クロフォード伯爵邸…老庭師の遺言書
その日はアシュコート伯爵領への出発を控え、クロフォード伯爵邸は早朝から慌しい状態である。
前庭ロータリーに大型馬車が回され、その荷台に、次々に大きな荷物が載せられて行った。
御者と三人のスタッフが議論を始めている。
「こんなに積んだら重量オーバーだ! 馬車が峠を登れないぞ!」
「でも、ダレット夫人とダレット嬢の荷物だよ!」
「たかが近場の外遊だろ。首都社交じゃ無い。積荷のひとつやふたつ、何とかならんのか」
「ダレット一家は、あれで妙なところに鋭いからな~」
暫し全員でゲッソリとなった後、御者がふと思いついた様子で、車庫の方に視線を投げた。
「トッド氏が、クレイグ牧師さんとマティ坊ちゃん用に置いてった馬車、借りれるかな。新技術が使われてて、車体が軽いうえに大量の荷物が運べる」
「クレイグ牧師さんなら、事情を話せば二つ返事で了解してくださる筈だ」
若いスタッフの一人が頭をかきつつ、口を挟む。
「問題はマティ坊ちゃんですよ。馬車に何かしてますよね、あの子」
「十中八九、仕掛けてるな。とんでもなく奇想天外な何かを」
「復活祭の時、派手に吹っ飛ばしてんですよねー、家ひとつ分、まるっと」
「ありゃ傑作だったな。金と女の面倒なゴタゴタの解決にもつながったし。マティ坊ちゃんだろ、領内の平和の一番の功労者って」
御者とスタッフ三人、揃って楽しく苦笑している内に、前庭ロータリーに別の馬車が入って来た。
馬車のドアが開き、50代半ばという風の中年紳士が下車して来る。中肉中背、ブラウンの髪と目――と言う平凡な、常識人の印象のある人物だ。
玄関に出ていた執事が、手慣れた風で紳士を招き入れた。
「この三ヶ月くらい見かけなかったけど、カーター氏ですよね」
「急に忙しくなって、首都出張もしてて……呼びつけられて、急いで戻って来られたのかな」
「あの、金と女の面倒なゴタゴタの件?」
「その件は、あの超・堅物の若様が、キッチリ、最後までカタを付けられた筈だよ」
*****
クロフォード伯爵邸の玄関広間で、カーター氏は、早速キアランと挨拶を交わした。
「館にお招き頂き、有難うございます……リドゲート卿」
キアランとカーター氏は、正面階段を登り始めた。
堂々たる正面階段の上には、細長く高い窓から差し込む柔らかな午前中の光が、長く荘厳に伸びている。
「お忙しいところ、お呼び立てして誠に済みません」
「いえ、当方も調査がやっと一段落しまして……まさか今回の案件に、これほど多方面の調査が必要だとは思いもしませんでしたから」
「カーター氏ほどの弁護士が、三ヶ月もかかるのですから、さぞ錯綜した案件だったのでしょうね」
カーター氏は苦笑交じりの溜息で応えた。
「ええ。首都への出張中、事情に通じている判事と偶然かち合って、少し情報交換ができたのですが。彼は目下、新たに発生した殺人事件の捜査中で連絡が付きにくい状態です。さらにお時間を頂く事になりそうです」
ちょうど階段の踊り場で、キアランは訝しげに振り返った。
「……殺人事件?」
「復活祭の日、ロックウェル公爵領の国道で身元不明の変死体が出たとか。このロックウェル事件は、アシュコート伯爵領などの隣接領地の社交界では既にゴシップ、いえ、噂だそうですから、じき此処にも伝わるでしょう」
「最近は……不穏な事件が多いですね」
「……何かございましたか?」
「父が、暴走馬車の事故で大怪我を。幸い命に別状は無いのですが。『事件』と思われる不審な点があるそうです」
カーター氏は首を傾げる格好になった。治安判事が情報を伏せていたという事もあり、今まで領地の外に居たカーター氏には、いずれも初耳の内容だったのだ。
「――父は、あの馬車事故以来ずっと塞ぎ込んでいて……私が五日間ばかりアシュコート訪問で留守にしている間、父の傍に居て頂きたいのです」
カーター氏は、やがて、感心したような微笑みを浮かべた。
「つくづく、立派な後継者ぶりですね……リドゲート卿」
「いえ……及ばぬ点は多々あります」
やがて伯爵の居る部屋のドアの前に来ると、後をカーター氏に任せて、キアランはその場を離れて行った。隣地アシュコート伯爵領への出発時間が迫っていたのである。
*****
クロフォード伯爵は、あのワイルドな老医師から「ベッドを降りて良い」と言う確証を得た後、椅子の上に落ち着き、座りながらでも可能な文書確認などの業務を少しずつ始めていた。
伯爵の骨折中の片脚には添え木が成され、分厚い包帯が巻かれている。普段の服装を身に着けられないため、今はまだガウン姿である。
骨折状態の都合で、執務室の座席に座る事についてはドクターストップが掛かっていた。そのため目下の仕事場は、負担のかかりにくい椅子と円卓という組み合わせだ。
午前中の光が注ぐ大きな窓の前で、クロフォード伯爵は手前の円卓に広げた報告書その他の文書に目を通していた。そして――ひょっこりと現れたという風の訪問客に気付き、目を見張った。
「……カーター氏! ……久しぶりだが、今日はまた何故……」
カーター氏は訳知り顔で、穏やかに微笑んで見せた。
「実を申しますと、リドゲート卿に招かれたのでございます」
「困ったヤツだ……私はまだまだ、耄碌しておらんぞ!」
伯爵は暫くの間、照れ隠しをごまかすためか報告書をバサバサと引っ繰り返していたが、すぐに円卓の近くに並ぶ椅子の一つを指し示した。
「ともあれ、来てくれて嬉しいよ。その辺にでも掛けてくれ」
「この大変な時に、ご無沙汰しておりまして、申し訳ございませんでした」
カーター氏は、ここ数ヶ月の不精を丁重に詫びると、ゆっくりとした所作でカバンを降ろし、丁度良い位置の椅子に静かに腰かけた。
「最近の噂をお聞きしましたよ……実に優秀ですな、リドゲート卿は。金銭問題と女性問題は、長期化するトラブルの代表格です。その身内の面倒事を解決なさった手腕は、実に見事と申せます」
「グレンヴィル由来の素質が良いんだな……私には、あのような断固とした対応はできなかった」
クロフォード伯爵は、我が後継者たるキアランに対するカーター氏の称賛の言葉を受けて、如何にも満足そうな顔でうなづいた。
「厳しい通達と対応で、親族が割れたが。札付きの犯罪者を出すよりは、ずっとマシな筈だ」
「親族が割れた? 何故あの解決で、ダレット家以外の他の親族が因縁を付けるのですか?」
「ダレット家が、あのゴタゴタの件に、尾ひれの数々を付けて回っている。しかも、血統問題に絡めてな。頭の痛い問題だよ」
クロフォード伯爵は、涼しげな目元に苦い表情を浮かべた。しかめ面をしている伯爵の眉間には、年季の入ったシワができている。
「馬車事故で死にかけて以来の我が目下の頭痛の種は、いきなり増えた巨大な尾ひれ、すなわちキアランとアラシアの婚約話だ。キアランの女性問題は、あのトラブル男と正反対の意味で、困る代物だと思う」
「リドゲート卿は、アラシア・ダレット嬢を問題なく扱っておられるようですが?」
「だから問題なんだ! あのキアランが、女性に甘い言葉をささやくところを想像できるか? アシュコート伯爵領を、それも舞踏会を訪問すると言うに――本人には、全く、その気は無しだ! 地位に、財産に、年齢……女性の関心を引く条件は、充分だ、と言うのにだ!」
伯爵の愚痴はだんだん大きくなり、しまいには苛立つ余り、大声になっていた。
カーター氏は、暫し困ったように沈黙し――やがて、「つまり、こういう事ですか」と口を開いた。
「ダレット嬢は一部の親族を納得させるが、それ以外の点では全く評価できない――とは言え、あの超・堅物の若様が、他の女性を選ぶ事を考えている……とは、とても思えない……」
伯爵は、もうだいぶ白いものの混ざった淡い茶色の髪に手を突っ込み、そして深い溜息と共に、ガックリと肩を落とした。
「これでも私は若かりし頃はプレイボーイだったんでな。アラシアの素質は、本人よりも、よほど詳しく説明できる」
カーター氏としては、苦笑する他に無い。
「聞きようによっては贅沢な悩みでございますね。世間には後継者としての力量に欠ける御子息も多いと聞きます。女性の誘惑のやり方も教えておけばよろしかったのでは」
常に威厳に満ちた領主として振る舞っているクロフォード伯爵が、心を許して愚痴をこぼしたり悩みを洩らしたりできる――個人的な友人としての――話し相手は、非常に限られている。カーター氏は、その数少ない中の一人である事を良く心得ており、プロの弁護士としての守秘義務も合わせ、伯爵の愚痴に対して、ユーモアと誠意をもって対応していた。
「男から申すのもアレですが、リドゲート卿は、顔立ちもよろしい方ですし」
エドワードのような華やかな容貌と言う訳では無いが、キアランも同じ程度には整った顔立ちなのだ。黒髪黒眼のせいなのか、キアランには、クロフォード伯爵のような涼やかな印象は全く無い。意志の強い漆黒の眼差しは、時に、歴戦の大人も気圧される程の気迫を浮かべる事がある。妙に着やせする性質なのか、さほど目立たないが、鍛えられた体格は明らかに軍人向きだ。父親である伯爵とは全く違う、鋭く剛直な印象があるのだ。
「ダレット家は、正式な爵位継承権持ちの居る直系親族だ。その存在意義は重い。グレンヴィル氏の恩義に応えた事に、後悔は無いが……」
クロフォード伯爵の言葉が途切れた。微妙な沈黙が続いたが、事情を良く知るカーター氏は、穏やかな様子で謹聴の姿勢を続けている。
やがてクロフォード伯爵は、やっと顔を上げて、背もたれに寄りかかった。
「バカな話に付き合わせてしまったな。身内の愚痴をこぼす気は全く無かったんだが。今じゃ、小言の多かった兄の気持ちが良く分かると言うものだよ」
「いえ、相変わらずお元気そうで安心いたしました。実は私、これから急遽、出張する必要があるのです」
「ほう?」
「出張の前に、ご説明、及びご挨拶を……と考えていたので、今回のお招きは渡りに船でした」
クロフォード伯爵は適度な興味を持って、確認の質問を投げた。
「長い出張になるのか?」
カーター氏は椅子の下に置いていたカバンから書類を取り出すと、再び言葉を続けた。
「交渉相手次第ですが、話がスムーズに行けば四日ほどかと思われます。偶然にも、それほど遠くなく……アシュコート伯爵領の辺境です。クロフォード伯爵家にも関わる内容なので、詳しく説明いたします」
「ふむ」
「私は、三ヶ月前に死亡した地元紳士……アントン・ライト氏の遺言書を預かっておりましたのです」
伯爵は思わず身を起こしていた。新年の頃、ローズ・パーク邸の地所にあるコテージの中で、突然の謎の不審死を遂げた、あの老庭師の事だ。
「アントン氏の遺言書だと? それは初耳だ」
「その内容は、ごく簡単なものです。アントン・ライト氏が所有するローズ・パーク邸の一区画の庭園オーナー権を、アイリス及び、アイリスの子孫に譲る」
――以前から承知している内容と、今まさに知ったばかりの内容が、完全に矛盾している。
伯爵はカーター氏をまじまじと見つめ、疑わしそうに口を開いた。
「……アイリス・ライト……? アントン氏の一人娘は死亡したと聞いているが。急に一人旅に出て、旅先で事故に遭ったとか……」
「手違いで、別人の死体と取り違えられていたそうです。結婚指輪をしていない良家の娘が、妊娠していたとは誰も思わなかった……という事でしょう」
「……妊娠していた!?」
「死亡報告書作成の時点、妊娠二カ月だったそうです」
カーター氏は、手元の数点の資料を並べて慎重に確認していた。注意深い弁護士にしては珍しい事ではあったが、伯爵の顔色の変化に気付きが及ばないまま、説明を続けたのである。
「通称『ライト夫人』、五年前まで生存。風邪をこじらせて死亡。子供の方は、現在アシュコート伯爵領内で生活。役所文書の記載が矛盾しており……首都の記録も錯綜していて追跡調査が困難な状態ですが、子供が生存しているのは確かです」
カーター氏は更に資料をめくり、説明を続けた。
「ローズ・パークのオーナー協会からは、早く空白の一区画の相続オーナーを明らかにして欲しいと言って来ていますし、彼女がタイター氏含む親戚筋のビリントン家よりも、誠実かつ善良な管理人になるならば、クロフォード伯爵家にとっても良い話です」
「彼女……? 娘なのか?」
カーター氏が手に入れた資料や記録ノートの内容は、まだ周辺の事実確認が済んでいないため、全体にわたって矛盾する記述が錯綜しているという状態だ。頭の痛くなるようなバラバラな資料の群れだ。
「書類上は女性ですね。各種記録の混乱を見ると『男の娘』疑惑もありますが。アントン氏が遺言書を作成したのは、かなり前です。当該遺言書の『子孫』記述は、条件付きで女子をも代々指定相続人にする事が可能となる、重要な文言です。アントン氏は遺言書作成の時点で、娘と孫娘の生存を認識していた模様……この謎はさておき、生存する指定相続人、すなわち、アントン氏の孫娘が死亡または相続放棄の場合、くだんの一区画は、クロフォード伯爵家に返還されます」
――とりあえず、一定以上の確証が得られた要点をまとめる事は、できた。カーター氏はホッと息をつきながらも、資料を片付け始める。
「私は今回の出張で当該相続人に会い、本人特定のうえ、今回の案件に関する本人の意思を確認します。以上で、説明を終わります」
「アントン氏の孫娘……アイリスの娘について、他には何か……?」
その時、初めて、カーター氏は、クロフォード伯爵の様子が不自然な事に気が付いたのだった。
――わずかとは言え顔色を変え、不自然に口ごもっている。
弁護士としての観察力は、伯爵がそのわずかな変化の裏で、全身を耳にしている事を告げていた。
――この案件に関して、クロフォード伯爵は、不思議なくらい強い関心を寄せているらしい。
カーター氏は首を傾げながらも書類を再確認し、分かる限りの補足を付け加えたのだった。
「今年25歳になります……そう言えば、タイター・ビリントン氏には、良からぬ噂が数々ございますね。相続争いになると、成人済みとは言え、身の危険が予想されます。領主として、お力添えを頂けますか?」
「勿論だ!」