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花の影を慕いて  作者: 深森
第一章 ミステリー・クロス
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アシュコート伯爵領…舞踏会・第一夜(中)

会場に戻ったところで、エドワードの一瞬の目配せがあった。キアランは訳知り顔になり、会場の端に寄る。


エドワードは、早くも遊び人の本領を発揮し始めたという風だ。


「ダンスの申し込みを受けてくれますか? レディ・アンジェラ」


「私の事は、単に『アンジェラ』でお願い致します。私はレディの称号は持っておりませんの、エドワード卿」


アンジェラは営業スマイルを浮かべながらも、申し込みに応じて優雅に手を差し伸べた。


その手を取ったエドワードは、すぐにその違和感に気付く。


爪を短く切り揃えた、実用的な手。一般的な令嬢のように爪をお洒落に伸ばしておらず、華やかなマニキュアも施していない。手入れは行き届いていて、気持ちの良い清潔さや健康的な色艶はあるが、古い傷跡が目立ち、相応に使い込まれている証が見える。


――どういう素性の令嬢だろう?


ギックリ腰で倒れたハープ奏者のピンチヒッターを務めたことと言い、回廊での非常識すぎる騒動に対して平然と解説を加え、ヒューゴに代わって会場の面目を保ったことと言い、単なる田舎娘にしては人あしらいに長けていて、名門の女学校などで型通りの教育を受けた娘にしては勇気と行動力がある。


アンジェラは底意の見えない、小癪なまでの営業スマイルを続けている。


エドワードは久し振りに、手ごたえのある謎を感じていた。


ペアを組んだエドワードとアンジェラは、会場のダンスの輪の中に、滑らかな動きで加わっていく。アンジェラは、後ろにも目があるかのようなしなやかな身のこなしで、不規則にすれ違ってゆく他のペアとの衝突を次々にかわしていた。


会場スタッフ――特にダンス・アテンダントとして、ステップの覚束ない男性客の相手を務める時には、非常に役立つ能力だ。アンジェラは、そういう意味では、ダンスの名手であった。


アンジェラの手の形や骨格の有り様は、明らかに貴族の血筋を示している。エドワードは、これでも観察眼には自信がある方だ。ヒューゴの人物紹介は途中で途切れてしまったものの、アシュコート伯爵との何らかの関係を匂わせる内容だった……


「あなたは、アシュコート伯爵の係累では無いのですか?」


「伯爵様の領民の一人でございます」


涼しい顔で、隙のない回答を寄越すアンジェラ。


「おや? しかしあなたは、ヒューゴとは対等の仲でしょう?」


「ヒューゴさんのご好意で、対等で親しくさせて頂いております」


「では、私はあなたを氏名で何と呼べば良いのですか?」


アンジェラは、不意に宝石のような緑の目を輝かせ、整った口元にイタズラっぽい笑みを浮かべた。


「では、スミス嬢と。フルネームは、アンジェラ・スミスです」


「やはり、アンジェラと呼ぶ方が良いですね」


「それはそうでございましょう」


何と言う事のない自己紹介に見えて、それは、互いの底意と素性を探り合うと言うゲームになっていた。


「私の事も、単にエドワードと呼んで下さい」


「それは難しいですね、エドワード卿」


ダンスの複雑なステップが入り、二人の間に、ひとときの沈黙が横たわる。


アンジェラは、不意に何らかの確信を得たと言う風で、背の高い金髪紳士をスッと見上げた。その印象深い緑の目から、営業スマイルはいつの間にか消えている。


「私はあなたと初めてお会い致しましたが、金欠の放蕩紳士と言う噂には深刻な疑いがございます」


――何かを見透かしているような、不思議な透明感のある緑の目だ。


深みを増した輝きに、エドワードは思わず息を呑む。


「あなたは恐らく、爵位をお持ちの門閥の直系で……財産持ちです」


「三男ですが……何故、財産持ちだと? 今のところ爵位も資産も継ぐ可能性は無いし、本家からもらえる財産は、ささやかな年金ぐらいですが」


この王国の貴族制度において、法律上、嗣子(長子)以外は財産を継ぐ権利が無い。嗣子以外の者は、結婚すると同時に独立して分家を創設するが、荘園の経営能力が無かったり自活能力が無かったりすると、本家からのわずかな年金のみで生計を立てるしか無く、困窮しやすい。妻に迎える女性の経済観念や手腕も重要なポイントになるし、平凡な紳士の一人として地域に沈んでいくのが大多数だ。


結婚前から金欠になってしまうような放蕩ボンボンの場合は、土地財産持ちの未亡人を狙うなりしてヒモになるのも、ある程度の面目や勢力を保つための一つの方法だ。このやり方は、また別の才能が必要になるから、余り一般的では無いが。


「会場スタッフとしての勘です。異例の客人が事情を含めて出席する事もございますし、察した上での対応が必要になりますから」


アンジェラがそう言っている間にも、ダンスが終了する。


最後の一礼をし、アンジェラはそのまま、会場スタッフとしての別の仕事に取り掛かると言った様子だ。


エドワードは、自身でも良く分からない直感のままに、アンジェラに声を掛ける。


「二回目のダンスを申し込んでも?」


アンジェラは少しの間エドワードを眺めていたが、やがてピンと来たような様子で、その手を取った。


二回目のダンスの輪が回り出した。


アンジェラはダンスのリードを取ると、エドワードを会場一杯に連れ回す。要所要所で、アンジェラは目配せをし、方々の独身令嬢の姿をエドワードの目に入れていったのだ!


「右の二番目はカータレット嬢、当会場お勧めの令嬢でもあり、あなたなら数多の求婚者を置いて充分に上位候補を狙えますでしょう。南三番の壁の花はエリー嬢、内気な方ですが、良く話してみれば彼女の頭の良さが分かってきますし、欠点は無いかと」


次々に独身の令嬢の紹介と解説を続けるアンジェラ。エドワードは唖然とした。


――各地の社交界を渡って行く独身貴族の遊び人を装っていたのに、この舞踏会に来たそもそもの目的を、完全に読まれている!



ほどなくして、アンジェラは、とある一角に目をやり……急に青ざめ、首をそむけた。


あまりにも不審。エドワードは、その一角をそっと窺う。


会場の一角に集まっていた女客の中の一人が、エドワードの視線を読み、贅沢な羽毛扇を傾けて蠱惑的な眼差しを返して来た。


「――白い羽飾りと水色のドレス? あの黒髪の彼女が何か?」


「か、彼女は、お勧めでは無く……夫婦仲に問題ありの有閑マダム……とか……」


取って付けたような内容になっている。その内容にしても、おそらくは『もっと別の何か』をごまかすための虚偽。意地悪く眺めれば、今のアンジェラは隙だらけだ。


エドワードは不意に気付く所があり、眉を跳ね上げた。


いっそうの不審を覚えながらも、再び問題の黒髪の女客を素早く観察する。


年齢不詳の妖艶な熟女。豊満な胸は、襟ぐりの深すぎるドレスの胸元で、惚れ惚れする程の見事な胸の谷間を形作っている。青白い肌はゾッとするような妖しさ、滑らかさだ。肌の青白さに黒髪が映え、かえってこの世の物ならぬ妖艶さを醸し出している。口紅の色は血のように鮮やかな真紅。


一般的には水色のドレスは清楚な印象を与える物だが、この謎の女の着こなしは危ういまでにきわどい。有閑マダムと言うよりは、誰かの愛人としか思えない。そう言う、ひそやかに熱い不道徳の情熱と愉悦の雰囲気を湛えている……


「……アンジェラのお父上は、此処におられますか?」


「い、いえ……父は社交嫌いで、滅多にお城からは……」


「母上は?」


アンジェラは青ざめたまま、無言で首を振っている。


謎の黒髪の女の視野から外れた瞬間。


アンジェラは辺りをキョロキョロし始めた。


「先ほどの有閑マダムは……」


「……済みません、令嬢の紹介を続けましょう!」


アンジェラは先刻までの失態をごまかすかのように、早口になった。


「西の四番でダンス中の令嬢、シーア嬢もお勧めです。門閥貴族の縁戚の令嬢です。西の七番、ララ嬢も良家の令嬢。女学校で経営学を修めた才媛です」


そうしているうちに、二回目のダンス曲が終わったのだった。


エドワードが疑問を投げようとしたところへ。


黒髪を持つ大柄な男客を伴ったルシールが、タイミングをはかって近付いて来た。


「アンジェラ! この方が、お話があるそうで……」


大柄な男客は意外に素早い動きで、エドワードとアンジェラの間に割って入って来る。エドワードは一旦引き下がる形になった。


黒髪の大柄な男客は、割り込んできた勢いのままに注文をする。


「縁組候補の見立てのアレで!」


「かしこまりました。お任せ下さい」


三回目のダンスが始まった。


エドワードはキアランの横に並ぶと、深い溜息をつく。


「アンジェラに、してやられたかも知れない」


「どういう訳だ?」


「二回目のダンスで、会場の独身の令嬢を軒並み……それも、効率的に紹介されたよ」


珍しく打ちのめされたと言う風で、エドワードは四本の指を立てて見せた。


キアランは、ゆっくりとエドワードの手を見つめる。


「……マジか?」


傍に居たルシールは、背の高い二人の青年の会話に気付き、にこやかな営業スマイルを見せた。


「良かったじゃありませんか、エドワード卿! アンジェラの見立ては百発百中です。理想の奥方候補が、会場においででしたでしょう……!」


しかし、エドワードはムッとした様子で腕を組んだ。


「いや! まだ全員紹介して頂いてない」


「おかしいですね、あのアンジェラが選択を抜かす筈、無いんですけど」


「確かに完璧な仕事だったが。私は、アンジェラ・スミス嬢をご紹介頂きたかったね」


目を丸くしてパッと振り返るルシール。背丈の差が大きく、そのまま見上げる形になる。


エドワードの口元は笑みの形をしていたが、その琥珀色の目は、笑っていなかった。


「アンジェラ……ですか!?」


「アンジェラは片親らしいが、確実に上流貴族の令嬢だ。それなら、何故レディの称号を持っていない? 彼女の父親にも謎めいた問題があると見える。それに、あの白い羽飾りの水色の女性は誰なのか? アンジェラは明らかに彼女を良く知っていて、避けていた」


焦りのままに、ルシールは、目をアチコチ泳がせる。


「え、あの……その、彼女が話そうとしないなら、私も余り話せないですが……」


*****


……ルシールは驚きで一杯になっていた。


(ダンスをしている間のわずかなやり取りの中で、それだけの情報を読み取ったのか。エドワード卿、一見、軽薄そうなチャラ男だけど、あのアンジェラと真っ向からやり合えるほどの頭脳を持っている……!)


エドワードとキアランの不審そうな眼差しが突き刺さって来ている。ルシールは、小柄な身体を、ますます小さくした。


言いにくそうにしながらも、ルシールは言葉を継ぐ。


「その、これだけは言えますね……アンジェラは、目下の問題にあなた方を巻き込みたく無いんです」


「問題?」


「一応……アシュコート社交界の最近のゴシップなら、ご存知ですね。あの、復活祭の、お祭りの卵のハリボテの中から……バラバラ死体が出たと言う事件……」


――血なまぐさいロックウェル事件。会場のゴシップの中にもあった話題だ。


「ロックウェルのバラバラ死体!?」


「あの猟奇事件は本当の話だと?」


ルシールは、おずおずとしながらも、コックリとうなづいた……


*****


「……アンジェラは、ロックウェル事件の関係者なのか……?」


「あの、エドワード卿。もし公的に知りたいなら、伯爵様か治安判事に聞いて下さい」


ルシールはそれだけ告げると、口を閉じて、それ以上は頑として話そうとしなかった。


――が、その沈黙は長くは続かなかった。


凄まじい形相をしたイザベラが金髪を振り乱し、会場に飛び込んで来たのだ。競馬の優勝馬のフィニッシュもかくやと思う程の猛スピードで。


「ルシール! ナイジェルとアンジェラが一緒だけど!」


「イザベラ……?」


イザベラは狙い過たず、ナイジェルとアンジェラのペアをビシッと指差す。


「まずいわよ! ナイジェルは手頃な金髪の若手を狙って……セ、セクハラするのよ!」


――確かにそこでは、ナイジェルがダンスの合間にアンジェラのお尻を撫でまわし、セクハラしている真っ最中だ!


ルシールとイザベラは善後策に詰まり、無意識のうちに手を取り合いながらも固まっていた。


ナイジェルは牛のようなガチムチとした大男だ。女性三人で一斉に飛び掛かったとして、上手く取り押さえられるだろうか?


そして信じられない事に、エドワードが非友好的な足取りで、決然とナイジェルの方に接近して行く!


「あの金髪紳士、決闘を申し込むつもりなの……?」


「まずいッ……!」


一方、親友の気性を知っているキアランは、ムッツリと落ち着いたままだ。


ダンスのターンが入った。アンジェラはその運動を利用して、ナイジェルを振り回す。


「必殺、手の平返しッ!!」


ダンスの回転運動に乗った大柄な男の身体が、アンジェラの巧みな手腕による急加速を付けられ、超高速で近くの柱に叩き付けられていった。


芸術的なまでに均整の取れた豪速球ストレートは、素晴らしい精度で正面衝突する。


アヤシクも「やる気」に満ち満ちていた大柄な男が、無慈悲なまでに堅苦しい柱との間で、熱烈な顔面激突キッスをした証の、何とも言えない派手な音が響いた。


全てが終わった後。


再び鼻血を流し、「フガフガ!」と訳の分からぬ事を言って、いっそう熱烈に柱にしがみつくナイジェルの残骸が、そこにあったのだった。


「あら、鼻血がまた出てますわ……先程の止血が不十分だったのですね?」


アンジェラは白々しく健康を尋ねた。柱にしがみついて目を回している哀れなナイジェルの残骸に構わず、クルリと振り返る。


アンジェラの視線の先には、会場の時計があった。時針は、丁度、時限を指している。アンジェラは、殊更にかしこまった顔をして、エドワードとキアランの方に向き直った。


「誠に申し訳ありませんが、お先に失礼を」


エドワードは目をパチクリさせた。


「時限? 早過ぎると思いますが」


「明日の朝、いささか用事がございますので」


アンジェラとルシールは一礼すると、イザベラと会釈を交わしつつ、素早く会場を退出して行った。


*****


イザベラは早速、下心をタップリと満載した不吉な笑みを浮かべた。会場スタッフ仲間の男の手も借りて、ナイジェルの残骸を柱から引き剥がす。


「まあ大変! 血が! 急いでお医者様に診て頂かなければ……!」


ナイジェルは血を見るとパニックになる性質だ。震えあがったまま動けない。


目撃中の男客たちも、青ざめている状態だ。


「イザベラ嬢……あの男に、いったい何をするつもりだ?」


「あの『戦女神ワルキューレイザベラ』だ、きっと、我々には想像もつかないような恐ろしい事をするに違いない」


エドワードは苦笑しながらも、愉快そうに目を細めている。


「住所を聞かずじまいだったな……」


キアランは、親友のその様子を、奇妙な眼差しで見つめたのだった。

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