第三十一話 「正体」
水晶の墓が夜の景色から浮き出ていた。月光の薄い光が靄のようにかかっている。湖も木々も音を立てなかった。
ミカエルは覆面を取ったルカを観察した。金髪に緑色の瞳。ミカエルとの違いは、頬に入った一本の傷とあごひげぐらいだった。
「やっぱり俺だったか」
「いつから気づいてた?」
「知ってるだろ? 俺なんだから」
未来の自分に向かって話すのは、不思議な感じがした。
「十年も前のことだぜ。確かエドナの発言で気づいた気がするが」
「当たりだ。一つ、分からないのは、どうして空間軸で追跡できなかったかだ」
「空間軸は空間の情報を書き換えることもできる。お前がこの技術を学ぶのは、もう少し先の話だ。他に分からないことはないのか? 例えば、未来の俺がどうやって現代に来たのか? とか」
「見当はついてる」
控えめに言ったが、ミカエルは確信していた。
「そうか。じゃあ、後は本人から聞け」
ルカは自分が生きている時代に帰る前に忠告した。
「お前もちゃんと帰るんだぞ」
ミカエルにはよく意味が分からなかった。
墓を見つめて、ただ待つ。息を吸い込むたびに胸が裂けそうになった。風が吹いてきて、木々が揺れた。湖面の月も形を崩す。
「ミカエル。こっち」
背後から声がした。ミカエルがふり向くと、ルシーがいた。手を後ろに組んで、笑っていた。
「大人のミカエルだ」
「お前は変わらないな。ルシー」
ミカエルの視界は狭まり、ルシーだけが収まる。ルシーも青い瞳で、ミカエルを上から下まで見ていた。
昔と同じように大樹の根元に座って話をする。
「すぐ本題に入る? それとも無駄話をする?」
「無駄話をしよう」
ルシーは自分の死後、ミカエルがどう生きたのかを尋ねた。
「怪盗で警部で探偵だなんて、欲張りだね。そういえば、両親の話がでなかったけど、上手くいってる?」
「なわけないだろ」
「大人になってもまだ意地張ってるの? 親と話してみなよ」
「話ぐらいできるさ」
「ならこの一年で何か話した?」
ミカエルは押し黙る。一年どころではなかった。五年以上、もしかしたら十年以上、顔を見せていなかった。
「もう取り返しがつかないなんて思ってる? そんなことないよ。仲良く話さなくてもいい。喧嘩になってもいい。会いに行ってあげなよ。旅費はかからないでしょ?」
「九歳の女の子に説教されてる俺、かっこ悪いな」
「ミカエルはかっこいいよ。好きな人はできた? 結婚はした?」
「お前は俺の母親か?」
「だって気になるんだもん」
ミカエルは言うべきか、言わずにすますべきか迷った。迷ったから、言うことにした。今、言わないと一生引きずることになる。
「ファカ・ソロットって娘を好きになった」
「紫の髪をしたかわいい娘だよね」
「知ってたのか?」
「三十歳のミカエルにも会ったからね。ファカさんとも話したよ。感じのいい人だった。私、もうファカさんと友達だよ」
月が雲に隠れて、月光がさらに弱くなった。
「よかった。ミカエルが一人じゃなくて」
「ルシー。俺は」
「いいんだよ。私は私と同じ年のあなたに愛してもらっている。あなたを永遠に縛る気はない」
ミカエルはルシーの両肩を掴む。
「もっとワガママを言えよ。言っていいんだ。お前は、俺に優しくし過ぎだ」
ルシーは深呼吸した。
「ミカエルも昔と変わってないじゃん。馬鹿のまま。下手したら大馬鹿」
「うるせえよ」
「じゃあせっかくだから、一つだけワガママ言おうかな。キスして。馬鹿なミカエルのまま、馬鹿な私に」
二人は目を閉じる。唇が重なった。ミカエルの唇は渇いていた。ルシーの唇は柔らかかった。ミカエルは離すのをためらう。でも、離さなくてはならなかった。唇が自由になると、ルシーが言った。
「ありがとう」
ミカエルは目を開けたが、ルシーは目を閉じたままだった。軸の継承は一瞬で終わった。ミカエルは時間軸を手にした。そして、ルシーを失った。
ルシーを抱え、時間軸の力で過去へ飛ぶ。




