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ネクロマンサーと太陽娘  作者: みつえだ西緒
第二章 王都へ
16/34

14.王都へ

構成変更・加筆修正:2017/10/16

 フロランスの心は躍っていた。歌い出したいような気分だった。


(空ってこんなに広かったんだ)


 すべてが新鮮で輝いて見えた。似たり寄ったりな風景が続いているにもかかわらず。


 森を抜け、窪地を進み、草原を行く。川にかかったアーチ状の石橋の上からは、網を持った漁師が見えた。遠くの森から煙が上がっている。硝子職人か炭焼きの煙だとグレゴワールは言う。特徴的な丸い帽子に赤マント、腰に杖を差した伝令飛脚が馬をギャロップ(いそぎあし)で飛ばして、鳥のように一行を追い抜いて行く。


 昼をややすぎたころ、一行はなだらかな丘陵にさしかかった。グレゴワールは馬を止めた。


「このあたりで休憩にしよう。私はあたりを見回ってくるヨ。危ないからギーから離れないで、私の太陽(モン・ソレイユ)


 グレゴワールはフロランスを馬から下ろすと、一人で傍らの林へ入っていってしまった。

 丘のあちこちに空色や薄紅色の小花が咲いていた。馬がブルルと鼻を鳴らして、岩間の窪みから湧き出る透明な水をおいしそうに飲む。その水面では艶のある真っ赤な丸い実が揺れている。

 フロランスはアカシアの幹に手をついた。まだ馬に揺られているような気分で足下がふらつく。


「フロランスさん、ここ座って下さい。先にお昼にしててくれって」


 ギーは柔らかい若草に覆われた木の根元に座って、袋からパンを取り出しナイフで切り分けた。フロランスは革袋にわき水を汲み、よろめきつつギーの隣に座った。


「初めての馬は疲れるでしょう。お尻、痛くなりません? 僕は初めて乗ったとき赤くなっちゃって」

「まだ大丈夫です、体力はあるもので。お尻も平気ですよ」

「へえ、普通は……ああ腰に魔力痕ありますね。たぶんグレゴワールさんが魔法でクッション作ってたんですね、良かったですねえ」

「えっ、そんなわざわざ!? どうしよう」


 フロランスは慌てた。この数時間ずっとグレゴワールに魔力を浪費させていたというのだろうか。

 ギーはにっこり笑ってパンを差し出した。


「大丈夫ですよお、グレゴワールさんにとっては息をする程度の魔法ですから」

「そう、ですか」


 フロランスは眉尻を下げてパンを囓った。さして負担にならなかったのだとしても手放しでは喜べない。あの襲撃事件以来、フロランスはグレゴワールに世話になりっぱなしだ。


(……私もグレゴワールさんの役に立ちたい。お祖父ちゃんを探すだけじゃなくて)


 ギーは子供ながら王命を受けて立派に仕事をしているというのに、フロランスは自分の無力さをひしひしと感じた。家畜の世話ができてもここでは役に立たない。


「ギーさんは偉いですね、若いのに活躍して」


 フロランスがそうこぼしたとたん、ギーは鼻を膨らませて得意げな顔になった。


「ふっふっふ、僕は天・才! ですからねえ! 魔術学校(レビチナ)は卒業まで平均10年近くかかるんですけど、僕はなんと6年で卒業することになってるんです。山賊が大勢やってきたって蹴散らせてみせますよお」

「わあ……すごい、こんな少人数の旅でも堂々としているはずね」


 フロランスは当初、大事な魔術師様の旅なのだから大勢の護衛に囲まれ使用人を引き連れて旅をするのかと思っていた。しかし実際は、グレゴワールとギー、フロランス、御者、護衛の五人だけである。庶民の旅と同じ規模だ。通常は(・・・)安全な長旅ができるとは言いがたい人数である。――フロランスにとっては庶民的である方が気楽ではあるが。


 クレドーへ来た王軍もグレゴワールには随行していない。そもそも彼らは王都から国境警備に向かう途上であって、調査を終えて王都へ戻る途中だったグレゴワールたちと偶然同じタイミングでクレドーを通りがかっただけだった。


 ギーはパンを頬張りながら胸を張った。


「グレゴワールさんにはまだまだ劣るとはいえ天・才ですから! 幼少期からの器用さが功を奏して死霊術(ネクロマンシー)のみならず治癒魔法(レキュペラシー)から攻撃魔法(デストレクシー)まで軽々こなせちゃいますからね。……まあ占術(ディヴィナシー)はダメですけど。あれは特殊だからいいんです。僕はオーランスが生み出した奇跡なんですよお」


 自信満々である。

 だが魔法の知識に乏しいフロランスは、魔法名よりもオーランスという言葉に注意を引かれた。オーランス地方はヴェルネ王国の北東の端にある領地で、ローアンヌ地方から見れば北に位置する。


「オーランス出身なんですか? 遠いですね。家族と一緒に王都へ?」

「いえ、子供が魔術学校(レビチナ)に入るときでも家族の王都移住許可までは降りないんですよお、普通は。代わりに僕らは寮で面倒みてもらえるんですけどね」

「へえー……すごいなあ、子供一人で上京って」

「魔法の才能がある子はみんなそんなもんですよ。それに魔術師になれば実家の商売繁盛に役立つと思ったんで」


 フロランスは目を点にした。


(魔術で宝石でも生み出して売るとか?)


 魔術と商売。まったく関連がなさそうに見える。

 ギーはパンを咀嚼しながら話し続けた。


「商売はコネが重要なんですよお。魔術師になれば役人と仲良くなれますし貴族との繋がりもできますからねえ。それに輸送経路の確保……例えば道の整備や関税の問題なんかはいち商人にはどうにもならなくて。だから権力に近づきたいんです」


 フロランスは目を泳がせた。子供であるギーの理想に比べ、大人であるはずの自分の想像が極めて夢見がちで恥ずかしい。


「本当にすごいですね、そんなことまで考えてるなんて」

「商人の端くれですから。フロランスさんは村の子でしょ? なら僕みたいに考えられなくて当然です。代わりに麦の育て方は知っている、それでいいんですよお」

「……ギーさんの実家ってもしかして大きな商家なんですか? なんだか育ちが良さそう」

「ふっふっふ、ご名答ー! ブラッサンスといえば東オーランスの名のある商家なんですよお。……ま、最近没落しちゃいましたけど」


 ギーの声色が急に冷めたものになって、フロランスはギクリとした。ギーの顔からは微笑みが消えていた。


「フロランスさんも聞いたことがありません? バクトラ人ですよ。彼ら商売上手なんですよねえ、それにバクトラ帝国の品物は珍しくて質がいいからよく売れるんです。簡単に言えば、僕らはバクトラ人に負けたってことですね」


 フロランスは言葉を失った。

 オーランスは国で唯一海に面する地方で、港町が多く他国との交易も盛んだ。バクトラ商人がオーランスを中心に活躍していることはフロランスも知っていた。クレドーの市にオーランス経由でバクトラの織物や宝飾品が並んだのも見たことがある。

 しかし、バクトラ人の影響がこれほど大きいとは知らなかった。


 ギーの口調には苦いものが含まれている。


「バクトラ人と扱う品物が被ってたんです。ここ数年は彼らがよく来るようになっていて、ブラッサンスの経営はじわじわ苦しくなっていたみたいなんですけどねえ。最後はあっけないもんでした。仕方がないですね」


 フロランスは言葉に窮して、わざとゆっくり残りのパンを食べた。安易な慰めなどギーも欲するまい。

 が、ギーは探るような目付きでフロランスをのぞき込んできた。


「フロランスさんはバクトラ人を見たことはありますか? クレドーにはいました?」

「肌が褐色だという?」

「そうそう、そんな見た目です。あとゆったりした服を着ていることが多いかな」

「……1年半くらい前にクレドーに来たと聞きました。でもそのころは私、まだ村にいたので直接見てはいないんです。商品は見ましたが」

「ふーむ、そうですか。あまりこっちにはいない、と……クレドーは田舎ですもんね。バクトラ人がいない世界なんて素敵ですねえ。あ、冗談ですよ」


 ギーは一転、元通りの爽やかな笑顔を浮かべた。

 フロランスはぞっとした。笑顔がかえって恐ろしい。ただの子供じゃない。ギーには得体の知れないところがある。


(……グレゴワールさん、まだかな)


 フロランスはグレゴワールが去った方向に首を伸ばした。だが彼の姿は見えない。

 ギーはふふっと笑い声をあげた。


「心配ですか? グレゴワールさんのこと」

「……強い人だとわかってますけれど」

「大丈夫ですよお、たとえ熊の群れに取り囲まれても熊がお肉になるだけですから」

「お、お肉……」

「あ、そっか!」


 ギーはニンマリ笑った。


「フロランスさんは不安なんじゃなくて寂しいんですねえ、グレゴワールさんがいなくて! ふっふっふ、片時も離れたくないなんて、愛――」

「違いますから、ただの雇い主と雇われた雑用です! グレゴワールさんに失礼なのでからかわないでくださ」

「恋人なんですか?」

「私の話聞いてました!?」

「でも少なくともフロランスさんは気に入ってるでしょ? グレゴワールさんのこと」


 ギーにまっすぐ見つめられてフロランスは詰まった。じわじわと頬に熱が集中する。


「それは、もちろん……素敵な人じゃないですか。強くて、かっこよくて、優しくて。王都でもとてもモテるでしょう?」


 見た目は死体か魔族だが。黒くうねった髪を下ろして暗闇の中で笑っているところを不意打ちで見ると心臓が止まるかもしれないが。


(私なんかを助けてくれて、優しくしてくれて、物腰も柔らかくて、まるで物語の王子様……。……。王子様? さすがにイメージが違うわ。王子というより王様だし……しいて言うなら魔王……これじゃあただの悪役じゃない)


 フロランスは微妙な顔になった。適当な比喩表現が見つからない。

 一方、ギーはぽかんとフロランスを見つめた。


「あれ? あの、ギーさん?」

「……確かに僕らから見ればかっこいいですけどお……本気で言ってるんですか、フロランスさん」

「へ? なにが」

「うわあ、これはこれは」


 ギーはなにやら宙を睨んでブツブツ言い始めた。


「フロランスさん、太陽(ソレイユ)ってどういう意味ですか? さっきもグレゴワールさんにそう呼ばれてましたよね」

「女の子に対する一般的な呼びかけではないんですか? ほら、私の小鳥ちゃん、みたいな」

「違いますよお。ここ二ヶ月ほどずっと一緒に調査旅行してましたけど初めて聞きました」


 フロランスは口を噤んで首を傾げた。


 子供のころのフロランスはお転婆で活発だったが、太陽と称されるほどことさら明るい性格だったわけではない。アリゼの影でうつむき続けた現在はなおさらである。

 フロランスの母カロルは美人だったが、フロランスはあいにく深緑がかったヘーゼルの瞳と緩やかに波打った豊かな髪くらいしか似なかった。おまけに髪色はくすんだ淡褐色で、艶のある褐色(ブルネット)だったカロルや金色のアリゼの髪のようにはキラキラと輝かなかった。

 体格は太ってこそいないがアリゼのようなたおやかな体つきでもない。

 どこをとっても「太陽」と表現されるほどの輝かしさはない。


 ギーはフロランスをしげしげと眺めた。


「うーん、光の神(リュエノー)の像に似てるわけでもないですしねえ。なんだろう」

「あの……」

「ああー凝視してすみません、つい不思議で。そういえばこの前屯所にアリゼさんて可愛い子が来たんですけどお、フロランスさんの妹なんですよね? 全然似てませんね」

「っ、……血は繋がっていないので」


 子供はときに大人よりも残酷である。

 フロランスは顔色が変わらないように必死で堪えた。浮ついていた心はさっと冷えていく。


(子供でも男の子だもの、アリゼの方がいいんだ)


 フロランスはどうしたらいいのかわからなくなった。握りしめた掌は汗ばんでいた。

 また比べられるのだろうか。また否定されてけなされるのだろうか。アリゼから離れれば普通に暮らせると思っていたがそうじゃないのかもしれない、なんせフロランスはなにも変わっていないのだ……。


(……怖い)


「すみません、似てなくて」


 フロランスはなんでもない風を装ってわざと軽く頭を下げた。これ以上傷つきたくなかった。

 が、ギーは驚いたように目をぱちぱちさせた。


「なんで謝るんです?」

「だって、私がアリゼみたいな美人だったら一緒に旅するのも楽しかったでしょう?」

「なーに言ってんですか、僕にとっては美醜なんて些末な問題です。それにフロランスさん卑屈すぎですよお! 確かに美人じゃないですけど」

「うっ、ギーさん正直すぎです、言ったの私だけど!」

「まあまあ。磨けばちゃーんと綺麗になりますよ。髪や肌を丁寧に手入れして、質の良い服やベルトを身につけて……ああー手元にうちの商品があったらなあ!」

「……そうでしょうか。頑張っても綺麗になるだなんて思えないです」

「大丈夫ですって、それにそんな卑屈だったらどんな美人も美人には見えないですよ! ほら、綺麗な格好して堂々と私美人なのよって顔しといたら美人扱いされますから。人間なんてそんなもんでしょ。ねえ、グレゴワールさん?」


 いつの間に戻ってきたのか、顔をあげるとグレゴワールがそばに立っていた。


「ギー、言葉に気をつけなさい。フロランスは綺麗だヨ」


 グレゴワールはニタリと笑うと優しくフロランスの髪の先を撫でた。フロランスは俯いて唇を引き結んだ。


(いたわってくれてるんだろうな、グレゴワールさん。私がどんな目に会ってきたか知ってるんだもの。闇の神(マニエット)の慈愛そのものね)


 泣き笑いしたい気分だった。

 フロランスは一つ頭を振った。


「ありがとうございます、でもいいんです。アリゼの美しさを知ってるでしょう? 天使みたいで」

「ほらその態度がダメなんですってば。それにアリゼさんはフロランスさんが思うほどの美人じゃないと思いますよお」

「あの子はもう少し食べた方がいいネ。過度に節食すると美しい死体にはなれないヨ」

「おおーさっすがグレゴワールさん。説得力ありますねえ」


 暗くなっていたフロランスは、ニタニタ笑うグレゴワールとニコニコ笑うギーに挟まれて硬直した。


 ――美しい死体、って、ナニ。


 フロランスはおそるおそる口を挟んだ。


「あのう、アリゼ、死んじゃうんですか?」

「違う違う、いつか死んだときの話です。ほら死霊術師(ネクロマンサー)的表現てやつですよ。僕もこの前両親にびっくりされちゃいました」

「……そ、そうですか」

「フロランス、キミはそのままでいいんだヨ」

「チュニック着てるのによく見抜けますねえ。ほら実はフロランスさんお腹にお肉がたくさんとかアイタッ!」


 フロランスは反射的にギーの腹に肘を入れた。このデリカシーのなさは村の悪ガキと同水準だ。

 グレゴワールはクスッと笑いを零した。


「ひ、ひどい! 暴力反対!」

「ギーさんが余計なこと言うからでしょー!?」

「フロランスはそのままがいいんだヨ」

「むー……グレゴワールさんが言うならその通りなんでしょうけれどお」


 納得いかなさそうなギーを放置して、グレゴワールは腰を屈めてフロランスをのぞき込んだ。


「フロランス。死体には生き様が現れるんだ、人生の軌跡すべてが。人の身体が終わりを迎え、魂がマニエットの領域へ帰るそのときに。死体は人の生そのものだ。食べ、眠り、歩き、踊り、喜び、苦しむ……それが刻み込まれた体。だから私は死体が好きなんだヨ」


 グレゴワールは暗い色の目をうっとりと細めた。


(死体が、生、死体が、好き……)


 フロランスはなにも言えないでいたが、ギーは「なるほどお!」と感激している。

 グレゴワールは笑いを納めてフロランスに手を差し出した。


「さて、フロランス。おいで。荷馬車に乗って、荷物の間に座っていてくれるかな」

「あれえ、荷馬車で移動ですか?」


 グレゴワールは首を横に振って、クレドーの方向を指さした。


「誰か追ってくるんだよネ。先で待ち伏せもされてるみたいだし。たぶん山賊かな。ここで迎え打とう」


 その瞬間、暢気に食事をしていた護衛の男とギーが一斉に立ち上がって耳を澄ませた。

 緊張が走る。

 フロランスは顔を強ばらせて来た道の方を振り返った。まだ誰も見えない。


「心配しなくていいヨ。誰にも傷一つつけさせないからネ」


 グレゴワールはフロランスにニタリと微笑んだ。

熊は群れにはならない。たとえ話です。


<人物・用語説明>


●オーランス地方

 ヴェルネ王国の北東に位置する領地。クレドーのあるローアンヌ地方の北。ギーの故郷。

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