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ネクロマンサーと太陽娘  作者: みつえだ西緒
第一章 藁頭のフロランス
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4.コンプレックス

 魔族のような強烈な印象の青年、彼の怪しさ、夢幻のような魔法、そして王都への誘い。


 フロランスは物思いにふけって帰宅した。

 グレゴワールと王都へ行けるなら道中も安全だし旅費も不要になる。雑用係として働けば王都での生活費も稼げる。……祖父に、会えるかもしれない。

 だが一方で想像したこともない場所で働くことへの不安、問題が起きたときに――たとえば首になったときにどうなるのかと心配もある。

 

(あの魔術師様が嘘をつくとは思えないわ……でもこんなにうまい話、あっていいのかしら)


 家の扉を開けたとたん、ドン、と誰かが飛びついてきた。ふわふわした栗色の髪――弟のティエリだ。


「姉ちゃん! 無事でよかった……」

「ああ、奇跡ね……」


 継母のエリーズもよろよろと椅子に座って泣き出した。

 そこでようやく、フロランスは家族に心配されていたと気がついた。ヴァンサンやアリゼもこちらを見ている。昼間にあった女子修道院襲撃の話はとっくに村にももたらされていたのだろう。

 ティエリはヴァンサンとカロルの間の子供でフロランスの実弟である。今年で16歳になる彼は、すっかり大人の体格だというのにフロランスに抱きついて泣きじゃくっている。


(……まるで子供みたいね)


 昔を思い出してフロランスはふと表情を緩めた。


「ねえ、怪我してない? 大丈夫なの?」

「うん、大丈夫よ。心配かけたわね」

「だ……っ、大丈夫なはずないだろう!」


 割れるような大声が家中に響き渡った。ヴァンサンが顔を真っ赤にして肩で息をしている。


 ――また(・・)だ。


 温かくなっていたフロランスの心はサッと冷えて、顔が強ばった。


「だから言ったんだ、街で働くなんて許さないと! それなのに言うこと聞かずにお前は……っ」

「あなた落ち着いて……確かに私も危ないと思うけれど」


 エリーズがおろおろと言った。

 ヴァンサンは怒り心頭といった様子で食卓を叩いた。


「落ち着いていられるか、死ぬかもしれなかったんだぞ! ただの村娘がお金を稼ごうだなんて、無謀なことを考えるからだ!」


 フロランスは口を引き結び冷めた目でヴァンサンを見た。


(……そう、この人たちはいっつもそう)


 ヴァンサンはフロランスが無言でいるのを反省だと受け止めたのか、少し落ち着いて説教を始めた。


「いいか、村の女は村で働くのが当たり前だろう。家畜の世話をし、畑で雑草を抜き、森でベリーや木の実を採る。村で結婚し、村で子供を産み……それなのになんだってお前は道から外れたがるんだ」


 フロランスはまだなにも言わない。普段はこうして黙ってやりすごしているのだ。家族の前ではうまく物が言えなくなるから。


「街は危険だ。村と違っていろんなやつが来る、お前はぼんやりしているから余計に危険だ」


 ――だけど、今日は黙っている気になれなかった。

 山賊の襲撃や魔術師との出会いといった非日常的な経験の衝撃が、修道院の消失と王都への誘いという絶望と希望の感情が、フロランスを突き動かした。


「いいか。お前も村に戻るんだ。ティエリを見習って家の手伝いをしなさい。人手だって足りないんだ」

「ティエリは長男、跡継ぎでしょ。私はそうじゃない。継母さんだって元気なんだし私はお金を稼いで家に入れてる。それで新しい農機具を買ったでしょ? 私がここで働く必要はないわ」

「なっ――……」


 かつてないフロランスの冷たい声に、ヴァンサンは目を白黒させた。

 が、見る間に鬼のような形相になってヴァンサンは喚き散らした。


「長男かどうかなんて関係ない! 普通は娘でも家を手伝うと言っただろう、お前だって知っているだろうが!」


 確かにそれは事実だ。

 だがフロランスにも言い分はある。


「なら、どうして同じことをアリゼには言わないの? アリゼだって村で育った村娘じゃない」


 ヴァンサンはぐっと言葉に詰まった。

 フロランスがちらりと横目でアリゼを見るとアリゼは驚いたように目を見開いていた。反論するとは思わなかったのだろう。


「いつもそうよね。アリゼには許されることも私には許されない。アリゼだってクレドーで働いているじゃない」

「……アリゼはいいんだ。アランが街にいるからな」

「婚約者が街にいるからなんだっていうのよ。昼間は鍛冶屋で仕事をしているのよ? 別にアリゼが側で支えられるわけでも会いに行けるわけでもないじゃない」

「アリゼは! アリゼは街での仕事に向いている。お前と違ってな」


 フロランスは鼻で笑った。無理筋でもここまでアリゼを庇いたがるなんて、いっそ滑稽だ。

 隣のティエリは青ざめている。

 フロランスが家族に怒りを露わにするのは実に久しぶりだった。

 なぜか、今日は口がよく動く。異常な経験をしてまだ興奮状態にあるのかもしれない。まるで体に当てられたグレゴワールの魔力がフロランスの背中を押し、固くなった口を操っているかのように思えた。


「へえ、そう。じゃあ聞くけど『街での仕事に向いている』ってなによ」

「なんでもいいだろう、それに事実だ! アリゼは酒場の看板娘なんだからな」

「へえ、酒場で男を侍らせて遊ぶのが看板娘? 毎日給仕の仕事をしているわけでもないのに?」

「ひ、ひどいわ義姉さん……そんなっ」

「フロランス! アリゼに謝りなさい」

「フロランスちゃん、やめて。言い過ぎたのよね……?」


 涙を浮かべて顔を押さえるアリゼにヴァンサンがますますいきり立つ。エリーズが困ったような顔でアリゼを抱きしめている。


(……茶番ね。なんで母さんはこんな男と結婚したのかしら)


 フロランスは目を細めてヴァンサンに詰め寄った。


「私だってボリー修道院長様に認められているわ。だから雇われているの。修道院で毎日ちゃんと働く私がダメで、なんでアリゼがいいわけ? 答えてよ」

「フロランスちゃん、アリゼは体が弱いから……」


 腸が煮えくり返りそうになる。

 クレドー女子修道院には病弱な人や不治の病に犯された人がよく来ていた。ある人は助けを求め、ある人は安らかな死を願って祈りに来た。

 彼らとアリゼはまるで違う。

 アリゼは健康そのものだ。アリゼが目眩を起こして倒れるのはいつもアリゼにとって都合が悪いときだ。アリゼは体が弱い、というのはなぜか昔からよくアリゼとエリーズが主張することだが、そんなのはばかばかしい言い訳だった。

 けれども不思議なことに体が弱いと言い続けていると信じる人が現れる。そしていつの間にかそれが事実であるかのように扱われるのだ。おかしいと思う人がいても、自分に大きな実害がなければわざわざ指摘する人もいない。そんなものだ。


「で? だったらなんで医者に診せないの。そのくらいのお金はあるでしょ。体が弱いならなおさら村にいる方がいいじゃない。街は危険なんでしょ?」

「フロランスちゃん、アリゼちゃんにあまり酷いこと言わないで……」


 フロランスはエリーズを完全に無視した。エリーズは悪人ではないが日和見主義で無神経だ。


「私は毎朝、鶏の世話をしてから修道院に行くわ。アリゼはそうじゃない。私は稼いだお金を家に入れるわ。アリゼは全部自分で使うわね。それなのに、なんで私が悪くてアリゼはいいわけ? ねえ、父さん答えてよ!」

「うるさい! 現にお前は危ない目に会ったんじゃないか!」

「それがなによ! 確かに危なかったわよ、でもそんなの村にいたって同じでしょ!? 山賊に襲われたらひとたまりもないじゃない」

「ここには男手がある! ゴチャゴチャ理屈をこねるな、だいたいお前は――」

「お継父さん、やめてっ」


 涙を流しながらアリゼがヴァンサンを止めた。

 アリゼの流す涙は美しい。

 ヴァンサンは肩で息をしながら真っ赤な顔でフロランスをにらみつけたが、とにかく口を閉じた。


「……ぐすっ……義姉さん、まだ街にいたいって思っているの?」


 アリゼは目を潤ませて心配そうなそぶりをする。だが、その唇は愉悦に歪んでいる。ヴァンサンやエリーズからは見えないだろうし、ティエリには理解できないだろうけれども。

 フロランスは苛々して棘のある声を出した。


「それがどうしたっていうのよ。あんただって街で働いているじゃない」

「フロランス! アリゼは心配してくれているんだぞ、なんだその言い方は」

「お継父さん、義姉さんはちょっと気が立っているのよ……あんなことがあったんですもの」


 困ったように宥めてみせるアリゼに、沸々と怒りが沸く。

 いつもそうだ。


「アリゼ、あんた私が言ったことまるで聞いてなかったのね。気が立ってて怒ってるんじゃないわ、父さんの理不尽さに怒ってるの」

「やめて、自分では気がついてないだけよ。さあ落ち着いて、フロランス義姉さん」


 透き通るような声で言って、アリゼは慈愛に満ちた表情を浮かべた。

 フロランスは怒りのあまり言葉に詰まった。


「義姉さん、聞いていい? 言いにくいかもしれないけれど教えて欲しいの」

「……なによ」

「もしかして流れ者の男の人といい関係になっていたり、しない?」

「……はあ?」


 すまなさそうな顔をするアリゼにフロランスは閉口した。なんの話だかさっぱりわからない。第一、女子修道院務めのフロランスには男性と話す機会さえそう多くない。


「それで、その人を修道院に連れて行ったりは?」

「……なにを言ってるのか全くわからないんだけど。なんで流れ者を女子修道院に連れていくのよ」

「だって、さしてお金があるわけでもない女子修道院を山賊が襲うなんておかしいでしょう? だったら、義姉さんに目をつけた流れ者が遊び半分で襲ったって考えた方が――」


 カッと頭に血が上った。


「私が山賊を引き入れたって言いたいわけ!?」

「ち、違っ」

「じゃあなんなのよ、だいたい男と遊んでるのはアンタでしょ!? 修道院で真面目に働いている私にそんな暇があると思って」

「フロランス! アリゼは心配して言ってくれたんだぞ!」

「どこが心配なのよ!? ただの侮辱じゃない」

「違うわ、心配でっ」

「いい加減にしろフロランス! 第一、アリゼは男と遊んでなんかいない、あっちが勝手に寄ってくるだけだろう! 嫉妬して変なことを言うな! わからずやが!」

「わからずやは父さんでしょ、なんでわからないの!?」


 フロランスとヴァンサンは怒りに燃えて睨み合った。悲しそうに顔を覆ったアリゼが指の隙間からちらちら様子をうかがっているのにまた腹が立つ。どうせその指の下では唇に満面の笑みが浮かんでいるに違いないのだ。

 と、空気を変えようと思ったのか唐突にティエリが態とらしい明るい声をあげた。


「姉さん、そのマント綺麗だね。修道院の?」

「……ん? ああ、これね、私たちを助けてくれた魔術師様が貸して下さったのよ」

「え、魔術師様!?」


 ティエリは顔を輝かせた。

 ヴァンサンもさすがに驚いた顔をした、が、再び顔を歪めた。


「魔術師様だなんて、お前、そんな偉い方に迷惑をかけて……!」

「ふん、洗ってくるわ。近いうちにお返ししなきゃならないから」

「姉ちゃん!」


 フロランスは家族を全て無視して、玄関口に置いてある盥とランプをひっつかむと急いで家を出た。



***



 月に薄い雲がかかっている。

 フロランスはアランの家の横を通り、村の共同井戸まで歩いた。蓋をずらして水を汲み、桶へ入れてマントを浸す。

 丁寧に押し洗いする間にも、フロランスは再びもの思いにふけった。



 フロランスの母、カロルはフロランスが7つの時に病気で亡くなった。11年前のことだ。父のヴァンサンが再婚したのはその2年後のことである。

 フロランスが初めてアリゼを見たとき、まるで聖典に出てくる天使みたいだと思ったことを今でも覚えている。太陽の光を一身に浴びたような絹糸の金髪、きめ細かな白い肌、頬は赤薔薇のように瑞々しく染まり、長いまつげでふちどられた大きな青い目はいつも潤んだように澄んでいた。

 だが、アリゼが初対面のヴァンサンに躊躇いなく抱きついたのを見て、フロランスはなんとなく嫌な予感がした。


 最初は、ただ父親を取られて寂しいだけだと自分に言い聞かせていた。

 だが、間もなくそうではないとわかった。


 アリゼは世界中から自分が愛されるべきと思っているようなタイプで、無神経で、ずる賢くて、おまけに男の扱いが恐ろしく上手かった。そして自分の引き立たせ役にするために、フロランスを惨めで愚かな女の子に仕立て上げた。


「義姉さんは逞しくていいなあ……私、すぐに倒れちゃうから」

「なに言ってんだよ、そっちの方が可愛くていいじゃないか……フロランスが驢馬だとしたらアリゼちゃんは天使だってだけだよ」


 フロランスの目の前でそう言われてアリゼは満足したように若い男にもたれかかる。


「私は力仕事はむかないから……義姉さんと違って役立たずで」

「なーに言ってんだ! アリゼちゃんはそれでいいんだよ、フロランスみてーにはなるなよ!」


 男たちは一斉に笑った。


「そうそう、フロランスは可愛くねえしそそらねーけど! おい、怒んなよ怖ええなあ」

「ブスがもっとブスになるぜ! あーあ、だからダメなんだよ。もっとほら、アリゼちゃんみてーに可愛く笑って見ろよ……あっやっぱいいわ! お前じゃダメだ!」

「義姉さんは私なんかよりも美人よ?」

「やっさしー! でもダメダメ、アリゼちゃんとフロランスじゃ比べもんになんねーよ!」

「ほんとだよな、ハハッ」


 男たちはまた笑う。楽しそうに。

 彼らとフロランスは仲が悪かったわけではない。むしろよく遊んだ仲だ。

 彼らがフロランスを蔑むのは、フロランスのことを心底嫌っているわけではなくそれがアリゼへの褒め言葉になると思っているからだ。

 事実、そう言えばアリゼはご機嫌になる。

 だから男たちはエスカレートする。

 こうして、アリゼは自分の手を汚さずに惨めな引き立て役を手に入れる。


 アリゼは唇を噛むフロランスを見ても、困ったように微笑むだけだ。決して男を本気で諫めることもないし怒ることもない。

 

 ――逞しくていいな、だなんて思ってもいないくせに。

 ――私の方が美人だなんて思ってもいないくせに。


 アリゼは確かに華奢だ。だが同じような体型の村の女の子だって力仕事はする。最初は大変でも徐々に慣れるものだ。

 けれどもアリゼは端からしようとしない、そして弱くて庇護欲をそそる自分を強調して、男を侍らせて、周りからもそう扱わせる。

 フロランスを馬鹿にしながら。


 アリゼの存在はフロランスを精神的に疲弊させ、自信をどんどん削いでいく結果となった。


 ――どうせアリゼと違って美人じゃないから。

 ――どうせ頑張っても怒られるから。

 ――どうせ認められないから。

 ――どうせ、私なんて。

 ――どうせ、どうせ……


 心に卑屈さが住み着いた。なにかを言おうとするたびに、なにかをしようとするたびに、卑屈さは顔を出してアリゼとフロランスを比べ、貶めていく。

 フロランスが卑屈さに支配されなかったのはカロルに褒められた思い出のおかげだろう。



 フロランスが一心にマントを洗っていると、背後からガタッと音がした。

 振り返ると、アランの家の窓が開いている。目をよく凝らすと、開いた窓からもぞもぞと黒いものが這い出てきた。

 その黒いものは窓枠にゴチンとぶつかって「痛え!」と呻くと、ボテッと地面に落ちて転がった。


「フロランス」


 近寄ってきたその黒いものがランプの光の中へ入ると、ぬぼっとした顔が見えた。顔に泥がついてしまっている。


「アラン? なにやってんの、あんた」


 フロランスは呆れて手を止めた。

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