ロックウェル城…仮面舞踏会(前)
ロックウェル城の大広間では、仮面舞踏会がたけなわであった。
ゴシック風の高い組み天井。重厚な彫刻が施された列柱が並ぶ、荘厳とすら言える会場。灯りは最小限まで絞られ、ゴシックホラーの舞台さながらの、豪華ながらも重々しい雰囲気が充満している。
仮面舞踏会の招待客は、全員、ベネチアンマスクに似た華麗な仮面を付けていた。仮面には、色とりどりのビーズやスパンコール、金銀その他にきらめくエナメルといった装飾が施されている。それらが、ボンヤリと薄暗い会場の中で、キラキラとさざめいているのだ。
華麗な仮面は、全て、『狼男』、『人魚』、『夢魔』、『ゾンビ』、『ドラゴン』、『ユニコーン』、『フェニックス』などと言った、神話伝説や怪談では定番のモチーフが施されている物だ。
時折、ゴシック風の細く高い窓の外で、雷光が閃く。妖しげにうごめく人外の仮面の群れ。
招待客は皆、禁じられた幻想の中でしか味わえないような、非日常的な気分を満喫していた。
マダム・リリスが取り仕切るパーティーでは、アルコールと一緒に、アヘンや禁制ドラッグの類が堂々と供給されているのが、常態と化している。
凝った装飾が施された会場の一角に、魑魅魍魎の仮面をかぶったギャング売人の集団がたむろしていた。アヘンや禁制ドラッグ類を、アルコールのフリをして供給している。
更に、舞踏会場にセットされている魑魅魍魎の印付きの衝立の後ろに、数々の秘密の小部屋に通じるドアが隠されている。そこでは、下心を持った招待客たちがアヘン類を楽しみ、大人の不健全な快楽に興じていた。傍によって耳をすませば、色っぽい喘ぎ声も漏れ聞こえて来る。
退廃的な歓楽の極みを実現したような会場の中。
仮面姿のハクルート公爵とヒューゴは、ロックウェル公爵の姿を求めて慎重に巡り歩いていた。その後を、仮面姿のエドワードとアンジェラのペアが付いて行く。
「皆、仮面だから、誰が誰だか良く分からない……」
ハクルート公爵は金色をした仮面を巡らし、ロックウェル公爵と思しき人物を探し続けていた。
上流社交界には有り得ない程の怪しげな演出に、さすがに呆れ気味になって来ている。此処まで怪しげな雰囲気になると、出席者も皆、正体不明の魑魅魍魎に見えて来ると言うレベルだ。
「しかも挨拶も省略だ……此処まで無礼講のスタイルを取るとは思っていなかったぞ」
「シャンデリアの数が少なくて薄暗いのは、接近に好都合ですね」
そう応じるヒューゴは、『ゴブリン』の仮面を付けていた。柱とシャンデリアの数を確認しながら、本物のゴブリンさながらに、盛んにキョロキョロしている。これで不自然に思われないのは、仮面サマサマと言える。
やがて、急にヒューゴは足を止めた。『ゴブリン』の仮面が、会場の中央部分をキョロリと向く。
会場の中央部に、ゴシックホラー幻想から抜け出て来たかのような、豪華な祭壇がセットされていた。古代の邪神崇拝のための祭壇を模したと思われる、奇怪で冒涜的な造り物だ。
その傍に、『邪神の神官』の扮装をした男がいる。その男にしなだれかかっている『邪神の聖女』が、マダム・リリスであった。きわどいドレスをまとっている。
ヒューゴは慎重な身振りで、ハクルート公爵にリリスの位置を示した。
「中央に居る『邪神の聖女』の仮面が、マダム・リリス……彼女がこの会場を仕切っていまして」
マダム・リリスは、邪神を召喚する儀式の真似事をやっているらしく、愛人の一人らしき『邪神の神官』の扮装の男と、何やらアヤシイ遊びの真っ最中である。
ハクルート公爵は了解し、うなづいて見せると、辺りに目をやり始めた。
「ユージーンも、この近くか……」
一方、アンジェラをエスコートする形になったエドワードは、背後に執拗な視線を感じ、そっと後ろを確認していた。
そこに居るのは、会場スタッフを務めているのであろう、仮面を付けていない執事姿の人物だ。明らかに城内勤務の執事と見える、地味な印象の老人。その老執事は、凍り付いたようにアンジェラを見つめ続けていた。
――今のアンジェラは、ローズ色のドレスに合わせて『胡蝶』の仮面を付けているから、直接の知人以外には、正体は分からない筈だが。
エドワードは老執事を警戒しつつも、アンジェラに害を加えようとする気配が無い事に、疑問を抱き始めた。
アンジェラは、或る方向に視線を定めると、ピタリとそこから動かなくなった。
「アンジェラ?」
エドワードは不審に思い、アンジェラの視線の先に目をやり――そして、鋭く息を呑んだ。
――中世の兜のような、面妖な仮面を被った、男。
エドワードの身振りに気付き、ハクルート公爵とヒューゴも、その方向に視線を向ける。
――奇妙に歪んだマント姿。面妖な仮面は、本物の兜のように、すっぽりと頭全体を覆っている。
「彼が……そうか!」
ハクルート公爵は仮面の奥で目を見開き、瞬時のうちに了解した。
アンジェラは決然とした足取りで、その兜の仮面の男に接近しようとした。しかし、直前にエスコート役がエドワードからヒューゴに変わり、ヒューゴは器用にアンジェラの動きを封じていた。
「邪魔しないで、ヒューゴさん」
「ダメですよ! ハクルート公爵が、あの人の本人確認をなさるのが先です」
エドワードはハクルート公爵の護衛に立ち、ハクルート公爵は、目標となった兜の男に素早く近づいた。
脇で奇妙に動き回る人影に気付き、面妖な兜の仮面の男が振り向いた。
兜仮面の男の目に最初に入ったのは、鮮やかなローズ色――アンジェラのドレスだった。
「そのドレス、何処かで見たような……」
兜仮面の男はギギギ、と身体の方向を変えた。
そこへ、アンジェラの姿を覆い隠すように、『金の王』の仮面を付けたハクルート公爵が立つ。
「お前は……!」
面妖な兜の仮面をした男は呻いた。
ハクルート公爵は、兜の仮面の男をしかと見据えた。かつての学友であり、親友である筈の、変わり果てた姿の男を。
「久し振りだな、ユージーン? 私の声に覚えがある筈だが……?」
「セバスチャン・シンクレア……」
「ほう、記憶はあるんだな。昔の声からは多少、変化したようだが……」
ハクルート公爵は感心しながらも、仮面の中でわずかに目を細めた。
――余りにも変わり果てている。まるで――
「あの事故のせいだよ」
兜の仮面の男は、探るような視線を遮るかのように、ふいと首をそむけた。
ハクルート公爵は親し気に苦笑した後、会場を見回した。懐かしい旧友に、昔のように語り掛ける。
「寄宿学校の時の事を思い出す……冗談で、このような仮面舞踏会を企画した事があった」
兜の仮面の男は、無言である。ハクルート公爵は、全く警戒していない様子で、ゆらりと隣に立った。
「まあ、寄宿学校だったからな。クジに負けた半分は女装するという事で、大騒ぎになった。君も確か、クジに負けた側だったか……」
面妖な兜の仮面の男は、あらぬ方を向きながら「ああ」と、溜息混じりに答えた――
一瞬の、沈黙。
ハクルート公爵は、仮面の下で鋭く息を呑んだ。
「君は誰だ……!? ユージーンは、クジに勝った側だったんだ!」
「何だと!?」
兜の仮面の男は、ギョッとしたように振り返った。
ハクルート公爵は、特殊な駆け引きを仕掛けていたのだ。
アヤシイ遊びの真っ最中だったにも関わらず、その会話術に早くも気付いた『邪神の聖女』マダム・リリスが、目を険しく光らせて、サッと振り返った。さすがに、前線を務めるだけの事はある――やたらと勘の鋭い女だ。
「あんた! そいつ、引っ掛けだよ!」
ロックウェル公爵を装っていたと見える正体不明の男は、いきなり腰の剣を抜いた。
「この野郎ッ!」
力強い踏み込みと共に、剣が不吉なうなりを上げる。余りにも俊敏な動きだ。
刃先が触れ、ハクルート公爵の頭部が、仮面ごと斬り飛ばされる――
しかし、その後に続くと思われた、衝撃音が、無い。ハラリと落ちたのは、真っ二つになった『金の王』の仮面だけだ。
「キサマ……!?」
兜仮面の男の口から、驚愕の呻きが洩れる。
ハクルート公爵は、紙一重の差で刃先をかわしていたのだ。武門の家柄たるシンクレア家の当主ならではの、恐るべき熟練した身のこなしである。
「基礎訓練が、なっとらん……寄宿学校にすら行ってないな!?」
既にハクルート公爵は、この面妖な兜仮面の男は、ロックウェル公爵ユージーンとは別人だと確信していた。
「黙れッ!」
これでも腕前には自信を持っていたのであろう、必殺の一撃をかわされた兜仮面の男は、怒り心頭だ。
怒れる男は、急に足をもう一歩踏み出し、ローズ色のドレスをまとった『胡蝶』に顔を向けた。
いきなり面妖な兜の仮面と真向かいになり、その殺気を感じて、棒立ちになるアンジェラ。
「……そうだ、そのドレスだ……セーラは事故で死んだ筈だぞ! ――この、化け物め!」
兜仮面の男は呻き、叫ぶが早いか、再び剣を構えて、今度はアンジェラに斬りかかる。
目にも留まらぬ速い動きだ。その怒れる狂人ならではの非常識な動きとスピードは、ハクルート公爵でさえも一瞬、対応が遅れる程だ。
――この男が別人ならば、彼は何故セーラを知っているのか――
驚きと恐怖の余り、棒立ちになったままのアンジェラは、明らかに逃げ遅れていた。
凶刃が、アンジェラの頭を真っ二つに割ろうとする。
次の瞬間、鋭い金属音が響き渡った。
重量のある剣が、人の背より高い放物線を描いて舞い上がった。そして会場の中央部、奇怪な造り物の祭壇の固い床との間で、大音響を立てる。
『邪神の聖女』リリスと『邪神の神官』の男の目の前で、重い剣がバウンドし、再び固い床との間で音響を立てた。
リリスは唖然として目を剥いた。相方の男が腰を抜かし、情けない悲鳴を上げた。
兜仮面の男は、しびれる手首を押さえて後ずさりながら呻く。その手には、既に剣は無かった。




