2.恩人の正体
意識を取り戻したフロランスは飛び起きた。あたりを見回すとそこは簡易な寝台が並べられた大部屋で、フロランスと同じく寝ている男女が何人もいた。みな体のどこかに包帯を巻いている。
「おっ、目が覚めたか」
白いリネンを持った中年の男が部屋に入ってきた。彼の着る灰色の膝丈チュニックには、ローアンヌ地方の大領主ジョスラン家を示す鹿の紋が刺繍されていた。ローアンヌ軍の衛生兵だろう。
「ここは?」
「クレドーの屯所さ。気分はどうだ」
「大丈夫です、ありがとう。……あっ! 女子修道院の人たちは」
「無事だ。何人か怪我してたがあんくらいならすぐ治る」
フロランスはほっと安堵した。思わず目に涙を浮かべて上掛けを握りしめる。
男は苦笑してリネンの布きれを一枚フロランスに押しつけた。
「よかったな」
「はい、本当に……ありがとうございます」
「俺はなんもしてねえよ。礼なら戦ったやつらに言いな」
「私を助けてくれたのはどなたですか?」
あの土気色の青年は怪しくて謎だらけだ。
と、男は面白くなさそうな顔になって顎で扉を指した。開け放たれた扉の先には騎兵服を着た美形の男が立っていて、若い女性に取り囲まれてきゃあきゃあと騒がれていた。
「まーったく嫌味な男だぜ。オカネモチだわイケメンだわ、挙げ句の果てに老若男女を救って大活躍ってか。いいか嬢ちゃん、ああいうやつは先陣切っては戦わねんだ、騙されちゃいけねえよ」
男はブツブツと文句を言っている。
フロランスは美形をまじまじと見た。体格がいい。顔色は良すぎる。自信に溢れた顔には不気味さの欠片もない、キラキラしている。……というか、そもそも顔立ちが彼とは全然違う。
「あのう、あの人じゃないです」
「なに、違うのか!? なんだあいつ、ここのやつ全員俺が助けたって言ってたのに……そうかこうやって人気取りを……」
「上級司祭様みたいな黒いローブを着た人だったのですが」
「そりゃ王軍の魔術師だ。運が良かったな」
「魔術師!?」
フロランスは小さく叫んだ。
魔術師は数が少なく大方が国王に仕えており、地位も高いため、クレドーのような田舎に来ることはまずない。事実、フロランスも生まれてこの方魔術師を見たことはなかった。
(あのローブ、魔術師様の服だったのね)
星を鏤めた闇夜のようなローブの黒い光沢、あの高級感は、言われてみれば着る者の高貴さを顕示していた。
男はなぜか得意げに鼻の下を擦った。
「今クレドーに魔術師が三人来てんだ。なんつったか調査に来てんだと」
「わざわざ三人も?」
貴重な魔術師が一人田舎に派遣されるだけでも特異なのに、三人も来たとなれば異常事態だ。
「なにがあったんだろうな、俺たちには関係ねえけどよ。お前さんを助けたやつは男か?」
「そうです、若い人で」
「ならブラッサンス様だな。ちっせえ子供のくせに大したもんだ。部屋まで案内してやろうか」
「小さい? 背の高い人でした、痩せてて顔色があまりよくない感じの」
とたんに男は顔を強ばらせて目を反らした。
男の反応に嫌なものを感じ取って、フロランスはもごもごと言い訳するように尋ねた。
「なにかあったんですか?」
「そっちかよ……そいつは死霊術師らしくてな……」
「えっ」
フロランスは衝撃を受けた。
土気色の彼は、フロランスが思い描く死霊術師の姿――いかめしい顔をした清廉な司祭のようなそれとは大きく異なっていた。
もともと死霊術は死者への弔いから大昔に生まれた魔法で、かつては魔法の才能ある司祭がこぞって身につけていたと聞く。死者を弔い、あの世と語り合い、時には本人や遺族のために死者の思念を読む。それが彼らの本来の仕事だ。
今では死霊術を利用して魔術兵として戦うこともあるとは聞いていたが、いずれにせよ死霊術師は司祭や騎士のようにきりりと精悍な姿をしているはず、だった。フロランスの想像では。
フロランスは慌てて取り繕った。
「すごい人なんですね。死霊術師にはなかなかなれないって聞きました」
「ああ、そうらしいな……宮廷魔術師団の部隊長様だっていうしよ……でもなあ……」
妙に歯切れが悪い。
フロランスは唇を引き結んだ。
死霊術はあの世を司る闇の神の領域に属するとされており、マニエットを主神とするクレドー女子修道院にとっては伝統ある格式高い魔法である。
しかし近年は死への忌避感からマニエットを厭う者も多い。とすれば死霊術を嫌悪する者がいてもおかしくはない。
が、男は顔に畏怖を浮かべてそれとは別の理由を口にした。
「でもなあ、あいつは不気味すぎる。死んでるみてえな面して、なんか企んでそうだ」
フロランスは失礼なことを言う男を咎めることができなかった。フロランスとて最初は死体か魔物かと疑ったのだから。
(見た目が変わってるってだけかもしれないわ。それに命の恩人には違いないし)
フロランスは気味悪そうにする男に頭を下げた。
「それでもお礼が言いたいんです。どこにいるのか教えてもらえませんか」
「……はあー、仕方ねえな。案内してやる」
男は顔を強ばらせたままだったが親切にも一つ頷いて手招きをした。
大部屋を出て廊下をしばらく進んだのち男は突き当たりの簡素な扉の前で立ち止まった。そして出し抜けにビシッと背筋を伸ばし、扉を叩いてよそゆきの声を出す。
「フーシェ部隊長様、失礼します! 被害者が礼を言いたいと申しております!」
「……ウン? おはいり」
中からあの柔らかな声がする。
男は扉を開けて一歩二歩進むと、腹に片手を当ててバッと勢いよく跪いた。
フロランスも慌てて床に両膝をつき頭を垂れる。
(う、わ……どうしよう、失礼だったかも)
冷や汗をかいた。今頃になって土気色の男の地位の高さを実感する。勢いだけで来てしまったが魔術師は大領主の上級貴族でさえもなかなか雇えぬ存在だ。フロランスのようなただの村娘が、礼を言うためとはいえ気軽に部屋を訪ねていいはずはない。
衛生兵の男は「じゃあな」と囁いてさっさと部屋から退出してしまった。
フロランスが一人跪いたままコチンと固まっていると、頭上からクスッと零すような笑いが聞こえた。
「かしこまらなくていいヨ」
恐る恐る顔を上げると、土気色の魔術師はゆっくりと椅子から立ち上がったところだった。彼の挙措は優雅でどこか貴族的な気品があった。
しかし彼がニイッと唇を釣り上げて笑ったとたん薄気味悪い雰囲気が全面に押し出された。なにかを企んでいるという表現がぴったりだ。
フロランスの背筋にぞわりと戦慄が走った。ギクリと心臓が跳ねて不安定な気分になる。
彼はまるで、貴族の生活をする吸血鬼だとか城に君臨する魔王だとか、そういったものに見えた。この恩人が人間であるとわかってはいても。
彼は色のない薄い唇の隙間から真っ赤な舌をのぞかせて舌なめずりするように唇を舐めた。その仕草は妙に妖艶に見える。
それから彼は右の掌を首筋に押しつけて頭を横に倒した。
「まだ具合が悪いのかい」
フロランスはハッと気を取り直して再び頭を下げた。
「あっ……すみません大丈夫です! 先ほどは本当にありがとうございました。あのときもうダメなんじゃないかと諦めかけたんです、でも、ええと……フーシェ部隊長様? のおかげで助かりました」
「ねえ、キミ」
彼は首を傾げたまま落ち着いた調子で言った。
「私の名前はグレゴワール・フーシェ。キミは?」
「フロランスです」
「ではフロランス、立っておくれ。跪かれるのには慣れていないんだ」
「えっ、と、はい……あれ?」
差し出された手を取り立ち上がったところで、フロランスはようやく自分の右手に包帯が巻かれていることに気がついた。皮膚がピリピリと痛む。
「火傷をしていたんだヨ。見せてごらん」
グレゴワールはフロランスの右手を両手で包んで包帯を外した。
現れた右の掌は真っ赤に爛れていた。木切れを投げたときにできたのだろう。
「治癒魔法は得意じゃないんだけどネ。じっとしていて」
彼は小声でなにかを呟いた。すると彼の手が淡く輝き、目には見えない温かいものがフロランスの掌に触れる。見る間に掌の赤みが引き、水ぶくれが元に戻り、爛れて裂けた患部を健康な皮膚が覆っていった。
「動かしてみて」
「……すごい……痛くない! すごい!」
フロランスは興奮して声を上げた。
一瞬の奇跡だった。魔法の光は雨上がりの朝日にも負けぬ美しさで、天の御使いの羽のように優しく、清らかで、尊かった。そう見えた。
フロランスの頭からは事件の恐怖もグレゴワールへの躊躇いも一挙に吹き飛んだ。
(やっぱりすごい人で優しい人なんだ!)
フロランスは目を輝かせてグレゴワールを見上げ、はしゃぎ、満面の笑みを浮かべた。
「ありがとうございます、ここまで良くして下さって! フーシェ部隊長様はいつまでクレドーにおられるんですか? なにかあれば申し付けて下さい、大した力はないですけれど私にできる限りのことは――」
「……へ?」
「……え?」
グレゴワールは隈の濃く残る目を見開いて硬直している。
その反応を見、フロランスもまた硬直した。
(し、まった……興奮しすぎた)
フーシェ、という苗字や所作からするとグレゴワールはおそらく貴族だ。フロランスのやり方は馴れ馴れしすぎたのかもしれない。
フロランスは青ざめて忙しなく頭を下げた。
「失礼いたしました! 私などではフーシェ部隊長様のお役にはたちませんね、お金……そうだ治療費持ってきます、その、でも高額だとすぐにはお支払いできな――」
「ちょっと待って、そうじゃないヨ。治療費もいらない。ええと……いや、そうだネ。いくつか質問してもいいかい、キミたちを襲った山賊のこと。思い出すのは怖いかな」
「いえ、大丈夫です」
優しい言葉にほっとしたフロランスは姿勢を正した。
グレゴワールは貴族の娘にするようにフロランスの手を引いて椅子に座らせると、その隣にゆったりと腰掛けた。
「キミは修道女じゃないみたいだけど、たまたま女子修道院にいたのかい」
「……いえ、あそこで雑用として働いているんです。買い出しから鶏の世話まで様々手伝っていまして」
「修道女見習いでもなく? 珍しいネ」
「ええ……」
フロランスは歯切れ悪く答えた。
修道院で生きたければ修道女になるのが通常である。フロランスも修道院で働くなら修道女になればいいと周りから何度も勧められていた。
しかし修道女になればフロランスは一生をクレドー近郊で過ごすことになり、そうなれば望みを実現することは難しくなる。ボリーはフロランスの望みを知っているからこそフロランスを修道女見習いともせずそのまま雇っていたのである。
だが他人からは中途半端な存在に見えるであろうことは自覚している。フロランスはグレゴワールの暗い目に見透かされたようで気まずく思った。
「山賊が来る前になにか見なかったかい。動物が妙な動きをしたということは?」
「いいえ、私が知る限りではいつも通りだったと思います」
「では山賊たちについてなにか気になったことはあるかい? なんでもいいヨ」
フロランスは考えてから慎重に口を開いた。
「あいつら、修道女を捕まえて売ろうとしていたんです。でも途中で殺そうとし始めて、だから山賊の注意を反らすために木切れを投げたんですけれど」
「勇敢だネ」
「夢中だったもので……そしたら山賊が、領軍が来たのか、足止めしていたはずなのに、と騒いでいました。確かに変だったんです、クレドーから修道院まで近いのになかなかローアンヌ軍が来なくて」
「へえ、それは興味深い。そうか……」
グレゴワールは目を伏せて黙り込んだ。
しばらくののち、グレゴワールはニタリと不気味に笑うとフロランスに手を伸ばした。
「今日は大変だったネ。煙もたくさん吸っていたみたいだし。頬に触れてもいいかい?」
「もちろんです……って、え、頬?」
フロランスは驚いて目を見張った。頬の近くには頭、まさか、彼は――
「魔法で私の記憶を覗くんですか!?」
「……そんなことはできないヨ」
「でも死霊術師は記憶を読み取ることができるって」
「あれは記憶を読んでるわけじゃない。詳しく話すと長くなるけれど……怖がらないで。魔力で体の状態を見るだけだからネ。喉を火傷しているかもしれない」
「は、い」
グレゴワールの大きな右手がフロランスに触れた。温かい掌で左頬が包み込まれる。
まるで恋人にするみたいだ。
そう考えてフロランスは赤くなった。
――ただの診察なのになに勝手に連想しているの、私。