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ネクロマンサーと太陽娘  作者: みつえだ西緒
第一章 藁頭のフロランス
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3.フロランスの望み

※19日9時ごろに、第0話を割り込み投稿しています。未読の方はそちらからご覧下さい。

 アリゼとは違って、フロランスには若い男に対する耐性がない。だから診療とはいえグレゴワールに頬を触られることが無性に恥ずかしかった。


(……落ち着くのよ、フロランス。これ以上無礼なことをしないようにしなくちゃ)


 自分に言い聞かせてフロランスは顔を引き締めた。

 その瞬間、グレゴワールの掌から左頬を伝ってフロランスの体の中へ、やや温度の低いねっとりとしたなにかが流れ込んだ。

 頭から足のつま先まで全身に軽い痺れが走り、フロランスは反射的に背をそらした。勝手に目が潤む。


「あっ……」

「変な感じがするだろう?」


 グレゴワールはうっそりと薄笑いを浮かべている。

 フロランスは漏れそうになる声を抑えてぎゅっと目を瞑った。目尻に涙が溜まる。

 と、ふいに体がふわりと軽くなった。


「ふむ、喉は大丈夫だが左足を怪我しているようだネ。ちょっと失礼」

「フーシェ部隊長様!?」

「グレゴワールでいいヨ。苗字で呼ばれるのは好きではないんだ」


 グレゴワールは跪いてフロランスの左足に触れた。


(魔術師様が私なんかに跪くなんて!)


 フロランスは慌てふためいた。だがグレゴワールは気にせずにフロランスの足を手に取る。

 グレゴワールのうねった黒髪が土気色の頬に掛かって彼はますます怪しげな様子になり、誓いを立てる騎士というよりは地表に出てきたばかりの魔人といった風情である。

 彼はフロランスの足から靴を抜き取って踝のあたりをくすぐるようにするりと撫でた。


「んっ、やっ」

「フフ、我慢。捻挫は少し時間がかかるから」


 グレゴワールの大きな手がフロランスの白い足首を包み込む。彼の手は再び淡く光り始めた。

 フロランスは決意むなしく再び赤くなった。この状況があまりにも恥ずかしくて、申し訳なくて、しゅんと小さくなる。自分の体の痛みにも気がつかぬまま勢いだけでここへ来て、お礼を言いに来たはずなのに結局世話になってばかりだ。


「ありがとうございます……ごめんなさい、魔術師様にこんなことをさせて」

「大したことじゃないヨ。それに魔術師なんてそんな偉いものじゃない」


 フロランスは俯くグレゴワールの頭を見つめた。

 ここのところ、フロランスはめっきり若い男が苦手になっていた。村やクレドーの若い男たちがアリゼとフロランスをわざわざ比較して邪険にしてくるせいだ。

 だがグレゴワールは親しみやすい。彼が優しいためでもあろうが、彼の不気味さがかえってフロランスの心理的な壁を取り除いたのかもしれない。


「キミもトゥールに行くのかい?」


 唐突な質問にフロランスは小首を傾げた。

 トゥールはローアンヌ地方の中枢となっている大都市で、クレドーからはかなり距離がある。


「そうか、キミはまだ聞いてなかったんだネ。クレドーの修道女たちはしばらくトゥールの女子修道院で暮らすそうだヨ」

「えっ……!?」

「修道院は完全に燃えてしまったから、再建には時間がかかるようでネ」


 村からトゥールまでは遠すぎる。かといって修道院に住み込むことができるのは修道女たちだけ。トゥールで家を借りるというのは経済的に無理だ。


 つまり今後、修道院で働くことは不可能だ。


 先ほどまでの浮ついた気分から一転、深い闇の中に突き落とされたようでフロランスは目の前が真っ暗になった。


 どうしよう、どうしよう。


 そんな言葉がただぐるぐると頭の中をかけ巡った。


「うそ……そんな」


 フロランスは絶望感の前で立ち尽くした。


 脳裏にちらつくのは満面の笑みを浮かべるアリゼだ。男たちが薔薇のようだと褒め称えるあの笑顔はフロランスにとっては悪魔の微笑みでしかない。


 1年前のあの婚約未遂事件(・・・・・・)以来、アリゼはなにかとアランとの仲をフロランスに見せつけてくるようになった。どうでもいいような話でフロランスを呼び出してはアランといちゃつき、キスして、そのくせ毎回困ったような例の笑顔で「ごめんね?」と謝るのだ。そして、「気にしないで」と虚勢を張るフロランスを嘲笑う。アランに抱きつきながら。


 ――なんで。どうして、あの子ばっかり。


 心が軋んだ。

 なんでもない顔を取り繕いながらも感情が悲鳴をあげた。

 けれどもその気持ちを表に出すことは許されない。表に出せば、咎められるか、嫉妬はやめろと怒られるだけだから。


 村に居ればアリゼに絡まれる。村の若い男たちにもアリゼと比べられては顔が不細工だの髪色が汚いだのとからかわれ、無視すれば愛想がないと非難される。アランはこれまで通り優しかったが今やアリゼがべったりだ。


 だから、フロランスはクレドーで働くようになった。昔クレドーに住んでいた、亡くなった実母の伝手をたどって代書屋の雑用となったのである。

 クレドーで働くことはフロランスに良い効果をもたらした。アリゼのことを気にせずのびのびと働ける。賃金は安く、ほとんどは家に入れていたが、それでも少しずつお金も貯まった。


 けれども、そう時間が立たないうちに今度はアリゼまでクレドーで働くようになったのだ。クレドーの鍛冶屋に弟子入りしているアランの側にいたいと言って。

 そして、アリゼに魅了されて取り巻きになったクレドーの若い男は村の若い男たちと同じことをフロランスにしてのけた。


 だから、フロランスは代書屋を辞めて女子修道院に逃げ込んだ。


 修道院は街の宗教の中枢であって重要な地位にあったから、修道院で働きはじめてからフロランスに表立って嫌味を言うクレドーの若者はずいぶん減った。それに女子修道院には浮ついた若い男はやってこない。

 だから、クレドー女子修道院はフロランスにとっての何より大事な場所だったのだ。



 グレゴワールは立ち上がって、その暗い色の目で内心を読み取るかのようにフロランスを覗き込んだ。


「女子修道院を辞めても、キミは健康そうだしどこでも働けるんじゃないかい?」

「……はい、まあ……」


 口ごもっていると、グレゴワールはなにを思ったのかフロランスの頭を撫で始めた。

 まるで子供扱いだ。

 しかし優しく頭を撫でてもらったのなどいつ以来だったか。


 ふるりと、心が震えた。


 グレゴワールが優しく語りかけるように言う。


「そもそも修道院で働いているのはなぜなんだい。村の子は村で働くのが普通だろう」

「ちょっと……家も村も居にくくて。それに、村で働いてもお金は手に入らないから」

「ウン? 借金でもあるのかい」

「いいえ……祖父に会いに行きたいんです」


 声が震える。

 今のフロランスをつき動かす唯一の希望は、会ったこともない祖父の存在だった。


 9年前にエリーズとアリゼが村へやってきてから、フロランスはいつも苦しかった。綺麗なものが一つだけ手に入ればそれはいつもアリゼのもの、一人しか得られないチャンスがあればそれもアリゼのもの、両親からの褒め言葉もアリゼのもの。アリゼより何倍も働いているフロランスはいつも「当たり前だ」の一言で済ませられるのに。


 怒りを爆発させれば我が儘だと怒られ、我慢していればつらさが蓄積していった。フロランスはいつも苦しかった。


 そんな中、フロランスの心の支えになったのは実母・カロルとの思い出だ。カロルが生きていたころはヴァンサンも村の人もフロランスに優しかった。

 カロルは愛情深く、いつも笑顔でフロランスを抱きしめてくれた。フロランスに字を教え、いろんな物語を面白おかしく語って聞かせ、教えさとした。


 そんなカロルは生前、生き別れになった祖父――カロルの実父である――のことをよくフロランスに話していた。立派で愛情深い人だったと。いつか会いに行きたい、フロランスを会わせたいと。


 その夢がかなわぬままカロルは死んだ。


 ……でもフロランスは生きている。つらくても、生きている。


 だから村の外で働くと決めたとき、フロランスは生きるための希望として、祖父に会いに行こうと決めたのだ。それに、きっと祖父ならカロルと同じくフロランスを理解してくれるんじゃないかと、そうも考えた。


 グレゴワールはフロランスを撫でる手を止めた。


「なるほどネ。だから修道女にもならなかったんだ」

「……ええ」

「お祖父さんはどこに?」

「王都に生家があるんです。今そこにいるかはわからないんですけれど」


 王都は遠い。

 領地をいくつも越え、川も越え、危険な地域も通らねばならない。旅費も多く掛かるだろう。


 だけど、それでもお金が貯まればいつか王都へいけるかもしれない。祖父が住んでいる、王都へ。


 ――けれど、その夢ももう諦めなければならないかもしれない。


 フロランスは、アリゼがクレドーのあらゆる場所で相談と称してフロランスを悪く言っていることを知っている。両親を困らせているだとか、村で仕事をしないだとか。仕事をしないのはアリゼの方だったのに。

 クレドーの住民みながアリゼを信じているわけではないだろう。フロランスが真面目に修道院で働いていることを知っている人も多い。アリゼの取り巻きになる若い男も村ほど多くはない。


 だが、一部でフロランスの悪評が立っていることは間違いなかったし、そんなフロランスをわざわざ

雇ってくれる者はいるのだろうか?

 

 フロランスは瞼を閉じた。

 涙をこぼしてグレゴワールに気を遣わせるつもりはない。


「ふうん、王都のお祖父さんに会いに行くことが望みだということでいいかい?」

「……ええ」

「村、家にも居たくないと」

「……はい……」

「ここから遠く離れてもいいと」

「……ええ、経済的に無理ですけれど」

「なら、私と一緒に王都に来ないかい?」

「……はい。……。……ん?」


 フロランスはしばし固まって、次いで耳を疑った。

 ゆっくりと見上げると、グレゴワールは唇を三日月の形にしてニタニタと薄気味悪く笑っている。


「……あの、今、なんて?」

「王都に来て、私の下で働かないかい。うちの第五部隊はどうも事務係が長続きしなくってネ。万年人手不足なんだヨ」


 フロランスはあ然とした。


(――王都で働く? 私が? 魔術師様の下で?)


 想像すらしなかった展開に頭がついていかない。

 それは理想的すぎる誘いだった。


「イヤかな?」

「いっ……いいえ! あの、でも……どういう仕事をするんですか。私にできるでしょうか」

「ただの雑用さ。洗濯物を運んだり、整理整頓をしたりネ。要するに、うちの部隊員の手伝い全般かな。修道院の仕事とそんなには変わらないと思うヨ」

「……あの、どうして私なんかを?」

「自分を貶めるもんじゃないヨ。キミなら第五部隊(うち)に馴染めそうだと思ってネ」


 あまりにもできすぎた話でフロランスは半信半疑になった。なぜ魔術師様がただの村娘にそこまで親切にしてくれるのか疑問だったし、グレゴワールの答えにもいまいち納得できない。

 けれども誘いの魅力に心がぐらりと傾く。


 グレゴワールはウキウキと言いつのった。


「給料は悪くないし、部屋も空いてるから家賃もいらないヨ。休みもちゃんとあるし、仕事が過酷ってこともないはずだ。他の部隊にはキミと同じくらいの女の子の雑用係もいるしネ」

「あの……考えさせてもらっても?」

「もちろん。私たちはあと4日ほどクレドーに滞在するから、その間に決めてほしいな」


 グレゴワールが開け放たれた窓の外を見やった。いつの間にか、外は暮れかけていた。


「さあ、もう帰ったほうがいい。……ああ、これを着てお行き。袖が破れちゃってるからネ」


 グレゴワールはフロランスの手を取って立ち上がらせてから、彼のローブと同じく艶のある黒い短めのマントをフロランスに手渡した。

 そして、あの怪しげな笑いを浮かべる。


「気をつけておかえり。今は軍がウロウロしてるから大丈夫だろうけどネ。……色良い返事を待っているヨ」


 フロランスはグレゴワールから渡されたマントを羽織って、未だに信じられぬ心地のままおとなしく屯所を出た。


 今日はいろいろなことがありすぎた。


 襲撃、危機、恐怖、絶望、グレゴワールとの出会い、そして王都への誘い。


 踊るような期待と漠然とした不安が心の中でないまぜになって、フロランスは深くため息をついた。

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