ハチミツパイ
背中には硬い土の感触。見上げる空は快晴だ。
アルシュとの特訓はあの後二時間ほど続いたが、俺の木剣がアルシュに当たることは一度も無かった。
「...はぁ...疲れた...」
俺は心の声を漏らす。こんなにも体を動かしたのは久しぶりだ。身体のあちらこちらがが軋んでいるように感じる。
「お疲れ様〜」
アルシュが俺の顔を覗き込む。こんなに可愛い女の子に剣すら当てられないとは我ながら情けない。
「今日はこれで終わりってことで!お昼だからお腹すいちゃった〜」
「そっか、もう昼なのか...じゃあ俺は二番隊屯所に戻って...」
「何言ってるの?お昼ご飯一緒に食べるのよ?」
「いや、俺今、食欲無い...」
「いいから、はい立って!ついてくる!」
アルシュはスタスタ歩き出す。
俺は身体を起こして立ち上がる。
「ホントに自由人だな...」
愚痴を零しながら、彼女の金の髪を追いかけた。
アルシュを追って着いたのは小さな屋台だった。
「おじさん、いつもの2つね!」
アルシュが注文すると、店主と思しき人が二つ袋を取り出した。そして丸い何かを包み、アルシュに渡す。アルシュはそれを手に持って嬉しそうな顔をすると、
「早く食べよ!」
と、無邪気な笑顔でこちらを見上げるのだった。
屋台の近くのベンチに座り、袋を開ける。中に入っていたのは黄色いサクサクしたパイだった。
横を見るとアルシュがパクッとパイを齧ると、
「ん〜〜!」
とゆう恍惚の声を漏らした。
それを見ると流石にお腹も減ってくる。俺もアルシュに倣いパイを齧る。サクサクした生地と共にトロリと何かが口の中に入ってくる。それは上品な甘さで幸福な気持ちにしてくれる。これは...
「うまい!これってハチミツ?」
「そ!私のお気に入りのハチミツパイ!ホントに美味しいんだ〜」
アルシュは残りのパイを瞬く間に食べると、俺の方を見る。モノ欲しげな目で。
「ハルトくんの結構余ってるね〜」
「...はぁ、ほら半分やるよ」
俺はパイを半分に千切りアルシュに渡す。
「ありがとう〜!」
アルシュは今日一番の笑顔を見せた。
「ふぅ...ご馳走様」
「はぁ...美味しかった〜」
ハチミツパイを堪能した俺たちはベンチに座りのんびり過ごしていた。
「ハルトくん、屯所に戻るの?」
「そうだな、またサレルノに怒られるかもな」
「もしサレルノがいじめてきたら言ってね!弟子を守るのも師匠の役目!」
アルシュはフンス!と鼻を鳴らした。
「ははっ、ありがとうアルシュ。特訓は明日もするのか?」
「そうだね〜、ハルトくんの仕事の邪魔しちゃ悪いから朝早くからしようか」
「いつにする?」
「お!やる気だね〜。師匠嬉しいよ〜」
「まあ、やられっぱなしは嫌だからな」
「じゃあ明の四時にしようか、遅れたらお仕置きだからね!」
「分かったよ。じゃ、屯所に戻る。」
「ん、いってらっしゃい」
俺は屯所に向かって走り出した。
ハルトが屯所に行くのを見届けてから
「ホントに不思議な子だな、ハルトくん」
アルシュはパイが入っていた袋を丸めながらそう呟いた。
屯所に着いてまずはサレルノに叱られるんじゃないかとヒヤヒヤしたが、フィリアが事前に伝えておいてくれていたらしく、お咎めは無しだった。
その日の仕事は昼からの出勤のおかげでかなり遅くまで続いた。屯所でフィリアに会うことは無かった。
その夜、屋敷で俺は中庭に出ていた。夜風が気持ちよく、花の香りが微かにしていた。
俺は周りに人がいないことを確認し、あの猫を呼び出す。
「おい、モス」
「はいはーい」
モスがクリスタルから飛び出す。
「どうしたんだい?」
「威能の練習をしたいんだけど、教えてくれない?コツとかあれば助かる」
「あー、そうゆうこと。いいよ、じゃあまずは炎を出してみて」
俺は右手に力を込める。
ボンッとゆう破裂音と共に炎が吹き出す。
「お?ちょっと威力上がってる?」
「寿命を払ったお釣りみたいなものだね、けどまだ威力をあげることは出来るよ」
「マジ?」
「マジマジ、花たちが燃えると危ないから上に向かって打ってね」
俺は右手を空に向ける。
「まず手のひらの中心に意識を集中させる。本当に一点に集中してみて。」
俺は手のひらに意識を集中させる。円をどんどん手のひらの中心に縮めていくイメージ。
「もっと」
さらに縮める。
「もっと」
俺の意識を一点に集中させる。
「...今」
俺は一気に力を込める。
ゴオッとゆう爆音と共に火柱が上がる。
俺は火柱を手のひらから解き放つと、その場に座り込んだ。
「け、結構体力使うんだな...これ」
「まあ、まだ慣れてないからね。それにしても飲み込みが早くて驚いたよ。これなら上達するのも...」
そこまで言ってモスはクリスタルに戻る。
「?...どうしたんだ?」
「ハルト!」
後ろでフィリアの声がした。後ろを振り返ると私服姿のフィリアがいた。
「フィリア。どうしたんだ?」
「いきなり庭で火柱が上がるから慌ててきちゃった。びっくりしたんだから!」
どうやら俺の火柱はそんなに目立っていたらしい。
「ごめんごめん、次からは気をつけるよ。」
「ん、許します。...それでアルシュの事だけど...」
そうだった。まだアルシュのことを話していなかった。
「...えと...剣を教えてもらうことになった。」
「え!?アルシュに??」
「うん...気に入ったからって」
「本当にあの子は何考えてるか分からない...」
「俺もそう思う。」
「けど、教えてくれるって言うなら教わって損はないと思うわ。アルシュは剣技だけで言えば王国一だから」
「そうなのか!?」
道理であんなに強いわけだ...と、感心する。
「けど何度も言うけど無理はしないでね。」
「何度も言うけど大丈夫だよ」
「...ん、信じるわ。じゃあ私は部屋に戻るわね。ハルトも風邪ひかないように早く部屋に入ること」
「分かったよ、おやすみ」
「おやすみ、ハルト」
フィリアが屋敷の中に戻っていく。俺は星空を眺める。この夜空は前の世界と変わらないように思える。実際はどうか分からないが。
「へっくしゅ!...寒っ、部屋戻ろ」
俺は部屋に戻り暖かいベッドに包まることにした。そして眠気に揺られながら微睡む。
明日から始まる、新たな波乱も知らずに。