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花の影を慕いて  作者: 深森
第一章 ミステリー・クロス
9/92

ゴールドベリ邸…緑の森の魔女

アシュコート伯爵領の辺境に位置する荘園の、更にその端に、こんもりとした緑の森が広がっている。


森の入り口の村の中、朝も早い時間帯から、小道を行ったり来たりしている一人乗り軽装馬車があった。


馬車に乗っているのは、弁護士カーター氏だ。カーター氏は困惑した様子で、地図を広げて何度も確認している。


「確か、この辺りの筈だが……道に迷ったのだろうか……」


暫くグルグルしているうちに、カーター氏は、森の小道の脇に木こりの作業場を見い出した。カーター氏は、数人の木こりが作業をしているのを確認し、木こりたちに、ゴールドベリ邸への道を尋ねたのであった。


「道をお尋ねしたいのですが」


「おお? ああ? 何処へ行きなさる?」


「ゴールドベリ邸へ」


「おお、ああ、『魔女の隠れ家』ね」


木こりは斧を下ろすと、汗をぬぐって何度も首を振り、訳知り顔でボヤいた。


「初めての人は迷うんだよねぇ。この辺になると、緑の迷路だから」


出荷する材木を荷車で運んでいた別の木こりと、斧を手入れしていたもう一人の木こりが、口々に喋り出した。


「そう! 何せ、そこの女主人が魔女様でさ」


「元・貴族の令嬢のヒーラー様だよ! 男やもめの伯爵様から求婚されてるお方だよ!」


最初の木こりは、ブツブツとボヤいている。


「参ったなあ、今はちょっと忙しいんだ……」


口の良く回る二人の木こりの方は、そのボヤキにも、合いの手を入れ始めた。


「いやいや、運良く、もうじき魔女の手下が通る頃だ」


「またまた、お前は!」


そうしている間にも、小道の向こうから、一頭立ての簡素な荷馬車が現れて来た。近所の教会の早朝バザーで出されたと思しき幾つかの風呂敷包みの他、朝市の定番商品である新鮮な野菜や果物を入れたカゴが積まれているのが見える。


「ホーラ、来た!」


「時間は正確だぁ~」


「おお、ああ」


木こりたちはてんでに荷馬車を指差し、カーター氏の注意を引いた。次いで、口こそかしましいが親切な木こりたちは、カーター氏を伴って小道の真ん中に出て行き、荷馬車を呼び止めた。


「おお、ああ、教会帰りだろ……二人とも」


「こちらの紳士が、レディ・オリヴィアをお訪ねでな」


荷馬車は止まり、麦わら帽子を被った二つの頭が振り向いた。


「レディ・オリヴィアをお訪ねですか?」


御者席の上から聞こえて来たのは、妙齢の女性の声。


カーター氏は驚き、麦わら帽子を被った二人の男装の乗り手を、改めて見直した。


金髪緑眼の目の覚めるような美女。もう一人は色合いが地味ではあるものの、妖精のような繊細な面差しをした小柄な女性。姉妹のようにも見える。


カーター氏が呆然と眺めていると、金髪緑眼の美女がパッと気付いた顔になり、口を開いた。


「確か今日は、お客様がいらっしゃるかもと聞いておりました。ご案内いたします。ゴールドベリ邸は、わき道を二つ外れた泉のほとりです」


「私が来るのを知っていたと?」


「朝からレディは、お客様をお待ちでした」


金髪の美女は満面の笑みで答えた。カーター氏は驚き覚めやらぬ顔のままである。


後ろで、このやりとりに聞き耳を立てていた木こりたちは、早速、楽しげに論争を始めていた。


「それ見ろ! あそこの家の女主人は絶対、魔女なんだぜ」


「バカだね! ヒーラーなら、不思議な力もあるじゃろ!」


カーター氏は二人の妙齢の女性を改めて見比べて、思案顔になった。


「もしかして、あなたがルシール・ライトでしょうか?」


最初に問われた金髪の美女――アンジェラは「いえ」と首を振り、濃い茶色の髪をした隣の女性の方を指し示した。


「私はアンジェラ・スミスです……ルシールは、こちらです」


「そうでしたか……これは失礼を。アイリス嬢は金髪でしたので、ツイ間違いを……」


カーター氏は胸に手を当てて、丁重に一礼した。


*****


……ルシールは多くの驚きと疑問を込めて、50代半ばかと思われるブラウンの髪と目をした中肉中背の紳士――カーター氏を見つめた。


この見知らぬ紳士が口にしたのは、今は既に亡き母親の名前なのだ。


「母をご存知で……?」


「いえ……、報告書にあった、人物特徴の記録だけですが……」


*****


この時、カーター氏は、交渉の経験も数多有るベテラン弁護士にしては珍しい事であったが、驚きの余り、それ以上の器用な言い回しが思い付かない状態だった。


わずかなやり取りではあったが、経験豊かなカーター氏の目と耳は、驚くべき事実を捉えていたのだ。


アンジェラとルシールの荷物の中には、数冊程度ではあるが、近所の教会の図書館から貸し出されたと思しき、相応の古典や学術書が含まれていた――そこには既に、お手製の物らしき可愛らしい数枚の栞が挟まれていた。


そしてアンジェラとルシールは、いささか古風ではあるものの、今すぐに宮廷に出してもおかしくない程の正統派の貴婦人の所作と発音を、自然に使いこなしていたのである。


*****


『魔女の隠れ家』とも噂されているゴールドベリ邸。


実際に到着して眺めてみると、閑雅な雰囲気のある二階建ての民家だ。


ひとつ前の時代に廃れたと思しき、古風な別荘タイプの建築物ではあったが、若い娘が二人同居しているからなのか、今風の華やかな雰囲気が色づいている。


やがて、ゴールドベリ邸の応接間で、女主人と訪問客カーター氏との会見が始まった。


応接間にある大きな窓には、緑濃い葉影が揺れている。その前に置かれた主人用ソファに、女主人は、杖を携えつつ座っていた。


彩度を抑えた淡緑色のシンプルなドレスに均整の取れた細身の体格を包み、黒いショールをまとっている。背筋をスッと伸ばした、端正にして堂々とした着座姿には、女王もうらやむ程の風格があった。


静かな気品を湛えた女主人は、訪問客を一目見るなり、『魔女』という噂のタネにもなっている、不思議な勘の良さを発揮した。


「ジャスパー判事と、最近しきりに連絡を取っていた方ですね」


冴え冴えとした張りのある上品な声は、魔女とも噂されるところの女主人が、明らかに上流貴族の出である事を暗示している。アンジェラとルシールに、高い教養を伴う正統派のレディ教育を施したのが、この不思議な貴婦人である事は、目にも明らかだった。


「私が、オリヴィア・ゴールドベリです。脚を悪くしているので、座ったままで失礼いたしますわね」


ゴールドベリ邸の女主人――既に齢60を越えると言うレディ・オリヴィアは、確かに相応に年老いてはいたものの、その面差しは、若かりし時の目の覚めるような美貌がまざまざとうかがえるものであった。アンジェラとの血縁なのであろう、白髪混ざりの金髪の輝き、そして宝石のような緑の目――


カーター氏は心からの敬意を込め、丁重に一礼した。


「こちらこそ不意の訪問で、大変お騒がせ致します。クロフォード伯爵領で弁護士をしております、カーターと申します」


「ルシール・ライトに関する案件ですね」


冴え冴えとした声で返って来た、それは、質問では無く確認であった。


「お察しの如く」


「本日は、ようこそおいで下さいました、カーター氏。どうぞ、そちらにお掛けになって」


カーター氏は再び一礼すると、女主人の勧めに従って椅子に座り、用件の内容について説明を始めたのであった。


*****


説明が一段落し、オリヴィアは深い溜息をついた。


「成る程……、ついにこの日が……という感慨がございますわ。役所の取り違えに気付いて修正報告を出したのは私ですが、役所の怠慢で20年以上、放置されていた……と言う訳ですね」


カーター氏は律儀にうなづいた。


「何故、取り違えが起きたのか、良く分からんのです。心当たりがあれば、お聞かせ頂けますか?」


「取り違えられたのは、アンジェラの母親とルシールの母親です。そして、アンジェラの出生記載が、同じく役所の処理ミスにより、月をまたいで遅延していました……お分かりですか?」


「正直、あまりピンと来ないのですが」


「妊娠出産に関わる数字に強くないと、分かりにくい領域ですね。簡単に言えば、その時、一方は既に出産していて、一方はまだ妊娠中だったという事実を含めて理解する必要があるのです。誤記されてしまった数字が及ぼした、数々の影響も含めて……後ほど、詳しく説明しましょう」


二人は、いったんお茶を一服し、区切りを入れた。オリヴィアの説明が再開する。


「二人の子は六ヶ月しか違いません。母親は二人とも、見事な金髪を持っていました。偶然とは言え、起きるべくして起きた事態だと言えますわね」


オリヴィアは、いっそう思案深げな顔になっている。


「あれは雪の中の馬車事故でした。偶然、同じ乗合馬車に、アンジェラの両親とルシールの母親が、他の乗客たちと共に乗り合わせていました」


「25年前の二月、連日の大雪の頃ですね」


「ええ。その乗合馬車の行き先は、峠から連なる山岳地帯の狩猟場のひとつでした。貴族たちや豪族たちの狩猟場があちこちにあるのは、ご存じですね」


カーター氏は訳知り顔で相槌を返した。


「確かに。あの山岳地帯には、クロフォード伯爵家が所有する狩猟場もございます。全国に名高い狩猟の名所。冬季の狩猟シーズンには雪道仕様の馬車が走る……」


「山岳地帯の各所の狩猟場を結ぶ道は狭く、崖がすぐ傍まで迫っているカーブが多いのも、ご存知ですわね。事故現場は、そういう場所のひとつでした。その乗合馬車は、予期せぬ強い風雪に翻弄され、スリップを起こし、岩だらけの崖の下へ……」


オリヴィアの声がわずかに震えた。説明が途切れる。


見ると、オリヴィアは苦悩の表情になり、顔を伏せていたのだった。


カーター氏は、無言で次の言葉を待ち受けた。


「……アンジェラの母親は即死し、父親は大怪我を。乗客の半分が死亡した事故でしたが、ルシールの母親は軽傷で済みました。肋骨が数本折れただけだったので、お腹のルシールにも影響は無かったのです」


一息ついたオリヴィアは、ふと何かに気付いたように目をしばたたき、カーター氏を見直した。


「そう言えば……そちらで妊娠二カ月と認識しているのは、修正する前の、古い方の記録によりますね?」


「……まさに、お察しのとおりでございます」


「ルシールの母親は事故当時、既に妊娠六カ月でした。ストレスや疲労で、お腹のルシールの発育も遅れていたため、お腹が目立たなかった。妊娠二カ月と誤診したのは経験の浅い医者ですが、これも、アンジェラ出生記録の遅延ミスが原因ですから、致し方ない所ですね」


オリヴィアは、ルシールの母親との関係についても説明した。


「アンジェラの母セーラ・スミスは、私の付き添いを務めていたので、セーラ急死に伴い、ライト夫人を後任に雇っていたのです。アンジェラの父親の事情が問題になって、アンジェラを育てる保母も必要でしたし」


「成る程……」


カーター氏はひとつ相槌をした後、不意に疑問顔になる。


「しかし、それでは何故にアイリス嬢……ライト夫人は、自分で連絡をして来なかったのか……?」


オリヴィアは小首を傾げて暫し考えていたが、やがて女性の観点からの答えを示した。


「ライト夫人は口が堅い人でした。推察ですが、妊娠したのが理由でしょう。冬の嵐の中を一人旅ですよ……余程の訳があった筈です」


それはそうだ――カーター氏はハッとしていた。


アイリス・ライトは、いきなり蒸発するという形で一人旅に出たのだ。まして、妊娠六ヶ月という身重の身体で。良家の娘とは思えぬ程の、不自然な行動だ。


だが、妊娠していたのなら、夫か恋人に相当する相手が居た筈だ。カーター氏は真剣な面持ちになった。


「アイリス・ライトのご夫君は?」


「それは、私も知りません。アイリス・ライトは此処に来た時、既に『ライト夫人』でした。正式な結婚証書が実在するのは確かですが、何処の教会に提出したものやら……カーター氏なら探せるかも知れませんね?」


「え、はあ……鋭意、努力を尽くす所存ですが……牧師の守秘義務も考慮するとなると……これは一体、どこから手を付ければ……」


カーター氏は律儀に応じながらも、グッタリとした気分になって来るのを抑えられなかった。オリヴィアは、カーター氏の心中を察しながらも、致し方なさそうに苦笑するばかりだ。


*****


やがて一通りの整理と確認が済む。


オリヴィアは住み込みで雇っている家政婦に、アンジェラとルシールを応接間に呼んで来るよう指示した。二人は庭園整備の作業の途中だったが、その手を止め、すぐにやって来た。


二人が空いているソファに座ると、カーター氏はアントン氏の遺言書をルシールに手渡した。


「三ヶ月前、ライト嬢の祖父に当たるアントン氏が死亡しました。その遺言書をお読み下さい」


「祖父……? 遺言書でございますか?」


ルシールは戸惑いながらも、遺言書を開いた。


『我が所有する、ローズ・パーク邸の一区画の庭園オーナー権、其を我が子孫アイリス・ライト、及び、アイリス・ライトの子孫が着実に相続するを、我望むものなり。かつ、此処に厳密に指定せし相続人の全てが既に死亡せし時、相続人による相続放棄の真正なる意思の確定せし時、ただちに其のオーナー権を、謹んでクロフォード伯爵家に全返還するものなり』


ルシールは無言のまま、遺言書の全文に二度、三度、目を走らせた。やがて、呆然と呟く。


「……居たんですか? 祖父が……?」


「三ヶ月前に、突然死されるまでは」


「突然、いったい、どういう……」


カーター氏は、ルシールの反応に首を傾げ始めた。


折よく、アンジェラが訳知り顔で口を挟む。


「カーター氏、ルシールは動転すると真っ白になる性質ですので。一応、私にも、かいつまんでご説明いただけますでしょうか?」


「承知いたしました」

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