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『そこにいる理由は』


 夢のようだった。


「あああぁぁぁッ!」


 固い衝撃と共に、地面に血の雫が垂れる。脳を揺さぶられたようで、ふらふらと視界が揺れる。体力ももう限界が近づいていて、全身がふわふわと覚束なくなってしまう。

 けれど、握りしめる拳の力だけは、どうしても抜くことはできなかった。

 月の明かりが差し込んでいる。知らない誰かが、俺へ向かって叫んでいる。


「てめェ! いい加減に倒れろよッ!」


 振りかぶった男の拳を受け止めて、それを体の横へ。そのまま彼の体を地面へ倒れさせると、懐から一本目のナイフを取り出して、叩きつけられた彼の手のひらへ突きたてる。

 肉を突き刺す感触と、絶叫が聞こえている。そのまま、握ったナイフを何度か回転させると、赤い液体が花の様になって広がった。

 殺すことができた。けれど、殺しはしない。殺すことは、できない。

 それはとても怖くて、今の俺には辿り着くことのないものだった。


「……あと、四人」


 ふらつく体を無理やり立ち上がらせると、目の前に鉄の棒が迫っているのが見えた。急いで顔を背けたけれど、次の瞬間には、肩に大きな衝撃が走るのを感じた。

 びりびりと響く思い感覚と、半身が熱くなる感覚。衝撃が体を突き抜け、踵のあたりが痺れるよう。体が一段下げられ、そのまま地面に倒れ込みそうになる。

 けれど、それだけ。


「な、っ……!?」


 打ち付けられた鉄の棒を掴み、そのまま男の鳩尾を蹴りつける。唾を俺の顔にかけて飛んで行った彼は、棒を俺の手へと預けながら、冷たい壁へ手を付ける。

 そのまま起き上がろうとした彼の足へ、鉄の棒を振りつける。

 ごき、と気味の悪い音と共に、彼の足から白い何かがはみ出るのが見えた。そのままのたうち回る彼の腕へ、鉄の棒を叩きつける。片腕も同じように、動かなくなった。

 これで三人。


「お、おい……なんかアレ、やべえんじゃねえのか……?」

「落ち着け、こっちは三人だぞ! 勝てる訳ねだろ!」

「でもよ……」

「黙れ! いいから俺の言う通りに動け! そうすりゃ何とかなる!」


 残りの人間は、同じ鉄の棒が二人と、それとナイフが一人。それに対して何も思うことはないけれど、どこか俺の体は、ふらふらと覚束ない足取りを辿っていた。

 ……彼女に付き合って、疲れているのだろうか。それとも、俺自身が衰えているのか。

 限界に達したという考えは、ついには出てこなかった。


「おおァっ!」


 ぼんやりと思考に耽っていると、鉄の棒を持った二人が、同時にこちらへ向かってくるのが見えた。そのうちの片方を持っている棒で受け止めると、それを軸にして受け止めた彼の体を俺の右側へと受け流す。

 そのまま横腹を蹴り上げると、もう一人の振りかぶった動きが止まる。交差していた鉄の棒を引き抜くと、俺はそのまま横に振りかぶって、彼の首元へ鉄の棒を振り回した。

 かひゅ、と空気の抜ける音がする。


「おま、お前っ」


 地面で蹲っている彼には、二つ目のナイフを一つめと同じように。パンを切るようなそれを彼のふくらはぎへ突きたてると、何度かものを切るようにして、彼の足へ刃を刻み込んだ。

 そして、あと、一人――


「――――ぁ?」


 とす、と。

 腹に何か、熱いものを感じていた。


「…………そう、か。時間を、掛け過ぎていた」

「な……お、お前……? なん、で死なねえんだ!? お前もう、死にかけだろ!?」


 血が抜ける。体が重い。今すぐ眠ってしまいたいけれど、手の力を抜けなかった。


「まだ、死ねない、から」


 ナイフを突きたてている彼の頭に肘を下ろすと、体にかかっていた体重が落ちる。刺されていたのは肉の部分らしく、もう片方の手を回してナイフを抜き取ると、少ない量ではない血が足を伝っていた。

 殴りかかって来る彼の拳へ刃を突きたてて、そのままのけぞった首元を手で掴む。そろそろ力が入ってこなかったけれど、渾身の力を振り絞って、俺は彼の頭を壁へ殴りつけた。

 だらんと垂れた右腕から、ナイフを抜き取る。ぽとり、と肉が何本か落ちる音がする。

 そうして、俺は壁に押し付けた彼へ、ナイフを振り上げ――


「――――ッ!」


 頸に突き立てようとした瞬間に、それを止めた。


「……ころ、せない」

「は…………?」

「俺は、殺せない」


 壁に手を縫い付ける。ぐりぐりと回すたびに、千切れるような悲鳴が響いた。


「……終わった」


 うめき声と叫び声がまじりあう中で、血の湧き出る腹を抑えながら座り込む。幸い致命傷ではないのか、呼吸が苦しくなることはなかった。

 傷口を強く抑えながら待っていると、時間もたたないうちに、路地裏の先に人影が見えた。


「リヒトーフェン」

「上出来だ。全員生きてる」


 足元に転がる彼らを蹴りつけながら、リヒトーフェンは俺に笑みを見せた。


「後の処理は任せとけ。お前、今日だけで三件も処理したんだろ」

「あ、あ……俺も、休ませて、もらう」

「……待てお前。それどうした」


 こちらへしゃがみ込みながら、リヒトーフェンは傷口へと手を伸ばす。そういう切迫した表情も出来るのか、と俺は彼のそんな顔を見つめていた。

 

「どうした、って聞いてるんだ」

「……疲れていた。俺だって人間なんだ」

「すぐに手当てする。立てるか?」

「いや、いい……そんな時間は、残ってないから」


 これくらいなら、血を止めていればすぐに治る。幸い急所は外れているようだし、手を煩わせることも無いだろう。

 ふらふらと揺れる足に力を入れて、壁を背に立ち上がる。


「それより、金は」

「……ああ。今渡してやる」


 懐から取り出されたのは、一杯に膨らんだ大きな包み。片手でそれを受け取ると、思わず体が持っていかれる。倒れそうになった俺の体を、リヒトーフェンは受け止めてくれた。


「すま、ない」

「無理するな。お前に死んでもらっちゃ困るんだ」


 呆れたように言うリヒトーフェンに、首を傾げる。


「……俺はまだ、死なないぞ?」

「ンな体で言われても説得力ねえよ」


 死なない。いや、死ねない。死ぬ理由が見つからない。

 俺は、まだ俺ができることを成し遂げていない。彼女が変われるかも、変わった彼女のことも、見れていない。

 彼女の夢を見届けるまでは、俺は死ぬことすら許されていないのだろう。それが、俺が死ねない理由で、俺が全てを投げ捨ててでも成し遂げるべき使命だと思った。


 けれど、もし。

 もし彼女の夢を見届けたのなら――俺は、どうなるのだろうか。


「……ありがとう。もう、行かなければ」

「カイン?」


 その答えは、今の俺には見つからないような気がした。

 それこそ、俺自身が変わらなければ、その答えに辿り着く道すら開かない。けれどそれは決して開くことのない道で、俺には憧れることしかできないものだった。


「……か、ぁ…………ぅ…………、ぁー…………」


 うめき声も、叫び声も、遠くなる。夜闇だけが俺を包み込んでいた。

 肩を擦りつけ、血の痕を残しながら、いつもの路地裏を歩いていく。腐ったゴミの匂いと、撒き散らされた何だったのかも分からない雑多に囲まれながら、俺は力の抜けていく足を動かしていた。

 歩くことすら、既にままならない。このまま力尽きるのかもしれない。彼女のことも見逃しながら、俺はここで果ててしまうのだろうか。

 やはり俺は、変わることのできない人間だった。他人へ憧れることも許されず、そのまま諦めて死んでしまうのだろう。元より、どこかで尽きたかもしれない命なのだから。


 ――けれど、まだ、その命を捨てる気には、なれなかった。


「……ぁ?」


 そうして俺は、視線の先にぽつりと光る、小さな純白を見た。

 風に揺れるその蕾は、まるで俺を遠くから見つめているようだった。月明かりも届かない暗闇に塗れたその蕾に、俺は焼けるような痛みも、水に浸されたような疲れも忘れて、ただそれに向けて足を動かしていた。

 触れれば散ってしまいそうなその蕾は、彼女が憧れたもので――


「……カイン?」


 いつかのあの日のように。

 風音に混じって聞こえた声へ振り向くと、そこには驚いた顔でこちらを見つめているジーナの姿があった。


「ジー、ナ」

「あんた、何、して――」


 ふらふらと言う事を聴かない俺の体は、ジーナに軽くもたれかかった。


「夜更かし、か? 明日も早いんだろ」

「……何バカなこと言ってんのよ。起きたらあんたが居ないもの。すぐに探して――」


 心配をかけてしまっただろうか。けれど、こうして彼女に触れられたならば、それでいいように思えた。彼女の温もりを感じられたのなら、俺は生きていられた。

 血を伝うのとは反対の手で、彼女の後ろ頭を撫でる。さらさらとした髪を梳くたびに、彼女がそこに居ることを実感できた。


「ちょっとカイン? あんた……この血、どうしたの」


 彼女に手が届くのなら。こうして、彼女が進む道を、見られるのなら。

 俺は――


「カイン? ねえ、ちょっと、カイン!? 起きなさいよ! ねえ! カイン――」



「あなたって変わらないのね」


 それは、忘れた誰かの声だった。


「……元々、俺はこういう性格だ。変えようと思ったこともない」

「そうね。あなたは鈍感だし、気が利かないし、生きるのにこれっぽっちも向いていないな」

「馬鹿にしてるのか」

「まっさか。褒めてるのよ。ここまで変わらない人、初めてみたから」


 からかうように、彼女が笑う。その笑顔は、どこかで見たことがあるようだった。


「ねえ」


 声も、顔も、全てを忘れてしまった。俺と彼女を繋げているのは、ただ一つだけで。

 

「人っていうのは、変わることのできる生き物なのさ」


 その言葉は、どこか歪な感触になって、俺の胸に残っていたのを覚えている。まるで後ろからナイフで刺されたような、古傷を抉られるような、そんな感覚だった。

 冷たい何かが、俺の体を通り抜けていく。体温という概念が、肉体から消えていくのを感じる。


「あなたは変わらないんだろうけどね」

「……それは、いけない事なのだろうか」

「まっさか。いけないなんて、誰も決めていないよ。ただ私たちには、選ぶ道があるだけさ」


 そっけないように言うけれど、それが彼女のそのままを現しているようだった。


「誰にでも変われる道はある。どんなに暗い場所にいたって、光は届くんだから」

「……俺には、あまり分からない」

「だろうね。あなたはそういう人間だもの。鈍感で、自分のことも分からない、純粋に生きるひと。それが、あなたなのさ。それはとても尊くて、他人が憧れる生き方で――けれど、あなたはそれすらも分からないのだろうね」


 やはり、彼女の言うことは良く分からない。これだけ時間が経っても、俺は彼女の言うことを理解できていない。

 つまりそれは、俺が変わっていないただ一つの証拠で。


「あなたは、そのままのあなたで居たほうがいいのさ」


 夢の中の彼女は、そうはにかんでいた。




 気が付けば、すすけた白い天井を見上げていた。

 横たわった全身には血が回っていない様で、起き上がるのにも少しの時間が要った。ぼんやりとした意識の中に入って来るのは、鼻に抜けるような薬の香りと、肌をきつく撫でる朝の冷たい風で、窓の横で揺れるカーテンの向こうには、いつもとは違う景色が広がっていた。

 記憶が混ざり合う。まどろみの中で、彼女の姿だけが強く目に焼き付いていた。もう、声も顔も忘れてしまったけれど、その言葉は確かに覚えている。心に残っていた傷痕が、少しだけ疼いたような気がした。


「ん……カイン…………カイン!?」


 声が聞こえてきたのは、ベッドの端の方だった。

 うつ伏せになって眠ってしまったのだろう、傍に置いてあった椅子の上で目をこすっている彼女は、すぐにこちらの方を向いたかと思うと、そのままベッドの上から這い寄って、俺の頬を両手で強く挟んでいた。

 頭が揺れる。混ざり合った記憶が、揺れている。


「シー……、た?」


 ぽつりと呟くと、その彼女は一瞬だけ悲しそうな顔をした後に、すぐさま口を大きく広げて、


「バカっ!」


 ジーナの一言が、頭の中の雑多を吹き飛ばした。


「何であんたは他人にばっか気ぃ遣ってるのよ! 少しは自分のことも考えなさい! バカ! 大バカ! 変態! 鈍感! 間抜け! ほんっとにあんたって意味わかんないんだから! これに懲りたらもうやめなさいよ!」

「ジーナ? ……どうして、そんなに怒って」

「怒るに決まってるでしょ!? 死ぬかと思ったんだから! あんなに血、流してたら誰でもそう思うわよ! 本当に……死んじゃう、って……いなくなっちゃう、って考えて……」


 だんだんと小さくなる言葉を、黙って聞いていると、ふと彼女が、俺の胸へ顔を寄せる。


「カインが、居なくなったら…………私、もう耐えられないよ……」


 弱々しいその言葉は、けれど強く俺の胸に残っていて、小さな体を抱き寄せると、彼女が震えているのが伝わった。

 死ねない。死ぬことができない。死ぬことは、許されない。

 強く反芻するその言葉は、彼女が変わるのを見届けるまで、消えないのだろう。


「……君も大概だな、本当に」

「クラウス」


 呆れた声と共に現れたのは、眠たそうな瞳をしているクラウスだった。片手には湯気の立つコーヒーカップを握っており、彼はそれを一気に煽ると、それをベッドの横につけてある空いたテーブルの上に置いた。

 いつのまにかジーナは元の椅子に戻っていて、俺の事をつぶれた涙目で睨みつけていた。


「あんたが急に倒れたから、私が急いでクラウスさんの所に連れてきたのよ」

「倒れていた?」

「覚えてないのかい? 君、昨日は血だらけだったんだぞ。お蔭で滅多にしない徹夜をするハメになった」


 くぁ、とあくびをかみ殺しながら、クラウスはやつれた瞳を擦る。


「ともかく。お金はあとでちゃんと貰うから。僕はもうひと眠りしてくるよ……」

「すまない」

「こういう時は感謝を述べるのが正しいと思うけどね。ま、それが君か」


 そんな言葉と空のコーヒーカップを残し、クラウスが病室を後にする。朝の光が差し込む白い部屋には再び俺とジーナだけになり、彼女は俺をひとしきり恨めしい様ににらんだ後、とても疲れたように息を吐いたのだった。


「ともかく、無事で良かったわ。一時はどうなるかと」

「……迷惑をかけた」

「本当に迷惑。どれだけ心配したと思ってるのよ……怖かったんだから」


 腕を組みながら、ジーナがまったく、と頬を膨らませる。


「それで、シータって誰?」


 …………。


「何でそれを」

「あんた、一晩ずっと心配してた女の子より、その女の人の方が気になってたの?」

「……夢を見ていたから、その……」

「へー? 夢に見るくらいの女の子なんだ。目の前の私じゃなくて、夢の女の子のほうが頭にあったんだ。あんたの事を心配してあげてる目の前の女の子より、夢に出てくる女の子の方が気になってたんだ」

「許してくれ……」

「ふんっ」


 頭を押さえて謝ったけれど、彼女はいつものように不機嫌になって、そっぽを向くのだった。


「誰なのか教えてくれたら許してあげる」

「……お前には関係のない話だ」

「なに? そんなに言えない関係だったの? 体だけの付き合いとか?」

「頼むから許してくれ……」


 どうしてか彼女は相当に機嫌を損ねているらしく、俺はしぶしぶジーナの言うことを聴くことになった。


「……三年前だ。この街に来て、今の仕事につく前に、シータという少女と出会ったのは」


 ぽつりとそう語り出した俺の口は、存外につらつらと言葉を重ねていった。


「彼女はその国でも小さな貴族の一人娘だった。けれどその国はこれ以上ないほどに腐っていて……それを、彼女は変えようと考えていた。シータという少女には、それを成し遂げるだけの力と、踏み出す勇気があった」

「貴族って……あんたみたいな人間が、どうやってそんな」

「分からない。ただ、彼女はそういう人だった。自由というか、無鉄砲というか……立場を考えない人だった」


 天真爛漫で、悪く言えば自分勝手な性格。けれどその風貌はどこか静寂としたものがあって、言い方を変えれば全てに余裕を持っていたのだろう。彼女の立ち振る舞いは、つかみどころのない、飄々としたものだった。


「彼女は国を変えようと様々なものに手をつけた。腐敗した政府を告発したり、金を貪るだけの連中を始末したり……とにかく、やれるだけのことは全てやった」


 何事も正しくあるように、と考え、そのために彼女は死力を尽くしていた。そこに自らが間違っている不安や、遠い目標に対する懸念は見えない。ただ、それが国を良くすることだと思って、彼女は先の見えない暗闇の中でも、決して足を止めることはなかった。

 そんな彼女のあり方に、俺はどこか惹かれていたのだろう。だから俺は、彼女のことを夢に見るのだろう。


「とにかく俺は、そんな彼女の元で用心棒として働いていた」

「用心棒? あんたが?」

「ああ。幸いにも生きていくうちにそういった技術は身についていたし、金も悪くはなかったから」


 こんなどこの生まれかも分からない人間に金を払うあたり、彼女も相当おかしな人間だったことに間違いはない。けれど俺は、それを馬鹿正直に受け取って、彼女についていったのだから、何も言えることはなかった。


「長い時間だった。彼女は正しいことをした。人々も平和に暮らし、国も豊かになった。彼女の望みは果たされたんだ。けれど……」

「……けれど?」

「…………彼女は病気で死んだ。もともと、体の弱いひとだったんだ」


 彼女の成し遂げたことは、その小さな体には余るほどのものだった。国が豊かに、人々が幸せになっていくにつれて、彼女は衰弱していった。それはまるで彼女の命の灯火が燃え尽きていくようで、その明かりに照らされている景色は、とても素晴らしいもののように思えた。


「人というのは、変わることのできる存在らしい」


 胸の奥が、ずきりと痛む。


「シータはそう言っていた。何処かに行ってしまう、最後のその時まで、ずっと。彼女が言うのだから、それは正しいことなのだと思う」

「……だから、あんたは私を信じたの?」

「ああ。人は変われる。どんなに暗い道にいたって、そこに必ず光は差し込むんだ」


 彼女がそうであったように、彼女がそう成し遂げたように。

 消えていく笑顔の中で、シータはそう語っていた。


「けれど、俺は変われない」

「どうして?」

「分からない。それは、今の俺にはわからない。でも――」


 それは、俺を強く縛り付けている、けれどどこか優しく包み込むようなもので、


「そのままのあなたで居てほしい……そう、彼女が言っていたんだ」


 透き通るような、青い瞳が笑っていた。


「……もう、いいだろ。これ以上、俺が彼女を語れることはない」

「そうね。珍しくあんたの口から、他人のことが聴けたし。これくらいで許してあげる」


 肩の力を抜きながら、ジーナはゆっくりと息を吐く。そう考えてみれば、俺がシータのことを他人に話したのはこれが最初のことだった。そして、どうしてか俺の心は、とても落ち着いたものに変わっていた。

 傷跡が疼く。けれどそれが与えるのは不快や拒絶ではなく、解放のような、心地よい安らぎだった。


「でも確かに、その人の言うことも分かる気がするわ」

「……そうなのか?」

「ええ」


 続く言葉を遮る彼女に、ふと首を傾げる。


「カインには、そのままのあなたで居てくれた方が……いい、ってことよ」


 その笑顔はどうしてか、とても夢の笑顔に似ていて。

 俺が思い出したのは、暗闇にぽつりと灯る、白い花の蕾だった。



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