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花の影を慕いて  作者: 深森
第一章 ミステリー・クロス
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アシュコート伯爵領…舞踏会・第一夜(前)

復活祭をよほど過ぎた春の宵。


ほのかに花の香りのある、暖かな夜風が吹き渡った。


アシュコート伯爵領の辺境に近い地所の一つ、社交会場となった白亜の豪邸では、既に各地から多くの紳士淑女が集まっており、社交ダンスもたけなわである。


外に広がる庭園とつながる箇所には、ツタをはじめとする観葉植物が入り込むように配置されており、山野趣味と思しき趣向が凝らされている。適度に春の野辺の気配の入り交ざった会場は、冷やかしの混ざった冒険心も喜ばせるものになっていた。


社交ダンス会場となっている大広間は、華やかな装飾を凝らした色とりどりのエンパイア・ラインのドレスを身にまとった淑女と、金糸銀糸を施した極彩色からシンプルな暗色系まで、様々なタイプの正装をまとった紳士でいっぱいだ。社交界に出席できるギリギリの未成年から、足腰が怪しくなり始めてなお元気な老年世代までと、年齢層も広い。


会場の一角では、出席者の中に混ざったキアランとエドワードが、会場の批評を始めていた。


「会場は結構、良い趣味をしているな」


「近隣の評判になるだけあって、良いスタッフを抱えてるらしいな。後でヒューゴに聞いてみよう……彼は、此処の関係者だから」


エドワードはサッと会場を見回したが、まだヒューゴの姿は見えない。ヒューゴは忙しくしていると見える。


キアランは、ふと先日のカーター氏との会話を思い出し、水を向けた。


「そう言えば、ロックウェル事件の噂はもう聞いてるか?」


「ちょっと巡っただけで大量の怪談を聞かされたよ。魔女のナベの中で合成された幽霊仮面、バラバラ死体を食ったお祭り用の卵の模型、ズタズタになったネズミの死体のビックリ箱、これらが手足を生やし、夜な夜な徘徊して人を襲う」


「……かなり『名状めいじょうしがたきモノ』が付着しているような気がする」


「不気味な流血事件のゴシップには付き物だな。それにしても、これだけゴシップの嵐になっているのに、ロックウェル公爵は何してるんだか。愛人の数にも驚かされるが」


「もう40人目の愛人に取り換えているとか?」


「最近、50人目の愛人に取り換えたそうだ。正確な数はつかんでないが」


キアランは少しの間、絶句したのだった。


「……色々とすごいな」


いつしか、ダンス音楽の曲目が変わっていた。数曲の間にわたって欠けていたハープ音が、再び加わって来ている。


「先刻までハープ奏者が欠けていたが、今頃入ったのか」


エドワードは冷やかし気味に楽団の方を振り返り……そして、不意に息を呑む。


「どうした、エドワード?」


「美人だ……」


キアランは不審を込めて目を細めると、何がエドワードの注意を引いたのかと、ダンス曲の演奏を続ける楽団メンバーを眺め始めた。


楽団メンバーの中の不自然なポイントは、すぐに見つかった。


言わずと知れた、ハープ奏者……ミステリアスな女性だ。


地味な印象の紺色のドレスは楽団メンバーに紛れ込んで目立たなくなっているが、それでも、楽団の制服とは明らかに異なる。シンプルなアップスタイルの髪型ながら、見事な金髪の輝きは隠しようもない。


そして、息を呑むような美貌だ。目の色は、宝石のような深い緑。


奏でられているのは、膝の上に乗せて奏でるタイプの、古式ゆかしき小型ハープだ。かつて吟遊詩人が使っていた楽器という事もあり、持ち運びは容易い。小型ハープは今でも、辺境の会場を渡り歩いて営業する移動楽団の中では現役だ。しかし、現代のオーケストラに使われるような大型ハープと違って、弦が短い分、充分な音量を保ちつつ連続して演奏するには、細かな調律が必要になるのだ。


単なる飛び入りの愛好者の手に負えるような楽器では無い。小型ハープは総じて手の掛かる、プロ仕様の楽器である。しかし、女ハープ奏者の腕前は、プロの楽団メンバーとして通じるレベルだ。


彼女は何処から湧いて来たのか、何故に楽団に混ざっているのか――全てが謎めいている。


そのまま注意深く観察していると、女ハープ奏者には、他にも不審な点が出て来た。演奏曲目が一区切り付くたびに、焦ったように控え室の方を何度も振り返るのである。


「彼女の謎は控え室だな」


「……回廊から調べるか?」


エドワードの琥珀色の目は、強い好奇心でキラキラしている。謎の女ハープ奏者を捕まえる気満々なのだ。


親友の悪い病気が出たかと呆れながらも、調子を合わせるキアランであった。


*****


ほぼ、同じ頃。


同じ会場の裏口では、別の出来事が進行していた。


たった今到着した、と言う風の馬車から、バタバタと二人ばかり降りて来た。すると、裏口で小柄な女性の人影が、待ちかねていたとばかりにピョンピョンと飛び跳ねた。


「急いで控え室に来て!」


会場の裏口で三人連れとなった奇妙な一団は、灯りが絞られて薄暗くなった使用人用の廊下を疾走し、会場スタッフ用の控え室の一つに駆け込んだ。


「お医者様は、そちらの方に……会場の楽団のハープ奏者が階段から落ちて、ギックリ腰です!」


小柄な女性が指し示した長椅子の上には、ギックリ腰で動けなくなっている楽団メンバー、それもハープ奏者が、殺人的な腰の痛みにうめき声を上げつつ、横たわっていた。医者はベテランらしくすぐに事態を理解し、患者の診療に取り掛かる。


楽団の補欠メンバーの方は、更に会場に向かう回廊の方へと誘導される形になった。


「もう四曲分経過してる……走って!」


「ええッ……! 招待客も出てくる回廊じゃ!」


「お酒が回ってボンヤリした人たちだから、大丈夫です!」


シンプルな茶色のドレスをまとった小柄な誘導スタッフ嬢は、エンパイア・ラインのドレスの裾が高く舞い上がるほどに勢い良く走っていた。回廊にボンヤリとたむろしていた酔客たちを突き飛ばさんばかりだ。


程なくして彼女は、その突進する勢いで、本当に男客の一人を突き飛ばした。突き飛ばされたのは大柄な男だったのだが、勢いよく回転し、後ろにあった回廊の壁に叩き付けられる羽目になった。


「鼻血がぁ!」


「済みませんッ! 後で、お医者様の所にご案内いたしますッ……!」


そのタイミングで回廊に出て来たキアランとエドワードは、衝突せんばかりに走って来た非常識すぎる二人の男女を、慌てて避ける羽目になる。


「回避の協力、感謝です!」


キアランとエドワードがポカンとして見送る先で、全力疾走していた二人の男女は、あの控え室に飛び込んで行った。



非常識すぎる男女が台風よろしく通り過ぎた回廊の中は、ちょっとしたパニックになっていた。


「鼻血が! 鼻血が!」


「鼻血だと? 栄光の鼻血に万歳の乾杯!」


「プロージット、ワハハ!」


「酒に鼻血の栄光あれ!」


突き飛ばされかけていた酔客たちが、事態を分かっているのか分かっていないのか、鼻血を止めようと顔面を手で押さえている大柄な男の哀れな悲鳴に合わせて、新たな祝杯を挙げている。


「何なんだ? この騒ぎは」


エドワードも唖然とするばかりだ。


キアランは、非常識すぎる二人が飛び込んだ先を見て、首を傾げた。


「楽団の裏の控え室?」


「もしかして……」


エドワードとキアランは、互いに顔を見合わせた。



――控え室の中。


金髪の女ハープ奏者と、今しがた駆けつけて来た楽団の補欠メンバーとのチェンジが進行していた。楽団に欠員が出ていたという事実を全く感じさせない程の早業だ。


チェンジが済むと、ひょうきんな雰囲気のある黒髪の青年が、会場を仕切っている垂れ幕にヨロヨロとしがみ付き、安堵の溜息を洩らした。


「心臓が止まるかと思ったよ! 僕は!」


「何とか急場切り抜けたじゃ無いの、ヒューゴさん! 敵はまだまだ来るでしょ! 初戦で怯んでどうするの!」


頼りなさそうな青年ヒューゴに威勢よく発破をかけているのは、金髪の女ハープ奏者だ。茶色のドレスをまとう誘導スタッフ嬢の方も、早くも息を整えて状況報告をしている。


「新たな追加は、ギックリ腰の治療費だけで済んでるし」


本物の方のハープ奏者は、ギックリ腰で退場していたのだという情報を得て、唖然とするエドワードとキアランであった。此処でヒューゴに会ったのも、何かの縁だろう。


「大体の事情は飲み込めたよ。予期せぬ出来事だったらしいな? ヒューゴ・レスター」


エドワードが声を掛けると、ヒューゴはすぐに気付いて、サッと振り返った。


「ああ……先輩! わざわざ出席頂いたのに、お恥ずかしい限りです!」


偶然ながら、エドワードとキアランとヒューゴは、同じ寄宿学校の先輩・後輩の関係だ。


二人の女性は、旧交を温めている男性陣を不思議そうに眺めている。


ヒューゴは、垂れ幕を挟んで対面しているお互いが、互いに初対面だったと言う事に気付き、間に立って紹介を始めた。


「紹介するよ……二人は、僕の寄宿学校の先輩なんだ。エドワード・シンクレア卿、こちらがリドゲート卿」


エドワードとキアランが丁重に一礼すると、女性たち二人の方も、優雅に一礼を返した。


「お初にお目にかかります、紳士方」


ヒューゴは、金髪と茶髪の二人の女性を指し示すと、人物詳細の説明を始めた。


「こちらは僕の地元の友人、アシュコート伯爵の……」


しかし……そこに、急に縮れ毛の使者が、息せき切って飛び出して来た。


「ヒューゴ様! 伯爵様が、すぐに来いとお呼びで……」


この場合の伯爵とはアシュコート伯爵であり、その命令は、此処アシュコート領では絶対なのであった。そして『すぐに来い』とは、文字通り緊急で駆け付けて来いという意味なのであった。


縮れ毛の使者は、そのガッチリした比較的大柄な体格を生かして、慌てるヒューゴを捕まえ、引きずって行く……


「ああ……! アンジェラ、ルシール! このタイミングで、ホントに済まん! 今回は珍しくゲストなのに、トラブル発生で、スタッフ扱いで……」


その他にも何か訳の分からないことを言いつのりながらも、涙目で引きずられて行くヒューゴなのであった。


「いつもの事ですから気になりませんよ、ヒューゴさん」


「やれやれ、学生時代からそそっかしい後輩だったが……」


「今夜は致し方ありませんね。持ち回りで、今夜は彼が会場責任者ですから……」


ひとしきり苦笑していた金髪女性は、仕切り直しとばかりに営業スマイルを浮かべて、エドワードとキアランに向き直った。


「改めて自己紹介させて頂きます。私がアンジェラで、隣がルシールです」


「先程は、大変お騒がせを致しました」


小柄な茶髪の女性ルシールは、再び一礼した。その胸元で、紫色のバラの形をしたブローチが、キラリと光った。頭を下げ、そして再び頭を上げた拍子に、目を覆い隠すほどに深く下ろしていた濃い茶色の前髪が揺れ、一瞬、その面差しを明らかにする。


――大きな茶色の目。アンジェラのような絶世の美女というほどの容貌では無いが、繊細な花のような面差し。


理由はさほど知れぬものの、キアランは不意に気を惹かれる物を覚え、目を見張った。


「鼻血! 鼻血!」


またしても、折悪しくと言うべきか。先ほど突き飛ばされていた男客が乱入して来た。


「あ、済みません! 失念しておりました」


ルシールは、うっかりしていたとばかりに、すぐに大男の鼻血の処置をすると、エドワードとキアランに失礼を詫びながら、控え室に誘導して行く。


「あなたは騒ぎ過ぎよ、ナイジェル! 別件に夢中でボンヤリしたでしょうが」


金髪の女客が、黒髪の男客を叱り付けている。控え室のドアの前に着いた後も、鼻血で失神せんばかりの哀れな男客を差し置いて、女性同士のやりとりが続いた。


「さっきはごめんね、イザベラ」


「ナイジェルは血を見ただけでパニックみたい。先刻は、別件で気まずい状況だったから……気にしないで」


金髪のイザベラ嬢は、牛のような大男を巧みに控え室に押し込み始める。


人騒がせな騒動を一通り眺め、エドワードは、その収拾の手際の良さに感心していた。


「臨機応変ですね」


「会場スタッフの十八番おはこですから、慣れております。お酒が入れば、もっと大騒ぎになりますしね……、そろそろ、会場に戻られますか?」


――面白い状況になって来た。


エドワードは、ひそかに鋭い笑みを浮かべた。


学生時代の後輩ヒューゴが言い残した言葉は、彼女たちは、むしろ会場スタッフとしての経験の方が長いのだろうと言う事を暗示している。


実際、アンジェラとルシールがまとうドレスは、標準的なエンパイア・ライン型だが、装飾がほとんど無い。必要とあらば裏方の会場スタッフとして振る舞っても不自然では無い……という程に、地味なデザインなのだ。


キアランは、ルシールが消えていった控え室のドアに目をやった。


小柄な体格のせいか、ルシールには、17歳か18歳ではないかと言う印象がある。


胸元できらめいていた紫色のブローチ。ヴィンテージ物という事は明らかだ。何やら訳があるらしい……そのような妙に謎めいた気配を、キアランは感じていたのだった。

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