ゴールドベリ邸…謎へ続く道
早朝、ゴールドベリ邸の入り口の小道に、四頭立ての長距離用馬車が手配された。
後方に、身辺警護を担当する従者のための席を備えており、見るからに上流貴族の御用達の馬車だ。わずかに緑色を帯びて艶めく黒い車体には、クロフォード伯爵家の紋章が刻まれている。
御者は二人交代制であり、二人のスタッフの間で、御者と従者の役割を交換するようになっている。
御者と従者は、ルシールの荷物を馬車に積み込み始めた。その近くで、キアランとカーター氏、エドワードがヒソヒソ話をしている。
アンジェラとルシールは暫しの別れを惜しんだ。春とは言え早朝の冷え込みはきつく、二人とも外套をまとっている。アンジェラは、小柄な親友の身体をギュッと抱き締めた。
「向こうに着いたらお手紙を書いてね、ルシール! タイター何某の有象無象なんか、粉みじんにしてやっつけちゃえ!」
アンジェラには、『タイター氏との相続争いは大変になるだろう』と言う予感があったのだ。
*****
キアランとカーター氏、そしてルシールを乗せたクロフォードの馬車は、前方の御者席に一人の御者、後方の従者席に一人の従者を備えて、順調に出発した。
アンジェラはエドワードと並び、馬車の影が見えなくなるまで見送る。
「ルシールは動転すると真っ白になる性質だから、色々心配……」
「大丈夫ですよ。キアラン=リドゲートは、有能な男です」
エドワードは余裕の笑みをして見せたが、アンジェラは憂い顔で、森の中の朝の小道をそわそわと歩き回るばかりだ。
「寂しいですか?」
「ええ……、ルシールと私は、生まれた時以来、ずっと一緒にいましたから。クロフォードでは、ルシールは事件に巻き込まれそうな気がするけれど、大丈夫かしら?」
「それは、あなたの不思議な勘ですか? ゴールドベリの……」
「オリヴィア様ほどでは無いけど、ハズレはありません。ただ、自分の事は見えなかったりするので。父の領地では、色々と緊張しますね」
アンジェラは暫し沈黙していたが、急に何かを聞き付けたかのようにキッとした顔になり、エドワードをサッと振り返った。
「あなた、何か文書を持っているのでは?」
「分かりますか」
エドワードは、何か楽しい事を企んでいるようなイタズラっぽい笑みを浮かべていた。そうしていると、大人なんだか子供なんだか――と言う風だ。
「一体全体……何をもったいぶって……見せて下さい!」
予期せず、からかわれる形となったアンジェラは、エドワードに猛然と飛びかかり、その乗馬服のポケットを次々に探り始めた。
この金髪紳士、背丈はあるし、チャラチャラしたファッションのくせに、その下の体格は予想以上に逞しい。何処にどうやって隠したのか、探り出すにはコツが要る。
果たして怪しげな書状が出て来た。
「此処の治安判事ジャスパー氏から、あなた宛の書状を預かっただけです」
エドワードの弁明に、アンジェラは仰天した。
アシュコート伯爵領の次席の治安判事ジャスパー氏は、その腕を買われて、首都の最近の疑獄事件を扱った経験もあると言う名判事だ。目下ジャスパー判事は、ロックウェル事件の捜査に関わっている。信頼できない人間には、絶対に自分の署名が入った書状を託さない筈だ。
「ジャスパー判事と、もうお知り合いなんですか!?」
「驚きの再会でしたよ。都で多少の知遇を得てはおりましたが」
エドワードは、都会的な洗練された面差しに気の置けない笑みを浮かべている。アンジェラは、キッと眉を逆立てた。
「……何か、企んでいらっしゃる? エドワード卿……」
アンジェラの表情の変化を見て、さすがにそろそろヤバイ、と判断したエドワードである。
「昨夜は、舞踏会の最終の夜でした。例の有閑マダムと、ダンスをしたんですよ」
「……!」
アンジェラは鋭く息を呑み……呆然と立ち尽くした。
「彼女の名前は、マダム・リリス。あなたの父上・ロックウェル公爵の59番目の愛人。本人いわく、真のロックウェル公爵夫人」
「……お勧めじゃ無いって言ったのに……どうして?」
「物心ついた時分には――あなたの父上は既に、ひっきりなしに愛人を取り替えていたと言う状況だったのですね」
アンジェラはエドワードを睨む。
「私の質問に答えて無いわ」
エドワードは馬を牽きつつ、アンジェラの方を再び振り返り……暫し沈黙した。
朝の光がアンジェラの金髪をキラキラと輝かせ、陶磁器のように滑らかな白い顔は、苛立ちで上気している。だが何よりも印象的なのは、神秘的な透明感に満ちた深い緑の目だ。
エドワードの口の端に、意味深な笑みが浮かんだ。
「――理由? それは実に単純ですよ。私は、アンジェラ嬢をもっと詳しく知りたいだけですから」
如何にも放蕩紳士と言った風の返答だ。アンジェラは怒髪天である。
「バラバラ死体になっても知らないから! バカ!」
エドワードは素早く馬に乗り、陽気に声をかけた。
「では、また明日会いましょう」
「もう会う事は無いわよッ!」
アンジェラの方は、苛立ちの余り叫びながら、ピョンピョン飛び跳ねるばかりであった。
*****
エドワードは朝の乗馬を続けながら、昨夜の時点で新たに判明した内容を整理した。
分かった事は随分あった――いずれも、アンジェラが自分の口から話そうとしない内容であろうと予期できるものだ。
昨夜のダンスの後。
マダム・リリスは、自分の秘密の快楽の園に、美しく若いツバメたちを集めた。頭が相当に空っぽな色とりどりの美青年たちに囲まれて、強い酒をしこたま楽しみ始めたのだ。
やたらとアルコールに強い、恐るべき体質の女。
エドワードは数種類の薬剤をこっそりと用意しつつ、更にリリスの酔いが相当に深くなった頃を慎重に見計らって、素知らぬ顔でツバメたちの中に混ざった。
贅沢を凝らした大きなベッドの周りでは、不健全な酒池肉林が展開している。
マダム・リリスは、逆ハーレムとアルコールとアヘンを同時にたしなむ女帝だった。
次々に強い酒を飲み、ほどよく出来上がったマダム・リリスは、数々の自慢話をし始めた。アルコールとアヘンに酔い、頭が回らなくなった美青年たちが、内容に関わらず口々に賞賛を浴びせている。
エドワードの盛った自白剤も相まって、皆で管をまき始める。エドワードは慎重にマダム・リリスの傍に寄り、睦言をささやく格好で、誘導尋問を仕込み始めた。
『バラバラ死体の人、誰?』
『あはん……あの、色気も皆無なビスクドール、何回も裁判、うざいわねぇ、そろそろ、どっかで、バラバラ死体にしとこうかしらぁ、ねぇ?』
『……裁判?』
『墓場から復活した、何処かのゾンビの娘、血統違いで、余計恨みも重なるってよぅ?』
『血統違いって?』
『ユージーン、この間、ネズミの血統をプレゼントしてたわよぅ、いぃ気味~』
『それ、ズタズタになったネズミの死体の事か?』
『ユージーンったら、紋章付きの小箱に綺麗に詰めて、緑のシルクのリボンを丁寧に付けてたわよ、オホホ、オホホ~……』
いつしか、マダム・リリスは熟睡に落ちていた。
エドワードが、自分に関する社交界での軽薄な噂を放置し、更に面白がって助長していたのは、趣味を兼ねた全く別の目的があっての事だが、思わぬところで――妙な形ではあるが――役立ったのだった。
その後、エドワードはマダム・リリスから聞き出した事を整理して、ヒューゴの仲介のもと、アシュコート伯爵領の治安判事を務めるジャスパー氏に照会したのである。
ジャスパー判事は、ネズミの死体を送り付けたのはロックウェル公爵本人であったという証言を得てガックリすると共に、重要証言を引き出して来ると言うエドワードの手腕に感心していた。
『懸案事項だった「ネズミの死体の箱詰め事件」の真相は判明したが、このような形になるとは。アシュコート伯爵がおっしゃるには、25年前までのロックウェル公爵、普通に人当たりの良い人物だったそうだ。新婚だったから、各地の社交界にも、公爵夫人と共によく顔を出しておられたと』
エドワードは、記憶にある貴族名簿をおさらいし、素早くうなづく。
『ロックウェル公爵夫人は、今は亡くなられたとか』
『ロックウェル公爵夫人セーラ・スミス・クレイボーン。25年前の馬車事故で即死だったそうだ。夫妻揃っての、お忍びの外出だったゆえ、ご遺体の損壊状況とも相まって本人確認が困難だったとか』
ジャスパー判事の説明が続く。
『レディ・アンジェラ、いや、アンジェラ嬢は当時、生まれたばかりだった。今、アンジェラ嬢は、亡き母堂の名誉のために親子認知の裁判を起こしている。アンジェラ嬢の出生証明書には役所の遅延ミスによる誤記があって、修正された文書への、ロックウェル公爵直筆の署名を取ろうとしている。愛人の数は増える一方だし、59番目の愛人マダム・リリスに至っては、我こそ真のロックウェル公爵夫人、セーラ・スミスは過去の愛人のひとりに過ぎなかった、と吹聴している有様でな』
途中からジャスパー判事は憤然とした顔になり、首を振った。
ヒューゴが口を挟んで来る。
『先輩、ロックウェル公爵は、その馬車事故で容貌をひどく損ない、大怪我をしたために全身の体格も歪んでしまってるそうなんです。それで、仮面で顔を覆い、マントで全身を覆い隠して、城に引きこもって生活しているそうです。あのバラバラ死体の事件でも、マダム・リリスから情報提供してもらう他に手段が無いんですけど。彼女、やたらと用心深くて、ギャングの用心棒を付けてるし、頭の空っぽなツバメしか傍に近付けないし、大量のアヘンで煙幕を張ってるし。何人か忍びを送ってはいたんですけど、薬物中毒の死体になって帰って来るという状況で……』
エドワードは、あごに手を当てて思案ポーズになった。
『……奇妙な点がありますね、ジャスパー判事。ロックウェル公爵は59回、愛人を取り換えた事になりますが、子供は、アンジェラ嬢のみ……』
『理由は分からない。アンジェラ嬢は、そこに望みをかけていると言っていた。私としては、父親としての良心を信じたいところだが。私にも娘が居るからな』
エドワードは無言で耳を傾けていた。ふと、胸ポケット内の書状に気付き、取り出す。
『失念してた、ヒューゴ。マダム・リリスから招待状をもらったんだが……』
ヒューゴは文書を改めるなり、ポカンとした顔になる。
『早速、夜の私的パーティの招待状をもらうなんて、よっぽど頭の軽いイケメンに見えるんですね、先輩!』
ジャスパー判事は、目をパチクリさせるのみだった。




