警部マイケルのプロローグ
取り調べ室の隣室は休憩所と呼ばれていた。正式名称は第五小会議室。五、六人でミーティングをするのにちょうどよい広さだ。
マイケルはキンリエと向かい合っていた。顔の前で十指を組み、真剣な顔を作る。足はがに股のままだった。一方、キンリエは広いおでこを光らせている。前髪を止めるヘアピンは黒色で、髪の毛と同化している。シャツのボタンは首元に一番近いものまですべて止められている。
「あれはまずかったかもな」
「すみませんでした。失態です」
「何か飲まないか? 今はビールの気分だ。キンリエもビールでいいか? 実はここの冷蔵庫の裏に」
キンリエが目元を引き締めた。
「ふざけないでください。あなたはまだ十九歳です。未成年です。飲んでみなさい。現行犯で逮捕します」
二人の関係はねじれている。十九歳のマイケルが警部、二十二歳のキンリエが警部補。数々の実績からマイケルの地位は妥当だった。逮捕した人数は三桁に上る。
「お前は真面目過ぎる。肩の力を抜いて、テキトーにやりゃいい」
「ザルザは殺人鬼です。何名もの犠牲者が出たんです。テキトーになんてできるわけがない。何を考えてるんですか」
キンリエが机へ向かって拳を振り下ろした。鈍い音と共に机が凹んだ。
「考えてないんだなあ。今が楽しければいい。刹那主義ってやつだ」
「つけは未来に溜まります」
「未来は幻想だ。明日を過ごしたことがあるか? ないだろう。今日を過ごすしかないんだ。今を生きるしかない。今の連続が時間だ。今を楽しむことができれば――」
「私は哲学科の学生ではありません。いい加減にしてください。あなたは部下を叱ることもできないんですか。私はザルザに手を出したんですよ。机と同じようにザルザの顔面も凹みました。犯人にも人権があります。したがって私のした行為は重大な違法行為です。懲戒処分ものです。どうするおつもりですか」
キンリエは机を叩きながら早口に言った。目には力がこもっている。
マイケルは両手を挙げ、頭の上で重ねる。隅の観葉植物に視線をずらす。感情的になった女性と目を合わせてはいけない。
「どうもしないさ。懲戒処分が下るようなら、俺も退職願を出す。上は俺を手放したくない。キンリエの処分は取り消さざるを得ない。万事解決」
「卑怯なやり方です。許されません」
「誰に許される必要がある?」
「自分自身に」
マイケルは視線を戻す。キンリエの瞳は、楕円ではなく、狂いのない丸である。マイケルの持っていない正しさがそこにはあった。
「分かってるじゃないか。自分を許してやれ。ザルザは被害者を侮辱する暴言を吐いた。キンリエは自分の気持ちに従って拳をふるった。だから俺は殴らずに済んだ。どうせ誰かが殴ってたさ」
キンリエの肩が下がった。
ビールではなくカフェオレを飲んでから、取り調べを再開した。