第二十二話 「弟子にしてください」
三年前、ミッシェルは十六歳だった。怪盗歴は五年。サクス大国王都で怪盗ミッシェルと言う名前を知らない者はいなかった。必ず予告状を出し、必ず盗みを成功させる怪盗。ミッシェルにはもう一つルールがあった。満足したら、必ず盗品を返却すること。
警察は相手にならなかった。ミッシェルには空間軸があるのだ。負けようがなかった。
ミッシェルは例のごとく予告状を出していた。
予告状。十二月二日未明。ストーンヘンジ庫の財宝をいくつか頂戴いたします。
サクス大国内のストーンヘンジと言えば、一か所しかない。芸術の街フルーのストーンヘンジだ。ストーンヘンジの地下には天然の保存魔法がかかっている空間があり、芸術品を収める倉庫になっていた。
ストーンヘンジを囲むようにして、警官が立っていた。地下に人はいない。エルフ警察の警官が魔法で出入り口を塞いだようだ。ミッシェルは木の上から様子をうかがい、情報を集めた。ため息をつく。芸がない。
瞬間移動で、地下へと侵入する。絵画、宝石、陶器、古文書。あらゆる作品がひしめき合っていた。どんなに雑な置き方をしても、保存魔法のもとでは破損しない。ミッシェルは宝の山をあさった。ルビーの指輪、テレス作の懐中時計、空気天秤を盗むことにした。外は雨が降っていたので、東洋から渡ってきた傘も盗む。本来はこの傘も文化的価値の高いもので、雨に濡らしてはいけないはずだが、傘は傘だ。ミッシェルは久しぶりに使ってやろうと思った。傘をさした状態でストーンヘンジの上に移動する。
警官はストーンヘンジに背を向けて立っているので、ミッシェルに気づかない。
「おーい」とミッシェルは言ってみた。
「で、でたぞっ」
警官が我先にとミッシェルに向かって来た。
空間を把握したミッシェルは人が一人増えていることに気づく。警官は無視して、新参者の前に飛ぶ。ミッシェルと同じ年ぐらいの女の子だった。
「あの、シドル・ソロットの絵を盗みましたか?」
女の子は雨風が強いのに、傘もさしていない。胸の前で手を握り、ミッシェルを見つめていた。瞳の色は髪の毛と同じで紫だった。ミッシェルは何を質問されたか忘れてしまった。
「風邪ひくぞ」
「シドル・ソロットの絵を盗みましたか?」
「あっちだ。ミッシェル、その子から離れろ」
警官が走って来る。話のできる状況ではなかったので、ミッシェルは女の子と共に隠れ家まで飛んだ。
女の子はしりもちをついた。
「今のは?」
「まずは体を拭いた方がいい」
ミッシェルはタオルを渡した。女の子は長い髪をタオルで挟み、水分を取った。ミッシェルはその間に空間軸のことについて説明した。誰にも話す気はなかったのに、話していた。軸のことだけでなく、ルシーのことも。
「次はお前の質問に答えよう。シドル・ソロットの絵を盗んだか? 答えはノーだ」
シドル・ソロットは三十代の若さでこの世を去った天才画家である。
「よかった」
「よかった? ストーンヘンジ庫は、一般客に開放していない。俺が盗んだかどうかなんて関係なく、お前は見れないぞ」
「シドル・ソロットは私の父なんです」
女の子は名前をファカ・ソロットと言った。父の描いた絵を集めて模写したいそうだ。
「正式な手続きを踏めばいい。家族なら、多少の閲覧は認めてもらえるだろう」
ファカが視線を落とす。
「その手は使えないんです。私はいわゆる愛人の子なので。私と父の間に法律上の親子関係はありません」
外の雨音が大きくなった。雨音にまざってお腹の鳴る音がした。
「何か食うか?」
ファカはお腹を手で押え、首を振った。でも、ミッシェルは昨日買ったパンをファカにふるまった。フランスパンは硬くなっていたが、クロワッサンやメロンパンはまだ柔らかい。ファカは小さな口を開けて食べ始めた。でも、すぐに食べるのを止めてしまった。
「口に合わなかったか?」
「いえ。そういうわけじゃないんです。私、このところ、おかしんです。空腹なのに、食べ物を口にすると、気持ち悪くなるんです」
ミッシェルは食べやすそうなものを探した。ヨーグルトがあったので、器いっぱいに入れてファカに出す。ファカはスプーンですくって、時間をかけて飲み込んだ。
「どうだ? 食べれそうか?」
ファカは頷く。
ヨーグルトを食べている間に、ミッシェルは風呂をわかした。
「今は母親と二人で暮らしているのか?」
「母は三年前に他界しました。母は親戚や家族と縁を切っていたようなので、父の正妻が私を引き取りました。でも、馬が合わなくて、逃げ出したんです」
「今は一人で暮らしているのか?」
「はい。父は母にも財産を残していたんです。母が死んで、私が財産を相続しましたから、生活していくのに困ってはいません」
ファカは一定のリズムを崩さずヨーグルトをすくっていた。
風呂がわくと、ミッシェルは先に入るよう言った。
「ミッシェルさんが先に入ってください」
「遠慮しなくていい。俺は雨に濡れてない。さっさと行け」
ミッシェルはファカを脱衣所に飛ばした。ファカは短く叫んだが、今度はしりもちをつかなかった。
ファカが風呂を出たら、家に送り届けようか、ミッシェルは迷っていた。机には食べかけのヨーグルトが残っている。ファカを一人にして大丈夫だろうか。ファカはどうやって父の絵を模写する気だろうか。ミッシェルはファカのことばかり考えていた。さっき出会ったばかりなのに。
風呂上がりのファカは血行もよくなって、肌に色艶が出ていた。長い髪は水分を吸って重たそうだった。ミッシェルの替えの寝間着はファカには大きかったが、それしかないのでしょうがない。
「何か変ですか」
「いや、何も」
ミッシェルは早足で風呂へ向かった。湯に浸っている間、何も考えないように努めた。風呂を出ると、ファカはヨーグルトを食べ終えていた。
「ごちそうさまでした」
「これからどうするんだ? ストーンヘンジ庫には入れないし、家族として閲覧を求めることもできないんだろ」
ファカはヨーグルトの入っていた器を流しに持って行って、洗い始める。
「何とかします」
「何とかってどうするんだ? まさか盗むのか?」
ファカの手が止まった。
「その手がありました」
「え?」
「あの」
ファカが両手に泡をつけたま振り返って、ミッシェルを見つめた。
「私を弟子にしてください」
ミッシェルはファカの瞳に宿る強さにたじろぎ、了承してしまった。
最初の夜はまだお互いの距離を測りかねていて、ファカはベッドで、ミシェルは寝椅子で眠った。次の日、ミッシェルは十分ほど早起きして、ストーンヘンジ庫に飛び、ファカの父シドルの作品を隠れ家に持って帰った。
「ありがとうごさいます。ミッシェルさん」
「呼び捨てでいい」
その日、ミッシェルは久しぶりに朝食を誰かと食べた。




