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ネクロマンサーと太陽娘  作者: みつえだ西緒
第一章 藁頭のフロランス
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9.狡猾な先手

 翌朝、修道院の焼け跡で王都へ行くことにしたとフロランスが告げると、ボリーは満足げに笑って指を組んだ。


「よく決意しましたね。この先どうなるかは誰にもわかりません。けれどもトゥールへ行くという私たちの決断と同じように、あなたの決断もまた正しいものであると信じています」

「はい。本当にありがとうございました、ボリー先生。……私、お役に立てましたか?」

「もちろん。溜まっていた仕事がはかどっただけではない、あなたは働きぶりに刺激されて怠ける子が減ったのですよ」

「それって私のことじゃないですよね?」


 煤けた鐘を荷詰めしていたジョゼがおどけて言うと、修道女たちはみな弾けるように笑い出した。ボリーもフロランスも笑った。


「私が来る前のジョゼって怠け者だったの? 先輩ぶってたのに」

「新参者なら私の本性を知らないかと思って?」


 ウインクしてみせるジョゼにフロランスはまた笑った。笑いながら、少し涙が出た。ジョゼに抱きつくとジョゼはフロランスの背中を撫でた。


(ここへ来たばかりのころの私は、きっとどんより暗い顔ばかりしてただろうにね)


 ジョゼは修道院の仕事のやり方を全て教えてくれた。固くなっていたフロランスを導き、失敗して青ざめるフロランスを笑い飛ばしてくれた。

 フロランスの大事な友達。


「ジョゼ……ありがとう。今まで、いっぱい助けてくれて」

「うん。私もありがとう。あんたが修道院へ逃げてこなきゃならなかったのは悲劇だけど、でもフロランスと出会えてよかったわ。……寂しくなるわね」

「手紙、書くから。字は下手だけど」

「読めない手紙なんて送ってきたら怒るわよ。王都へ行く間に練習しなさい」

「うん、うん……、わかった」


 ぎゅっとジョゼと抱き合うと、修道女たちは仕事を放り投げてわっとフロランスを囲んだ。みんな、笑顔を浮かべたり涙ぐんだりしていた。

 寂しさ、悲しさ、別れを惜しんでもらえる嬉しさ。

 フロランスは胸が一杯になった。


「ちょっとフロランス、ジョゼだけじゃなくてみんなにも手紙書いてよね」

「王都に着いたらまず手紙よ、無事かどうか心配なんだから」

「王都の美味しい食べ物を送ってくれてもいいわよ!」

「ちょっとアンタなにちゃっかりフロランスに強請ってんのよ」


 また笑いが起きる。

 フロランスは泣きながら笑った。

 涙と笑いでもみくちゃになって、フロランスと修道女たちの別れの挨拶は終わった。



***



 グレゴワールが屯所の部屋で報告を書いていると、誰かの足音がしていきなり扉が開いた。


「ここにいたんですかー。おはようございます、まだ寝てるかと思って寝台全部探して回っちゃいましたよお」


 元気よく入ってきたのは自由な雰囲気を持った少年だった。彼は13歳ほどに見えたが、グレゴワールの黒ローブと似た光沢のあるそれを一人前に着ている。くせのある焦げ茶色の髪があちらこちらに向けて跳ねていた。

 グレゴワールはニタリと笑った。


「おはよう、ギー。人の部屋に入る時はノックをしなきゃだめだヨ」

「グレゴワールさんならノックなんてしなくてもわかるでしょ?」


 その少年、ギー・ブラッサンスはしゃあしゃあと言って下を指さした。


「お客さんが下に来てますよー。グレゴワールさんのマント持ってましたけど」

「フロランスだネ」

「いえ、違うみたいですー。ええと……フロランスの妹のアリゼと名乗ってました。可愛い感じで、ローアンヌ軍の若いクレドー駐在兵がこぞって口説いてましたよお」


 グレゴワールは机から顔をあげてギーを見た。


「なぜその子が?」

「僕も気になって聞いてみたんですけどお、なんでも姉だと失礼があるといけないから自分が持ってきたとかなんとか」

「他には?」

「姉は行けなくなったから自分が代わりに行くって言ってました。例の第五部隊(ドムル)の雑用係の話ですかねえ?」

「ふうん。わかった」


 グレゴワールは立ち上がってフードを目深に被り、さらに黒いマスクで鼻から下を覆った。

 土気色の肌や血の気のない唇は隠されたが、怪しさが五割増しになって魔界の使者か世界の破壊者かといった姿になる。

 だがギーは眉を少しあげただけだった。


「顔、隠さなくていいんじゃないですか」

「怖がらせちゃいけないからネ」

「フロランスさんとやらは大丈夫だったんでしょー? アリゼさんを連れて行くならいつか顔は見られますよお。あー、あの子がいれば護衛の士気は上がるかもですねえ」


 ギーは自分の言葉にうんうんと頷いた。


「近くの村まで出かけてくるヨ。アリゼ嬢のご両親に挨拶したいから」

「わざわざグレゴワールさんがですか? 僕が伝言持って行きますよ」

「ウーン、責任者としてお話した方がよさそうだからねエ」

「フロランスさんはどうするんですー?」

「フフ、どうにでもなるヨ」


 愉悦を含んだ言葉を残して、グレゴワールはウキウキと部屋から出て行った。



***



 昼前にフロランスがこっそり村へ戻ると、いつもと違って妙に空気が騒がしかった。自宅に忍び寄って聞き耳を立てると中から話し声がする。


(いつもなら畑で食事をしているのに……時間をずらしてもう一度出直そうかしら)


 フロランスが迷っているうちに戸口からティエリとエリーズが出てきた。二人はフロランスを見ると鬼気迫る様子で走り寄ってきた。


「姉ちゃん!!」

「うわっティエリ、どうしたの。わ、私はちょっと村に――」

「フロランスちゃあん、アリゼちゃん見なかった!?」


 いつもは淑やかなエリーズの大声にフロランスは驚いた。ただ事ではない。


「酒場かアランのとこでしょ。そうでなければクレドーのどこかに……」

「違うのよお! 酒場は突然辞めるって、それでいつもはアランちゃんのところへ行く時間なのに、来ないから心配してアランちゃんが……アリゼちゃんは美人さんだもの、もし攫われてたら、私……」

「少なくとも修道院にはいなかったわ」


 フロランスは顔を顰めた。

 アリゼは酒場にいないときは街のどこかをフラフラしていることが多く、容姿が目立つこともあって見つからないということはまずない。


「ティエリ、父さんは?」

「村のみんなのとこ。アリゼからなにか聞いてないか尋ねに行ったんだ」

「変ね。誰かは知ってそうなのに」


 そう言ってあたりを見渡したフロランスは視線を一点に止めた。そして徐々に青ざめる。


「……ねえ、ティエリ、継母さん。ここの干してあったマント、知らない?」


 確かに朝はまだ干したままになっていたグレゴワールのマントが忽然と消えていた。袖を縄に通していたから風で飛ばされたということは考えられない。

 ティエリは目を点にした。


「え、それ姉ちゃんが頼んだんじゃないの?」

「は?」

「朝、アリゼ義姉ちゃんが取り込んで畳んでるとこ見たよ」


 アリゼがグレゴワールのマントを畳んだ。目的は一つだ。


(……グレゴワールさんに会いに行った?)


 屯所はクレドーを囲む壁の中にある。アリゼの姿がクレドーで目撃されないのも屯所へ行ったからだと考えれば筋が通る。

 フロランスは叫んだ。


「屯所にいるんだわ!」

「えっ、なんで」

「魔術師様にご挨拶に行ったのかしら?」


 エリーズが首を傾げた、その時だった。


「母さん、フーシェ部隊長様が来て下さったの。ティエリ、継父さんを呼んできて」


 歌うような美しい声が響いた。

 村の入り口の方向から、満面の笑みを浮かべたアリゼが歩いてくる。アリゼは代官の息子から贈られた身頃のぴったりした美しい赤いドレスを着ていて、髪も手の込んだ結い方をしていた。いつもよりも一層美しく見える。

 その後ろには漆黒のローブの長身の男。アリゼと並ぶとまるで美しい姫君を拐かした魔物のように見えた。


(グレゴワールさん)


 顔がほとんど隠されていて隈の残る切れ長の目元しか見えないが間違いない。溢れ出す雰囲気が不気味だ。……黒ローブの輝きは神秘的だというのに。

 グレゴワールの暗い目は村の様子を観察しているようで、なにを考えているのかはよくわからない。

 アリゼはフロランスに困ったように微笑むと、そっとグレゴワールに身を寄せた。


(……また……?)


 フロランスは真っ白になった。

 グレゴワールは身体をすり寄せるアリゼを拒否するそぶりを見せない。むしろその目は穏やかに微笑んでいるように見えた。


(屯所で待ってるって、言ったのに、来たってことは)


 アリゼはおそらくマントの返却を口実にグレゴワールに会い、「フロランスの代わりに自分が王都へ行く、村へ来て両親や姉に説明してほしい」とでも頼んだのだろう。

 そしてグレゴワールは綺麗で魅力的なアリゼを見て翻意した。フロランスでなくてアリゼを王都へ連れて行こう、と。


 そう考えれば筋が通る。


(グレゴワールさんも……アリゼを選ぶのかな)


 ヴァンサンが、村の幼馴染みの若い男たちが、アランが、アリゼを選んだように。

 フロランスの全身から力が抜けていった。気を抜けば地面にへたり込んでしまいそうだった。


 エリーズは緊張して青ざめつつも膝を地面について挨拶をした。


「ようこそいらっしゃいませ、フーシェ部隊長様。アリゼの母のエリーズですわ。どうぞごゆっくり……さ、ティエリちゃんもご挨拶なさい」


 家族が挨拶するのが、どこか遠いところで起きているかのように思えた。アリゼは微笑みを浮かべてちらちらとフロランスを横目で見てくる。


「はっ、はじめまして! 弟のティエリです。父さん呼んでくるね」

「ねえアリゼちゃん、家だと狭すぎるわ。村役場で部屋を貸してもらったらどうかしら?」

「あら、いいわね母さん。そうしましょう」

「……なら借りてくるわ」


 フロランスは動揺を押し隠して、そっけなくきびすを返した。


「あっ義姉さん……無愛想でごめんなさいね、フーシェ部隊長様。ご迷惑もたくさんお掛けしてしまって……」


 後ろから聞こえるアリゼの声が突き刺さる。

 こういうときに選ばれるのはいつだってアリゼだった。相手が酷い人間か優しい人間かなど関係ない、フロランスとアリゼを比べてどちらに魅力があるかというだけの話だ。


 フロランスは重い身体を引きずるようにして村役場へ向かった。


「あ、あれが魔術師様……」

「やばいだろ、目を見るな! 頭伏せとけ」

「こ、怖い……」


 村の人々はあちらこちらで身体を寄せ合いながら、グレゴワールを遠巻きにしてびくびくしている。

 フロランスは野次馬の中に怯えた表情の村長を見つけ出した。


「村長。魔術師様をもてなしたいので村役場借りますね」


 フロランスの声には全く覇気がなかったが、村長はグレゴワールに怯えているようで素直にコクコクと頷いた。






 村役場の一室を借りてグレゴワールに上座の席を勧めると、アリゼは迷わずその隣に腰掛けた。心持ち椅子をグレゴワールに近づけている。


(……お粗末な結末ね)


 フロランスは手を握りしめた。

 夢を見てしまった分、それが壊れていくのがつらかった。今朝まで見ていた夢の終わりはあっけないものだった。


 グレゴワールはフロランスの家族をぐるりと見渡すとヴァンサンに目を止めた。ヴァンサンはグレゴワールに雰囲気に顔色を失っていたが、目が合ったのかビクッとして背筋を伸ばした。


「改めまして、私はグレゴワール・フーシェ。宮廷魔術師団所属の死霊術師にして、王軍の第五部隊隊長。うちの部隊は人手不足なもので、お嬢さんを頂きたくてネ。王都へ連れて行く許可をもらえないでしょうか?」

「は、はい! 娘をどうぞよろしくお願いいたします!」

「やったあ! 継父さん、ありがとう」

「アリゼちゃん……寂しくなるわね」


 フロランスの身体はすうっと冷えていった。


(なんでもないわ。いつも通りのことが繰り返されるだけ)


 必死に自分に言い聞かせる。

 いつものように、フロランスのものをアリゼが取っていっただけ。いつものように、両親はそれに賛成しただけ。


(なんでもない、なんでもない。それにアリゼが村からいなくなれば私だって楽になる。アリゼが王都に行くのはいいことよ、私にとっても)


 それなのに胸がずきずきと痛い。

 呼吸が苦しい。 

 

 エリーズが心底心配そうに尋ねている。


「あのう、娘の身の安全は保証されるんでしょうか……?」

「そうだな、うちの娘はこの通り美人ですから。妙なことに巻き込まれるんじゃないかと私も心配なんです、魔術師様」


 王都へ行くのがフロランスだったらまず聞けなかったであろう台詞が両親の口から次々と出てくる。


「ご心配いりませんヨ。私が守ります」

「まあ、嬉しい!」


 アリゼが顔を赤くして顔を綻ばせた。心底嬉しそうな顔だった。それが余計にフロランスの心を抉った。


(……私がもらった言葉だったのに)


 フロランスは瞬きをした。そうでもしないと涙が溢れそうだった。

 約束を反故にされたとはいえ、グレゴワールがフロランスを助けたのは事実だ。泣いて駄々をこねるような真似はしたくない。


「ああっ寂しくなるわね。お母さんつらいわ」

「そうだな。アリゼ、向こうに着いたら代筆屋に手紙を書いてもらいなさい」

「はい、母さん、継父さん」


 ヴァンサンがエリーズを抱きしめている。アリゼは目を赤くして涙を浮かべている。

 グレゴワールは優しい声で言う。


「頻繁には難しいですが、休みの日には帰省することもできますヨ」

「ありがとうございます、魔術師様。エリーズ、これは一人立ちなんだ。ほら涙を拭いて」

「そうね……でも突然すぎて」


 フロランスは完全に話の外に追いやられている。

 うつむいて目を強く瞑る。


(仕方ない。仕方ないのよ、フロランス)


 希望は潰えるものだ。前もそうだった。前の前もそうだった。今回もそうだ。ただそれだけ。


「私たちは明日、昼前にはクレドーを出立します。明日の朝、屯所へおいで。待ってるよ、フロランス」

「……えっ!?」


 アリゼが思わずといった風に叫んだ。 

 フロランスは顔を上げた。グレゴワールは目尻を和ませて真っ直ぐにフロランスを見ていた。

 アリゼは珍しく動揺を露わにしている。


「な、なっ……なん、なんで義姉さんが……」

「どういう意味だい?」

「わた、私を連れて行ってくれるんじゃ」

「ウーン、ごめんネ。私が連れて行くのはフロランスだから。ヴァンサンさん、ご許可感謝します。フロランスのことは大事にしますヨ」


 心臓がどくんと跳ねた。

 ぽかんとしているとグレゴワールが立ち上がってフロランスの側に歩み寄り、貴族の娘にするように優雅な仕草で手を取って立ち上がらせた。


「グレゴワールさん」

「なんだか今日は元気がないネ。寂しくなっちゃった?」

「いっ……いいえ。ありがとうございます。王都行き、楽しみです」

「フフ、楽しい旅にしようネ」 


 グレゴワールはするりとフロランスの頬を撫でた後、フロランスの右手を持ち上げて軽く口付けた。布越しではあったが、フロランスは赤くなった。

 それを見たアリゼは顔を赤くし、ついで青ざめた。


「では、失礼」


 グレゴワールは白くなって硬直するヴァンサンたちに軽く頭を下げ、なぜかティエリの肩をぽんと叩くと空気に溶け込むように村役場から出て行った。

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