昭和31年春③
苗子が朝と格闘している時の、桜子と蓉子の話。
中学校までの通学路を、桜子と蓉子は仲良く歩く。
「姉さん、今頃お父さまに叱られているだろうなー」
阿部家で一番の早起きは母で、次いで父である。
そして、三姉妹で早起きなのは次女の桜子。
彼女は雨にも負けず、風にも負けず、夏の暑さにも冬の寒さにも負けず、毎朝5時キッカリに起きて一日の一通りのことを考えながら着替えるのだが、靴下は畳んで布団の足下へ入れてあるので年中温かく、制服も床の下に敷いてあるので常に平らになっている。
万事肩が凝らなければいい、と思うほどの几帳面であり、神経質だ。
決して神経衰弱ではないが。
次に早起きなのは桜子の妹の蓉子。
彼女は姉より早く目を覚ますが、悠々と床の中に入っており、姉が部屋を出た音がすると起き上がって壁にかけられた制服に着替える──という具合。
「苗子姉さん、男の子に混じって野球をやっているんでしょ。疲れないのかなあ」
「そうじゃない? 姉さん、体力だけは男の子と張り合えるから」
純粋に姉を心配する妹に、桜子は素っ気なく返答する。
姉が嫌いという訳ではないのだが、2歳違いの姉とはどうしても幼少期から負けん気が立っているのだ。
そうこうしているうちに、父の持つ田畑を出た。
すぐそこには家があるが、そこにはいつものように高校生の息子が立っている。
「お早う、蓉子ちゃん。桜子ちゃんも」
隣家の三男坊・小林甫。今年高校3年生になる。
高校は苗子と同じ県立第三高校で、1年先輩だ。
ちなみに、彼のすぐ下の妹は苗子の小学校、中学校の同級生だった。
通学中に小林家の前を通りかかるといつも立っている甫に特に疑念を抱くことなく声を掛けるのは、蓉子。
「甫さん、お早うございます」
実はこの甫、5歳年下の蓉子に恋慕しているのだ。
小学校は阿部家から小林家へ向かう道とは逆方向にあったため叶わなかったが、中学校は小林家のある方向にある上に、同じ通りを抜けると街に出る。
つまり、中学校の通学路は甫の高校の通学路にもなるため、彼は毎朝二人で通学する機会を窺っているのだが、蓉子の姉が邪魔をする。
「ホラ蓉子、遅れるよ」
蓉子の姉、桜子は甫の意図をしっかりと見抜いていて、意識的に警戒している。
いくら幼馴染みと言えど、可愛い妹に指一本触れさせないと息巻いているのだ。
毎日登下校を共にしているのも、そのためである。
「あっ、そうね。それじゃあまた、甫さん」
他人を疑うことを知らない蓉子は、姉の言うことを素直に聞いてしまう。
しかも甫の好意に全く気がついていないのも彼の悩みであった。
「どうしたら蓉子ちゃんが気づくのかな……」
甫が項垂れて落ち込んでいると、背後から聞き覚えのあるダミ声が飛んできた。
「甫兄ちゃんに蓉子ちゃんは高望みすぎるよ、全く」
「黙れ、サヨ」
声の主は甫の年子の妹・サヨだった。彼女は県立第二女子高に通う優等生でもある。
因みに第二女子高は、桜子の志望校でもある。
「確かにあれであの苗子の妹だよ? 可愛くて丁寧で……。
でも、兄ちゃんみたいなポンコツと釣り合うかって言われたら、兄ちゃんには苗子の方がお似合いだよ。それに兄ちゃん年増だし」
苗子となら、甫との年齢差は1歳だが、蓉子は苗子の4歳年下の妹。
5歳違いは許容範囲という人もいるが、どうやらサヨは違うようだ。
「そうなんだよ……」
身近にいる蓉子と同世代の少女は目下、サヨと桜子くらいという甫。
年齢差は大いに気になる点である。
そして、いつも朝に絡んできては散々兄の自分を小馬鹿にする優秀な妹を、憎しみを帯びた目で見つめるものの、遠くに蓉子の姿を見つけると思わず表情が綻んでしまう甫だった。