第一章2「勇気の宣言」
——雲一つ無く、月が美しく輝き照らしている。
シャルは不安と期待を胸に抱きながらその村へと向かっていった。
相変わらずシャルの村の入口の警護は甘く、まして夜の係にあたっている者は当然のように居眠りをこいている。こんなことが例のお偉いさんに知られたらこっぴどく怒られるだろう。
シャルにとって吸血鬼は理想の、そして憧れの存在であった。吸血鬼のその争いを好まない性格が、である。町の者たちは見習ってほしいものだ、とシャルは心の中で呼びかけていた。
村までは一㎞――とはいったもののその道のりは険しいものであった。急坂や曲がりくねった道が続き、外灯も一切なく、ただただ木々が重なり合っているものであった。深淵たる闇を照らすのに月明かりだけでは到底足らず、家の倉庫の中から盗んできた、三十cmほどしかない手持ちランプを掲げる。だが生命のように小さく、脆弱なる灯火はシャルの上半身を照らすだけで精一杯であった。手持ちはランプだけ。敵への対抗手段である武器は一つも持ってきてはいなかった。
もし、得体の知れない何かに襲われたら何も出来ずに俺の人生はあっけなく終わってしまうだろう、シャルは恐怖を感じつつも奇妙な、不敵な笑みを浮かべていた。
月が一番高い位置へと昇った頃、何事もなく、ついに吸血鬼の村へとたどり着いた。
シャルの前に広がる光景は不思議で、異国情緒漂うものであった。
水と砂を固めて、型枠を設置し、その中に流し込んで建築したものだろう、簡素ながらも丈夫そうな構造をしているのが見て取れる。それに触ってみると、レンガのようにザラザラとした感触がした。
シャルは生まれてこの方親の過保護な、占有的な育成のために町外への他出はさせられず、あの町の中だけでの生活であったため、レンガ造りの街並みしか見たことがなかった。初めての光景に心が新鮮に、そして躍り高鳴っていた。
だがシャルはあることが疑問になっていた。"誰かがいる気配"はする。しかし明かりがない――。周りにある光と言ったら手持ちのランプと月明かりだけ。シャルの幸甚は不気味さへと変わっていった。
しかし、何故だろう。シャルはこの村は危険だと勘付いているはずなのに、やはり好奇心というものだろう、奥へ奥へと巣に獲物を運ぶアリのように進んでいく。
進んでいく中である一つの家から灯りが窓の隙間から漏れていることに気がついた。それはとても弱く、今にも命が潰えそうな様子であった。シャルは隙間から覗き込む。中は至って普通であり、そして――誰もいなかった。家の中には、先ほど感じ取っていた気配は無かった。誰もいない家で人知れず蝋燭の火が灯っていることは奇妙であった。
シャルがその火に夢中になっているまさにその時、後ろから何か邪悪で、恐ろしく、殺気に満ちたオーラを発する"物体"がすぐ後ろに居るのに気がついた。
慌てて背後を振り向き、防御の体制をとる。
――が、もう遅かった。
重く、冷たく、大きい男の掌が既にシャルの肩に触れられていた。
その大きな手と腕で強引にシャルの身体は家の中へと押し飛ばされた。その勢いで蝋燭の火は完全に消え、辺りにはドシンと鈍い音が響く。それにより辺りには不気味な静寂が漂い始めた。
「貴様、人間だな……? 何故また我等の領域を犯す?」
その声は今にもシャルを殺すかのような、鋭利なものであった。
「違う……!! 俺はただ、自分の夢の実現のために――」
「貴様の夢とやらは我等吸血鬼を滅ぼすことか?」
「本当に違うんだ!!」
男の誤解を解くように、シャルは声を張り上げて訴える。しかしその努力は報われることはなかった。
「何が違うというのだ!! 貴様ら人間は嘘をつき、騙し、横取りをする、皮肉で貪欲の肉の塊であろうが!! 私はもううんざりなのだよ……。何もかも貴様ら人間に奪われこの様な場所へと追いやられた……」
男は先程の殺意ある声から静かで、悲しい声に変わった。だがその声はすぐに元のものへと戻る。
「だからもう騙されない。騙される前に生き血をすべて吸い上げて、貴様を醜い屍と化してやる!!」
この様な性格へと変わらせてしまったのは、俺達人間のせいなんだよな、シャルは深く反省していた。悔やまれる思いで胸が潰れる感覚がした。
だが、シャルは諦めなかった。
必ず、元の優しい"吸血鬼"へと戻してみせる、と――。
「本当に、俺達人間のせいでこの様な状態にさせて、すまなかった」
「何を今更……貴様ら人間は我等の痛みを知らぬくせに、のうのうとそのような事を抜かして……」
「あなた達吸血鬼の痛みは決して和らぐものではないと思う。でも、痛みは分かち合えると思っている。少なくとも俺はそう思っている。たとえ人間であろうと吸血鬼であろうと……」
だから――とシャルは勇気を振り絞って告げる。
「俺の夢は他種族との共存なんだ……ッ!!」