19.ようこそ魔王城へ2
ややホラー注意。
2017年10月16日、第14話~18話を大きく構成変更・加筆・修正しました。新しいエピソードも少し加わっておりますので、まだ読んでない方はそちらからどうぞ。
雑用係のお仕着せとして与えられたのは黒いチュニックと淡い青緑色のスカート、それにベルト代わりの銀の細い鎖だった。いずれも新品で質がいい。村では綺麗な服はアリゼに取られ古着ばかりを着ていたから、気分が良かった。セージのような良い香りもする。
フロランスはドキドキしながらグレゴワールの後に続いて廊下を進んだ。
(よし、頑張ろう。グレゴワールさんに恩返しするんだもの、つらいことにも負けたくない)
深呼吸をしてこっそり気合いを入れる。
二人は細く螺旋階段を降りた。
「フロランス、手を離さないでネ。こけやすくなるから」
「こけやすい?」
「見ればわかるヨ」
階段を降りきって再び廊下へ出る。
フロランスは廊下の様子にあ然とした。
一言で言えば、すさんでいる。床の端は埃まみれで壊れた燭台や折れた木切れなどが転がっている。天井ではそこここで蜘蛛が巣を張っている。外に面した側の壁は一部崩壊してぽっかりと穴が空いていた。穴から石組みが崩壊しないように木材で支えてあるが、隙間から蔦が侵入してきている。
油断したらこけそうだった。
「普通は魔術師団の雑用係が掃除してくれるんだけどネ、第五部隊で雇った子はどうもすぐに辞めてしまって。本当に人手不足なんだヨ。掃除をしようというマメな性格の部隊員もいないし」
「あの、その穴はいったい」
「部隊員がちょっと破壊しちゃって。大丈夫、キミに被害が及ぶことはないから」
グレゴワールは安心させるように言ったがフロランスはあまり安心できなかった。
「え、えーっと。後でさっそく蜘蛛の巣払いますね」
わき起こる不安に蓋をして、フロランスは高い天井を見上げた。木箱を足台にして大きな箒を使えばなんとかできるだろう。
廊下の端にはシャンデリアが壊れてぶら下がっている。そこにも蜘蛛の巣がかかっており、そのそばで……。
人の腕が一本、シャンデリアに刺さっていた。
「あのシャンデリアはぎゃあああああ!!」
フロランスはとっさにグレゴワールにしがみついて大声で叫んだ。その腕は紫がかって見えるほど青白く生々しい質感をしていた。
「おや、こんなところにあったとは」
「――っ! ――――っ!! なんで腕! とれてるううう!!」
「怖がらせたね、本物じゃないヨ。ほら」
ごうっと風が巻き起こる。
フロランスはこわごわ顔をあげた。いつの間にかグレゴワールは青白い腕を手に持っていた。グレゴワールのローブの端からチラッとそれを見ると、腕の断面から小さな歯車や管がいくつも飛び出して見えた。
「これは擬躰というんだ。大魔術師にして大発明家のシプリアンが作ったんだヨ。人間の体に似せて作られていて、死霊術の練習をするときや新しい術を開発するときに使うんだ」
グレゴワールはニタリと笑って、腕を大切そうに撫でている。
「最近は人手不足解消のために使うこともある。二ヶ月前の大掃除のときに使った擬躰の子の一人が腕をなくしちゃったんだ。探したんだけど見つからなくって諦めていたんだヨ。フロランス、さっそくお手柄だネ」
褒められてもあまり嬉しくない。
フロランスは白い顔でそれを見つめた。
(……大丈夫。機械なのよね、うん大丈夫。大丈夫よ私。ちょっと……かなり不気味だけど)
ホラーである。だがアリゼや取り巻きたちのことを思えばはるかにマシだった。
グレゴワールは片手に擬躰の腕、片手にフロランスの手を取って再び歩き始めた。まるで日常茶飯事というかのように平然としている。
「任せたい仕事は主に三つなんだ。洗濯物の運搬、この城の掃除、動物の世話。フロランスは字が読めるから、ゆくゆくは書類を王城へ届けたり雑務処理の補助も頼みたい」
「はい! 動物がいるんですね?」
フロランスは目を輝かせた。それなら得意だ。
「ウン。想像している動物とは違うかもしれないけれど」
「珍しい動物なんですか? 毛皮用の白鼬とか」
「というか……ここは大広間だヨ。もともとは謁見用なんだけど今は談話室代わりで、部隊員が集まったり大実験をしたり自由に使ってるんだ」
まだ朝早い時間帯だったが、大広間にはちらほら第五部隊隊員と思しき黒ローブの人々がいた。みな、じっとフロランスを見たかと思うとヒソヒソと内緒話を始めた。中には怪訝な顔をしてフロランスを注視する者もいる。
フロランスの顔は自然と強ばった。
(どこか変なのかな)
グレゴワールにはなにも言わなかったが優しさゆえに言わなかっただけかもしれない。グレゴワールがわざわざ連れてきた割には凡庸だ。……そう言われているかもしれないとネガティブな思いが生まれる。アリゼと比べて貶められていたのは的を得ていたのかもしれないではないか……。
フロランスは俯きそうになった。
が。
「フロランス。ほら、あれが擬躰だヨ。隣の部隊員が操っているんだ」
フロランスは飛び上がってグレゴワールのローブを掴んだ。
不自然なほど青白い顔をした者――擬躰が、ギクシャクとした奇妙な動きで大広間に入ってきた。肌は人のそれのようにざらりとしており、髪も人のそれと全く同じ、ただ肌の色と透き通った焦点の会わない目だけが異様だった。人間そっくりに見えるからこそ余計に気味が悪い。その隣では黒ローブの女性が手をせわしなく動かしている。
擬躰は一人ではなかった。何人も広間へ入ってくる。それが整列したりあちこち歩き回ったり椅子に座ったりしている。
フロランスは口をぱっかりあけた。
「あれは複数人に死霊術をかける練習をしてるんだ」
「あの……もしかして、人数が多いわけではないけれど城を使うものが多い、って……」
「ウン、彼らだヨ。他にもいるけれど」
「……」
聞くのが恐ろしい。フロランスは擬躰から目を反らした
目をそらした先で広間の奥に見えた扉には全体に骸骨のレリーフが彫られている。闇の神派の修道院では骸骨の絵やレリーフは一般的でよく見られる。ルケルヴェ教では死もまた祀るべき事柄である。
しかし、どうも妙に不気味な雰囲気のあるこの城で骸骨のレリーフを見ると別のものを想像してしまう。魔王とか。世界征服とか。虐殺とか。
フロランスは茫然として言葉を失ったまま、ただグレゴワールに導かれるままに歩いた。
(……私、なにを落ち込んでたんだっけ?)
もはやナニを考えて良いかもわからなくなってきた。
グレゴワールは大広間に面する大きな扉を押し開けた。焼けたパンの香ばしいにおいがふわりと漂ってきた。
「さあ、ここが食堂だ。第五部隊の隊員はみなココで食べるんだ。もちろんフロランスもだヨ」
食堂もまた大きな空間になっていた。中では暖炉が赤々と燃え、中央に置いてある巨大な長細いテーブルの上にも蝋燭が置かれている。そこに黒ローブの第五部隊隊員が好きに座って、パンやスープ、焼いた鹿肉や真っ赤なプラムを食べていた。
部屋の中へ一歩足を踏み入れたとたん、部隊員たちは手を止めて一斉にグレゴワールとフロランスを見た。
一瞬静まりかえったのち、彼らは興奮したように同時に話し出した。
「おい見ろよ、あの部隊長の隣の死体! すんげえイキイキしてるぜ! まるで生きてる女の子みたいだ」
「グレゴワール部隊長、おかえりなさい! その体はどこで手に入れたんで?」
「血色いいな~生きてるみたいな健康な死体だ!」
「なんだ東部の死体はみんな状態がいいのか?」
「いや待て、普通の死体かもしれんぞ。グレゴワールさんの死霊術がついに新しい段階へ入ったってだけかもしれなん」
「さすが俺らの部隊長だな!」
食堂は蜂の巣をつついたような騒ぎになっている。
フロランスは目を点にした。
(……死体?)
グレゴワールの周りをきょろきょろ見渡したがどこにも女の子の死体らしきものはない。
部隊員たちはぎゃあぎゃあと騒ぎながら目を輝かせてフロランスを見ている。
「あれなら誰も死んでるって思わないでしょうね」
「見た? あの歩き方! とても自然だったわ。完璧な二足歩行よ」
「これなら僕らを忌避する貴族も黙らせられるかもしれないね」
「見て、手をつないでるわ! あれが自然な動きの秘密なんじゃないかしら」
(も、もしかして「死体」って……)
フロランスはぎこちなくグレゴワールから手を離した。
グレゴワールはパンパンと手を打った。
「みんな、静かに。死体じゃないから。ヴェロニックから聞いてると思うけど、この子は新しくうちに入るフロランスだヨ。正式にはまた今度紹介するから」
「フロランスです、みなさんよろしくお願いします」
微妙な気持ちになりながらも、フロランスはグレゴワールの紹介に押されてぺこりと頭を下げた。
騒がしかった食堂はしんと静まりかえった。
何人かは絶句し、何人かは顔を見合わせている。
(……生者にしては変ってことかな?)
フロランスは不安になった。服装が変なのだろうか、それとも見た目の問題だろうか、雑用係なのだからアリゼのように美人じゃなくてもいいに違いない、けれども……。
再びネガティブな思考に陥りそうになる。
が、次の瞬間、大きなどよめきが起きた。
「なっ……部隊長が生きた女を連れ帰ってきた!?」
「まさかグレゴワールさんと一緒に!? 快挙すぎるじゃないか!」
「アレだろ、熱狂的な死霊術マニアってやつ」
「よほどお金に困ってたんじゃない? ここはお給料いいし」
「……攫ってきたんじゃないですよね?」
「手をつないでたのって逃がさないようにするためなんじゃないか。この城、だんだん魔界の廃墟風になってきてるし」
「そうかグレゴワールさん……そんなに俺たちのことを考えて……」
くすっと綺麗な女性の声が聞こえて振り向くと、ヴェロニックが後ろに立っていた。
「みんな好き勝手言うでしょ? でも気にしないで頂戴」
「はあ……あの、生きた女を連れ帰ってきたってどういう意味なんですか?」
「そのまんまの意味よ。仕事で女性の死体を持ち帰ることはあっても生きた女性を連れ帰ったことはないということよ。ああ、でも気絶した女性だったらあったかもしれないわね。グレゴワールを見て気絶したのよ。まあそんなのどうでもいいことだわ。フロランスちゃん、仕事頑張りなさいね」
ヴェロニックは一気に言い切ってヒラリと手を振ると、プレートにパンや肉をのせて食堂から出て行ってしまった。
フロランスは気がついたら食堂のテーブルに座っていた。目の前には香ばしい黒パンと焼いた肉と香草、茸の付け合わせ、野菜を乳で煮込んだものが並べられている。
隣の席から、黒パンを手にしたグレゴワールがフロランスをのぞき込んできた。
「フロランス? ぼうっとしているネ。気分が悪いかい」
「いえ……その、見慣れないものが多くて……驚いてしまって」
正確には茫然自失である。が、部隊員の手前それを正直に言うわけにもいかず、フロランスは適当にごまかした。
グレゴワールはニタリと笑った。
「フロランスなら第五部隊に馴染んでくれるんじゃないかと思ったんだヨ。せっかくウチの雑用係に応募してくれても、この城の中を少し見ただけで辞めてしまう子が多くってね」
――そりゃそうでしょう。
フロランスは言葉を飲み込んで黒パンを頬張った。中にはクルミが入っていて、噛めば噛むほどこっくりとした味わいが舌に広がった。食べたことがないほど美味しいパンだ。
しかし、せっかくの食事のおいしさも魔王城の衝撃にかき消されてしまっている。
(……私も、グレゴワールさんがいなかったら逃げてたかも)
フロランスは遠い目になった。
今も部隊員たちはちらちらとフロランスを見てくる。しかし好奇心丸出しではあるものの悪意は全く感じない。この点は大いに安心である。
が、部隊員の性格がどれほど良くても限度というものがある。部隊員に混ざって青白い擬躰が椅子に座り、首をカクカクさせている。擬躰が一人、フロランスの前の席に座った。
フロランスは水の入った椀をのぞき込んだ。そこに写る自分の顔は変わらない。ヘーゼルの目、淡褐色の髪、健康的な肌色。普通である。どこにでもいる村娘だ。
クレドー女子修道院で襲撃を受けてから、たったの十日。たった十日でフロランスの生活は激変した。どこにでもいる村娘の生活、死ぬまで変わらぬ村での狭い人間関係、それにもがいていたのが、気がつけば不気味な死体モドキの前で食事をしている。
「フロランス。食事は口に合うかい?」
「は……はい、とても美味しいです。あの、擬躰もご飯を食べるんですか?」
「ウウン。動きの練習でここにいるだけだヨ」
目の前の擬躰はパンをむしって隣の部隊員の口に押し込む動作をひたすら繰り返している。
「面白いだろう?」
「ふあ、う、はい……ん?」
目の端に赤いものがうつった。
振り返ると、つうっと視界の上方向から赤い液体が垂れてきた。その奥になぜか半裸の肉体――の、へそが見える。
「おお、キミが新しい雑用係だな! 活躍を期待しているぞ!」
元気な男の声が降ってくる。
フロランスは赤い液体と声に導かれてゆっくりと視線を上げた。赤い液体に汚れた六つに分かれた腹筋、立派な胸板、筋骨隆々とした男の体。
「はっはっは! 部隊長、これはまたずいぶんイキのよさそうな子を連れてきたな! 健康そうでよいことだ」
(イキがいい?)
まるで食用の魚にでも使う表現である。
フロランスがさらに視線をあげると、そのたくましい肉体の持ち主がフロランスを見下ろしていた。
ニッカリと笑って。カッと見開かれた目は瞳孔が開いて。分厚い唇から除く歯は尖り、そこに生肉が刺さって……顔中が真っ赤な液体、血に濡れていた。
ぽたり、と顎から血がしたたり落ちる。
男はフロランスを喰らうかのようにぱっかりと口を開けた。
フロランスはフォークを取り落とした。
すうっと気が遠くなる。
グレゴワールの声が聞こえた気がした。
――拝啓、ボリー修道院長様。私、どうやら魔界に来てしまったようです。
<用語紹介>
●擬躰
大魔術師シプリアンが考案した死体もどき。肌が紫がかった青白さ。魔王城(仮)の中を術者とともにウロウロしている。




