16.旅の宿にて
構成変更・加筆修正:2017/10/16
一気にローアンヌ地方を駆け抜けた一行は、日が沈むころになって小さな街にたどり着いた。
「今日は市が立ってて混んでる、寝床二つの一部屋しか空いてないって言われましたあ」
「この街には宿は一件しかないそうです、フーシェ部隊長様!」
宿を取りに行っていたギーと衛兵が馬車止めに戻ってきた。
フロランスは御者の指示に従って馬の世話をしながら、馬屋に藁が積んであるのに目を止めた。肌寒い春でも藁と毛布があれば温かく夜を越せる。藁に潜り込めばなお温かい。
衛兵は荷台の毛布を叩いた。
「私たちは荷の番をかねてここで寝ます」
「ウン、悪いネ」
「いえ、野宿でも構わないくらいですので」
フロランスは自分の毛布を荷台から取って藁の方へ運ぼうとした。が、グレゴワールに腕を捕まれ阻まれる。
「どこにいくんだい。キミは宿だヨ」
「寝台二つしかないんですよね?」
「ま、ネ。でもなんとかするから」
フロランスは頭に疑問符を浮かべながらおとなしく魔術師二人についていった。入った宿は一階の一部が酒場になっており、赤ら顔の陽気な人たちが飲みながら騒いでいる。
宿屋の主人の案内で二階へ上がると、大きめの部屋に簡素な寝台が二つ離しておいてあった。
フロランスは部屋を見渡し、清潔そうな一角に積まれている木箱を隅へ寄せた。充分寝転がれる広さだ。荷物を置いて自分の毛布を床に広げる。
「フロランス? なにをしているんだい」
「私の寝床、ここではいけませんか?」
「……。キミは寝台だからネ」
「そーそー、身体冷やしたら立派な死体にな……女の子は体冷やしたらいけないって聞きましたよお」
フロランスは感激するより先に慌てた。
「いえいえ、魔術師様を押しのけて寝台使うなんてできないです。私ただの雑用ですよ?」
「関係ないヨ。それにキミもいずれ第五部隊の仲間になるんだから遠慮しなくていい」
「大丈夫、僕が床に寝ますよお」
「ダメですよ、見習いとはいえ魔術師なのに」
フロランスが頭をぶんぶん振ると、ギーはへらっと笑って、抱きしめるかのように両腕を広げた。
「ならフロランスさん、僕と一緒に寝ちゃいます?」
「いいんですか? ギーさんがいいなら私はもちろん構いま」
「ギー? やめなさい」
グレゴワールが珍しく咎めるように言った。顔はいつも通りだがいつもに増して迫力が籠もり、まるで失敗した部下を処刑する魔王である。
ギーは焦ったようにそっぽを向いた。
フロランスは怪訝な顔でグレゴワールを見た。フロランスはティエリが12歳になるまで一緒の寝台で寝ていた。寝床が人数分なかったせいでもあるが、子供と寝ることになんの問題があるのだろうか。
グレゴワールは威圧感のある笑みを浮かべた。
「騙すのはいただけないネ」
「う、嘘は言ってないですよお」
「誤解されてると知ってるのに訂正しないのもまた欺瞞だヨ」
フロランスはグレゴワールとギーを交互に見た。なんの話か全くわからない。
ギーはフロランスににっこり笑いかけた。
「フロランスさん、僕、いくつに見えます?」
「13歳くらいじゃないんですか」
「はずれー。今年で17歳です。童顔なんですよお」
「えっ……一歳違い!? 嘘でしょ!?」
フロランスは叫んだ。ティエリよりも年上だった。
反射的に飛びすさってグレゴワールの後ろに隠れる。汗が出てきた。同じ世代の若い男にはろくな思い出がない。心臓がドキドキと鳴り始める。ギーは悪人ではないとわかってはいたが。
ギーはショックを受けたような顔になった。
「なっ、フロランスさんその反応絶対おかしいです、なんでグレゴワールさんじゃなくて僕を怖がるんですか!?」
「子供のフリしてるからですよ!」
「素がこうなんですってば! おかしい絶対おかしい、普通女性は年齢を明かしても僕の顔立ちに警戒心をなくして心を開いてくれるのに!?」
「余計に怖い! 可愛い男の子のふりして女の子を手玉にとるタイプだ!」
「なんでわかった、じゃない、僕、親しみやすいし可愛いでしょう!? なんで逃げるんですか」
「今の話聞いて逃げない方がおかしいですよ!」
「聞く前に逃げてたじゃないですか!」
「17歳なんでしょう!?」
「それってそこまで嫌がるトコなの!?」
「ごめんなさい無理!」
「ちょっと待って素直にあやまらないで余計に傷つくから僕ー!」
「そういうわけでフロランス、ギーと一緒はダメだヨ」
するっと事態の収拾をはかったグレゴワールに、フロランスはもちろんですとコクコク頷いた。
結局、宿の隣にある馬屋の藁束を魔法で窓から運び入れ、簡易な寝床をもう一つこしらえることで話は落ち着いた。それから部屋にロープを渡して布を掛け、間仕切りを作った。
皆で食事を終えた後、フロランスが自分の寝台に座るとグレゴワールが「これから毎日健康診断をしよう」と言い出した。
「毎日!? あの、体は丈夫ですので」
「ダメダメ、慣れない旅をしているんだから健康には気を遣わないと」
「でもおかげさまでどこも痛くないですし」
「自分では気がつけない不調もあるんだヨ。肉体の健康は細部に至るまで大事だから。仕事で死体を触っているとそれがよくわかるんだよネ」
「へ、へえ……」
「もしかして私に頬を触られるのが嫌だった?」
「まさか!」
「なら、しよう」
結局、謎の死霊術師的説得に押されてフロランスはされるがままに目を瞑った。グレゴワールが隣に腰掛けてフロランスの頬に触れる。
とろりとした感覚と痺れが全身に回っていく。慣れてきたとはいえまだ少し恥ずかしい。
「フロランスは持ち物が少ないネ。これでは不足するだろう? 向こうについたらすぐに仕事が始まるけど、最初の休みの日にでも買い物に行こうネ」
「あの、仕事には差し障りがないと思うので……お給料が出たら少しずつ買おうかと」
「はい、終わり。体は大丈夫そうだネ」
「ありがとうございます」
グレゴワールは頤に手をかけたまま顔を近づけてきた。うねった黒髪がフロランスの額にかかる。グレゴワールの真っ赤な舌が青白い唇をぺろりと舐める仕草を間近で見てしまって、フロランスは必死で目をそらした。心臓がドキドキする。
「お金が心配なのかな? それならプレゼントするから気にしなくていい」
「いえっ、そこまでして頂くわけには」
「フフ、したいからするだけだヨ。王都へ連れてきたこともそうだしネ。嫌じゃないなら受けて欲しいな」
「はい……」
フロランスはなんとか返事をしたがもう一杯一杯だった。耳にかかる微かな吐息がくすぐったくて心臓が爆発しそうだった。
(吐息がかかったくらいでドキドキするとか……私、村の若い男たちみたい)
彼らに馬鹿にされていたフロランスだったが、フロランスとて彼らがアリゼの言動に一喜一憂するのを軽蔑してた。が、今はフロランスも似たようなものである。
(せめてあの人たちみたいな愚かな真似はしないようにしないと……恋してるわけでもないんだし)
フロランスは自分に言い聞かせて、早くなった心拍を落ち着けるべく深呼吸をした。
そのとき、グレゴワールはフロランスに覆い被さるようにして一層声を落とした。
「フロランス、声を抑えて、静かに聞いて。ギーには聞こえないように。……キミは説教師デフロットを知っているかい? キミの祖父と年齢は近いはずだ」
フロランスは息を呑んだ。
デフロット。
それはフロランスがカロルから厳しく口止めされていた名前だ。デフロットの名は危険である、知らないふりをしろ、と。
フロランスの祖父、説教師ピエールは、本当の名をピエール=デフロットという。だが祖父はデフロットの名を隠した。同じ世代の説教師にデフロットという男がいたそうで、その方が混同されなくてよいという理由もあったらしいが、なにかもっと重大な理由もあったようだとカロルが言っていた。
迷いつつも、フロランスはやっとのことで首を横に振った。グレゴワールはフロランスの頬を撫でて手を離した。
「ん、そう。フロランス、いいかい。もしキミがデフロットのことをなにか知っていたとしても口外してはいけない。家族にも第五部隊のメンバーにも言わない方がいい。口外すればキミが狙われるかもしれない」
「狙われるって、誰に?」
「悪いヒトに。この件については詳しく知ると余計に危険だ。特に、今は」
フロランスは「デフロット」がなぜ危ないのか知りたくなった。だがグレゴワールの助言には従うべきだ、そう考えておとなしく口を噤んだ。
グレゴワールはフロランスを問い詰めたりはせず、それだけ言ってぐうっと背筋を伸ばし、声を元通りの大きさに戻した。
「……ね、フロランス。向こうに着いたらキミは第五部隊の根城で暮らすことになる。そこから一人で外へは出ないで欲しい。休みの日でも。魔術師に取り入ろうとする輩がいるから」
王都の美しく活気ある様子を夢想していたフロランスは面食らった。王都は相当危ないらしい。フロランスの脳内の王都想像図に悪漢暴漢が書き加えられた。
グレゴワールは深淵のような目でフロランスを見下ろした。まるで吸い込まれそうだ、とフロランスは思った。
「一生城壁の内側にいろという意味じゃないヨ。外へ行くときは私か第五部隊副部隊長のヴェロニック・マルソー、それか部隊員のジュール・ブロンダンと共に行動してほしいんだ」
「ありがたい話ですが、私の安全のためにそこまでして頂くわけには」
「大丈夫。キミが第五部隊の一員となった暁にはみな進んでそうするから。じきにわかるヨ」
「……そうですか、わかりました。ギーさんではダメなのですか?」
「ギーは見習いだから普段はまだ学校にいることが多いんだ。それに経験が浅いからネ。ヴェロニックはベテランだしジュールは危険察知能力が他の隊員より高い」
グレゴワールは「ごめんネ」とフロランスの髪を撫でた。
「キミを守ると言ったけれど、私が四六時中キミに張り付いていることは難しいと思うんだ。そうしたいんだけどネ」
「もちろんです、そこまで安全を保障してもらわなくっても大丈夫です。王都へ連れてきてもらっただけで――」
「フフ、ダメダメ。いずれは一人でも出歩けるようにするからね、私の太陽」
「ええ……うわあ……嘘でしょ……」
呟きが聞こえた方へ目をやると、簡易寝床にあぐらをかいていたギーがぽかんと口をあけていた。
「な、なんですかギーさん」
「なんですかもなにも……いちゃつきすぎでしょ……」
「いっ、いちゃついてなんかいません!」
フロランスは少し赤くなって抗議した。
あ然としていたギーだったが、目を凝らしてフロランスを見たかと思うとぎょっと目を剥いた。
「うわあ! よく見たら『フロランスのグレゴワール製魔力漬け』って感じ……死霊術師じゃないと気がつかないんじゃないかな、これ」
「どういう意味ですか?」
「フロランスさんがグレゴワールさんの魔力に満ちてるっていうか……しかも毎日健康診断するって」
「変なんですか?」
「変じゃないですけど普通は頻繁にすることじゃないんです。グレゴワールさん、ほんっとにフロランスさん大事にしますね」
「当然だヨ。だから連れてきたんだ」
グレゴワールは平然と言ってのけた。フロランスは耳まで真っ赤になった。
ギーはまた「うわあ!」と叫んで、しかし今度は気を取り直したようでニヤリと笑った。
「またまた土産話が増えましたねえ。ふっふっふ、ヴェロニックさんの美貌が驚愕で染まるところがありありと想像できますよお」
その瞬間、なにかがフロランスの心をかすめた。
「ヴェロニックさんて副部隊長さんの、ですか?」
「そうです、すんごい美女なんですよお。ね、グレゴワールさん?」
「苦楽を存分に経験した豊かな人だヨ。きっといい死体になる」
フロランスはグレゴワールから目を反らした。もやもやとした得体のしれない感情がわき起こる。
(美貌の、副隊長)
アリゼをそこまで美人じゃないと言ったギーが手放しで褒めるほどの美女。副隊長という実力。そしてグレゴワールはヴェロニックをベテランだと褒めていた。
(……グレゴワールさんの恋人だったりするのかな。美貌の副部隊長にかっこいい部隊長、お似合いじゃない)
よくない感情がぐるぐると体中を駆け巡る。
(もしヴェロニックさんがアリゼみたいなタイプだったら? ううん、グレゴワールさんがそんな人を勧めるはずないわ。でも……)
気がついたらグレゴワールがフロランスをのぞき込んでいた。
「フロランス? 大丈夫かい」
「あっ……はい。グレゴワールさん。私、頑張りますね」
フロランスは頭を振って気持ちを切り替えた。いずれにせよ、恩返しをするためにもグレゴワールの役に立つように精一杯頑張る必要があった。
ピエールもデフロットも苗字ではなく名前です。