6 すべてはチョコミントのために
メニューは、チョコミント一色だった。
表紙の色が、ってことじゃない。
中身が、なのだ。
めくるめくチョコミントの世界、って感じ?
チョコミントスープ。チョコミントクッキー。チョコミントケーキ。マカロン。パイ。もちろん、アイスクリームもある。そして、全てのメニューにビターとスイートの二種類が用意されているのだ。スープ以外。
めにゅーには、イラストと簡単な説明が書き添えられているので、イメージもしやすかった。分かりやすい。親切。でも、これもやっぱり、スープ以外。
……チョコミントスープって、何?
お食事なの? デザートなの?
物凄く、気になる。でも、怖くて頼めない。
あたしたちは顔を寄せ合って、一つのメニューを覗き込んでいた。
あたしたちっていうのは、あたしとリョーコちゃんとトーリ君とレイス君の四人だ。
ここは、『喫茶 チョコミント』。
学園都市の中にある、裏通りを抜けた閑散とした通りにある、古い建物の喫茶店だ。
学園都市っていうのは、王都の外れにあるイズミエル王立魔法学園の周りをぐるりと囲んでいる商店街を含む一体の通称名だ。
坂道だらけで迷路みたいな商店街には、魔法使いによる魔法使いのためのお店がひしめき合っているのだ。魔法道具や魔法の触媒なんかを売っているお店だ。最近は、白と黒の可愛い雑貨が売っているお店(魔法は関係ない)なんかが増えているらしいけど。あとは、アイスクリームの屋台がやたらと一杯あって目の毒だ。
そうそう。入学祝いのあたしのローブも、ここで買ってもらったんだ。蜂蜜色の髪によく映える黄緑のローブは、あたしのお気に入りだ。
入学式の時は、講堂内に白と黒のローブばかりがひしめき合っていて、黄緑なんて変に目立っちゃうんじゃないかって心配したけど、幸いなことにあたしの入った星組は白黒率が低くて、あまり悪眼立ちしなくて済んだ。星組で一番、目立っているのは、白と黒の格子柄ローブだと思う。
それは、まあ、置いておいて。
なぜ、四人で喫茶店に来ているのかというと。
一人、カウンターに座って店のマスターと何やら話し込んでいるラーラ先生が、アイスクリームを奢ってくれると言ったからだ。
チョコミントの、アイスクリームを。
話は、数日前のお昼休みに遡る。
お昼はいつも、寮の食堂でお弁当を用意してくれる。食べる場所は自由。そのまま、教室で食べてもいいし、天気が良ければ、中庭で食べるのも気持ちがいい。
その日は、ラーラ先生が特別なデザートを用意したからと言って、クラスのみんなを中庭に連れ出した。丁度、お天気も良かったしね。
格子柄事件とかで、クラスの雰囲気が微妙だったから、気を使ったのかなと最初は思ったけど、今は違うような気がしてる。
あえて、追及はしないけど。
みんながお弁当を食べ終わると、先生はいそいそと、持ってきた大きな包みを解き出した。中からは、バスケットが出てくる。
果物かな? お菓子かな?
ワクワクしながら見守っていると、バスケットの蓋が開く。
バスケットには、銀色の箱が二つ納められていた。
あたしの胸は、最高に高まった。
銀色の箱は見たことがあるものだった。
もしや、もしや、あの箱の中身は。
あ、ああ……。
涎を垂らさんばかりに、もしかしたら垂れてたかもしれないけど、兎に角、あたしは食い入るように箱を見つめた。
先生が、体格と性格に似合わない厳かな指使いで、ゆっくりと一つずつ、銀の蓋を開けていく。
「うわぁ……」
箱の中から立ち上がる冷気に、あちこちからため息のような声が洩れる。
もちろん、あたしもうっとりとため息を洩らした。
あれこそは。
冷たくて甘い魅惑のお菓子。
アイスクリーム。
故郷の村では、お祭りのときだけ食べることを許される、おばあちゃんとお母さんの共同作品だった。クリームを冷やすには魔法が必要だけど、おばあちゃんは料理が得意じゃないから、共同作業になってしまうのだ。本当は、お祭りじゃなくても作ろうと思えば作れるんだけど、しょっちゅう強請られたら面倒くさいっておばあちゃんが言うので、お祭りのときだけの特別なお菓子っていうことになっていた。
あたしがちゃんと魔法を使えたら、いつでもアイスクリームが食べられるのに。
これについては、村で一番食いしん坊の女の子にも「材料がもったいないから、ミアは何もしなくていいから」って言われたからな。うん、確かに。アイスクリームの材料が爆発したら、あたしも悲しい。
ラーラ先生のアイスクリームは、二種類あった。
一つは、あたしが村でも食べたことがある、卵とミルクのアイスクリーム。色からして、多分そうだと思う。卵の黄身とミルクが混ざった、何とも言えない美味しそうな色。
もう一つは、少し白っぽいクリームに、薬草を煮出した汁を混ぜ込んだような色をしていた。その中に、茶色の粒々が混ざっている。
あ、あれは、あの粒々はもしや!?
王都でしか手に入らないという高級菓子、チョコレートではなかろうか!?
おばあちゃんが偶に王都へ行った時にお土産で買ってきてくれる、アイスクリームに並ぶ魅惑のお菓子だ。おばあちゃんがいなかったら、きっとその存在も名前も知らなかっただろう。ありがとう、おばあちゃん。
その魅惑のお菓子の競演が、今ここに。
ああ。こんな贅沢が許されるの?
ラーラ先生は食堂から借りてきたらしい小皿の上に、大きなスプーンでアイスクリームを掬っては、大雑把に盛り付けていく。
小皿が全員に行き渡ると、先生はニカっと笑った。
「定番の卵とミルクのアイスと、チョコミントのアイスだ。先生の手作りだが、味は保証するぜ。先生はな、教師になる前は、学園都市でチョコミントアイスの屋台をやってたんだぜ」
先生の微妙な情報を聞き流しながら、お許しが出たと判断して、みんなアイスクリームを頬張る。
ふ、ふわぁ!
こ、この、スッキリ爽やかな爽快感、ミントだ。本当にミントだ。
なるほど。チョコミント。確かに。
クリームの甘さは控えめだけど、それがチョコチップの甘さを引き立てている。
ミントは村にもいっぱい生えていて、よくお茶にして飲んでいたから、飲みなれた味なんだけど。その飲みなれたミントで作った魅惑のアイスクリームに、これまた魅惑のチョコレートを混ぜる。
チョコミント。
魅惑を越えた、究極のアイスクリームだよ、これは。
ああ。都会って素晴らしい。魔法学園、最高! ラーラ先生ありがとう!
人生に感謝しながらスプーンを動かしている内に、いつの間にかチョコミントのアイスはあたしのお腹の中に消えていた。
た、食べ終わってしまった。
しょんぼりしていると、スプーンを口にくわえたまま固まっているルシエルが目に入った。手元の小皿を見ると、チョコミントの方にだけ、掬った後がある。
あ。ルシエル、これ苦手なのか。
見かねたあたしは、まだ手つかずの卵のアイスクリームとルシエルのチョコミントを交換してあげることにした。
これはルシエルを見かねたからであって、決してあたしがもっとチョコミントを食べたかったとか、そういうわけじゃない。ないのだ。
「先生はな。一人でも多くの生徒にチョコミントの素晴らしさを伝えるために、魔法学園の教師になることを決めたんだよ」
ラーラ先生がしみじみとした口調で微妙なことを言い出したのは、みんなアイスクリームを食べ終わって、トーリ君とリョーコちゃんの指示のもと、小皿を回収している時のことだった。
みんな、一瞬だけ手を止めたけど、直ぐに何事もなかったかのように作業を再開する。
確かに、チョコミントには感動したし、教えてくれた先生には感謝してる。してるけど。
そのために、魔法学園の教師になるっていうのは、どうなんだろう?
先生の話は、そこで終わりじゃなかった。
「そこでだ。更なるチョコミントの啓蒙のために、次の休みに先生おススメのチョコミントが美味い店に連れて行ってやる。都合のつく奴は、先生に申し出てくれ。先生のおごりだぞ。遠慮しなくていいからな」
「あの店ですね」
「ああ。あの店だ」
どうやら、トーリ君も知っているお店のようだった。
二人はチョコミント仲間なのかもしれない。
まあ、そんなわけで。
チョコミントに興味があって、特に何の予定もない四人の生徒がこうして集まることになったのだ。
謎のチョコミントスープに挑戦しようかどうか、散々迷った末、やっぱりアイスクリームを頼むことにした。
アイスクリームだけは、ビターとスイートの他に、ビター&スイートっていう両方食べれちゃうお得なセットがあったので、それにした。
四人とも同じメニューになった。
うんうん。分かる。やっぱり、アイスクリームは特別だよね。
でも、誰もスープを頼まなかったのは、ちょっと残念。
ビターの方は、なんとチョコレートアイスだった。甘さは控えめだけど濃厚なチョコレートアイスの中に、ミントの葉の砂糖漬けを細かくしたものが入っている。
濃厚さの中に時折、感じる爽やかさと歯ざわり。
うーん。おいしいけど、あたしにはちょっと大人の味すぎるかな。
そして、大本命のスイートは、ラーラ先生が作ったのと同じタイプ。天国にいっちゃいそうなお味だった。
ラーラ先生のと比べて、うーん、どうかな? どっちがどうとか難しいことは分からないよ。どっちも美味しい。兎に角、あたしはこっちのスイートタイプのヤツが好き。お腹が壊れるくらい食べてみたいなあ。
「うーん、わたしはこっちのビターの方が好きかなぁ」
リョーコちゃんはビター派か。大人だな。
あ。レイス君も頷いてる。見た目は、スイートなのに。
レイス君は、何ていうか、神秘的な銀色の髪と菫色の瞳の、まるで妖精の女の子が間違って紛れ込んじゃったみたいな、そんな男の子なのだ。
そう。男の子。ちなみに、中身に女の子っぽいところは一切ない。普通に男の子だ。
「ミアは、スイートの方がお好みのようですね」
「そう言うトーリ君は、どっち派なの?」
「僕はもちろん、どちらも至高だと思っています」
トーリ君の眼鏡がキランと光った。ような気がした。
「しかし、チョコミントの素晴らしさが分かるとは、皆さんには素質がある。きっと、いずれは歴史に名を残す魔法使いになることでしょう。この僕が請け負います」
「え? うん。ありがと」
手放しで褒めてくれるトーリ君に、あたしたちは曖昧に笑って見せた。
だって、それ。何の根拠もないよね?
そもそも、トーリ君には魔法が使えないから、魔法のこととか分からないはずだし。
「はー、でも。こんなに美味しいものが食べれるなら、こっちで暮らすのもいいかも……」
満足のため息をつきながら、ついそう洩らすと、みんなは意外そうにあたしを見た。あ、トーリ君は目を輝かせてるけど。
「チョコミントに対する貴女の想い。しかと受け止めました」
「トーリは黙ってろ。ああ、こいつのことは気にしなくていい。チョコミントを愛する同志が増えたって、昨日から浮かれまくってたから」
「ふふ。一人前の魔法使いになって、村に帰るんじゃなかったの? …………一人前になれば、帰れるんだよね?」
リョーコちゃんはからかうように笑った後、ふと宙を見上げ、それから心配そうな顔であたしを見た。
す、鋭い。
目を逸らしたくなったけど、今更だから話しちゃうことにする。
「え、とね。村の人たちからは、都会の暮らしが気に入ったなら、無理して帰ってこないで、ずっとそっちで暮らしてもいいんだからな、って言われた。出来れば、そうして欲しいって感じだった」
「それは、つまり……」
「うん。分かってる……」
「そうか」
流石にトーリ君も顔を引きつらせている。
うん。分かってる。出来ればずっと、村へは帰ってきてほしくないって。そういう意味だって、あたしにだって分かってる。
あたしは心の中で顔を覆った。
うう。ぐすっ。
「能天気は能天気なりに、苦労しているんだな」
「もー! 能天気って、ひどいよ!」
レイス君がボソッと零す。ぶっきらぼうな物言いだけど、今はそれがありがたかった。
何となく、ちんやりしちゃったテーブルの雰囲気も元に戻ってきたし。
その後は、場を取り持とうとしてくれたのか、単に愛が暴走しただけなのか、トーリ君のチョコミント講座が始まって、帰る頃には話だけですっかりお腹いっぱいだった。
こんな感じで。
学園に入って初めてのあたしの休日は、大体、楽しく終わった。
チョコミントスープの謎だけを残して。