クロフォード伯爵邸…未必の故意(前)
マティと大人たち一同は、アントン氏の倉庫の前に集まった。
「アントン氏の倉庫を、犬小屋に拝借しただと……アントン氏が生きていたら、怒髪天だったに違いないな」
プライス判事は、驚きが止まらないと言った風で首を振り振り、ボヤいた。
庭師アントン氏の倉庫は無残な状態で、見る影も無い廃屋と言った様相を呈していた。昨夜の雷雨でズブ濡れになり、更に荒廃の度を増している。さながら『ゾンビ小屋』だ。常緑樹の高い生け垣が目隠しになったため、この有り様に、誰も気付く事が出来なかったのだ。
「オイラが、じいじと一緒にこっちにお泊り開始した時から、ずっとこんな状態だったんだよ。で、パピィが、この辺で遊んでて……」
「という事は、復活祭の前の時点で、既に侵入があったという事か……」
プライス判事も、その部下たちも、そしてキアランも、唖然としつつ、かつて庭園道具用の倉庫だった物の残骸を眺めるのみである。
プライス判事は倉庫を一通り観察すると、改めて首を傾げた。
「屋根の半分が破壊されてるな。何で、チビの毛玉は全然濡れてなくて、元気なんだ……?」
パピィは、プライス判事の大きな腕の中に気持ち良く収まり、上機嫌でモフモフ&ワフワフしている。
マティはコミカルに腕を広げて見せた。
「ルシールの部屋のバルコニーに避難させていたからさ。車庫の上から、丁度良い具合にバルコニーまで大枝が張ってて……」
マティを除く大人たち一同は全員、驚愕の面持ちで、館の東側の棟を見上げた。
車庫の屋根が並び、その間から大きな木が立ち上がり、その偉大な幹から延びている大枝が、『丁度良い具合に』館の二階のバルコニーに隣接している様を。
今まさに、太陽が空高く上昇し始めたところであった。
朝焼けの色に染まった雲間から洩れ、庭園の樹木の間を通って来た浅い角度の陽射しが、館の東側の棟全体を照らし――東端に位置するルシールの部屋のバルコニーを、淡い金色に染め上げている。
成る程、朝の光の中で良く見れば、蔦かずらのような物に偽装したらしきロープが、ルシールの部屋のバルコニーに結わえられているのが見えるのであった。指摘されて見なければ、とてもそれとは分からない。
キアランは驚きの余り、我知らず呆然と呟いていた。
「バルコニーに登ったのか……」
プライス判事も、慌てたようにマティを振り返る。
「坊主は、レディの部屋に、夜な夜な侵入したのか!?」
マティは顔をしかめた。『人聞きの悪い事を言わないでくれ』と言う風に。
「ルシールも知ってるんだ……昨夜は、パピィを部屋の中に入れて暖めてくれたし」
「全く、何たる事だ! 全く」
プライス判事は、完璧なる想定外の状況に困惑する余り、喚きながら頭の毛をかきむしるのみだ。その後ろに控えていた判事の部下たちも、開いた口が塞がらぬと言った様子で立ち尽くすのみである。
部下の誰かが――それも、複数人が――ブツブツと不満を呟いていた。
「ガキの特権か……」
「うらやま……、けしからんガキだな!」
プライス判事は、不意にハッとして、アントン氏の倉庫をサッと振り返った。
「ちょっと待てよ……もしかして、坊主がレナードのカフスを見つけた場所――この、無残な倉庫の中か!」
マティは、実にアッサリとうなづいた。
「そーだよ。その奥の方に、大型ハサミが転がってる。裏側の柵をメッチャ破壊できるような、バカでかい代物が」
「大型ハサミ……」
プライス判事はオウム返しに呟きながらも、昨日マティが大広間で披露した推理の内容に、深く合点していた。
数日前、レナードが館の裏の柵から侵入し、馬を暴走させてルシールを襲った事は承知だ。その柵は、実に都合よく、馬でも通過できる程の幅に渡って、大きく破られていた。
レナードが何故、裏の柵が破れている事を知っていたのか……それは、マティの推理通り、レナード本人が、本当に柵を破壊していた犯人だったからと言う事になる!
アントン氏の倉庫を調べ始めた部下たちは、程無くして大型ハサミを発見した。
「ありました、判事どの! 太い枝を剪定するヤツで!」
マティの背丈程もありそうな大型ハサミである。大人の男で無ければ、到底、軽々と扱えないであろうと言う大きさ、重さであった。ルシールも、これ程の大型道具は、すぐには元の場所に戻すことが出来なかったのだ。
マティは、大型ハサミの中央部分のネジを指差した。
「レナードのカフスは、そこのネジにハマってた……思いっきり倉庫の奥に放り捨てた時、カフスが挟まって行ったんだろうね」
確かに大型ハサミに相応しく、ネジも大型の物が使われている。そのネジが作り出していた窪みは、成る程、あの贅沢なカフスが、ピッタリと入り込むであろうと言うサイズなのであった。
「今、考えてみりゃ、レナードがこの間、侵入して来たのは……カフスを何処で落としたのかを思い出したからかも知れないな。首都の社交シーズンも近いし、見栄えの良いカフスが必要になったんだろ」
マティは明るい茶色の目をきらめかせ、考え付くままに喋り続けた。
パピィの方は、大型ハサミに執着している様子だ。尻尾をモフモフ振りながら、判事の部下たちが証拠品押収のために固定している大型ハサミを、フンフンと嗅ぎ回っている。
押収作業の邪魔になるため、部下の一人がパピィをガッチリとホールドした。パピィはすこぶる不満そうな顔になり、クンクン鳴き始めた。この子犬、表情がやたらと豊かで反応が分かりやすいのである。
「このチビの毛玉、何でまた、こうも大型ハサミがお気に入りなんですかね?」
「まだ素敵な光り物がハマっているとでも思ってるんじゃ無いか?」
その部下たちのボヤきは、実は、正鵠を射たものだったのである。
やがて、マティの脳裏で、不意にピコーンと来るものがあった。
「ねえ、キアラン……リチャード伯父さんが乗ってて暴走した馬車は、キアランが普段使ってた方だろ」
「確かに」
「あの日は偶然、上天気で急に気が変わったでしょ? ……町のトランプ屋に、馬車で行ってたら?」
キアランは無言で、目を見張った。
――あの日は、偶然にも、キアランの親友のエドワードが滞在していたのだ。体力のある若者同士の気楽さ、誘うような上天気という事があって、急に乗馬による外出に切り替えていた――
マティは改めて、意味深な顔つきでキアランを見上げた。
レナードが裏側の柵から侵入して来た事実、そして大型ハサミにレナードのカフスが挟まっていた事実は動かしようが無く、状況証拠は揃いも揃って、レナードの仕業を暗示している。
「仕込んだのは勿論、レナードで決まりだ……本当のターゲットは、キアランだったのさ。キアランが死ねば、レナードが自動的にリドゲート卿だろ? それにプラスで、出入り禁止通達の逆恨みって言うか、カッとして……てか、復讐じゃんか」
「それはそうだな」
マティの指摘は、いちいち、もっともな内容だ。キアランは顔を引き締めた。
――レナードは、そのような行動に出ても不自然では無い程の、激しい気性の持ち主だ。アラシアの激しい性格の出方とは、かなり異なるものではあるが。
「恐ろしい頭脳だな、マティよ」
プライス判事も、感心しきりである。
いつしか彼らの背後では、ベル夫人が派遣した若いメイドたちによって、プライス判事たちへの朝食が配達されていた。
しかし、マティは脇目も振らず、推理に集中していた。マティの頭脳は高速回転しているのだ。
マティの集中力を承知していたキアランとプライス判事は、驚きつつも口を出さずに、見守るばかりである。
「アラシアは、『これで良いって、レナード兄様が言ってたわ』とか言ってたな。アラシアのターゲットになったのは……」
*****
――その頃、館の大広間には、呆然とした様子のルシールが居た。
「……タイター氏との直談判……」
ルシールとカーター氏は、朝食を済ませた後、大広間の円卓の一つを囲んでいた。そこで、ルシールは、カーター氏から、タイター氏との第二回目の直談判について説明を受けていたのだった。
ルシールは戸惑いながらも、着ている物をチラと見下ろし、確かめた。
黒い簡素なドレスは、昨夜のうちに洗濯と縫い直しが終わっており、ルシールは早速それを身に付けていたから、すぐにも対応できる状態ではある。
「さすがに今度は、場末とは言え、屋根付きで……今日のご予定は、大丈夫ですね?」
「え……ええ」
カーター氏のその確認に、ルシールは戸惑ったまま、うなづいた。カーター氏はカバンを用意しながら続けた。
「他にも重大なお話がございまして。これは道々、説明いたしましょう」
「とりあえず、急いで用意を致しますので」
ルシールは急ぎ足で大広間を退出して行った。
……その様子を窺いながら、アラシアはコッソリと忍び笑いをしていた。
同じ大広間の中、カーター氏とルシールから少し離れた上座の方では、レオポルドとアラシアとライナスが、特に上等なソファに腰を下ろして世間話をしているところだ。
そしてアラシアは、真面目に世間話に興じていなかった。アラシアは高価なマニキュアをした爪をいじりながらも、ずっとカーター氏とルシールの会話を窺っていたのであった。
アラシアは頃合を見て、急に立ち上がった。
「お父様! テンプルトンに行って来るわ!」
「……は?」
いきなりの宣言に、レオポルドは一瞬、ポカンとした顔になった。こういう時、レオポルドは、いつも思うのであった――『女と言うのは分からん』と。
アラシアは、怪訝そうにしている父親レオポルドやライナスの様子に目ざとく気付き、いっそう殊勝な態度で説明を付け加えた。
「お母様を迎えに行くの、当然でしょ! テンプルトンの集会からまだ戻ってないから、心配になって来て」
レオポルドの妻にしてアラシアの母親ダレット夫人は、昨日からずっと『テンプルトンの集会』なるところを訪問したままである。マティに言わせれば、それは賭博なのであるが。
ライナスは早速、詩的な言葉を最大限に活用し、アラシアの称賛を始めた。
「おお、レディ・アラシア……美しいのはお姿だけどころか、心の中まで実に類無き優しさに満ち溢れていますな! どうか、私めにエスコートの栄誉をお与え下さいますか」
「小間使いと行くのよ! 宝飾店でカフスのイヤリング加工も注文する予定だし、買い物もあるし……座席は広い方が良いんだから!」
アラシアはライナスをすっかり無視しており、珍しくも素晴らしいスピードで、外出の身だしなみを整えたのであった。
ライナスは立ち上がって戸惑うばかりだ。レオポルドの方はソファの中でふんぞり返ったまま、スタッフたちの招集を掛けていた。
「えっへん、おっほん……執事! 急いで馬車を回せ!」
執事は長年のベテランらしく、その気まぐれな指示に素早く応じている。
カーター氏は、急に騒ぎ始めたレオポルドやアラシアを、不思議そうに眺めた。
だが、ダレット一家の気まぐれは、いつもの事だ。急いで用意を整えて戻って来たルシールに、カーター氏は、済まなさそうに声を掛けた。
「ダレット嬢のお見送りを、先に済ませましょう」
「え? ハイ」
玄関広間では、レオポルドの命令でスタッフたちが集められており、アラシアのお見送りに取り掛かっていた。
アラシアは、館のスタッフたちに混ざって後ろに並んでいるカーター氏やルシールの姿を、こっそりと窺う。
ルシールの身に起きるであろう流血の出来事を予想し、上機嫌でほくそ笑むアラシアであった。




