15.山賊の報復
構成変更・加筆修正:2017/10/16
グレゴワールは荷台の奥へフロランスを誘うと「ちょっとごめんネ」と額に触れた。すると、魔力で健康診断されたときのようなトロリとした何かがフロランスの額から下へ下へと降り、まるで全身が粘膜にくるみこまれたかのような感覚がした。
「フロランス、ここから動かないで。大丈夫だから。……でも、キミを怖がらせるかもしれない」
グレゴワールの声色が変わった。
フロランスは顔をあげたが、彼はすでに荷馬車から降りていてその表情は窺えなかった。入れ違いに小柄な御者の男が乗り込んでくる。
フロランスと御者は荷台で息を潜め、樽の間から外の様子をのぞき見た。まだ敵の気配はない。
護衛の男の固い声がした。
「フーシェ部隊長様、配置につきました」
「キミも荷馬車から離れないでネ。盾は構えて」
「御意」
ギーは準備運動のように首を回している。恐れた様は一切ない。
「グレゴワールさあん、僕、せっかくなんで実践経験積みたいです」
「ふむ、ならこうしようか。矢が飛んできたら全て打ち落としなさい。一応馬車全体に防御壁を張っておくから思い切りネ。その後は賊を一度攻撃して身を引き、私と交代して補助。飛び道具に気を配ることを忘れないように」
「はい! ようし、やるぞお」
ギーは嬉しそうに快哉を叫んだ。
風が木の葉を揺らす。静寂が訪れた。
フロランスの緊張は否応なしに高まっていった。無意識に指を組んで祈る。
グレゴワールが静かに言った。
「来るヨ。人数は七人、もう少し離れたところに数名。備えて」
「了解!」
「御意」
ひゅん、と風を切り裂くような音。
荒い足音、かき分けられた草木の葉擦れが嵐のように急に大きく鳴る。
「そうれっ!」とギーのかけ声。
その瞬間、ごう、と強い風が竜巻のように荷馬車を取り囲んだ。樽がぐらぐらと揺れてフロランスと御者は頭を抱えうずくまった。
揺れが収まってから再び樽の隙間を覗くと地面に矢が散らばっているのが見えた。
と、林のあたりに男たちが姿を現した。男たちは粗暴さを露わにして憎々しげに戦鎚や斧を構えた。
(あれはクレドーに来た……!)
フロランスは口に手を当てた。鎧の造りや雰囲気がとてもよく似ている。
「王の駄犬どもが、荷を全部置いていけ! クレドーでは油断したが今度は容赦しねえ」
「ローアンヌまで出しゃばりやがって、俺たちの領分を犯したな」
「あいつらの敵を討ってやる」
――報復に来たのだ。
体が震え始める。フロランスは白くなって我が身を抱きしめた。
***
山賊の姿を認めるや否や、素早くギーは呪文を呟き頭上に両手を掲げた。瞬く間に両手の上に牛ほどある氷の塊を形成される。パアン、と高い音がして硝子のように氷が砕ける。氷の破片は鋭いナイフのように尖り、放射状に飛ぶ。
氷の破片は矢のように山賊に襲いかかった。
「盾を構えろ!」
「ぐああっ」
「くそっ氷の使い手か!」
「ふっふっふ、逃げるなら今のうちですよお!」
二人の山賊が血を流しながら倒れる。残りも顔を押さえたり足を止めたりしている。
(ふむ。視認から攻撃までの素早さ、呪文選択の適切さ、魔力制御の上手さ。さすが魔術学校の首席)
グレゴワールは感心しつつも、道を挟んで林と反対側の丘の下へ目を向けた。
(が、油断が見られる。奥にもいるのに)
誰かが「放て!」と大声で叫んだ。丘の下から一行に向かって岩がばらばらと飛んでくる。
ギーは顔を引きつらせて叫んだ。
「ぎゃああ投石器!? ちょっ城攻めでもないのになんでそんなの」
ギーが慌てて繰り出した風の膜をいくつかの岩が通り抜けて荷馬車に接近する。
グレゴワールは魔力の塊を荷馬車と岩の間に割り込ませた。岩は魔力塊に食い込んで宙で止まったかと思うと、こぼれるように地面に落ちた。その衝撃で荷馬車が揺れる。
「ハイ、減点だヨ。……ん?」
「ぐっ……ぐああっ……ガアッ」
「おっ、おい! お前なにしやがった!」
「ジョルガ、しっかりしろ馬鹿!」
突然、山賊のうちの一人がもがき、呻き、泡を吹いてひっくり返った。血走った目は溢れんばかりに見開かれている。
ギーが小さく呟いた。
「あれは麻薬の」
グレゴワールは眉を顰めた。
すぐさま呪文を呟き先に倒れていた山賊二人に向けて腕を伸ばす。
彼らは体を揺すりながら立ち上がり、仲間に向かって得物を振り上げた。
***
様子がおかしくなった山賊二人は次々味方に襲いかかっていく。襲われたうち二人が頭部に打撃を受け昏倒した。かと思えばその昏倒した二人もゆらゆらと立ち上がって丘の下へ向けて走って行く。金属がぶつかる高い音。丘の下から「やめろ、馬鹿、俺だ!」という悲鳴が聞こえた。
御者の男が興奮したように囁いた。
「死体が……あれが死霊術!」
フロランスは樽に震える手をついて目を見張った。脳裏に修道院襲撃の光景がありありと蘇った。
あの時の山賊たちも仲間うちで争っていた。あれは仲間割れではなく山賊の死体をグレゴワールが操っていたのだ。そう、今頃になって気がつく。
修道院が焼けていく煙の臭い、轟音とともに崩れ落ちる鐘楼、肌を焼く炎の熱、血まみれの斧、下卑た笑い。
――おい女ァ、殺されたくなかったらじっとしとけ。
――神様のご加護だな、ぎゃははは!
フロランスは身を震わせて縮こまった。
(……怖い)
目の前の出来事と修道院での出来事が重なる。今頃になって恐怖がわき起こる。
フロランスは耳を塞いで丸まった。
躊躇いがちな声がはっきりと聞こえた。
「フロランス?」
「……グレゴワールさん?」
「終わったヨ」
いつの間にかあたりは静かになっていた。ギーがなにやらブツブツ文句を言っている。御者の男はすでに荷馬車から降りていた。
荷馬車をのぞき込んでいたグレゴワールは、なぜか恐る恐るといった風に手を差し出してくる。フロランスは思わずその手に飛びついた。
「グレゴワールさん!」
「おっ、と。怖がらせてごめんネ」
「違うんです、グレゴワールさんがいれば大丈夫だってわかってました、でも私っ……修道院でのことを思い出して。……、ごめんなさい今頃」
ギーがグレゴワールになにか囁いているようだったがよく聞こえない。
ぼろぼろと涙が出てきた。今更おかしいでしょ、無事だったんだから、と自分に言い聞かせるが、グレゴワールの掌の温もりにますます涙腺が緩む。
「……私が怖いのではなく?」
「なんでグレゴワールさんが怖いんですか……ひっく」
「……ウン。泣いていいんだヨ、フロランス。ショックが大きいと感情が麻痺して後から来ることがあるんだ」
グレゴワールにそっと抱きしめられる。与えられた温もりに、フロランスはただ泣いた。
しばらくしてフロランスは顔を上げた。グレゴワールはニタリと闇色の目を細めてフロランスの涙を拭ってくれた。その優しさが温かくて、痛い。
(また足引っ張ってしまった。……恩返ししたい、しなくちゃ)
せめて雑用係としては役に立ってグレゴワールに貢献したい。ぼんやりしていた思いが強い決意となってわき起こる。
フロランスは一度ぎゅっと目を瞑ってからにっこり笑った。
「ありがとうございます、グレゴワールさん。もう大丈夫です。なにを手伝えばいいですか」
「無理は禁物だヨ。そうだな、御者の彼を手伝ってくれるかな」
「はい」
フロランスは御者と並んで倒れた荷を整え始めた。
グレゴワールはギーに目配せをすると荷馬車の横にくくりつけられていた空の樽を一つ外し、泡を吹いて息絶えた山賊を中に詰め込んだ。フロランスから見えないようにこっそりと。その樽の蓋には他の樽と同じく、杖に二匹の蛇が絡まった絵――宮廷魔術師団の紋章である――が焼き入れてあった。
それから樽をギーと二人で荷馬車まで運ぶ。
「これも積み込んでくれるかな」
「かしこまりました」
御者は特になにも言わず淡々と樽を荷台に載せた。この御者は、荷馬車の樽がすべて特殊な魔術品であり中に死体が詰まっていることを知っている。
荷馬車に近づいたギーはあっと叫んだ。
「なんですかこの防御壁!? ……というかこれ、壁?」
「ちゃんと魔術学校の試験をパスしたものだヨ。ヴェロニックはこんなの防御壁じゃないって文句を言うけどネ」
「って、ああっフロランスさんも!?」
「なにか? 防御壁って、魔法の?」
フロランスが首を傾げると、ギーは驚愕の表情で堰を切ったように話し出した。
「いいですか、防御壁とは文字通り魔力の壁なんです。魔力を結晶化させたり編み込んだり方法はいろいろですが、ともかく薄い壁を作る、それで守りたいものを囲む。
でもグレゴワールさんのこれは無理矢理圧縮した大量の魔力で荷馬車をくるみこんでるっていうか、壁で囲ったというよりも大量の魔力の中に荷馬車が埋まってる感じなんです。フロランスさんもさっきまでグレゴワールさんの魔力の中に埋まってました」
「う、埋まってた……グレゴワールさんオリジナルってことですか。安全そうですね」
「安全なんてもんじゃないですよ厳重です厳重、でもそれ以上に驚きなのは、あのですね、普通はこんな方法で防壁を作ったりしないんです。できないんです。魔力を膨大に使ってしまうから。普通の魔術師ならこんなことしたらすぐに疲れて倒れます。僕ですら無理です」
ギーは興奮して唾を飛ばしている。グレゴワールはゆっくりと首を横に振った。
「私は死霊術以外はダメだったからネ。試験は魔力量を利用するのが楽だったんだヨ」
「氷や炎の試験はどうしたんですか? それも通ってますよねグレゴワールさん」
「氷も炎も普通に、そのまま……基礎魔法でゴリ押ししてたら通っちゃったんだヨ」
「お、おおお……」
ギーは綺麗な石を見つけた子供のように目をキラキラと輝かせている。
グレゴワールは手でローブを払うと背筋を伸ばした。
「そろそろ出発しようか。また追われると面倒だからさっさと王都まで帰るとしよう」
「無理に走らせたら馬が疲れません?」
「ウン。だから魔術師らしい方法で、飛ばすヨ」
グレゴワールは掌を上に向けるとニタリと笑った。
***
まるで嵐の中でもみくちゃにされる葉っぱのようだ、とフロランスは思った。
ガタゴトと荷馬車が揺れるたびに、荷台に座っていたフロランスは樽や木箱とともに宙に浮き上がった。そしてそのたびに暴風に吹き飛ばされそうになる。必死の形相で荷馬車の荷台に括られた綱に掴まった。そうでもしないと荷台から落ちそうだ。
一方のギーはびゅんびゅん吹く風と揺れの中、荷台にすっくと立ち上がって楽しそうに歓声を上げている。彼はまだ興奮状態で、暴風の中、大声で話し続けている。
「しっかりつかまっててくださいねえフロランスさん! たぶんグレゴワールさんは手を離しても転げ落ちないようにしてくれてますけどねえ、いやっほおおい!!」
「……これっ、……なんですかあギーさんっ!」
さっさと王都へ帰るべくグレゴワールが取った方法はこうだった。まず、グレゴワールとギーが乗っていた馬も荷馬車につなぐ。そのうち一頭に護衛が乗り、グレゴワールは御者の隣に座り、比較的身体が小さいフロランスとギーが荷台の隙間に乗る。
そして後ろから突風が吹いて――。
「グレゴワールさんが魔法で追い風を吹かせてるんですよお! あとたぶん荷馬車と馬の身体を持ち上げて馬の足に負担がかからないようにしてます! なんという贅沢な魔法の使い方! 基礎魔法なのに規模が大きすぎておまけに雑すぎてもはや大魔法!」
「だっ……だいじょうぶなんで……あわわっ、すか!? 疲れきったりっ」
フロランスも大声で尋ねる。
「だーいじょーぶ、グレゴワールさんは天才魔術師です! 王都の死体総起き上がり事件って知ってますう!? 僕が幼いころの話なんですけどお」
「知らないですよそんなもん!」
「第五部隊の本拠地で当時まだ十代だったグレゴワールさんが魔力を暴発させちゃったんですよお、成長期の子供にはよくあるんですけどお! そしたらそこで保存されてた死体全部にウッカリ死霊術がかかちゃってですね、彼らが起き上がってウロウロしはじめちゃったんです!」
「えええええ!?」
「子供は一般に魔力量が少ないし技術もないんで、普通はこうはならないんですけどねえ! でもグレゴワールさんは魔力膨大かつ死霊術の技術も高く! 結果、当時王城を訪れていた隣国の大使を死んだはずの騎士隊長が密かに護衛してたり、歓迎の宴にしれっと死んだ貴族が紛れ込んでたり、まあ大変だったみたいです!」
フロランスはくらくらと目眩を感じた。荷馬車と共に上下しながら、目眩は揺れのせいなのか精神的な問題なのかと自問自答する。
話が聞こえたのか、グレゴワールが御者席から言った。
「いやあ、さすがに怒られてネ? 魔術学校を卒業したばかりだったのに僻地に左遷されて延々と蛮族狩りをさせられたヨ」
「へえーそれは初耳ですー! 国境警備の方に行ってたのはそういう理由だったんですねえ」
グレゴワールもギーも平然としている。
フロランスはずっと、死霊術とは死者の思念を読む魔法だと思っていた。だが、実際は、死体を、起き上がらせて……。
山賊に襲われているときは助かりたい一心だったからなんとも思わなかったが、今更ながら死霊術の内容に衝撃を受ける。
「あれ、フロランスさんどうしたんですー?」
「あの! 死霊術って戦闘用なんですか?」
「違いますよお! キホンは死体に魔法を流して体に残った記憶通りに行動させ、そこから死者の記憶を読む。死霊術で体の治療をすることもあります、魔力の反作用を利用して。死霊術で戦うようになったのは比較的最近なんです!」
死霊術についてフロランスが懐いていた静かなイメージ、厳格な司祭が厳かに行う儀式のようなものだというイメージがあっという間に塗り変わっていく。
「死霊術での戦闘については賛否両論で、今の第五部隊のあり方を問題視する人も結構います。最近は貴族でも死霊術そのものを嫌う人もいますしね! 第五部隊は無くすべきだってね! 第五部隊のメンバーが個性バツグンで癖が強いせいもあるでしょうけどね、あはは!」
楽しそうに笑うギーに、フロランスはあ然とするしかなかった。既に波乱の予感がする。
――背景、ボリー修道院長様。私、馴染めるか不安です。