第一話 聖女とその兄
部屋の窓から朝日が、白を基調とした清廉な部屋に差し込む。
朝日から逃れようと寝返りを打ち、布団を頭から被り二度寝に入る。
しかしそれを許さぬようにけたたましく鳴る鐘の音が俺の睡眠を邪魔した。
もとよりこの鐘は執務の開始を知らせるもので、そんな時間まで十分すぎる睡眠をとった者としてはとても二度寝できそうもなかった。
仕方なく憂鬱な一日を始めるために体を起こす。
部屋には貴重そうな調度品が日光を反射してきらきらと輝いている。
そして床には書庫から持ってきた、恐らく貴重な本が散乱している。
そんな部屋で寝間着を着替えているのが、神亡き今でも神を信仰する神国ヴァルハラの指導者、聖女の兄シド・オリジン………………俺だ。
そんな俺が執務開始の鐘が鳴るまで惰眠を貪れるのは、偉いから…………ではない。
このヴァルハラの中心部にそびえ立つ城グラズヘイムにおいて俺は聖女の兄というだけの存在だった。
そんな俺はこの国の貴族や神官から疎まれている。
其れもその筈、神の子とはいえ能力がない奴は邪魔にしかならない。
戦争をする国に、穀潰しを養う余力など無いのだろう。
朝っぱらから自分の存在について再確認し、ブルーな気持ちになっているとドアをノックする音が聞こえてきた。
「シド様、食事の準備が整ったので食堂にいらしてください」
「分かった、すぐに行く」
使用人は声を掛けるだけですぐ立ち去ってしまう。
今日は特別憂鬱だが食事をする相手が相手なので行かないという訳にはいかない。
ため息を一つ吐き扉のノブに手を掛けた。
豪奢な廊下の端を歩く。
グラズヘイムの城内でも上層にあたるここには上級貴族のような権力者や神官など限られた者しか入れない。
そんな所ですれ違う奴は俺のことを無いものとして扱う。
俺も視野に入らないように端を歩く。
ふと廊下の窓に目を向ける。
ここからは城下のすべてが見通せる。
真下にはこの国の要であり、精鋭であるエインヘリアルが訓練している修練場、その先には今の時間賑わっているであろう市場や住宅街、そしてそれらを守るように築かれている城壁。
その遥か先に我らが宿敵、神々の時代を終わらせた者たちの住まう国ミズガルズ連邦があるという。
神々の呪縛を断ち切った者たち……………………浮かびそうになった考えがとてもいけない物のような気がして考えるのを止め、足を食堂に向ける。
食堂に着き、扉を開ける。
その先に現れるのは縦に置かれている長机とその両端に用意されている少し遅めの朝食。
そして奥に座り済んだ青色の眼で俺を見る、肩まで届く綺麗な銀髪の持ち主。
「お兄様、おはようございます」
「おはよう、ハル」
ハル・オリジン、この国の指導者で俺の妹の名前だ。
彼女は早朝から仕事があり、それらが一段落するこれぐらいの時間に朝食をとることが多い。
彼女は挨拶を済ますと、黙々と食事を始めた。
彼女とのいつものやり取りを終え、自分も席に座り朝食をとる。
そしていつも通り今日の朝食が終わる―――ことはなかった。
食堂のドアがノックされる。
「聖女様、おはようございます。本日は兄君の巡礼の目途がたったので書類を渡しに来ました」
そのままドアを開けて入ってきた貴族が、軽く膝を着いて妹に書類の束を渡す。
当然俺には一瞥もしない。
「ありがとう、この書類は後で兄と確認します。あなたは戻っていいですよ」
ハルはそう言って貴族に退出を促し、俺に目を向けた。
思わず食事の為に動かしていた手が止まる。
「ごちそうさまでした。お兄様、この書類に目を通しておいてください。それと、明日には出発なので準備を整えておいてください」
そう言うと俺の返事を待たずに、彼女はその書類と食事の終わった皿を使用人に渡し席を立つ。
「ちょっと待てよ、ハル!」
急な事にハルを呼び止めようと思わず席を立ち上がり手を伸ばす。
「ごめんなさいお兄様。 もう仕事に戻りませんと」
振り返ることすらせずにそう言い捨て、使用人たちを引き連れ食堂を後にした。
一人食堂に残され、やり場のなくなった手は傍に置かれていた書類に向かう。
「巡礼………………体のいい厄介払いか」
「ハル、お前にとっても俺は邪魔者か? そうだよな……俺とお前は違うもんな」
誰もいない食堂に俺の呟きが反響した。