ヒロインの怖いもの
ヒロインは無邪気に嘲笑うようです。
追記/12/13
数箇所訂正しました。
追記/1/15
一部分を消去しました。
――ティルラ・ベーグマン。
ええ、そうよ。それが私の名前。
産まれは男爵令嬢だけど、勿論教養も勉学もそれなりに……いいえ、そこらの令嬢にも引けを取らない立ち振る舞いが出来ると豪語出来る。
ここだけの話。
私には不思議な記憶があるの。先見のような、予言のような。遠くて近い……はっきり言えないけれど、ともかく未来に起きる事柄を私は知っていた。この記憶を手に入れたのは幼い頃に木の上から落ちた時。その瞬間、私は別の誰かに私という存在を奪われそうになったわ。
勿論知らない誰かに自分が奪われるなんて冗談じゃないでしょう?だから私、必死で抵抗したの。それから三日三晩、私は高熱に魘されていたと母が教えてくれた。
――結果、私は勝利した。
知らない誰かに打ち勝ち、自分を取り戻して数日。私は段々とその記憶の全貌を理解した。
それはまるで夢物語。私が主人公のお話の中で、沢山の男性に囲まれて幸せそうに笑う……そんな私の姿があった。
その時私は、これはきっとありえるかもしれない未来だと気付いたの。
けれど、ただそれを待つだけではきっとその夢を掴み取る事は出来ない。そう考えた私は全てのことに努力した。元々、努力する事が好きだったから別に苦でも何でもなかった。
そうしたら私、それなりに良い成績を残していたみたい。まあ、殆ど狙っていたのだけれど。
兎も角私は記憶で見た国立の貴族学校に入学する事ができた……でも、現実が全て思い通りという訳にはいかない。記憶では空白の時間も沢山あって、そこで私が何をしていたのかも分からない。
あら、私がそこで諦めるかと思う?まさか!結果は分かっているのだからそれに伴う内容を満たせばいいのよ。勉学に励み、教養を学び、人に優しく、自分に厳しく。
そして――彼等の心を癒す。
それが私の役目。地位を勝ち取り、私の欲を満たす為の確かな行動。
記憶の中の私は確かに良い子だった。心から良い子だった。でもそれだけ。
彼女はただただ甘いだけの女。
けれど、私は違う。計算し、行動し、その時に合った行動をその場で考える。記憶の行動ばかりに沿っていては、何処かで綻びが生まれてしまうもの。仕方ないわよね?
***
それから現在。記憶通り、私はとある女子学生に階段から突き飛ばされた。3ヶ月前から突然始まった陰湿な虐めの決定的な証拠のためか、私の前には背を向けた第二王子のヨハンネス様、王都国軍団長子息ヴェンデルベルト様、最後に宰相子息のフランク様が皆揃って一人の少女を睨み付けていた。
藍色の髪色をした一見大人しそうな少女は、可哀想なぐらいかたかたと小刻みに震えていた。しかしその目は面白い程に挙動不審である。
「もう一度聞くぞ、エラ・ニコル」
「は……はい」
「君が此方の令嬢、ティルラ・ベーグマンを階段から突き落としたのは事実か」
「申し訳、ありません……その通りです……」
「何故そんな馬鹿なことをした! もしあの場を私達が通りがからなければ彼女は大怪我をしていたかもしれないなんだぞ!」
少女が項垂れる。
その顔は横から見ても青く、まるでこの世の終わりのようだとでも言わんばかりだ。本当に哀れな少女だ。私を落とさなければ、こんな目に合わずに済んだのというに……。
「まさか、これまでの彼女への侮辱も君の仕業か」
「ちが、違います……!」
「何が違う! 言ってみろ!」
もう、彼女の顔は青を通り越して真っ白になっている。ぱくぱくと金魚の様に口を動かしてはその先の言葉を音にすることも出来ずに狼狽えるばかり。ヨハンネス様方の怒りがそろそろピークに達しそうなので、助け舟と致しましょう。
「ヨハンネス様」
「っ、……ティルラ」
そんな痛ましそうな顔をしないでください。私にだって僅かばかり良心があるのですから。
彼等の前に立ち、エラと対面した私は比較的穏やかに微笑む事に努める。
「エラ様。エラ様はどうして私を落とそうとしたのですか?」
「それは……」
「……言いたくないのでしたら、それで構いません」
「ティルラ!?」
ヨハンネス様が驚いた声をあげましたが、今はそれよりこの話を終えてしまいましょう。
「貴女が違うというのならそれはきっと事実で、もしかしたら今回の階段の件も貴女の意思とは関係なく行わざるを得ない事情がお有りなのでしょう。
それならば仕方のない事です。私も、貴女も、同じ男爵令嬢という身分。
泣き寝入りする他ないのですから」
ちらりとヨハンネス様の顔を覗き見る。
ああ、そんなに顔を歪めては折角の顔も台無しだというのに……でも、私の為にそうしてくださるのだと思えば、本当に愛しいものですね。
「だから、今回の事を公にするつもりは毛頭御坐いません。
貴女様とも会わなかった……その方がきっとお互いにとってもいいことでしょう」
それでは御機嫌よう。最後ににこりと微笑み、彼女に背を向ける。何か言いたげなヨハンネス様方に大丈夫ですよ、と一言告げてその場を離れようとした時だった。
「――あ、の!」
エラが、声を上げた。
「私、……私、怖くて。あのお方に脅されて……!」
「あのお方、だと?」
「はい、あのお方……マルガレータ様に……!!」
ヨハンネス様の息を呑む声が此方にも伝わってきます。ですが、私はそれよりもその名を聞いた瞬間から口元に浮かびそうになる笑みを堪えるのにただただ必死だったのです。
***
「そうですか。どうやらうまくいったようで安心しましたよ」
かちり。
手元にあった銀時計の蓋を閉めながら傍に佇む藍色の少女を女は静かに見下ろす。視線の先にいる彼女も先刻の顔とは全く違う表情を見せていた。
「はい。ベーグマン男爵令嬢は私がマルガレータ様に指示されて動いたと言っただけで鵜呑みしてくれました。自分から落ちた事にも気付かずに」
「ええ、素晴らしい幻影魔術でしたね。本当にご苦労様です。
これで残すは学園最後の祝賀パーティーの茶番だけ。お嬢様も一安心する事でしょう」
「……本当に、」
藍色の少女が言葉を漏らす。
女は次の言葉を待ちながらも、まるでその意味を知っているかのような顔をしていたが少女は視線を彷徨わせていたために気づく事もない。
「本当に、これでよろしいのでしょうか。
確かにマルガレータ様の趣向は殿下の意にそぐわないかもしれません。
あの男爵令嬢もかなりの切れ者、王妃の座についたとしても可笑しくありませんが……それでも、あれはただ自分の事しか考えておりません。マルガレータ様程、この国の国母に相応しいお方はおられないでしょう。
アン……いえ、ニア様。せめて一度でも殿下に相談なり何なりした方が……」
「エラ。貴女はあの男爵令嬢と一緒にいた殿下の顔を見ましたか?」
漸く名を呼ばれた少女は顔を上げる。その視線の先にあった女、ニアはまるで能面のような顔をしていた。エラはぞくりと背筋が凍りつくのがわかった。
ああ、この方が本気で怒るのは久しく感じる。だが、一体何にそれ程怒っているのか?
「……いえ。 男爵令嬢の顔を盗み見るだけに精一杯で気にも止めておりませんでした」
「精進が足りませんね」
「……申し訳御座いません」
静々と頭を下げるエラの頭上から小さな溜息が聞こえたが、それも一瞬の事だった。
「殿下は既にお嬢様など眼中にございません。あの女――失礼、あの男爵令嬢に骨の髄まで堕ちてしまっているのですから」
「それでは……」
「ええ、陛下の意向通り彼に継承権が与えられる事はないでしょう。殿下もそれを承知の筈。
故に何としてでも男爵令嬢を正妃として迎え入れようともう3ヶ月も前から行動を起こしているのです。
有りもしない証拠を集め、証言を集め――ただひとえに、お嬢様との婚約を破棄を円滑に進める為に。……自分が正義だと見せつける為に」
少女は目を見開く。ニアの言う事が事実であれば、自分や他の内通者が行動を起こすよりももっと早く事は起きていた。エラ達がしていたのはその後押しに過ぎないのだ。
そこで漸く、殿下の愚かさに気づいてしまう。政略よりも己の恋愛感情を優先し、挙句には己の壁となる者なら排除しようとするその腐った性根に。
「……それを、マルガレータ様は」
「勿論承知の上です。そうして、敢えて悪役を演じているのですよ、お嬢様は」
「何故!」
「貴女も言ったでしょう。お嬢様の趣向は殿下の意にそぐわない。即ちこの国の貴族にも容認されないもの。
それも公爵令嬢ともあろうお方である限り口にすることすら許されない趣向……ならばこの計画を利用する他、お嬢様の夢を叶える手立ては無いのです」
「――――っ!」
彼女の顔色はこの薄暗い小屋の中ではよく分からない。ただ、僅かに口角がつり上がっているのがエラの目にも見て取れた。
……ニアは、マルガレータの幸せを誰よりも願い、理解し、そして彼女の幸福を心から楽しんでいる。まるで自分の事のように。それ程までにマルガレータはこの方の心の支えとなっているのだろう。
「茶番が終わった後、あの殿下はお嬢様に処罰を与える事でしょう。第三都市、いいえ、せめて第二都市の兵士宿舎での女中を言い渡すかと思われます。
その為に以前からお嬢様はあれを怖がる様子、素振りを見せていたのですから最後くらい間違えないでいただきたいものです」
「ニア様。……ニア様は、お嬢様の処罰が決まった後、どうなさるおつもりですか?また陰として王都国軍に戻られるのでしょうか」
「……分かっておりませんね、エラ」
微笑んだニアに、エラの頬にたらりと冷や汗が流れる。ニアが微笑むのは、二度と馬鹿な質問をしないようにと釘をさす時のみ。
「私はマルガレータ=ロイス様に幼少の頃より付き従うお付きのメイド、ニア。つまるところ、ただのニアです。もし彼に言われたのであれば、あの堅物団長にも言っておきなさい。生涯戻るつもりは無いと」
「……はっ、畏まりました」
エラの返事を待つ事なく、ニアはその場から瞬く間に姿を消す。後に残るは風に吹かれる古びた小屋と取り残された少女のみ。
ふと、空を見る。マルガレータと同じ赤味の橙が徐々にあのティルラに良く似た闇に喰われていくような空だ。けれども、エラは知っている。
夕焼けが夜に喰われるのなら、夜もまた朝焼けに飲み込まれるという事を。
「私が愛されすぎて怖いわ!」
ティルラ・ベーグマン
転生ヒロインに乗っ取られかけたけど勝利した計算高い腹黒ヒロイン。記憶を手に入れたせいか本来なら持っていたであろう心根の優しさを無くした。
兎に角マルガレータと同じように欲に忠実で、少しでも確証があれば手に入れる努力を惜しまない。
マルガレータが悪役を被ったのも頭のいい彼女なら少しはあのバカ王子を任せられるだろうと考えたから。
エラ・ニコル
悪役令嬢の取り巻き――は、あくまで表向き。
裏の顔は王都国軍に属する陰と呼ばれる組織の一員。
王都国軍副団長及び陰の指揮官であったニアの指示の元、ティルラ達に嘘の証言をした。
ニアもマルガレータも大好き。
ニア
アン……。今回本名が出かかったお付きのメイド。
やっぱり最強。メイド恐るべし。