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花の影を慕いて  作者: 深森
第一章 ミステリー・クロス
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クロフォード伯爵邸…春の事件

あのローズ・パークの地所の片隅で起きた、老人の突然死事件から、三ヶ月ほど後。


既に四月である。


クロフォード伯爵その人が住まう豪壮な伯爵邸でも、『復活祭』に伴う春季の地元社交シーズンを終えたばかりであった。


白い雲が漂う穏やかな午前中の頃。


春の陽気に誘われて一斉に伸び出した庭木の緑の新芽は、瞬く間に若い葉を開き、クロフォード伯爵邸の周囲に緑の城壁と回廊を築きつつある。周りに広がる広大な庭園もまた、数日のうちに、色濃い木蔭を完成させるだろう。


クロフォード伯爵邸は、ローズ・パーク邸とはだいぶ趣が異なる建築物である。中央部にひときわ高くそびえる屋根を持つ部分は、カッチリとした直線的な石積みの壁に細長く高い窓が並んでいる。多くの騎士が活躍した、いにしえの時代を思わせる古風な建築様式だ。


その中央部を中心に、各地方の比較的大きいタイプのカントリーハウス建築と同様に、両翼の建物が中央のラインに対して直角に伸びていた。全体としては、『H』の構造となるように組み合わされている。


この土地一帯の領主であるクロフォード伯爵の住まいであると共に、部分的ながら地元の役所と社交場とを兼ねているという事もあり、部屋数は、この地方の大抵の建物に比べていっそう多い。


クロフォード伯爵邸の広々とした前庭で、クロフォード伯爵と治安判事が並び立って歩きながら会話をしていた。二人とも、40代から50代と言った年頃の、落ち着いた雰囲気の紳士である。


「再捜査の結果を、かいつまんで申しますと……」


話題を変え、先に口を開いたのは、治安判事だ。ガッチリとした風貌の大男は、強い癖をもつ赤っぽい髪をシルクハットの中にグイグイと押し込みながらも、普段は陽気そうな灰緑の目に、難しい表情を浮かべていた。


治安判事に半歩遅れてゆったりと歩を進めるクロフォード伯爵が、わずかに顔を上げた。シルクハットの下に、淡い茶色の髪と涼しい目元が見える。顔立ちは、随分と整っている方だ。伯爵は治安判事と同じ年頃ではあるが、しかし見てみると、ずっと線の細い体格である。貴族のたしなみとして平均的な程度には身体を鍛えてあるのだが、スラリとした印象が際立っている。


「アントン・ライト氏の死亡は……どう見ても、事故では無く殺人ですな」


「殺人……」


クロフォード伯爵は眉根を寄せ、顔を曇らせた。


アントン・ライト氏――アントン氏とは、あのローズ・パークの地所のコテージで、突然の不審な死亡を遂げた老人の事だ。


「冬の社交シーズンの真っ最中と言う事で、ローズ・パークのオーナー協会の体面もあって、早急に事故死として処理せざるを得ませんでしたが……」


治安判事は、それだけの事をボヤくと、やれやれと言った様子で肩をすくめた。クロフォード伯爵も暫し沈黙し、そして嘆息するのみだ。


「何という事だ! アントン氏は以前、ローズ・パーク邸の庭園修繕に関わった功労者だったんだ……オーナー協会設立、当初からの人だよ」


「まさしく。彼は素晴らしい庭園管理の技術をお持ちでした。あの意思の強い、偏屈とすら言える頑固一徹の性格が、誰かの恨みを買ったのではないかと……」


三ヶ月前に起きた領内の未解決事件――すなわち、アントン氏不審死事件の報告を続けていた治安判事は、庭木に急に行く手を阻まれ、「おっと」と言いつつ、手に持っていたステッキで枝葉をどけた。


「前に来た時より、枝が荒れ放題になっていると見えますが……リチャード殿、此処の庭師は?」


「アントン氏が今まで管理してくれたのだが……彼が不幸にも亡くなって以来、完全放置なんだ」


クロフォード伯爵はシルクハットの縁に手をやって、困ったという風に、曖昧に首を傾けるのみだ。


伯爵と治安判事の行く手には、既に軽装馬車が用意されていた。穏やかな天候という事もあり、馬車の天蓋は畳まれている。その周りでは、御者や従者が馬車の整備作業を続けていた。


伯爵はその前で立ち止まると、改めて判事を振り返った。


「ローズ・パークのオーナー協会に声をかけて、適当な庭師をご紹介頂こうと思っている……」


「ああ……それで、これから馬車で協会をお訪ねに……」


「そういう事だ。プライス殿も一緒に来るか? アントン氏の件について詳しく聞きたいのだが」


「では……、ご一緒いたしましょう」


判事は了解し、馬車に乗り込む伯爵の後に続いた。


クロフォード伯爵は、不意に判事に向かって青い目をきらめかせ、イタズラっぽくウインクして見せた。


「例の面倒極まりない金と女のゴタゴタが、何とか収束に向かった……これでやっと庭園の問題に取り組めると言うものだ」


無言で目をパチクリさせる判事。馬車に乗り込むと、急にピンと来た顔になって、バッと振り返る。


「弁護士なしで、あのトラブルのカタを付けたと言うのですか! 確か、カーター氏は、最近はひどく多忙で――あのトラブルには、タッチしていない筈……」


伯爵は得意そうな顔でうなづき、次いで座席の背にもたれつつ腕を組むと、更に説明を続けた。


「実はそうなんだ。キアランが対処して……」


その間にも出発の掛け声をかけ、馬車馬に合図をした御者であったが――


馬はいきなりいななき、暴れ始めた。


御者がギョッとする間も無く、馬車馬は揃って暴走した!


急激な加速に驚いて声を上げる伯爵と判事。


「おい、どうしたんだ……どうどうッ!」


御者も必死で馬を落ち着かせようとしたものの、馬はもはや制御不能の暴走状態だ。


凄まじい騒音を撒き散らしながら、メチャクチャに爆走する暴走馬車。


新しく駆けつけて来た他の従者たちも、暴走馬車をどうやって止めたらよいのか分からないままに、唖然として見送るばかりだ。


馬車は暴走を続け……館の敷地内の庭木に激突した。


その凄まじい衝撃で、伯爵も判事も、そして御者も、各々の座席から放り出された。


馬車は無残に破壊されて転がった。壊れた車輪の一部が茂みに突っ込んでいく。


御者の咄嗟の機転で、手綱を切られていた馬車馬は、てんでバラバラに駆け去っていった。呆然としていた馬丁たちが、慌てて後を追う。


プライス判事は素早く身を起こした。近くでぐったりと横たわっている伯爵に気付き、駆け付ける。


「大丈夫か、リチャード殿……」


伯爵は激痛に顔を歪めて、脚に手をやっている。判事は、その脚の状態に気付き、青くなった。


「――脚の骨が折れてるぞ!」


遥か前方に放り出されていた御者が、ようやく起き上がって来た。幸いに御者は、プライス判事と同様、軽傷だったのだ。帽子を何処かに落としたまま、御者は慌てながら駆け寄って来た。


「済みません、伯爵様! 何で馬が暴走したんだか……」


*****


昼下がりをよほど過ぎた頃。


「父上! 大怪我をしたとか……」


黒髪の青年が動転した様子で、クロフォード伯爵の寝室に飛び込んで来た。


伯爵は、寝室のベッドの上で老医師に治療を受けている真っ最中だ。


「ああ、幸い大怪我で済んだよ……、うわ、痛い!」


一旦いなして見せたものの、伯爵は、次の瞬間には骨を大胆に処置され、悲鳴を上げていた。


後頭部を残して禿げ上がった頭と立派な白ヒゲを持つ老医師は、伯爵の悲鳴をものともせずに、極めて手際よく、かつパワフルに処置を済ませていく。


処置が一段落すると、老医師は薄い水色の目をギョロリと剥き、吼えた。


「脚で済んで幸いだったと申すべきです! 首の骨を折っていたかも知れんのですからな!」


やがて必要な処置が全て終わり、伯爵の寝室を退出するべく扉の前まで来ると、老医師は、黒髪の青年に当分の間の注意を与えた。


「少なくとも十日間は安静にするように。では、明日また往診いたします……お大事に」


「有難うございました、ドクター・ワイルド」


黒髪の青年は、丁重に一礼した。


「人払いをしてくれ、キアラン」


クロフォード伯爵に声をかけられた黒髪の青年――キアランは、一緒に駆け付けていた金髪の青年やメイドを、一旦部屋から遠ざけた。扉はピッタリと閉じられた。


部屋に残っているのは、クロフォード伯爵とキアラン、そしてプライス判事の三人のみだ。


伯爵は真剣な表情でキアランを見やった。


「キアラン……この馬車事故は、誰かに仕掛けられたものだ」


「えッ?」


「残念な事にな」


同じく伯爵のベッド脇に――キアランの反対側の方に『ぬーっ』と立っていたプライス判事が、溜息をつきながらも説明を補足した。そして、その上着のポケットの中から、小ぶりのバラの枝を取り出して見せた。


「バラの枝が、馬の装備の陰に仕込まれていた……このトゲ故に、馬が暴走した」


――暗殺未遂。


キアランは息を呑んだ。


表情こそさほど動かなかったものの、意志の強そうな黒い瞳には、剣呑な光が宿る。


プライス判事はバラの枝を懐に納め、再び言葉を続けた。


「あの馬車は、普段は君が使っている……キアラン君。偶然にも今日の君は、エドワード君と乗馬に出ていた……別の馬でな」


「元々は……私を狙ったものだと?」


キアランの眉根が、きつく寄せられた。


「――まさか、彼が? いや……彼は、確か館への出入りを禁じた筈だから……」


「いずれにせよ、もう少し事情が明らかになるまで、この事実は皆には伏せておくべきだ。治安判事の腕にかけて、必ず犯人を捕まえて監獄送りにしてやる!」


*****


執事が伯爵の寝室にやってきて、ドアを叩き始めた。


「もし……失礼いたしますが」


執事は次いで寝室に入って来ると、クロフォード伯爵に一礼する。


「ディナーのお時間でございます。食事は如何なさいますか?」


「悪いが、余り食欲が無い……茶だけにしてくれ」


ベッドの中のクロフォード伯爵は、疲れた様子で頭に手をやっていた。そして、ぐったりとしたように枕の中に沈み込んだのだった。


執事は、滑らかに一礼して部屋を退出していった。


その後にプライス判事とキアランが続く。


キアランは、ふと顔を曇らせて、クロフォード伯爵をそっと振り返った……


やがて、寝室の扉が静かに閉じられた。

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