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ネクロマンサーと太陽娘  作者: みつえだ西緒
第一章 藁頭のフロランス
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8.家族との決裂

「どこへ行ってたんだ」


 帰宅したとたんヴァンサンに睨みつけられた。フロランスは無表情になって淡々と言った。


「修道院の片付けの手伝いよ。私はまだ修道院の雑用なの」

「ふん。聞いたぞ、クレドー女子修道院はトゥールに移転するってな。俺が反対しなくなってトゥールまでは行けないんだ、ならさっさと村の手伝いに戻ってこい」

「姉ちゃん……一緒に働こう、僕は姉ちゃんがいたら心強いよ。それに畑も楽しいよ」


 ティエリは口下手ながらもフロランスを心配して慰めようとしている。だがフロランスが欲しいのはそういう言葉ではない。

 そもそも村の仕事が嫌いなわけではない。村はアリゼの影響が濃いから嫌なのだ。


 ――結婚する前に俺がアランからアリゼを奪ってやる。

 ――残念、そいつは俺の仕事だ。お前はフロランスで我慢しとけ、かーちゃん気に入ってただろ!

 ――やめろよ、嫌に決まってんだろ。


 村のアリゼの取り巻きは一斉に笑い出す。

 そしてフロランスに、アランとアリゼは喧嘩してないのか、アリゼは今なにを欲しがっているのか、アリゼは、アリゼはと質問し、都合良く使ってくる。

 それにウンザリさせられるのだ。


 フロランスが黙っているとヴァンサンは勘違いをしたのか嘲るように笑った。アリゼにそっくりだった。


「それともなんだ、修道女になるつもりか、ん? カロルの妙な話を真に受けたんじゃないだろうな」

「……妙な話ってなによ」

「カロルはお前とティエリにやれ教義だのやれ教養だのと説いていただろう。今思えば馬鹿馬鹿しいことだ」


 フロランスの頭にカッと血が上った。故人である実母を侮辱されたことが腹立たしくて、それが実父の行為であることが情けなくて仕方がない。


「どこが馬鹿馬鹿しい、自分には学がないからって母さんを貶めないでよね!」

「なんだと!?」

「母さんは父さんを馬鹿にするようなことなんて一度も言わなかったのにね、恥を知れ!」

「生意気な口を利くな、学なんて村の女には必要ない! 頭でっかちになるから反対だったんだ、お前みたいにな!」

「フロランスちゃん、お父さんにそういう言い方はよくないわ……」

「継母さんはちょっと黙ってて。いっつもそうよね、口げんかになったら父さんとアリゼだけを庇うわよね!」

「そ、そんなつもりじゃ」


 フロランスがエリーズを睨み付けると、ヴァンサンはドンと机を叩いて家が揺れるほどの大声で怒鳴った。


「いいかげんにしろ! どのみちお前には家の手伝いをするしかないだろう、それが一番安全でお前のためでもあると言っているんだ! 意地を張ってないで親の言うことを――」

「お断りよ。私、ここから出て行くから。王都に行ってお祖父ちゃんを探すわ」

「なっ……」


 ヴァンサンは目を見開いて絶句した。エリーズもティエリもぽかんとしている。


 ほとんど売り言葉に買い言葉だったが、はっきり口に出してみれば案外フロランスの決意はすんなり固まった。


(グレゴワールさんと王都に行こう、絶対に)


 役に立たないなら役に立つように頑張るしかない。このまま家族に抑圧されてアリゼと比べられて一生を終えるのはごめんだ。王都には、少なくとも村よりは希望がある。


「……若い女一人でどうやって行くつもりだ。金もないだろうが」

「おあいにくさま、当てはあるわ」


 反対されればされるほど決意は固くなる。

 フロランスが冷たく言い放つと、ヴァンサンは激しく動揺した。


「なんだって!?」

「今クレドーに来てる魔術師様にね、宮廷魔術師団で働かないかって誘われてるの。一緒に連れて帰ってくれるってね。私、彼と王都へ行くわ」

「な、なん……」


 ヴァンサンは唇を震わせながら顔を真っ赤にして、次いで青くなった。

 がたん、と後ろで物音がしてフロランスが振り返ると、いつの間に帰ってきたのかアリゼが戸口の前に立っていた。アリゼはこぼれ落ちんばかりに目を見開いていた。


「義姉さん……それってマントの人?」

「そうよ」


 端的に答えるとアリゼは珍しく難しい顔で黙りこんだ。

 ヴァンサンがもう一度机を叩いたが、それは先ほどまでとは違って力がなかった。


「馬鹿な、お前は騙されてるんだ!」

「あら、どうして?」

「……アリゼならわかるが自覚しろ、お前はただの村娘だ。王軍の、しかも魔術師様がただの村娘なんかを誘うはずないだろう!」


 フロランスは鼻に皺を寄せた。

 それはフロランスだって考えたことだ。自分なんかをなぜ、と。でも。


 ――私と一緒においで。


 グレゴワールは見た目こそ怪しいが信用に値するはずだ。少なくともフロランスは信用したいと思っている。信用できないのは、一見普通な村の人間たちの方だ。

 フロランスは皮肉げに笑った。


「誘うはずないって、あのね、別に求婚されたわけじゃないんだから。働きに行くだけよ」

「働けるやつなんて王都にも他にもいるだろうっ!」

「そんなん知らないわよ。文句があるなら王軍に言えば? 言えるならね」

「だっ……騙されている! そうに決まってる!」

「あの人はそんな人じゃない。私たちを助けてくれた、優しくて誠実な人よ」

「そんなもん気まぐれに決まってる! お、お前を、ただの村娘なんかを――」

「そうよ、私はただの村娘よ。美人でもなんでもないただの女よ! なんでわざわざ偉い魔術師様が私みたいなただの女を騙すのよ、そんなことする理由なんてないでしょ!」

「義姉さん、王都に行くの?」


 ヴァンサンと言い争っている間に嫌にはっきりしたアリゼの声が響いて、フロランスは口をつぐんだ。

 アリゼはいつもと違って声にも顔にも媚態を含ませておらず、フロランスはその素のままの態度に嫌な予感を覚えた。


「働き手が欲しいって言われたの?」

「……そうよ」


 アリゼはぱっと顔を明るくした。


「なら、私が代わりに王都に行くわ!」

「はあー!?」


 フロランスは喫驚して大声を上げた。

 アリゼは普段の調子に戻って、おっとりと困ったように笑った。そして歌うようにすらすらと述べる。


「だって、義姉さんができる仕事なんでしょう? なら私が代われるわ。魔術師団で働くのは義姉さんじゃなくてもいいじゃない。私、王都って大好き! ほんとに綺麗だった……住むなら田舎より王都がいいわ。それに王軍の人ってみんな親切なのよ」


 フロランスはぱくぱくと口を動かしたが、アリゼのあまりにも身勝手な台詞に驚きすぎてまともな言葉が出てこなかった。

 さすがのヴァンサンやエリーズも呆気にとられている。

 ティエリが恐る恐るという風に尋ねた。


「アリゼ義姉ちゃん、どうして王軍の人が親切だなんてわかるの?」

「さっき屯所に行ってきたの。王軍の方がいっぱいいたわ」

「あらあら、アリゼちゃん。兵隊さんとお話でもしにいったの?」


 気を取り直したらしいエリーズが不思議そうに尋ねる。

 脳天気な質問にフロランスは頭痛を覚えた。

 ……兵士は屯所で遊んでいるわけではない。兵士の恋人や家族でもないのにお話をしにいく(・・・・・・・)など論外である。

 だがアリゼの美貌なら許されうる。むしろ慰安として王軍やローアンヌ軍の兵士にも喜ばれるかもしれない。だからエリーズの質問はあながち的外れではなかった。


 フロランスは内心で呆れかえったが、アリゼの次の言葉に心臓が止まりそうになった。


「お話しにいったんじゃないわ。フーシェ部隊長様に謝りに行ったのよ」

「……え……」


 フーシェ部隊長。グレゴワール・フーシェ。

 なぜアリゼがマントの持ち主・グレゴワールの名前を知っているのか。そもそも謝りに行くとはどういうことなのか。

 フロランスは狼狽して、なんとか言葉を紡ぎだそうとした。


「……は、な、なんで、謝るって……」

「だって、偉い方が貸して下さったのに義姉さんがマントを上手く乾かせなくてすぐにお返しできなかったのでしょう? だから不手際を謝った方がいいと思って……」


 フロランスは怒りのあまり青ざめた。

 上手く乾かせなかった、とは、なんと卑劣な言い方なのか。洗濯せずにマントを返すわけにはいかないし、今日のように曇り空ならば洗濯物が乾かないのは当然なのに、アリゼはさりげない言葉でフロランスが悪いのだと責める。

 そしてそれを言いふらす。今度は屯所でまで。


 フロランスとてすぐに返せなかったことをグレゴワールに謝りはしたが、当事者同士で謝ることと家族が謝ることでは大きく意味が異なる。

 家族が、しかも妹が謝れば、周りには「フロランスが問題を起こした、しかし自分では謝れない人間である」という印象を与えかねない。


(……やられた)


 フロランスは手を握りしめた。

 アリゼは困ったお義姉さん、とでも言いたげな微笑みを浮かべて話し続ける。


「王軍の方から、義姉さんにマントを貸したのはフーシェ部隊長様だって聞いて。お留守だったから伝言を残してきたの」


 伝言をしたということは、屯所でのフロランスの印象が悪くなったかもしれないということだ。だが、それよりもフロランスはアリゼがグレゴワールに会わなかったという事実に少しホッした。


 が、黙っていたヴァンサンががりがりと頭を掻いて言い出した。


「フロランスの代わりにアリゼが王都へ行くというのはいいかもしれん」

「……は?」

「アリゼちゃんは行きたいのよね?」

「行きたいわ! それに、フーシェ部隊長だってきっと私を必要として下さるわ」

「……アリゼ。私が言ってること、聞いてた?」


 アリゼは可愛らしく小首を傾げて、困ったように笑った。フロランスの大嫌いな微笑み。そして囀るように言う。


「もちろん聞いてたわ。わかってるわ」

「わかってない。アリゼ、私が誘われたのよ。あんたじゃなくて私が誘われたの。私が王都に行くのよ。なんであんたが行くって話になるのよ」

「だって、継父さんも母さんもフロランスが行くことには反対なんでしょう? それに私も行きたいし」


 いつもこうだ。いつも、いつも。

 いつも、フロランスの大事なものを取ろうとする。


「それに、フロランスみたいな真面目(・・・)な女の子には王都は似合わないわ。それなら私が行った方がいいでしょう?」

「私の希望を潰して自分が行きたいから行くっていうの?」

「そんな、酷い……私は心配して」

「余計なお世話よ!」

「それに、そうした方がみんな満足するでしょう……?」

「そうやってあんたはいっつも――」

「フロランス、我が儘を言うな!」


 ヴァンサンが我が意を得たりと言わんばかりに怒鳴りつける。

 いつもならここで黙ってしまっていた。独りぼっちだ、わかってもらえないと思うと物申すのが怖かった。

 ……でも、今日は負けたくない。

 フロランスは胸のロケットを握った。今フロランスを支えるのはカロルの思い出だけではない。

 一緒に冗談を言って笑いあったジョゼ、歌や物語を教えてくれた修道女たち、フロランスの背中を押してくれたボリー先生。――それに、あの不気味で優しいグレゴワール。


 フロランスは目を見開いて真正面からきっかりとヴァンサンを見据えた。


「へえ、我が儘? どこが? どっちが? いっつもいっつも私ばかり叱って、私が王都に行くのは我が儘でアリゼが行くのは我が儘じゃないって? どうして? 説明してよ、してみなさいよ!」

「あっ、アリゼは――」

「子供のころ甘味を欲しがったときもそう、大人になってクレドーで働くときもそう。私がすれば大反対して罵るくせにアリゼがすれば諸手をあげて大賛成、あんたたち、なに言ってるかわかってんの?」

「ひ、酷いわ義姉さん……」


 涙をぽろりと零して見せたアリゼにフロランスは口を歪めた。


「だいたいあんた、アランはどうするつもりなの? アランはクレドーの鍛冶屋に弟子入りしてる、しかも将来有望よ。領主様が王都への移住を許すとは思えないけれど?」

「あ、アランはきっとわかってくれるわ……それに、義姉さんがアランを支えて……」


(……やっぱり)


 捨てるつもりだ。

 胃の奥底で怒りが煮えたぎる。

 結局アリゼは、あれほど自分を大事にしてくれる優しい婚約者のことだってろくに考えちゃいないのだ。


「――この、人でなしが」


 怒気を孕んだ声で言い捨てて、フロランスは梯子を登り、自室のある屋根裏に昇った。



***



 フロランスが寝床の側にある小窓――というよりは壁板が外れただけの穴に近いが――を開けると、傾いた半月の光が暗い屋根裏部屋に差し込んだ。

 階下からはヴァンサンとエリーズがぼそぼそと小さく話す声が聞こえる。おそらくフロランスの対応でも話し合っているのだろう。たまにアリゼがめそめそ泣く声とをそれを宥めるティエリの声も聞こえる。


 その中でフロランスは冷静に思案した。


(一日早いけど、明日のお昼には屯所にお邪魔しよう)


 朝は人が家の周りにいる。荷物を持って家を出れば両親に見つかり邪魔される可能性が高い。だが昼間はそれぞれが仕事に出ているから好機だ。

 明日の午前中には修道院で最後の手伝いをして、別れを告げ、昼にはこっそり村へ帰ってきて誰もいない家から荷物とマントを取る。そのころにはマントも乾いているだろう。そして屯所へ行く。


(うん、それが一番いいわ。今から行きたいけど……さすがに迷惑になりそうだし)


 フロランスは寝床の横にある木箱を開けて、重ねられた古着の下に手を入れた。手に触れた固いものをひっぱり出す。それは木製の表紙のついた古い日記だった。フロランスの実母、カロルのものだ。

 表紙をめくればそこにはカロルが好きだったルケルヴェの聖典の一節が美しい飾り文字で書いてある。


 ――目を見開いてものを見よ。神とて四つの目で世界を見る。


 フロランスはそれを指先でなぞると、ぱたんと閉じて古びた鞄の底に入れた。それから別の木箱を開けてまだ古びていない服を見繕う。アリゼの趣味でなかったがゆえに取られずにすんだものもある。それも鞄に詰める。


 荷造りはすぐに終わった。アリゼと違って衣服はそれほど持っていない。それに持って行きたいものはロケットとカロルの日記、それと日記に挟まっているティエリお手製の栞くらいだ。

 フロランスは鞄を寝床の藁の中に隠した。


(明日の朝は身軽な服装で家を出る。絶対にばれないわ。やってやる)


 一つも雲のない夜空では、無数の星が瞬いていた。

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