9 魔力の扉
「大丈夫だ」
「安心しなさい」
右に灰色のローブのラーラ先生。左に濃紺のローブのエリス先生。
さっきから二人は、あたしの両脇から同じセリフを何度も繰り返している。でも、二人がそれを繰り返せば繰り返すほど、あたしは不安になっていった。
だって!
二人とも、絶対にあたしと目を合わせないし!
笑顔は引きつってるし!
安心できる要素が一つもない!
二人とも大人なんだからさ。本気で安心させるつもりなら、もっと上手に嘘をついてよ!
ああ。行きたくない。
行きたくないよ~。
特別実習室での授業から三日経った放課後。
あたしは、二人の先生に連行されていた。向かう先は、トーマス先生の研究室だ。
魔法学園の敷地内には、研究棟と呼ばれる建物がある。いろんな分野の研究室がぎっちり詰め込まれている建物。研究室では、魔法学園の先生たちが、イズミエルでも最先端の魔法研究を行っているのだ。
魔法学園は五年制なんだけど、その上にはより高度な魔法の勉強……っていうか研究が出来る魔法学院っていうのがあって、優秀な生徒だけが学院に進むことが出来る。学院生たちは、必ずどこかの研究室に入って、専門的な魔法の研究やら実験をするのだそうだ。
トーマス先生の研究室は、二階の一番端にあった。
「入るぞー」
ゴンゴンと乱暴にノックをしてひと声かけると、ラーラ先生は返事も待たずにドアを開けた。そのまま遠慮なく、ずかずかと部屋の中に入っていく。あたしも、仕方なくその後に続いた。
部屋の中は、かなり広い。実習室と同じくらいあるかな?
入り口の近くに、六人掛けの大きな机と本棚なんかがまとまっていて、奥はプロテクトの魔法がかかった広い空間になっている。境目には、分厚いカーテン。今は全開になっているけど、実験を行う時にはカーテンを閉じるんだと思う。カーテンにも、プロテクトの魔法がかかっていた。爆発を伴うような実験にもバッチリ対応できるみたいです。
それは、頼もしい。頼もしいんだけど。
「やあ、いらっしゃい。じゃあ、まずは、話を聞かせてもらおうかな」
トーマス先生は机に浅く腰かけて、何やら分厚い本を読んでいた。深緑のローブから、痩せて骨ばった手が覗いている。背は普通くらいだけど、ひょろんとした体格でちょっと不健康そうに見える。くしゃくしゃの短い金髪。分厚い眼鏡。よく見ると、顔立ちは意外と整っているし、わりと童顔だ。普通にしていると、穏やかで真面目そうな学生に見えないこともない。
あくまで、普通にしていると、だけど。
トーマス先生は、顔を上げてあたしを見ると、眼鏡の奥の目をギラリと光らせた。
キラリ。じゃない。
ギラリ、だ。
あの目が良くないと思う。獲物を見つけた大蛇みたいな目。
ずっと、目隠しをしていてくれないかな。
子兎になった気持ちでコソコソとラーラ先生の背中に隠れようとしたけど、本来ならいい壁になってくれるはずのラーラ先生は、あたしを置いて先に進んでしまう。
あー! ちょっとー!
「トーマス。おまえ、向こうな。ミア、おまえはオレの隣だ」
「ここは、僕の研究室だぞ。どうして、おまえが仕切るんだ」
ラーラ先生は机に近づいてトーマス先生の肩を向こう側へ押しやると、一番端に腰を下ろし、隣の椅子の背を叩きながらあたしを振り返った。トーマス先生は舌打ちをしながらも、言われた通りに机の反対側に回り、向かいの真ん中の椅子に座る。
二人は実は、仲がいいんだろうか?
あたしも、ラーラ先生の指示通りにする。
ここまで来たらもう、早く終わらせて早く帰るしかない。
何も起きないうちに。
何が起きるのか、知らないけど。
せめて、どんな危険があるのか教えてくれれば、もっと心構えのしようもあるのになあ。
なんで、みんな目を逸らすばっかりで、肝心なところを教えてくれないんだろう?
右にラーラ先生。左にエリス先生。正面にはトーマス先生。
先生たちに取り囲まれて、椅子の上で小さく丸まる。
「あー。まあ、そんなに緊張するなって。大丈夫だから、な?」
それは、もう聞き飽きた。
背中を丸めて俯いたまま、無言を貫く。
「さて、ミア・サンダーレイン。君は一見、大して魔力を持っていないように見える。まあ、魔力を相手に悟られないようにするための魔法もあるが、君にはそうした術は掛かっていないはずだ。なのに、君は実力以上と思われる魔力を暴走させ、魔力水晶を爆発させた」
トーマス先生が空気を読まずに一方的に話し出したけど、おっしゃることはもっともなので、あたしは背中を丸めたまま頷いた。
水晶玉のことを持ち出されると、ひたすら縮こまるしかない。あたしが壊しちゃった水晶玉は、物凄くお高い品物らしいのだ。
でも、どうやら。水晶玉を壊したことを責めているわけではないみたいだった。
「この間の実習の時も、君は自分のキャパ以上の魔力をどこからか引き出していた。君は、その魔力をどこからどうやって引き出しているのか、把握しているのかい?」
「え? えーと、扉の向こうから?」
「扉!?」
ちゃんと普通に魔力についての話だったので、正直に答えると、トーマス先生は突然机の上に身を乗り出してきた。
身の危険を感じて、思わず後ろに下がる。背もたれがなかったら、椅子から転がり落ちてたかもしれない。
「扉の向こうから、か……」
「ふむ……」
扉の一言に反応したのは、トーマス先生だけじゃなかった。両隣に座っている先生二人も、顎に手を当てたり腕組みをしたりしながら何やら考え込み始めた。
あ、あれぇ?
どういうこと、なのかな? これ?
浮かびかけた疑問は、あっという間に消え去った。
「それで、その扉を、君はどの程度コントロールできるんだい?」
トーマス先生が、テーブルの上をヘビのようににじり寄ってくるのだ。
ひ、ひー!?
もっと普通に質問してください!
「コ、コントロール、は、ほとんど出来てないです。扉が勝手に開いて、勝手に魔力が流れ込んでくるっていうか。何とか流れてくる量を調節しようとはしてるんですけど、上手くいかなくて。んー、ドバーッてなって、爆発しちゃう、感じ?」
「扉の向こうがどこに繋がっているのかは?」
「え? わ、分かりませんー。魔法を使う時に、いつの間にか現れて、勝手に魔力が流れ込んできちゃうだけ、だし」
「ふうん」
ヘビがシュルシュルと引き上げていった。
ふ、ふー。良かった。食べられちゃうかと思った。
あたしは大きく息を吐いて、体から力を抜いた。
何やらぶつぶつ言っている声が聞こえてくるけど、怖いからなるべくトーマス先生の方は見ないようにした。
それで、えっと、何だっけ? さっき、何か大事なことを思いついたような……?
「…………扉、が、どうかしたんですか?」
そう。扉、だ。
なんで、先生たち、あんなに反応してたんだろ?
「うーん。実はなー、魔力の扉については、これまでエンプティ状態……つまり、空っぽになるまで魔力を使った時にしか、確認されていないんだ」
「今のところ学園で確認している事例は五件。いずれも、魔力を使い切った後に、自分の内部に扉や門のようなものが現れてそこから魔力が一気に流れ込んできたようだと供述している。扉の開閉や魔力の流れについては、ミアさん同様コントロールは出来ず、皆魔力を暴発させている」
ラーラ先生は顎を撫でまわし、エリス先生は腕組みをして、右の人差し指で左腕をトントンと叩いていた。
二人とも、あたしに説明しながらも、心は半分どこかへ飛んで行っているみたいだった。
えーと。もしかして。
「扉って、普通は滅多に現れないもの、何ですか?」
まあ、扉って言っても、本物の扉が現れたりするわけじゃなくて、そう言うイメージがするってだけなんだけど。
「今のところは、エンプティ状態以外での、扉の発現は確認されていない」
「まあ、魔力の発現元やその流れについては、まだあまり研究が進んでいないからな。実は無意識化でコントロールしている、という可能性もないではないが。少なくとも私は、そういった現象を感知したことはないな」
そ、そうだったんだ。みんなは上手く、扉の開け閉めをコントロールしているんだと思ってたけど、そもそも扉自体が現れたりしないのか。
知らなかった。
「扉について、僕ら以外に話したことは?」
「え? あ、おばあちゃん、だけです」
一人でぶつぶつ言ったり、不気味に笑っていたトーマス先生が、突然話に入ってきた。
「結構だ。もう少しはっきりしたことが分かるまでは、このことは誰にも話したりしないように。生徒にも、教師にもだ。何か話したいことがあれば、直接僕に……」
「あ、そういう時は、オレかエリス先生に相談するようになー。トーマス先生には、オレたちから繋ぎをとるからな」
「…………」
トーマス先生は不機嫌そうにラーラ先生を睨み付けたけど、舌打ち一つでそのことには納得したみたいだった。不承不承、って感じだけど。
二人の力関係が、よく分からない。
「じゃあ、とりあえず、実験に移ろうか。確認したいことがあるんだ」
トーマス先生が立ち上がって、背後にある広い実験空間? を振り返った。一度不気味に含み笑ってから、視線をあたしに向ける。
目を細め、楽しそうな笑みを浮かべながら、トーマス先生は言った。
言いやがりました。
「それじゃ、着ているものをすべて脱いで、全裸になってくれ」
考えるより先に立ちあがっていた。そのまま、出口へ全力疾走……しようとして出来なかった。ラーラ先生に両肩をガッチリ掴まれてしまったのだ。
に、逃げられない!?
「まあ、落ち着け。大丈夫、大丈夫だから、な?」
「は、離してくださいー! どこが大丈夫なんですかー!?」
動けないあたしは、必死に腕を振り回す。でも、体格が違いすぎるから、偶にあたしの腕がどこかに当たっても、ラーラ先生はビクともしなかった。
うわーん。離してよー!
「トーマス先生。ミア・サンダーレインの体に特殊な痣などがないことは、アヴリル様……こほん、アヴリル女史が確認済みだ」
「ふむ。だが、通常時には見当たらなくとも、魔法を使用した際に現れるという可能性が……」
「それについても、アヴリル女史が既に確認済みだ。特にそういった現象は起こらなかったそうだ」
お、おおお、おばあちゃん!?
いつの間に、そんなこと確認されてたの、あたし!?
「なるほど。特殊な痣や文様が魔力の扉に繋がる、というわけではないのか? ふーむ、だがせめて、自分の目で確認をしたいな」
「ダメに決まってるだろうが」
「もちろん、却下だ」
まったく悪びれないトーマス先生に、ラーラ先生とエリス先生が疲れたような深いため息をつく。否定する声に力がない。
そこはもう少し力強く否定して欲しいんですけど。
どうやら、男の人が女の人のお風呂を覗くときのようないやらしい気持ちで脱げと言っているわけではなさそうなのは分かったけど。
分かったけどさ。
だからって、どうかと思うよね!?
しかも、さも当然のように全裸を要求してくるってどういうことなの!?
もしかして、あたし。女の子だと思われてない、とか?
小さい子供と一緒にされてる?
言っておくけど!
13歳は、子供だけど子供じゃないからね!?