている。
一方、ジグムンドは静かにワルキューレの次の言葉を待つ。
「……ジグムンド、お前は生き返る方法があるとしても生き返るつもりはないんだな?」
意を決した様にワルキューレは言葉を放つ。
「ああ、俺の戦いはあの時、【あの男】に殺された時に終わったんだ。今はなんの因果か知らないが魂だけの存在になってしまったがな……」
二人の間に再び沈黙が走る。
今度はジグムンドが沈黙を破る。
「それに、俺は恩義があったからこそウォーデンの為に剣を振るったが、【あの男】の理想を否定したわけではないからな。今の俺ができることは行く末を見届けることだけだ」
「そうか……。確かに【あの男】の理想は人々の希望そのものだろうが、私は神の為に武を振るうことしかできない。それが戦乙女ワルキューレの使命だからだ」
「ワルキューレ、誇り高きお前にはその職責を放棄することは難しいだろうが、あいつみたいな柔軟性も時にはあったほうがいいだろう」
その言葉にワルキューレは激昂する。
「あいつは……オルムは! 私たちを裏切ったんだぞ! そんなやつの話を私の前でしないでくれ!」
「悪かった。確かにあいつは俺たちを裏切った。だが、己の道は自分で決める必要がある。後悔のない選択をしたほうがいいだろう」
「………………」
ジグムンドの言葉にワルキューレは押し黙る。
「……そろそろ帰らねばならない。あえて良かった、盟友ジグムンドよ」
「もう帰るのか、残念だが仕方ないな。さらばだ、我が友ワルキューレよ」
そう言ってワルキューレは飛び去る。
「我が友ワルキューレ。お前がお前にとって最善の選択をすることを祈るよ……」
ジグムンドもそれっきり巨木の中に吸い込まれるように消える。
シドが東の村から出発してから数日が立ちジグムンドと出会った頃、レーネではエイジと神国ヴァルハラの貴族によって神の血を引き継ぐ者が手配されていた。
「神の血を引くものかあ……」
「人間離れした力を持つものねえ……」
村人はそれぞれ誰のことだろう? とか、あいつではないか? 等考えをめぐらす。
そしてその情報を聞いたアルハンは南の村からの復興支援の指揮を執るアルダのもとを訪れる。
「アルダよ、神国ヴァルハラの要請により手配された、神の血を引くものについてどう考えておる?」
アルハンの質問にアルダは真剣な顔になり、人払いを行う。
「アルハン、今から言うことは誰にも言うでないぞ」
「……うむ、分かった」
アルダの気迫に若干押されながらもアルハンは頷く。
「あくまで儂の考えではあるが、恐らくシドの事を言っているのだろう」
「アランから聞いた、シドの活躍はまさしく人間離れした力の様だったらしいらしいからのう」
ウロボロスと正面きって大斧を使い戦ったシドを思い浮かべる。
「そうだろう、あれこそまさしく神の力だ。儂はこのことを神国ヴァルハラに伝えないでおこうと思うのだがどう思う?」
アルダの言葉にアルハンは驚く。
「それではエイジの面目を潰すことにならんか? 神国ヴァルハラからエイジを通してこちらに伝わった話じゃ。我らが秘密にしたとあってはエイジに悪くないか?」
「確かにエイジには悪いとは思うが、シドを神国ヴァルハラに連れて行かせるのはシドの為にならんのじゃ」
「どういうことだ?」
余り理解してなさそうにアルハンはアルダに問う。
「神の力というのは人に取っては薬であり毒なのだ。神の加護が強すぎると人は狂ってしまう。恐らくまだ力を使いこなせていない、シドを神の恩寵熱き神国ヴァルハラに連れて行くということは神々に呑まれてしまいかねないのじゃよ」
「しかし、ゲッテルデメルングで神々は滅んだのではないか?」
尚も言い募るアルハンにすこし面倒くさそうにアルダは説明を続ける。
「全ての神が死に絶えたという訳ではないだろう。でなければ、ぽっと出の神国ヴァルハラが神々を殺したミズガルズ連邦と戦えるはずがなかろう」
「確かにそうじゃの……。で、隠すにしろ戒厳令でも出すのか?」
アルハンもアルダの意図に気づき同意する。
「いや、儂等村長は何も言わないでおくのじゃ」
「何も言わんでいいのか? 村人で思い当たるものはエイジに伝えるかもしれんぞ」
「シドの力を直に見た者はロズ、アラン、リーレとロズの作戦に協力したもの達だけだしのう。儂らが黙っておけば神国ヴァルハラは確証は得られんよ」
「そうかのう……」
アルハンは余り納得してない様だが、ひとまずオーグにこのことをを伝えに帰っていく。
「とりあえずはこれで良かろう……。後はシド、お前次第だ」
そう言ってアルダも作業に戻る。
神国ヴァルハラが行った手配は期待したほどの成果は出なかった。
しかし、アルダの予期せぬところで神国ヴァルハラにある情報が入る。
ジグムンドの下から飛び去ったワルキューレはレーネに立ち寄っていた。
「ふむ、もう夜になってしまったか。今晩はここで過ごすとするか……」
そう言って村をぶらぶら歩くワルキューレは老人に声を掛けられる。
「ふむ、そこのあなたは神国ヴァルハラの方ですかな?」
「そうだが、それがどうかしたか?」
ワルキューレはその老人を一目見て相当な実力があることを察する、がなにかおかしい。
そんなことをワルキューレが考えていると老人は話を続ける。
「儂はアルダというのですがな。この村にヴァルハラの方が訪れるのは珍しいので、声をかけただけなのですが……」
「そうか。この村は魔獣の襲撃を受けたみたいだが、誰か活躍したのか? 村で話題になっているみたいだが……」
そう言ってワルキューレは村人達を見る。
そこには先のウロボロス戦の話をしているようだ。
(ふむ、言っていいものか……。しかし嘘をつくのは怪しまれるかもしれんからな。名前だけなら良いか……)
「シドというものが活躍しましたな……。彼と若者達が魔獣狩りに貢献しましたな」
「……シド……か。なるほどな……」
妙な空気が流れる。
「どうかしましたかな……?」
「いや、なんでもない。私は長旅で疲れているから休ませてもらうよ」
「そうですか……」
そう言ってアルダを置いてワルキューレは立ち去る。
(シド……シド・オリジンか。ジグムンドの言ってた男はシド・オリジンだったのか……。さて、どうしたものか……)
ワルキューレの頭にジグムンドの言葉が響く。
「後悔のない選択をしたほうがいいだろう」
ワルキューレは靄がかかったような気分で一晩過ごして神国ヴァルハラに向かいレーネを発った。