昭和31年春④
放課後、姉妹揃ってテニス部に在籍する桜子と蓉子は共に帰路を歩いていた。
「姉さん、今度の練習はいつだったっけ?」
「明後日」
テニス部はコートが整備されているので毎日でも練習出来るのだが、他クラブとの兼ね合いもあって練習量は週2回。
野球部など、部員数の多いクラブは練習量が多い。
時刻は日が暮れ始めていることから、夕方の6時近くだろうか。
高校生の上の姉・苗子の帰宅はもっと遅いのだが、彼女より1歳年上の小林甫に関しては5時でも自宅近辺を彷徨いていることが容易に想像出来るので、妹の護衛に熱が篭る桜子。
本当に、自宅や学校近辺で蓉子と甫が遭遇する確率は高いのだ。だが、危害を加えないだけまだ可愛いものである。
「じゃあ、明日はクラブ無いんだよね? 私久しぶりに譜面を探しに行きたいな」
「いいね! 一緒に行こう」
譜面を探しに行くのなら、甫とは遭遇しないだろう。良からぬ方向に思考が動く。
そのときだった。
「こんばんは、蓉子ちゃん」
後ろから、声が飛んできた。
この近所で『ようこ』という名を持つ者は……阿部蓉子しかいない。
「こんばんは、甫さん」
「今日はクラブあったんだ?」
「はい。甫さん……は、クラブには入っておられませんでしたよね」
「ううん、テニスをやっているよ」
この甫は、蓉子に影響されて高校3年生にもなって未経験のテニスを始めたという。
動機は『蓉子ちゃんがやっているから』という大変不純な物だったが、練習が無い日も阿部家に面していない庭で何時間も熱心に練習している辺り、熱意は本物のよう。
将来の夢は、蓉子とテニスボールを打ち合うこと。
テニスコートの恋の数年前の話である。
「わあ、そうなんですか? 同じですね」
二人は睦まじく談笑しているが、当然のことながら黙っていない者がいる。
蓉子の下の姉・桜子。
彼女は妹にもうすぐ夕飯だよ、と声を掛けて、立ち去らせた。
「お夕飯、何だろうね」
「早く食べたいねー」
朝よりは会話が成り立ったものの、それは一瞬で過ぎ去った甫であった。