18.ようこそ魔王城へ1
構成変更・加筆修正:2017/10/16
グレゴワールたち一行は飛ぶように駆けた。
下が見えないような険しい山を越えた。人も運べそうな怪鳥が崖に巣を作り雛に給餌していた。うっかり足を踏み入れれば無限に沈んでいきそうな沼地を抜け、積み重なった枯れ草の下に水が溜まったような湿地を通った。鼠や兎が倒木の上で生活していた。廃墟となった城の脇を通った。かつて人狼に落城されたのだという。
……暴風に揺さぶられながら通り抜けたもので、フロランスはいずれもよく観察することができなかったが。
旅の四日目はあいにく雨だった。魔法のおかげで濡れはしなかったが空気は冷え込む。
フロランスは道幅が徐々に広くなっていることに気がついた。すれ違う旅人も増え、中には天蓋をつけた馬車で移動している貴族も見た。
夕方になって、一行は張り出した大きな岩の下で足を止めた。石を集めて簡易な炉を作り、拾い集めた枯れ木をくみ上げるとグレゴワールが火を付けてくれる。魔法のおかげで、湿気た木はあっという間に乾いた。
ぱちぱちと火がはぜる。
フロランスはグレゴワールの隣に座って、火であぶったパンとチーズを頬張った。こう寒いと焚き火がありがたい。
「今日の夜には王都に着くヨ。ようやくゆっくり眠れるようになるネ」
「もう着くんですか!? 馬でも半月以上かかると聞いていたんですが。魔法ってすごいんですね」
「それもあるけど、沼地や山、危険な地域は普通は遠回りをして回避するんだ。私たちはそこを真っ直ぐ抜けたから早いんだヨ」
今日のグレゴワールはうねる黒髪を後ろでまとめている。こうするとすっきりして魔人感は薄れるが土気色の痩せた頬がむき出しになって死体感は上がる。
(禍々しいのにかっこいいって不思議だわ)
フロランスはこっそり息を吐いた。出会ったときからグレゴワールを見るとどうも目が離せなくなる。
「おや。フロランス、見てごらん」
グレゴワールはふと空を見上げると、掌を上に向けて手を宙に差し出した。
と、すうっと小さな風が掌の上で渦を巻き、それが消えたかと思ったらそこに百合のような白い花が出現していた。それは蝶が鱗粉を撒くように真っ白な光をきらきらと零していてただの花ではないことが明らかだった。
フロランスが「わあ!」と歓声を上げると、ギーが説明してくれた。
「書花というんですよお。風魔法の一種で伝令用なんです」
「どうやって使うんですか」
「ほら、グレゴワールさんを見てください」
グレゴワールは花弁に唇を埋めた。それは貴族の死体が花を食べているかのようで、死と生が織りなす神秘的な光景に見えた。
グレゴワールの乾いた唇が白い花弁に触れたとたん、書花はさらさらと崩れて光の粉になり、宵闇に溶けて消えた。
それはアリゼが身につけていたようなドレスよりも宝石よりも遙かに美しく見えた。
「ああやって口に付けると頭の中に言葉が響くんです。こちらから送りたいときは魔法で書花を作って空に飛ばすんですよ」
フロランスはほうっとため息をついた。感動して言葉にならない。
ギーはうんうんと頷いた。
「僕も最初見たときぼうっとしちゃいました。これだけでも見世物になりますよね、料金取って一般人でも見られるようにしたら儲かると思うんですけどお。グレゴワールさん、なんでした?」
「この前飛ばした書花に返事がきただけだヨ。もう王都目前だけどネ……さて、そろそろ普通の旅に戻ろうか」
「ふっふっふ、暴風に乗って王都に突撃したら楽しそーですけどねえ、街には甚大な被害が出ちゃいますね」
ギーはおかしそうに笑っている。
フロランスは荷馬車と暴風が王都を駆け抜ける様子を想像した。飛び散る市場の品物。逃げ惑う人々。風で破壊される家々。……大問題である。
そういうわけで食事を終えた魔術師二人とフロランスは元のように二頭の馬に分かれて乗った。
降りしきる雨の中、フロランスはグレゴワールに馬上に引き上げられた。
しばらく行ったところでグレゴワールが指さした。
「フロランス、あれが王城だヨ」
あたりは薄暗く、雨で視界は悪い。
だがグレゴワールが指の先、今いる丘を下り森を抜けて遠く離れたその場所は、地面がぐうっと山のように盛り上がって、その上に塔がいくつもそびえているのが見えた。遠目でもわかるくらい巨大なその城は一つの街のように見えた。
さらに城壁周りのなだらかな斜面、さらにその周りの平地にもみっしりと家々が立ち並ぶ。修道院の鐘楼も見える。それぞれが贅沢に蝋燭を灯しているのか、王城にも街並みにもぽつぽつと黄色い明かりがついて、暗闇の中で王都がぼうっと黄金色に浮き上がって見えた。
「綺麗……」
フロランスは言葉をなくした。街と言えばクレドーしか見たことのなかったフロランスにとっては信じられないほど大きく、荘厳で、立派で、幻想的だった。
荷馬車が動き出す。ギーとグレゴワールの馬もそれに続いた。
「王城の北側に古い主塔を増改築した小さな城があってネ。そこが私たち第五部隊の根城なんだヨ」
「お城まるまる一つが、ですか? てっきり王城の一角に詰め所があるのかと思っていました」
「他の部隊はその通り。第五部隊だけは特殊なんだ」
「死霊術師はみな第五部隊に所属するとギーさんに聞いたのですが、もしかして部隊員が多いのですか?」
「人数は少ない方かな。でも……ええと、まあその、使うものが多くてネ」
グレゴワールはなにやらはっきりしない物言いをした。
あれこれと雑談をしながら森を進み徐々に王都へ近づいていく。グレゴワールと密着した背中から彼の体温が背中から伝わってきて、フロランスの冷えた体は徐々にぽかぽかしてきた。
(暗くても……少しでも王都の様子が見たいわ)
そう思うのに、段々眠くなってくる。
フロランスが舟をこいではハッと目を覚ますという行動を二、三繰り返すと、グレゴワールはクスッと笑ってフロランスの腹に回した手に力を込めた。
「眠っていいヨ。さあ、私にもたれて。疲れたろう……なにも気にせずお眠り、私の太陽」
グレゴワールが子守歌を歌うような優しい口調で言う。フロランスは素直にうとうとと眠り始めた。
――いけない、修道院の仕事に行かなくちゃ!
寝ぼけて飛び起きたフロランスは目を疑った。
そこは重厚な石造りの部屋だった。縦長の窓には高価な板硝子がはめ込まれ、赤いベルベットに金の房飾りがついたカーテンが下がっていた。
フロランスが寝ていたのは真っ白なリネンのシーツが掛けられ、ふわふわした、天蓋のついた寝台だった。見たこともないほど豪華なしつらえのそれにフロランスは仰天して、床に転げ落ちた。
(えっ、なっ、王様の部屋!? グレゴワールさんどこ!?)
冷や汗が出てくる。
尻餅をついたままあたりを見渡す。
寝台の横には艶のある磨き抜かれた猫足のチェスト、その横には金の唐草模様の装飾がついた大きな鏡が置かれている。その横にフロランスの荷物――場違いな古びた鞄――が萎れたように置かれている。寝台の反対側の小さなテーブルには銀の燭台が置いてあり、そこには蜜蝋製の高級な蝋燭が何本も刺さっている。
(な、なにここ)
フロランスは恐る恐る立ち上がり、部屋の一方の壁に近づいた。
その壁の真ん中には赤地に双頭の金獅子が描かれた大きなタペストリーが掛けられている。王家の紋章だ。その左隣には杖に二匹の蛇が絡みついた宮廷魔術師団の紋章が描かれたタペストリー、右側には骸骨の両手がアーモンド型の目を支えているような絵のタペストリーが掛けられている。
(これも紋章みたいだわ。なんだろう)
頭を捻っていると突然扉が開いた。
「――目が覚めたのね。それは私たち第五部隊の紋章よ」
入ってきたのは、グレゴワールと同じローブを着た恐ろしいほど妖艶な美女だった。
豊かな金髪を結い上げ、大きな目は空のような明るい青、左の目元には色っぽい泣き黒子がある。唇はつややかに赤く、輪郭は顎の先まで美しい。豊かな胸はローブを押し上げており、年齢はグレゴワールよりやや上、三十代だろうが、ベルトで締められた腰は十代の娘のようにほっそりしていた。
まるで彫刻のような、完璧な美しさだった。
ずっとアリゼを絶対的な美少女だと思い込んでいたがとても比べものにならない。
(これが、王都)
フロランスは惚けた。
が、美女が唇に笑みを浮かべたのを見てフロランスははっと姿勢を正した。
「おはようございます。初めまして、フロランスです。もしかしてヴェロニック・マルソー副部隊長様でいらっしゃいますか?」
「ええ、そうよ。よくわかったわね」
「その、とても美しい方だと聞いていたので」
自分で言いつつ胸のあたりが再びモヤモヤとしてくる。しかし一方で、これほどの美女とあれば美女としか表現できないだろうとフロランスは素直に考えた。
美女はふふっと艶やかに笑った。
「ありがとう。初めまして、フロランスちゃん。私のことはヴェロニックでいいわ」
「はい、ヴェロニックさん。どうぞよろしくお願いします。……ところで、ここはどこでしょうか?」
「魔王城よ」
ぽかんと口を開けたフロランスを見て、ヴェロニックはしてやったりという顔になった。
「魔王城と呼ばれている、私たち第五部隊の根城よ。ドムル城、屍城と呼ぶ人もいるわ。王城の北側にあるの」
「し、しかばね……」
第五部隊には死霊術師のみが属する、そして死霊術師は死体を使う。わかってはいた、わかってはいたが――。
(これほど綺麗な部屋があっても屍と言われるくらいのなにかがあるってことよね……)
フロランスが衝撃を受けているのを知ってか知らずか、ヴェロニックは平然と続けた。
「そして、ここはその中のグレゴワールの部屋よ」
「ええっ!」
フロランスは文字通り飛び上がった。だがグレゴワールの姿は見えない。同じ部屋のどこかで眠ったような痕跡もない。
顔から血の気が引いた。
「どっ、どうしようグレゴワールさんの寝台を使ってしまって――」
「大丈夫よ、普段ここは使われていないから。ねえあなた、グレゴワールとどういった関係かしら?」
口調は柔らかかった。ヴェロニックは変わらず笑みを浮かべている。しかしその目が笑っていないことに気がついて、フロランスは身をすくめた。
「あの、ローアンヌのクレドーでグレゴワールさんに助けて頂いて……」
「ええ、聞いてるわ。でも、そこからどうして第五部隊で働こうと思ったの?」
「その……私の祖父を探してるんです、王都出身の。それで王都に来たくて、でも伝手もなくて、そしたらグレゴワールさんが誘って下さったので」
「ふうん。そのお祖父さんを探すあてはあるの?」
ヴェロニックは威圧的にじろじろとフロランスを鋭い目付きで眺め回した。
が、しばらくするとふっと威圧感が霧散したのでフロランスはどっと汗をかいた。
「昔の住所を知っているので、まずそこへ行ってみようと思っています」
「そう。見つかるといいわね。……あら」
「おはよう、フロランス。よく眠れたかい」
「グレゴワールさん!」
ヴェロニックの後ろから姿を見せたのはいつものグレゴワールだった。
フロランスは無意識に顔を綻ばせ、グレゴワールに駆け寄ろうとした。が。
「こらこら、グレゴワール。女の子の部屋にノックもせずに入ったらダメでしょ?」
「声が聞こえたんだヨ。着替えてる様子もなかったし。でも言うとおりだ。ごめんネ、フロランス」
「い、いえ……」
ヴェロニックは冗談めかしてグレゴワールを睨み、グレゴワールもニタニタと笑って気軽に返事をしている。その様子は部隊長と副部隊長という上下関係よりも気安い関係に見えた。
ヴェロニックはグレゴワールに向き直ると、顔を近づけて囁くように話し出した。
「そうそう、アレの準備の件なんだけど……が、それで……」
「ウン。……こっちが……」
フロランスは二人から目が離せなくなった。心臓の音が五月蠅い。まるで恋人同士のような親密さだ。
(もしかして、やっぱりこの二人)
息を詰めて必死で目をそらし俯く。胸に下がるロケットをぎゅっと握りしめた。
(ヴェロニックさんのさっきの質問、もしかして牽制だったのかな)
仮にヴェロニックがグレゴワールの恋人だったとしたら、フロランスの目的が気になるのも当然である。いくら美女とて自分の恋人が別の女に優しくしていたら気にくわないと思うかもしれない。
――私がグレゴワールさんと釣り合うはずなんてないのに。こんな美女に敵うわけもないし。
無意識にため息が出た。
が、その瞬間、フロランスが目線を感じて顔をあげるとグレゴワールと目が合った。
我に返ったフロランスは真っ赤になって唇をへの字に曲げた。そして内心で自分の馬鹿、と罵った。
(グレゴワールさんに恋人がいるなんて当たり前じゃない! なに考えてるのよ私、恋してるわけでもないくせに! グレゴワールさんの役に立つのに恋人の有無なんて関係ないから!)
グレゴワールはフロランスに近寄ると、いつものようにニタリと笑った。
「大丈夫かい?」
「はい、精一杯働かせていただきます! それから時間ができたら祖父を探しに行きます!」
「……? ウ、ウン。頑張ろうネ、私の太陽」
グレゴワールはフロランスの右手を取る。
フロランスはギクリとしてヴェロニックを盗み見た。ヴェロニックからすれば腹がたつに違いない。
ヴェロニックは驚いたように目を見開いた。が、特にそれ以上表情を変えることはなかった。
(ここまで美しいと自信ができて心が広くなるのかもしれないわ。私なんてチンケな村娘だもの、気にするほどでもないのかもしれない)
フロランスは、グレゴワールがヒヨコに餌を与えるティエリのような顔で給仕してくれることを思い出して微妙な顔になった。
グレゴワールやヴェロニックから見ればフロランスなど同等ではなくヒヨコ程度の存在なのかもしれない。
グレゴワールはフロランスをのぞき込んだ。
「まずは着替えてもらった方がいいかな。別の部屋にお仕着せがあるからついてきてネ」
「はい」
「グレゴワール、私は一度部屋に戻るわ。ついでにジュールやアリスたちも呼んでおきましょうか?」
「いや、後ででいいヨ」
「了解」
ヴェロニックの背中を見送ってから、グレゴワールはフロランスの手を引いてゆったりと歩き出した。
<人物紹介>
○ヴェロニック・マルソー
宮廷魔術師団第五部隊の副部隊長の女性。泣きボクロの美人。




