12.故郷に別れを
構成変更・加筆修正:2017/10/2
フロランスはテラスの片隅でアランに詰め寄った。グレゴワールは二人に配慮したのか、少し離れた場所で食事を再開している。
グレゴワールにまた気を遣われたことに肩を落としていると、アランが躊躇いながら尋ねた。
「王都に行くってほんとか?」
「そうよ。アリゼに聞いたの?」
「ああ。今朝、取り乱してうちに来てさ。義姉さんが逃げたとか危ないことをとかなんとか、アランなんとかしてって」
「で、なんとかしに来たの?」
「いや。っつうより、未だになにがあったのか全くわかってないんだけど、俺」
どうやら王都行きを阻止するために来たわけではないようで、アランは途方に暮れたような困惑したような顔をしていた。
「なんで行くんだ。なにをしに?」
「母さん方のお祖父ちゃんが王都出身なのよ。会いたいの。母さんがずっと会わせたがってたし」
「聞いてないぞ」
「言ってないもん。父さんはお祖父ちゃん嫌いだからね、耳に入ったら面倒だと思って」
フロランスが肩をすくめると、アランは口ごもってチラチラとグレゴワールを見た。
「そうはいっても一人でそんな遠いところになあ……あの魔術師様はマントの人? まさか、この前顔赤くしてたのって」
「マントの人だけどそんなんじゃないってば。アランは王都行きに反対なわけ?」
「だって危ないだろ。ぺてん師だってウヨウヨいるって聞いたぜ」
「ぺてん師って私を屋根裏に閉じ込める義妹よりも危ないのかしら」
「なんだそれ」
アランがきょとんとした。アリゼは都合の悪い話はしなかったようだ。
「アランは私が役立たずですぐ雇い主に見限られると思う?」
「まさか。ボリー先生にも褒められてたろ」
「アリゼや父さんは、私は失敗が多いし見限られるだろうから王都に行くべきじゃないと言ったわ。それで私が寝てる間に屋根裏に閉じ込めたのよ、昨晩ね」
「えっ……え?」
「脱出するのに屋根破ったから見てご覧なさい。普通はそこまでしないでしょうに。しかもね、私の王都行きは止めたのにアリゼが代わりに行きたいと言ったら父さんも継母さんも大賛成だったんだから」
「なんだって!?」
アランは大声を出した。見る間に顔から血の気が引いていっている。鈍いアランもさすがにアリゼの行動の意味するところはすぐに理解したようだった。
アリゼが王都へ行けばほぼ確実にアランとアリゼの婚約は破綻する。つまり振られたことになる。
(言うべきじゃなかったかしら)
もし言わなければアランは幸せな気分のままアリゼと結婚していたかもしれない。その方がアランは幸せだったかもしれない。言ってしまった以上もう遅いが。
フロランスは目を閉じて謝った。
「ごめん、アラン。でも嘘じゃない。ティエリにも聞いてみて欲しい。そこのグレゴワールさん……魔術師様の前でも言ったことよ」
「……」
アランは口を手で押さえて絶句している。フロランスはアランに寄り添って背中を撫でた。
しばらくして、アランは白い顔で絞り出すように擦れた声を出した。
「フロランスが嘘つくとは思ってない。けど」
「信じられない? 無理もないわ」
フロランスは大きくため息をついた。アリゼの本性を知るフロランスとてあまりの身勝手な発言に耳を疑ったくらいだ。ましてや純朴なアランが信じられないのは当然である。
「私、ずっと言えなかったのよ、私からアリゼがどう見えてるかってこと。あんたは優しいから私とアリゼの板挟みになるだろうって。それにあんたがアリゼと婚約したから尚更ね。でも……私たち、親友だったんだもの。言うべきだったかも知れないわ。こうやってあんたが傷つく前に」
「いや、……。フロランス、アリゼは俺のこと……好きじゃないのか?」
心がずんと重くなった。アランが握りしめている手を両手で包む。仕事のせいで火傷の跡がいくつも残った立派な手が白くなっているのが痛ましかった。
「気に入ってはいたわ。そうじゃなきゃ結婚相手に選んだりしない」
「……でも、なにも言わずに捨てられる程度だった、ってことだな……俺は……」
アランは力が抜けたかのようにしゃがみ込んだ。フロランスはアランの隣に座ってかつてのように抱きしめた。
「フロランス、俺……」
「ごめんね、アラン。私、わかってたのに」
「いいや……気遣ってくれたんだろ。わかるさそのくらい……」
アランは頭を抱えて動かなくなった。
フロランスは目配せしてグレゴワールに謝り、そのままアランに寄り添った。
もうすぐフロランスはクレドーを立つ。けれどもそのわずかな間だけでも、アランの側にいてあげたかった。
***
グレゴワールが二人を見守りながら食事をしていると、ギーがパンをかじりながらテラスに顔を覗かせた。
「おっ、あの子ですか、フロランスさんて。……ふうん、あの男は恋人じゃあなさそうですねえ。よかったですね!」
「気に入ってるとは言ったけど、そういうつもりじゃないからネ」
あっさり否定して上品にスープを飲むグレゴワールに、ギーは唇を尖らせた。
「ええー違うんですかあ? じゃあなんだっていきなり田舎の女の子なんて雇うんです。怪しい!」
「怪しいもなにも。きっと彼女は第五部隊に馴染んでくれるヨ」
「確かに今まで王都で雇った子は長続きしなかったって聞きましたけどお。それにしてもこんな遠くの領地の子でなくても」
「……ま、ネ。あの子は太陽だから。なにかしてあげたいと思ったんだヨ」
「へ、太陽?」
ギーは目を瞬かせてグレゴワールを見、次いでしげしげとフロランスを眺めた。
「う、うーん……太陽ですかねえ? どのあたりが? というか太陽ってなんですか」
「太陽は太陽だヨ」
「あれですか?」
「ウン」
空を指さしたギーにグレゴワールは短く答えて、最後のスープのひとしずくを味わった。
(美味しそうに食べてたなア……)
レイベリーを口に運びながらグレゴワールは思い出した。王都へ帰ればもっと美味しいものを食べさせてやることができる。
頭を傾げているギーにグレゴワールはニタリと笑いかけた。
「ギー。帰ったらフロランスの歓迎会でもしようか」
「おっ、いいですねえ! 優秀な子でもすぐ別の部隊に行っちゃうってヴェロニックさんボヤいてましたからね、あの子のこと、せいぜいちゃんと捕まえておきましょうね。……あっ、その点あの子なら他の部署や他の組織に行く伝手もないでしょうし、簡単には家にも帰れないし、第五部隊に囲い込むにはもってこいですねえ!」
「……そういうつもりではないんだけれどネ」
「ふっふー、腕が鳴りますよお! 目利きの僕がせいぜい安くていい食材を手に入れてみせますからねえ!」
商家出身のギーはとたんにやる気になってウキウキと計画を立て始め、一人でぺらぺらと語っている。
グレゴワールはアランを慰めるフロランスの背中を見つめつつ、ぽつりと零した。
「太陽に嫌われた私が太陽を見つけるとはねェ」
***
アランはひとしきり落ち込んでいたが、鐘楼の鐘が鳴ったのにぴくっと反応してのろのろと立ち上がった。そろそろ朝の仕事が始まる時間だ。
「……悪い、フロランス。出立の日に……」
「ううん、私こそ余計なこと言ってしまった」
「カロルさん言ってたもんな。目を見開いてものを見よって。俺はそれができてなかったんだな」
はあ、とアランは大きなため息をついた。
母の好きだった言葉がアランの口から出てきたのが意外でフロランスは目を見開いた。だが考えてみれば、カロルは村の子にも道理を説くことがあり、フロランスもよくカロルから聞いた話をアランにしていたので覚えていてもおかしくはない。
「アラン、これからどうするの」
「とりあえずは仕事だな。それが終わったら……アリゼと、ヴァンサンさんと、話をしてみるよ」
「……うん。私もそばにいられたらよかったんだけど」
アランは首を横に振った。
「いいんだ。悪かったな、なんも知らないのに邪魔しちまって。いつ出立だ?」
「お昼前ごろ。ねえアラン、私の代わりにティエリのことよろしくね。アランもどうかティエリを頼って。あの子、閉じ込められた私を助けてくれたくらいなのよ。大人になった」
「おう、そうする。……たまには帰って来いよ、フロランス」
「うん。……行ってきます」
「行ってらっしゃい」
アランは元気がなかったが、それでもぎゅっとフロランスを抱きしめると笑顔を見せた。
***
屯所で荷造りを手伝っているとあっという間に出立の時間は訪れた。
グレゴワールに導かれてクレドーの馬車止めへ行くと、黒ローブを着た一人の少年が荷馬車の前で仁王立ちになっていた。彼はフロランスを見ると胸をそらして偉そうに言った。
「初めましてー。宮廷魔術師団青年組織所属、つまり魔術師見習い、ならびに将来の第五部隊部隊長! ギー・ブラッサンスです、どうぞよしなに。頼ってくれていいですよお」
「はじめまして、フロランスです。よろしくお願いしますね」
彼は背こそフロランスよりも高いが顔には幼さが残っている。表情は自信に満ちているものの嫌味な傲慢さはなく、明るく爽やかな雰囲気を持っていた。
(子供なら平気だわ。それにいい子みたい)
フロランスはほっとした。グレゴワールとともに王都へ帰る魔術師は若い男性だと聞いていたため少々気分が重かったのだ。
そうこうしている間にも王軍の兵士が数人、フロランスの鞄やグレゴワールたちの荷物、そして樽やら木箱やらを荷馬車に積み込んでいる。
ギーはぱっと明るい笑顔を浮かべた。
「いよいよですねえ。ほらフロランスさん、グレゴワールさんが呼んでますよお。ほらほら」
「あ、はいただいま」
手招きしていたグレゴワールは大きな馬に鞍をつけると、それに軽々飛び乗った。
「さあ、フロランス。手を伸ばして」
「……?」
「まさか歩いていくつもりかい?」
そのつもりだった。
「わっ、私……馬に乗れません」
「ウン、だから私と一緒に乗ろう。大丈夫だヨ」
フロランスはどうしようと青ざめた。が、進むほかない。
腹をくくってグレゴワールの手に手を重ね、馬のそばにあった木箱に乗る。身体をぐいと持ち上げられてフロランスは気がつけば横向けに馬の背に座っていた。
「私が身体を支えているから、右足をあげて馬にまたがるように……そうそう、上手。怖いかい?」
「少し」
初めて乗った馬の背は想像以上に高く不安定だった。高い場所は嫌いではないがこれで動くとなると振り落とされない自信がない。どうしても身体が硬くなってしまう。
「フロランス、お腹に腕を回しても?」
「は、はいっ」
「これでどうかな?」
グレゴワールの左腕がフロランスのお腹に回ると、背中と彼の身体がぴたりとくっついた。抱きしめられているようで恥ずかしいが今は安心感が上回る。
「ありがとうございます、これなら大丈夫です……もしかしてタイツってこのためですか?」
「ウン」
「……用意周到ですね」
「ふっふっふ、さっそくいちゃついてますねえ! これは土産話が増えるぞお」
ギーは自分の馬にひらりと飛び乗ったかと思えば冷やかしてきた。にやにやと笑うギーにフロランスはムッとしてみせたが、顔は勝手に赤くなった。
「こら、ギー。……よし、そっちもいいようだ。出発するヨ」
荷馬車の御者がヤァと声をあげて手綱を取ると、馬が動き出した。フロランスたちを乗せた馬もそれに続き、クレドーの大門を通る。
「どうぞお気をつけて、ルケルヴェのご加護がありますように。良い旅路を」
クレドーの門番が言う。
道の先にはよく知っている景色が広がっている。でも、この先になにがあるのかは知らない。
ふと、グレゴワールが馬の速度を落とした。
「フロランス! 行ってらっしゃい!」
「姉ちゃん、頑張れ!」
「手紙忘れないでね-!」
聞こえてきた声に振り返ると、門の前に見知った顔が並んでいた。ジョゼ、ボリー先生、修道女たち。ティエリ。それにアランの顔も見える。
フロランスは口を開いた。ここでは嫌なことがたくさんあったが、いいこともあった。
「ありがとう、みんな! 行ってきます!」
大きく叫び返すと、ジョゼやティエリが大きく手を振った。
「行くよ、フロランス。いいかい?」
「はい、ありがとうございます。行きましょう」
グレゴワールがかけ声をかけると馬は再び軽快に走り出した。
フロランスが横目で最後に見たクレドーはいつも通りの景色で、それはあっという間に見えなくなった。