第一章4「予感」
吸血鬼――否、"吸血族"には血を吸う能力を持つ者だけではなく、”他の何かを吸う能力を持つ者”もいるという。
そしてその何かによって吸血族という大きなくくりから、呼び名が細かく分かれてくるという。
例えば――血を吸うことで力を発動する"ヴァンプリル家"や生物の生命エネルギー――いわゆる”魂”を吸う"ネファリス家"など様々である。
「あとは……私達は強い光に弱いな。もし光を浴びてしまうと跡形もなく、塵のように消えてしまうな。まあ、ロウソクのような小さな光では消えぬが、少し躊躇ってしまう」
「それじゃあ、日中はどうしてるんだ? ずっと家に引きこもってるのか? 夜も光が無いと不便だろ?」
プレードゥは腕を組みながら首を横に振る。
「いいや。引きこもっているのは体には良くない。だから私達は傘やつばの広い帽子を被って外へ出るのだ。光を浴びると消えてしまう、とは言っても数分間全身にかからなければ問題は無いのだ。部分的に光が当たったとしても大した外傷には至らない」
こういうものだ、といいながら実物を渡してきた。
それは全面を深い黒で塗りつぶし、布生地の部分が少し丸みがかっている傘と麦藁で編んだものであろう帽子はやはり黒く塗りつぶされている。
「私達の目は暗いところでもはっきりとものを認識できるようになっている。光が無くとも生活は十分にできる」
「なるほどな……」
シャルは頬杖を付きながら上下に軽く振った。
プレードゥはシャルに吸血族のことを事細かく教えてくれた。シャルにとって彼の情報はとても貴重で新鮮なものであった。
シャルは質問を続ける。その多さは尋常ではなく、質問というよりも尋問のようであった。
「ところで、プレードゥの家族構成ってどんな感じなんだ? 独り身なの?」
その問いにプレードゥは少し顔を引き攣らせながらも答える。
その姿にシャルは先ほどの質問はしない方が良かったかなと少しばかり後悔した。
「三人暮らしだ。私と娘二人の――」
その答えにシャルは動揺する。
「と、いうことは……つまり……」
「そういうことだ。妻は六年前に……な」
重く冷たい、微妙な空気が漂い始める。なんとかしてこの空気を打開しなければならない使命がシャルに課せられた。打開策は――。
「じ、じゃあその二人の娘さんはプレードゥに似て美人なんだろうな……! 結構かっこいいし……!」
「私より妻に似ただろう。妻は私には勿体ないくらいだったからな」
撃沈――その言葉がよく似合う。打開策は悉く粉砕されてしまった。
シャルが困惑しているのを見るに堪えなくなったのか、プレードゥは優しい言葉を掛ける。
「別に気にしなくてもいい。もう六年も前のことだからな」
微笑みを見せつけ、安心させようとする。だがそれはシャルにとって逆に気を遣わせていることをプレードゥは気づくことはできなかった。
冷めた空気が辺りを完全に包み込んだと同時に、シャルの向いている方向にある扉がキキーという音を立てながらゆっくりと少し開いた。その隙間から綺麗な、長い銀髪が覗かせていた。銀髪が見えた位置はドアノブのあたりで、まだ幼い少女であることが予想できた。
「お、噂をすれば……」
プレードゥは体を捻り、扉の方へと向けた。同時に、隙間から銀髪だけでなく、顔も覗かせた。
「お前もこっちへ来い。この人間は大丈夫だから」
その言葉を掛けられると幼女は扉を全開にし、その小さな体を顕にする。
寝間着用のものだろう、襟が白く長袖の服と丈の長いスカートを身につけ、スカートの先の方には小さなリボンが縫い付けられており、色は全体的にピンクで整えられていた。
顔も申し分なく、誰が見ても可愛いと声を揃えるほどの容姿であった。
――だが、その体はすぐにプレードゥの座っている椅子に隠れ、縦半分以下の状態になり、その第一声は恐怖の混じったものであった。
「お父様、本当に大丈夫なの? また前みたいにならない?」
幼女は狼に狙われた子鹿のように怯え、震える。初めはそうなるに違いないとシャルとプレードゥは密かに予想していた。
「ああ平気だとも。現に父さんが平気にしているからな。安心しろ」
幼女の頭を撫でながら説得する。その時の幼女の顔は恐怖が混じりながらも安堵を覚えたような顔をしてみせる。
頃合を見計らって名前を伝える。
「俺はシャル・ヘカティール。よろしくね」
ニコッとした顔を見せつける。それに安心したのか幼女は体全体をもう一度顕にする。
「ほら、お前も自己紹介しな」
プレードゥの言葉に従い、小さな口がゆっくりと動き出す。
「わ、私の名前は……」
緊張からなのか、またはまだ恐怖しているからなのか、声量は小さく震え混じりであった。シャルとプレードゥは見守る。そして――。
「私の……名前は、ラ、ラズウェル……ラズウェル・ヴァンプリル……です……」
名前を告げるとすぐさま椅子の後に身を隠してしまった。彼女の目にはかすかに涙が溢れていた。
シャルは思った。
――この子、超絶可愛い。
彼ながら馬鹿であると思った。だが彼女の頑張りを讃える事の前にその思いが先を越してやってきたのだった。この思いをぶちまけたい気持ちを抑え、平然を装いながら、
「よろしくね、ラズウェルちゃん」
その声掛けに、ラズウェルはこくりと頷く。その行動もまたシャルにとって天使のようなものであった。
「自慢の娘だ。可愛いだろ?」
シャルは激しく首を何度も縦に振る。その勢いは二人をドン引かせる程のものであった。
「こいつは二番目なんだ。上がいるんだが、あの子は警戒心が強すぎてな。あまり人前に出ることは無いんだ」
頭を軽く掻き、溜め息をつきながら教えてくれた。
別に大丈夫だよと声を掛ける。
だがシャルはまたもや変な気持ちへとなる。
――ラズウェルちゃんに似てるか、それ以上に可愛いんだろうな。
全くもって馬鹿である。
「ところでラズウェルちゃんは何歳なの?」
この見た目からして十一歳位であろうと予想を立てる。だが本当の年齢を告げられた途端、シャルは動揺し、驚いた表情を浮かべることとなる。
「に、二十八歳……です」
唖然とするシャル。それを見て笑いを寸前で堪えるプレードゥ。
「ほ、本当に……? だとしたらプレードゥは何歳なんだよ」
「私は八十五歳だ」
またも唖然とする。遂に耐えられなくなったプレードゥは大きく口を開いて笑う。
「まあ寿命というものは種々によって異なるからな。いい事を知ることが出来たな」
「ああ……」
シャルは静かに頷く。今までの姿勢が嘘のように丸まっている姿を見てプレードゥはまたも大笑いする。それを傍らで見ているラズウェルもまた静かに微笑んだ。
♢ ♢ ♢
時間は有限である、それをシャルは皮肉に感じた。
楽しい時間はあっという間に終わりを迎えようとしていた。
「少し外が明るみを帯びてきたな。そろそろ帰った方がいいぞ」
「えー、まだお話したいのに……」
「楽しい時間は無限じゃないんだ。我慢しなさい」
駄々をこねるラズウェルをプレードゥが宥める。この数時間ですっかりシャルのことを気に入っていた。
「今日は本当にありがとう。色々と知ることができて満足できたよ」
身支度を整えながら感謝の言葉を伝える。
「私もお前に出逢えて本当に良かったと思っている。こちらこそ、例を言う」
「おにいちゃん! また遊びに来てね!!」
「ああ必ず!」
無邪気な少女と約束を交わす。このときシャルは自身が子供であった頃を思い出していた。こんな風に無垢な子供時代なんてなかった。こんな風に両親に対して同じようなことが出来ていたなら、出来ていたなら――。
「それじゃあ!」
持ち前の元気良さを呼び戻し、片腕を上げながら別れを告げる。
「またねーっ!!」
元気な幼女の声に見送られ、シャルは扉を元気よく開け、町への帰路へとついた。
彼は今までに感じたことのない幸福感に満たされていた。
だが――その幸福はそう長くは続かなかったのである。このとき三人は、否――"四人"はこれから起こる悲劇に誰も気づくことなく、知る由もなかったのある。
運命という名の神のいたずら、それはどうすることも出来ない、抗いようのないものであった――。
♢ ♢ ♢
少年が家を出ていった数分後、二人は少年のことを思い出し、語り合っていた。
一通り語り終えると、幼女は寝室へと向かい、男は依然として椅子に座っていた。その時、僅かな影から一人の少女が飛び出してきた。
あの少年と同じ位の身長の少女であった。幼女と同じように銀髪で、可愛い少女――。
少女は問う。
「あの人間は、本当に大丈夫なのですか?」
男は静かに答える。
「お前が"隠れ身"でずっと様子を伺っていたことは気づいていた。今までのことを見ていて分かっただろう。あいつだけは、シャルだけは信用できる人間だ」
男は断言した。だが少女は未だ信じ切ることはできなかった。
人間は信用できない存在。哀れな存在。人間にしてやられたあの屈辱、あの惨劇は忘れることのない、否、決して忘れてはならない記憶——。
なぜそこまであの人間を信用できているのか、彼女には全く理解の余地がない。
吸血族としてあるまじきことではないのか、彼女の心に疑念が宿る。
「お前は、何もわかっていない」
——わかっていないのはお父様のほうです。
「私はあの男に、私の人生を賭けてみたい。あの男がこれからどうやってこの世界を変えていくのか、見てみたいのだ」
「お父様の能力はその場限りの、ほんの数コマの、ほんの一瞬の気持ちしか読めないじゃないですか……なのに……なぜですか……?!」
——なぜそこまで本気になれるのですか。
あの男の夢なんか叶わない。叶うはずがない。運命はとっくに決まっている。変えることのできないもの。いくら足掻こうとしても無駄なこと。あの男の語るものはまやかしなもののはずなのに——。
————理解不能。
「お父様は……甘すぎるのです……」
この一言を言い放つと幼女とは別の扉を開け、中へ入っていく。その足取りは決して軽いものではなかった。
――少女の心には妙な蟠りだけが残された。