第十一話 「マイケルvsキンリエ」
作戦決行の夜、マイケルは有り金の半分をチップに変えていた。
ルーレットの玉が黒13のポケットに入る。
歓声とため息が入り乱れる。マイケルはテーブルを叩く。自身が賭けたチップのタワーは微動だにしない。ディーラーが表情ひとつ変えずにマイケルのチップを手元に引き寄せた。
マイケルは全部のチップを賭けていたので、もうゲームを続けることができない。オールインでも最初は上手くいっていたのだ。赤に賭けたら赤が出た。黒に賭けたら黒が出た。しかし、三度も幸運は続かなかった。
マイケルがチップ売り場に視線を向ける。キンリエがマイケルの腕を掴む。
「これ以上はダメですよ。この後仕事が控えていることを忘れないでください」
「仕事だと?」
「仕事です」
マイケルとキンリエは夫婦という形を取っていた。カジノ側が警官だと勘づくと、マフィアが逃げてしまうからだ。
マイケルは口ひげをつけ、眼鏡をかけている。キンリエはいつもはヘアピンでとめている前髪を下ろし、濃いアイシャドウをひいていた。
「仕事とは何だ? 言って見ろ」
「言えません」
「ならないのと同じだ。俺は行く」
「待ちなさい」
マイケルは人の間を縫ってチップ売り場へと駆けた。テーブルに札を叩きつける。
「全部チップに変えてくれ」
店員が目を細めてうなづいた。マイケルではなく、後方の何かを見ているようだった。マイケルがやばいと思った瞬間には、もう遅かった。キンリエが腕をとり、マイケルに背負い投げをかけた。
周りの客が口笛を吹き、拍手してキンリエの技を讃えた。キンリエは「夫婦喧嘩だからお気になさらず」と騒ぎを鎮めようとする。カジノの支配人まで出て来る始末だった。
マイケルは笑った。すでにカジノ側との取引は済んでいたのだ。チップを受け取り、ルーレットの台まで戻る。キンリエは追撃を加えなかった。客の視線がまだ離れていなかったから。
「もうあまり時間がありません。今回の仕事は失敗が許されないんですよ」
「そんなことより赤と黒どっちだ。お前も賭けろ」
マイケルがチップを一つかみキンリエに渡す。
「ギャンブルはしません」
キンリエがチップを返す。
「なら赤と黒、どっちだ? どっちが好きだ?」
「赤ですけど」
マイケルは赤にオールインした。
玉が赤27に入った。マイケルが賭けた千ソルチップ五十枚が一万ソルチップ十枚になった。再び赤に全額賭ける。
ルーレットが回る。
赤36。
チップは倍になる。再度赤に賭ける。
「今に負けますよ。カジノ側が勝つようになってるんですから」
「だとしても選択しなきゃならないんだ」
「賭けを止める選択をしてください」
玉は赤のポケットに吸い込まれるように入った。他の客も赤に賭けだす。今は赤の流れだった。逆に次こそはと黒に賭ける出す者も大勢いた。
「俺の選択は正しかったようだぞ」
「警部は選択してないじゃないですか。赤が好きと私が言ったから、赤に賭けているだけですよね」
「お前に任せるという選択をしたんだよ」
テーブルを大量のチップが埋め尽くした。ルーレットが回る。その場にいる全員が玉を目で追っていた。玉がポケットに入る瞬間、出口の方でどよめきが起こった。上の階から爆発音もした。マフィアが屋上から侵入した警官部隊を撃退しているのだろう。
「客も店員も私たちの指示に従ってください。警察です。落ち着いて行動してください」
上の階からマフィアがなだれ込んできた。警官は大きく分けて二種類に分かれていた。客と店員を安全に逃がす班と戦闘班だ。
マフィアは銃を抜いていた。密集しているここで撃てば、誰かには当たるだろう。マイケルは全員の銃を別空間に飛ばす。敵の銃だけ奪うのはフェアではないので、警官が所持している銃も残らず飛ばした。
カジノフロアは闘技場に様変わりした。
マイケルは空間を埃の質量に至るまで綿密に把握する。乱闘に巻き込まれた客を外に飛ばす。自分はマフィアの攻撃をのらりくらりと躱していた。
マフィアの数に対して警官の数は二倍以上だった。
キンリエの周りには、マフィアが何人も倒れていた。向かってくるマフィアを二秒以内に倒している。今も金髪のマフィアにカウンターパンチを繰り出している。
マイケルは金髪のマフィアと自分の位置を入れ替えた。キンリエの拳を受け止める。
「マフィアが劣勢みたいだから、俺、マフィア側につくわ」
「何を言っているんですか?」
「今だけだよ。大人数で少数をいじめるのはいけないだろ」
「あなたという人は」
キンリエが拳を連打した。マイケルは避けたり、受け止めたりして、決定打を受けないようにする。空間軸で完全に動きを読み切っても全てを躱すことはできなかった。
五分は粘ったが、キンリエが得意とする回し蹴りをいなすことはできなかった。腹を押えて、床でのたうち回る。
「寝ててください」
マイケルは意識こそ保っていたが、立つことはできなかった。マフィアが倒れているマイケルの顔を踏むことはなかった。キンリエが傍で闘ってくれたからだ。近づいたマフィアを一発で沈める。まるで書類仕事をしているかのように事務的に倒していく。
マフィアを鎮圧した後、キンリエが手を差し伸べた。マイケルは手を掴み、立ち上がる。
「今日のMVPはお前だな。よくやった。キンリエ警部補」
「今日の逆MVPは警部ですね。でも、叱らないでおきます」
キンリエがルーレットの台に視線をやった。
玉は赤1のポケットに収まっていた。
「今日の警部はついてますよ」
傷一つない顔で、キンリエはそう言った。




