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運命に抗うその日まで  作者: 水素依音
第一章 届かぬ思い
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第一章5「迷い」

 ――その日以来、彼は頻繁にその村へと足を運んでいた。数日前、初めて外の世界へと飛び出した時のあの足取りの重さ――刑務所の球のようにあんなに重かったことがまるで夢のよう――。


「おにいちゃんっていつもあの町で何をしてるの?」


 シャルの膝の上に腰を下ろしながら純真無垢な少女は尋ねた。少女――ラズウェル・ヴァンプリルはすっかりシャルに懐いていた。

 辺りには像をはっきりと映し出すような光はない。あるとすれば月明かりのみ。シャルは彼らに気を遣い、ロウソクの火を灯さずにいた。それは月明かりよりも街灯よりも強く、美しい輝きようであった。


「うーん……何もしてない……かな?」


 彼の答えにラズウェルは意表をつかれたような表情をしてみせる。


「なにもしてないって……え?」

「何もしてないっていうよりも、"何もさせてもらえない"と言った方が適当かな? いつも家に閉じ込められた人生だったよ」

「そんな人生つまんないじゃん」


 顔を上げ、かわいそうな人を見るような冷めた目でシャルを見つめる。


「じゃあ家では何をしてるの?」


 少女の質問はまだ続く。


「うーん……本を読んでる、かな」

「その本の内容はどんなものなの?」


 目を輝かせながらまだまだ質問は続く。


「童話とか私書とか史籍とか……」

「どんな童話を読んでるの!」


 一層目を輝かせてさらに質問を続ける。

 子供は童話という二文字を聞くとこんなにも食いついてくるものなのだろうか、シャルは疑問に思いながらも答える。


「たぶんみんな知ってる話だと思うんだけど……」

「それが知りたいの!!」

「うーん…………」


 さすがのシャルもこの怒涛の勢いの質問数に圧倒されるほかなかった。周りには助けてくれる人などいなかった。肝心のプレードゥと来たら――

『そろそろ食料が少なくなったから村の者と狩りに出かけてくる。その間ラズウェルの事をよろしくな』

 と、言葉を遺して出掛けてしまったのだ。

 あのラズウェルと一緒に二人きりの状況にシャルは心を踊らせていた。



 始めは良かったのだ――始めは。



 二十八歳とはいえやはり子供――純粋で無垢で臆さないその精神に感服してしまう。まあそういうところもまた可愛いところではあるが――。


「ただいま。ちゃんといい子にしていたか?」


 男の声が家中に響き渡る。プレードゥが狩りから戻ってきたのだ。

 だが彼の顔を見るに、そこには些か覇気がなかった。シャルは狩りに失敗したのだろうと思う次第である。

 その時、プレードゥの大きな身体の後ろから少女が現れる。ラズウェルと同じ銀髪――美しさと可愛さを兼ね備えた風貌――しかし顕となったのは正面ではなく側面だけであった。顔もはっきりとは見ることが出来なかった。

 観察していると、少女は一直線に――シャルには一切興味を示すことなく少女の部屋であろうその場所に向かっていく。


 ラズウェルとは大違いだな、とシャルは頬杖をつきながら思った。


 ドアを開け部屋へと入る少女――ドアが閉まろうとした瞬間、少女の目がシャルを覗く。その目はラズウェルと同じ赤である――はずなのに、何故かその赤は見栄えが違った。

 ものを見下すような、冷酷で残忍で憎悪の入り交じった赤。


 シャルはその赤に恐怖を感じる。早くそのドアが閉まって欲しい気持ちが体中をめぐる。


 ドアは音を立てることなく、静かに閉まっていった。


「おかえりお父様!」


 ひょいっと小さな体がシャルの膝から落ちていく。その着地点は玄関にいる大男であった。

 ラズウェルはあの少女には気づかなかったらしい。

 プレードゥはラズウェルの頭を優しくなでながら——。


「一緒に留守番をしてくれて助かった。例を言う」


 シャルは正気を戻す


「え……ああ、お礼なんて必要ないさ。こっちも楽しい時間を過ごすことが出来たし」


 満面の作り笑いと虚言をついてみせる。シャルは些か心を読まれるか不安な次第であったが……。


 ――その時。


「あ――――――」


 ふと分厚い腕がシャルの胸に翳された。


 ――――まずい。非常にまずい状況。


「シャル……ラズウェルが済まなかったな」


 不安が的中してしまった。やはりこの男、侮れない――シャルは今一度肝に銘じる。


「い、いや……別に大丈夫だって! ラズウェルとたくさん話ができ……」

「一気に質問を吹っかけるとシャルが困ってしまうだろう。ラズウェルの悪いくせだぞ」


 ――話を最後まで聞け馬鹿野郎。


「ごめんね、おにいちゃん……」


 ――謝るな。逆にこっちが気不味くなってしまうだろ。


 この親子に翻弄されてしまうシャルであった。


 ――親子、か……。


 親子――シャルは唐突にその二文字の意味を考えてみる。

 親子とは一体なんなのだろうか――そもそも親子としての境遇を歩んできたのだろうか――親は子として見なしてきたのだろうか――子は親として認識できていたのだろうか――親子という存在自体、本当に必要なのだろうか――脳が破裂寸前にまで達する。

 シャルにとって彼らは、"あの人たち"は人形を意のままに操る"傀儡師"としか認識することしか出来なかった――否、認識せざるを得なかった。自身を何年もペット小屋に閉じ込め、外の世界に足を踏み入れることが出来たのもつい二年前――何をしても、何を語っても否定される世界が当たり前であるとばかり思い込んでいた。

 あの人たちは自身を愛しい我が子として思っていたのだろうか――かけがえのない存在と思ってくれていたのか――?


 ただの"物"としか考えていないのではないのか――?


 普通の人の元に生まれたかった。普通の生活を送りたかった。普通に育って、普通に遊んで、普通に恋をして、普通に――。

 何故あんな大きな存在の元で生まれてしまったのか? 何故あの町で生まれてしまったのか?


 何故人間として生まれてしまったのか?


 何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故――――?


 目の前で楽しそうに笑っている"親子"が羨ましい、妬ましい、憎い――悪感情だけが心の隙間を満たす。

 人間は醜い生き物――最初に出会った時の、プレードゥの言葉が蘇る。

 その言葉は事実そのものであったのかもしれない。

 現にシャルは、シャルの心は悪に満たされている。それは彼らの、あの楽しそうな表情を、姿を目の当たりにした瞬間――である。他人の幸を負で捉える。また逆に、不幸を正と捉える。まさに"それ"であった。


 ――こんな事で世界を変えることが出来るのか? 上っ面だけの夢なんじゃないのか?



 ――――俺は、一体何者なんだ?



「シャル?」

「おにいちゃん?」


 二つの声で我に返る。だがシャルの目は、瞳は未だに黒く染め上げられていたままであった。


「い、いや……何でもない……少し考え事をしていただけだ」


 その言葉にふと何を察したか――プレードゥはもう一度手を翳す。このときシャルは今までに感じたことのない抱擁感を覚える。ふと目には少量の塩水。

 なにかに安堵したのだろうか、または――シャルは異様な気持ちに苛まれていた。


「シャル……お前がそんなに弱い存在だったとは思わなかった。否、お前がこんなにも嘘をつくことが上手い人間だったとはな。私の目は、どうやら節穴だったようだ」


 その言葉に動揺する。

 プレードゥは続ける。


「あの時の決意はどうしたんだ。あの時の勇気はどうしたんだ。あの時の輝きはどこへ仕舞ったんだ……!!」


 徐々に声が荒くなる。その言葉の奥には哀しみや怒りといった感情が籠っている。


「確かに、私のこの能力はその場限りの心しか読むことは出来ない。それもほんの一瞬だけ」


 ――だが。

 プレードゥは先程の荒々しさとは裏腹に、言葉に静かにより力を入れる。


「だが、初めて他種族を信じてみようと思えた。初めて人間を信用してみたいと思えた。初めてお前と――"未来の英雄"と生を共にしたいと思えた」

「…………」


 "未来の英雄"は言葉を詰まらせる。

 さらにプレードゥは続ける。


「お前の両親のことは深くまではわからない。過去に何が起こっていたのかも詳しくは知ることが出来ない。だがお前がそんな弱気でどうする? そのようなことではお前の語る夢は達成するはずない。自分に自身を持て。お前ならきっと叶えることが出来る。私はそう信じている」


 満面の笑みを浮かべてみせる。その笑みはシャルの黒く染め上げられた心を白に塗り替えるようなものであった。


「でも……でも……」


 シャルの目に大量の塩水が溢れ出してくる。心のうちに秘めていたものを洗い流してくれる程の大量の塩水――。

 恨んでしまったことを、憎んでしまったことを許して欲しい、シャルは悔やみ、嘆く。

 顔には覇気が戻っており、プレードゥはその意に報いるように言葉を掛ける。


 手は翳してはいなかった。


「たとえ他の者がお前の敵になろうと、私はいつまでもお前の、シャルの味方だ」

「…………ッ!!」


 言葉が出ない。その代わりに小刻みに声が出る。涙もでる。

 傍らで一連の流れを見守っていた少女もシャルに言葉を投げかける。


「ラズウェルもおにいちゃんの味方だよ!! ずっとずーとっ!!」


 元気で無垢なその声に一層涙を流す。


「二人とも……本当にありがとう……」


 声を裏返しながら、顔を俯かせながら精一杯の感謝を伝える。一人は頭を撫で、一人は手を握りしめる。その優しさに涙は止まることは当分なかった。



  ♢ ♢ ♢



 彼らは村の外れにある深い、暗い森の中で獲物を追い求めていた。


「今回は標的が少ないようです……どうしましょう」

「仕方ない。数ヶ月は交代制で行こう」


 木陰でプレードゥと若い吸血鬼が会話をしていた。その内容からして決して朗報と言えるものではなかった。


 彼らの狩猟方法は至って普通の、落とし穴と縄を使っての原始的なものであった。弓矢は使うことは無い。彼らが追うものは――肉でもなく皮でもない――生き物の血液である。それゆえ一滴たりとも血液を無駄にはしたくないらしく、矢や刃物などの鋭利な物はあまり使いたくないらしい。

 それでも血液が足りない時のために生き物の肉片を口にするのだが、彼らは血液を体内に取り込まなければ真の力を発揮することができなく、また、長い年月血液を取り込まなければ幻聴や幻覚、最悪餓死してしまう。そのため彼らは月々で血液を取り込む交代制を取るのだ。


 月が西側に傾き始めた頃、プレードゥは呼びかける。


「そろそろ村へ帰ろう。家族が寂しく待っているだろうからな」


 その一声に皆帰宅の準備を始める。

 プレードゥもまた準備を始める。

 その時――。

 雲が月を覆い明かりが遮断され、風が木々の隙間を素早く吹き通ってプレードゥ全体を覆う。

 それと同時に彼の後ろに何者かの気配がした。気配は徐々にプレードゥに近づく。いつ攻撃されてもわからない状況下――だがプレードゥはその気配に対して反撃するような態度はとらなかった。

 その気配からは殺気などといった負の感情は感じられなかったのだ。


「お前も来ていたのか」


 プレードゥは声を掛ける。同時に、光を遮断していた雲が月の周りから姿を消し影の主が露になる。

 銀髪の、きっちり整えられた、模範のような体型の少女――。


「ドアを開けるタイミングで父様の"影"に潜みました。血液が少しばかり足りなく、大変ではありましたが……」


 少女は弓矢を手にしながら説明する。その弓矢は未だ眠れる獅子である。

 続けて――。


「先日の無礼は失礼しました……あの時は感情的になりすぎていました。ですが、やはり私には納得いきません。あの"人間"は必ず私達の害となります。もう一度お尋ねします……何故父様はあの"人間"を信用しきれるのですか」


 その日の二の舞にならないよう配慮しながらプレードゥに問う。

 プレードゥは静かに、西の空に浮かぶ月を見ながら答える。


「以前に伝えた通りだ。あの男は世界を変えてくれる。我ら吸血族の運命も変えてくれる男だ。あの男は――シャルは嘘をつくような奴では少なくとも無い。私は、私の命、運命を賭けたのだ。お前と同じように、私の気持ちは、意見は変わらない」


 それを聞き、少女は呆れたような顔をする。


「……答えになっていません」

「それはすまない」


 プレードゥは重く受け止めなかった。

 一方は肯の言葉を、他方は否の言葉を掛け合う。相反する意見ではまとまりがつくはずなど到底なかった。


 ――――気持ちとは変わりやすい――自分に印象的に残るような出来事が振りかかれば例えそれがどんなに正であっても負へと変換されてしまう、又はその逆と成りうるものである――――


 途端――近くの茂みから一頭の猪が飛び出す。二人はそれに気がつき、意識をそちらに向ける。


「何故狩りが終えてから出てくるのだ……」


 大きく溜め息をつき肩をがくりと落とす。それは彼の滅多に見せない弱気な部分である。


 彼の姿を見て、少女は絶好の機会と捉えていた。否、この時を待っていたのだ。

 彼が信念を曲げない事は薄々気づいていた少女は手にしている弓矢を使い、彼の気持ちを変える方法を考えていた。

 それは吸血族を猪と対比させる――というもの。

 猪に手元にある矢を放ち殺すことで、あたかも人間が吸血族を襲う場面を想像させるというものであった。

 少女には見せつけることしか余地がなかった。言葉で駄目なら行動で示すのが手っ取り早いのは理解していた。


 彼の弱気につけ込むのは少々否めなかったが、少女は実行に移す。

 弓を左手で支え腕を伸ばし、右手で矢を持ち弦にかけて思いっきり自分の肩ほどまで引き、鏃を猪に向ける。鋭利なものを使うとこのない"吸血族"が弓矢を構える行為は何を暗示しているのか、その時はまだ誰も知らない。否、知りたくなかった。

 その行動によって、眠れる獅子が起こされようとしていた。

 少女は冷酷に語り始める。


「父様、あの猪を私達吸血族と見なします。そして、この弓矢を人間と見なしましょう。弦ははち切れんばかりに引かれ、今にも矢が飛び出していきそうな状態にあります。この手を離せばあの猪目掛けて一直線に向かっていきます。私達吸血族は今後、あの猪と同じような運命を辿ることになるでしょう」


 言い終えるとすぐに右手を離し、矢を放つ。


 矢は――見事に的を射た。


 ふうと一つ溜め息をつき、そして少女は問う。


「父様は私達があの猪になっても良いと仰るのですね?」

「……………………」


 プレードゥはただの肉となったものを静観し、黙り込むしかなかった。


「喋りすぎました……帰りましょう。ラズウェルが待ってます」





 それ以上二人の間には言葉が交わされる事は無かった。

 その場ではただ、猪の残骸と血液とだけが会話を続けていた――。



  ♢ ♢ ♢



 街は静まり返り、昼の面影を無くしていた。

 その家では一人の女性が途中で目を覚まし、そのまま寝付けずにいた。


「早く眠りにつかないと顔が浮腫んじゃうじゃない……」


 深く溜め息をつき、そう独り言を述べる。

 彼女には偉大な夫と愛しき息子がいた。彼女は彼女自身幸せだ、裕福だと感じていた。彼女の夫であろう男もそうであろう。

 しかし、その息子だけはそんなことは思ってはいない――彼女は些か感づいていた。

 息子のために何が出来るか、何をしてやれるか、どうすれば幸せな時間を過ごしてくれるのだろうか――ごく普通の母親と同じ、息子を心配し、息子を愛する気持ちを持っている。その気持ちはやはりどの家庭でもごく普通の、当たり前のことである。


「あの子に幸せになってもらうためには、私たち親が頑張らないと……」


 独り言を静かに述べると続けて寝付けるように羊を数える。


 二十を過ぎたあたりでもう一度目を開ける。この方法は眠るどころか、脳が働いてしまうことに気付く。


「あの子の寝顔を見れば眠れるかな?」


 そう独り言をまた静かに述べるとその身を起こし、彼女の息子の部屋へと向かう。

 彼女ら親とその息子の部屋は別々の階にあった。


 ――身体は重い。

 横になっていたためか、少しばかりだる重い身体を手すりに掴まり、支えながら階段を降っていく。

 ――足取りは軽い。

 一階に着き、そのまま息子の部屋へと向かっていく。

 ――手は暖かい。

 ドアに差し掛かりドアノブを引く。


 どんな顔をして寝ているのかしら、胸を昂らせながらその部屋へと入っていく。


 ――そこにはベッドと灯りのついていない暗い照明しかなかった。


「………………シャル?」

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