第三十話 「無力」
王女殺しの首飾りは保管庫Aに眠っている。保管庫AのAはA(最高)クラスを示している。国宝のみを保管している倉庫なのだ。
王女殺しの首飾りはルシー・フェルナンデスが死亡時に身に着けていたものだ。サファイアのペンダントで、製作者は不明。
三月二十四日当日、ミカエルとファカは保管庫Aに直接飛んだ。保管庫Aにある品は十に満たなかった。警備の者はいない。保管庫Aは警備のためであっても立ち入ることができないのだ。
ミカエルは紺色の布を足元に広げる。ファカが七つの首飾りを置いていく。サファイアはどれも冷たく光を放っていた。
突如、ルカが目の前に現れた。
「フェイクを用意したのか?」
「技巧的な品じゃなかったから、簡単だったよ」
有名な産地から天然のサファイアを調達し、宝石店に加熱処理とカットを頼んだ。
「ルカ。お前に審美眼はないだろ?」
「ミッシェル。お前こそ、どれが本物か判断できないんじゃないのか?」
ルカはペンダントをかき混ぜた。しかし、ミカエルは本物を目で追う必要がなかった。
「私が見分けれます」
ファカが小さく手を挙げた。
「手袋をつけて、本物を何時間も何日も触らせてもらいました。絶対に間違えません」
「七分の一に賭けてみるか」
右端のサファイアを掴む。銀の鎖が布を離れる。
「どうだ? 正解か?」
ファカがしゃがみ込んだ。サファイアを両手で包んで立ち上がる。
「これが真作です」
「まいったな」
ルカは偽のペンダントを指で回した。
「今から本物を盗んでもいいんだぜ」
「そんなことしても気持ち的には負けのままだ。ミッシェル、お前の勝ちだよ」
「俺は何もしていない。ファカが勝ったんだ」
ファカがサファイアをミカエルに握らせる。
「私はミッシェルだから協力したんです。私たちの勝ちですよ」
ファカはそう言って唇を内にしまい込んだ。見つめ合っていると、ルカの声がした。
「盗みに失敗したから、俺は逃げるぞ。逃げていいか?」
ルカは待ってくれていた。ミカエルは焦らず、まずファカを隠れ家に帰すことにした。
「隠れ家にいてくれ。心配しなくていい。明日までには帰る」
「はい。ミッシェルも心配しなくていいですよ。私は帰りを待ってます。ずっと」
ファカを隠れ家に飛ばす。
「ここからは俺が相手だ」
ミカエルは服を飛ばし、すぐに警官の制服を瞬間移動させ、一瞬で着替えた。水の入った容器を出現させ、頭にぶっかける。ミカエルは変装の為、水で落ちる軽めの頭髪染料を使っていたのだ。黒髪が金髪に変わる。
「待たせたな」
ルカとミカエルはエントランスホールに飛んだ。キンリエ以外の警官は消えていた。ルカの仕業だろう。
二人はルカを挟撃する。ルカは軽やかなステップを踏んで、攻撃を躱す。キンリエの攻撃はヒットするものもあったが、浅かった。
ルカはミカエルにのみ反撃した。ルカの蹴りが腹にヒットし、ミカエルは膝をつく。
「なぜ私には攻撃しないのですが?」
戦いの最中、キンリエが問う。
「もうお前は俺より弱い。弱い者いじめはしたくない」
「マイケル警部も、あなたより、弱いと、思い、ますけど」
「奴は例外だ」
「無駄口叩いてんじゃねえ」
ミカエルは立ち上がり、ルカに向かって拳を振る。ルカは躱し、ミカエルを殴ろうとした。刹那、ミカエルはキンリエとアイコンタクトを交わす。
ルカは拳を止めた。拳の先にはキンリエがいた。ミカエルはキンリエと自分の位置を入れ替えたのだ。ミカエルの右ストレートとキンリエの回し蹴りがルカの体に入った。ルカは短くうめき、片膝を突いた。
「拳を止めるべきではなかったですね」
キンリエが手錠をかけようとした。
「キンリエ。すまん」
「まさか」
怒り出す前にミカエルはキンリエを警察庁に飛ばした。
「部下の手柄を横取りか?」
「いや、ここからは俺が相手だ」
ミカエルはトレンチコートとスラックスに着替えた。目の下にアイシャドウを入れ、エルフの涙で瞳の色を灰色に変える。
「逃げてみろ。怪盗」
ルカは出口に向かって駆け出した。風のように速かった。ミカエルが外に出たときには、姿をくらましていた。
「やっと来た。デートに遅れる男ってモテないよ」
出入り口付近に待機させていたエドナが言った。
「デートじゃないって言ったろ。追えるか?」
「もちろん」
エドナは鼻を手でこすった。
博物館の前の通りを右に曲がり、住宅街に入る。入り組んだ道を匂いだけを頼りに進む。住宅街を抜け、再び博物館の方へ向かった。行き着いた場所は、シトラスカ広場だった。噴水前にルカは立っていた。
「思ったより早かったな」
「ウチの助手は優秀だからな」
エドナが胸を張る。
「エドナ。助かった。ここからは俺の問題だ」
「ひどい。もう帰れって言うの?」
「夜更かしせずに寝るんだぞ」
「徹夜で映画見るもんね」
ミカエルはエドナを家に飛ばす。消える直前、エドナはあっかんべをしていた。
ミカエルは探偵の服を着替える。白シャツに綿パン。どちらにもリキル王国の紋章が刺繍してあった。噴水で顔を洗い、アイシャドウを落とす。エルフの涙を目にさし、瞳の色を緑色に戻す。
ルカに向き直る。
「ミカエル。お前は無力だな。ファカの審美眼、キンリエの格闘技術、エドナの追跡能力はお前にはもったいないぐらいだ。お前は何をした? 軸を使って移動するばかりだ」
ミカエルは頷く。
「俺は無力だよ」
ルカはミカエルに詰め寄った。
「決して軸の力に溺れないと誓え」
「誓う。ミカエル・スパティウムは決して軸の力を過信しない。己の力を過信しない」
ルカは覆面を取りながら消えた。
「首飾りの真作を持ってこい」
ミカエルは噴水の上で輝く星を見上げた。どこに行けばいいかは分かっていた。




