27.貴族たちの攻防
時は少々さかのぼる。
朝、フロランスが洗濯物を抱えて洗濯場と古城をいったりきたりしている時、王城では謁見と調査旅行の報告が行われていた。
赤いマントを翻して大広間へ颯爽と入ってきたのは国王リシャール・シセである。後ろにはいつものようにロラン・クレメールを連れている。
リシャールは貴族や貴族の代官たちが跪き頭を垂れる間を堂々と進み王座へ座ると、皆に頭を上げるよう告げた。
「昨日、修道院襲撃事件の調査からグレゴワール・フーシェが帰ってきた。グレゴワール、ご苦労だった。皆に報告をせよ」
「承知。まず疑われていた魔術師の関与ですが、その痕跡は一切見つかりませんでした」
「隠してるんじゃないだろうな。重大な問題なんだぞ」
早速ヤジが飛んだ。ローアンヌ地方大領主ジョスラン家の王都駐在官、フォレッツである。この神経質な男はグレゴワールを死に神だと嫌っていた。フォレッツは疑り深くグレゴワールを睨んでいる。
グレゴワールはニタニタといつもの怪しげな笑いを浮かべたまま答える。
「隠しても私にはなんにもなりませんヨ」
「そうか? お前が事件を主導しているなら話は簡単だ」
「それこそ主導する理由がありませんネ」
「フォレッツ殿はどうやら王の決めた調査隊がお気に召さないようだ。痛い腹でも探られましたかな?」
西方出身の青年貴族、アギヨンが皮肉を言う。
フォレッツは顔を赤くして怒りを露わにした。
「貴殿はまた我々を挑発するか? ジョスラン家が麻薬を流しているだのなんだのと根も葉もない噂を流すのは辞めて頂きたい。我々は王家の決定に従っている!」
「おや、私は痛い腹と言っただけで麻薬とは言っておらぬぞ」
アギヨンはせせら笑った。
麻薬をヴェルネ王国へ持ち込むのはバクトラ人であるが、彼らの力だけでレギムが東ヴェルネに蔓延するとは考えにくい。誰か実力者がレギム流行の裏側にいる――というのが大方の見方であって、アギヨンはそれがジョスラン家ではないかと言っているのである。
「ごまかすな。普段から我らがレギム流通の諸悪の根源だと言いふらしておるのは知っているのだぞ」
「――そこまでにしろ」
リシャールが止めるとアギヨンはすまし顔になり、フォレッツは苛立たしげにむっつりと口を噤んだ。
「調査にはマノンも随行している。マノンの高潔さは周知の通り。不正があればすぐに明らかになっているはずだ」
しんと大広間は静まりかえった。貴族たちの表情は微妙なもので、納得がいったという顔の者もいれば不信感を露わにしている者もいる。だがリシャールの手前、黙らざるをえないという状況である。
(まったく、面倒なものだ)
リシャールは内心、うんざりした。
貴族たちの対立関係は複雑この上ない。そのいい例が今の口論だ。
東方貴族のジョスラン家やフォレッツらと西方貴族のアギヨンらは相性が悪い。まず第一に、修道院襲撃事件で攻撃されたマニエット派に対する思い入れが異なる。東方貴族はバクトラ文化や隣国の影響でマニエットに対する信仰心が薄い者が多いのに対し、西方貴族は熱心なマニエット信奉者が多い。それに東方貴族はバクトラ人など他民族に対して寛容な者が多いのに対し、西方貴族は排他的である。
その結果、今回のようなマニエットやバクトラ人の絡む事件では頻繁に対立するのである。
実のところ、グレゴワールらを東方へ派遣したのは苦肉の策であった。
魔術師の派遣は表向きは修道院襲撃事件の調査であるが、裏の理由としてレギムの調査があることは皆、薄々気がついている。むろん、派遣される側であるジョスラン家やオーランス地方大領主も同様である。
宮廷魔術師団の重鎮ばかりを送れば、東方貴族に王に対する過剰な警戒心を懐かせかねない。領主の統治権を犯して麻薬の調査を大々的にするように見えかねないからだ。しかしかといって実力の低い魔術師を送れば、西方貴族から「王は東方貴族のなすがままになっている」と侮られ兼ねない。
そこで、グレゴワール、マノン、ギーの出番である。三人は部隊長、元宮廷魔術師団長、魔法学校首席と実力は折り紙付きだ。だがその一方で三人は白眼視されることが多い。変人の大魔術師グレゴワール、女だてらにトップに立ったマノン、商売っ気が強すぎるギー。
この三人の派遣は、見ようによっては気合いの入った本気の調査であるし、他の見方をすれば宮廷魔術師団の変わり者の寄せ集めをただ送ったようでもあった。
「グレゴワール、続きを」
「……魔術の痕跡は見つからなかったものの、間接的には関係している可能性はあります。少なくとも実力者の関与は明らかです。修道院を襲ったのはただの山賊ではない」
フォレッツは口を引き結び、アギヨンは眉を上げた。他の貴族も興味深げに黙ってグレゴワールの報告に耳を傾けた。
「山賊にしては装備が整いすぎています。それに彼らは重度のレギム中毒だった」
一瞬場が静まりかえったのち、大広間にいた貴族たちはどよめいた。
レギムは東ヴェルネに蔓延しつつあるとはいえ、国内では生産できない高価な薬物である。それをただの山賊が、重度の中毒になるほど定期的に入手できるとは考えにくい。
「貴族か、役人か、商人か、あるいは……いずれにせよレギムを与えることができる者が裏で糸を引いていると考えるのが自然でしょう」
「なんとローアンヌにまで、そこまでレギムは広がっているのか。山賊が使っているほどとなると予想以上に流通量が多いな」
呟いたのは穏健派の西方貴族の青年、アモロスである。
アギヨンがふむ、と顎に手を当てた。
「確かにその通りだ。レギムについては何かわかったのかね、フーシェ君」
「それは我々、ジョスラン家の指揮下で調査されていることだ! いくら王命とはいえ、我々の許可なく我々の領地で一魔術師にそんな調査をすることは許されていない!」
「むろん、そうだろうね。だが調査せずともわかることはあるよ」
美しい声で口を挟んだのは、王の隣に控えるロラン・クレメールだった。
「レギムはもともとバクトラ人が宗教行事でのみ使うものだ。それが快楽的な用途のためにヴェルネの民に流れているのは、バクトラ人が流しているからだよ。そうでなければ流通するはずがないんだ」
「やはり、あいつらはゴミだな。ヴェルネから排除すべきだ」
アギヨンが苦い顔で呟く。
ロランは頭を振って手でアギヨンを制した。
「それは難しいだろうね。バクトラ人の中心にはアシュラール商会がいる」
アシュラール商会。バクトラ人たちがイーハ=アシュラールと自称するその商会はバクトラ商人たちがヴェルネ国内で持つ最大の商会であって、その拠点はオーランスにあった。
アギヨンはその好戦的な性質を露わにして大声を出した。
「そんなものは潰してしまえ! なにがアシュラール商会だ、ただの犯罪組織じゃないか」
「そんなはずはありません。少なくともアシュラール商会の会長は我々ルグラン家にレギムは売らないと約束しました」
驚いたように声を上げたのはオーランス地方の大領主ルグラン家の代官だ。
アギヨンは鼻に皺を寄せて噛みついた。
「本当かな? アシュラールがレギムを売るのを黙認し、その代わりに売り上げの一部をルグラン家に貢がせているのでは?」
「ばかな! 我々ルグランとてレギムは問題視しているんですよ」
「どのみちアシュラール商会を潰すなど安易にできることではない。なんせ、背後にはあのバクトラ帝国がいる」
ロランが言うと、大広間は再び静まりかえった。
アシュラール商会はバクトラ帝国の国家組織というわけではない。が、現バクトラの女帝アシュラル
・イム=ハーディムから名前を取っている商会である以上はバクトラ帝国と繋がりが深いと考えるべきである。
そのような商会を下手に追い出せば、それを口実にバクトラ帝国から戦争をふっかけられる可能性がある。バクトラ帝国とヴェルネ王国の間にはいくつかの国が挟まり、海によっても隔たっているが、ここ最近のバクトラ帝国の版図拡大は著しいものがあって、油断は禁物であった。
アギヨンがイライラと叫んだ。
「フーシェ、貴殿は何もしないのか! マニエットが馬鹿にされているのだぞ! バクトラ人は不敬にもマニエットを嫌う、そして調子に乗ったやつらはマニエット派の修道院まで壊そうとしているのだぞ! しかもレギムなんてものを使って! お前ならすぐに派兵できるだろう、それを――」
「それは死兵を使うということですかな? 我々は反対ですぞ」
シモン・ブロンダン――ブロンダン家当主にしてジュールとクロディーヌの父親である――がむっつりと反対した。ブロンダン家は古くからマニエットを信仰する貴族であったが、死者を兵として操る最近の死霊術には強固に反対していた。むろん、グレゴワールら現在の第五部隊のことも「古き良きマニエット」を犯すとして毛嫌いしている。
フォレッツが頬を引き攣らせて皮肉った。
「ふん、そもそもマニエットの信奉が時代にそぐわないのでは? 死に神の言うことなど――」
「なんだと!?」
「――黙れ」
リシャールが一言言うと、フォレッツとアギヨンはにらみ合いながらも口を噤んだ。
「グレゴワール、詳細についても説明せよ」
「承知」
グレゴワールは淡々と、調査旅行の結果の委細を説明する。
貴族たちは今度こそ黙ってそれを聞いた。
リシャールは既に知っているグレゴワールの報告を聞きながらぼんやりとシプリアンの書について考えていた。
(本当にグレゴワールはシプリアンの書の行方を知らないのか。本当は燃えていることもなく――なにか掴んでいるのではないか)
グレゴワールの報告によれば、シプリアンから書を受け取って王都を出た説教師デフロットの軌跡は今まで知られてきたそれとはさして変わらないものであった、という。
王都を出て各地で説教師として活動しながらゆっくり南のローアンヌ地方へ向かい、そこから北へ移動してオーランスへ移り、そこで死んだ。
一つ新しい情報としてはデフロットが実はクレドーへ立ち寄っていたらしいということだが、間もなく追い出されたようで、クレドーでは特にデフロットについての情報はなかったのだという。
(グレゴワールが俺の命を素直に聞いて、しかも熱心にシプリアンの書を探索したというのも気になる)
単に死霊術師としての興味かもしれないが、あるいはなにか裏に魂胆があるのかもしれない。
(……ジェレミーも調査をしているから問題はないと思うがな)
クレメール家は代々王家につかえる懐刀、「王家の狼」である。忠誠心は厚く、それは嫡男たるロランに限らず次男であるジェレミーにもいえる。
(まったく、難儀なことだな。俺の命を聞かなければあの男は疑わしい、だが聞けば聞いたであの男は疑わしく思える)
リシャールは密かにため息をついた。
***
その日の夜、フロランスがグレゴワールの部屋で食事を与えられているころ、マクシムはトゥールの自宅へアリゼを連れ込んでいた。
マクシムは疲れて寝てしまったアリゼを寝室に置いて、一人、足を忍ばせて書斎へ向かった。
書斎の鍵をしっかり締めたマクシムは、机の底に隠した箱の鍵を開け、中から白い花の形をした金属器を取り出した。それは書花のような形をしている。
マクシムがそれに触れると金属器は淡く白い光を発した。
「おい聞こえるか、バトレ。俺だ」
マクシムが小声で言うと、しばらくして金属器から若い男の声が聞こえた。その声は遠く、雑音が混じっていたが、聞き取れないほどではなかった。
「……ええ聞こえますよ、マクシム様。成功ですね」
バトレの声は弾んでいる。
魔力通信機だと言ってマクシムがバトレから渡されたそれは、数回使えば壊れるそうだが、マクシムのように魔術師ではなく書花が使えない者にとっては念願の道具だった。
まだ魔術工務部で開発中であり、実用化されていない試作品だというそれを、バトレという顔を隠した怪しげな男はどこで同入手したのかはマクシムにもわからなかった。
だがマクシムの野望のために忠実に働くバトレの言は信用に値した。
「それでご用はなんでしょうか、マクシム様」
「グレゴワール・フーシェがフロランスという女を王都へ連れて行った。意図が読めん。裏がどうなっているのか調べろ」
「……ただ気に入ったのではなく?」
「凡庸な女を気に入ってはるばる王都まで連れて行くとは思えん。その女の妹によれば、女の祖父は説教師だそうだ」
「なんと」
バトレの声に驚きが混じり、次いで納得したかのようなため息が聞こえた。
「なるほど、デフロットに関連している可能性ですか。承知しました、調べておきます」
「それからもう一つ。デフロットは王都出身だろう。王都でのデフロットの噂を集めろ。特に女絡みの話だ」
「女絡み?」
「そうだ。……女の噂話というのは当てにならんが、たまに思いも寄らない真実が隠されている」
マクシムは暗い部屋の中で目を光らせた。
「クレドーではデフロットは恐ろしいほどの美貌の男だったと言われている。クレドー以北、オーランスにかけても同じだ。だが王都ではデフロットは美形だと言われていたか?」
「聞いたことがありませんね。……つまり、デフロットの本物と偽物がどこかで入れ替わった可能性があると?」
「そうだ」
感嘆の声をあげる忠実なるしもべ、バトレの様子にマクシムは満足げに口角を釣り上げた。
更新遅くなりました。新しい人物名がもりだくさんですが、ちゃんと覚えなくても大丈夫です。たぶん。
<人物・用語紹介>
○フォレッツ
ジョスラン家の代官、王都駐在官。
○アギヨン
西方貴族。熱心なマニエット信奉者、排他的。
○エルワン・アモロス
西方貴族のうちの穏健派。中立的。
○ルグラン家
オーランス地方大領主。ローアンヌのジョスラン家と並んでヴェルネ王国東部の二大上級貴族。
○シモン・ブロンダン
ブロンダン家当主。ジュールやクロディーヌの父親。
○バトレ
謎の男。マクシムと親しい?
●アシュラール商会
バクトラ商人たちの組織。オーランスに拠点がある。
●アシュラル・イム=ハーディム
バクトラ帝国の女帝。




