昭和31年夏⑤
神社へ向かう一本道で、甫はようやく自分の願望が叶ったことに歓喜を隠しきれそうもなかった。
「蓉子ちゃん、学校の勉強はどう? 今度、宿題を手伝うよ」
蓉子の姉・苗子と同じ高校に通う一つ年上の甫。進学組ではないため、今年の夏休みの宿題はさほど多くない。そういうわけで余裕綽々な彼は、自分の宿題をそっちのけに蓉子とのキャッキャウフフな勉強会を思いついた。
彼女が、よく姉の桜子が近所の子に勉強を教えているという情報を日々たれ込んでいることにヒントを得たらしい。
しかし、それは甫の兄や妹でも、蓉子の姉でもなく、蓉子自身に一蹴された。
「ありがとうございます。お気持ちは嬉しいけれど、夏休みの宿題は終わってしまったんです」
ジャジャジャジャーン!
この時、甫の脳裏に以前彼女が好きだと言ったクラシック曲が流れた。流行歌でも演歌でも民謡でもない、クラシックとは何だろうと疑問に思って3年前のお年玉を全て使ってレコードを買ったのだ。
そのレコードから流れてきた曲が脳内を掠めた。裕福な家の友人宅で聴いた曲だ。
「えっ? 今日は7月30日だよ?」
「私、一昨日終わらせてしまいました。ごめんなさい」
「良いんだよ! 蓉子ちゃんは謝らなくていいんだ。じゃあどこかに遊びに行こうよ。夏休みの間にきっと」
「えっ、いいんですか? 嬉しい!」
夏休みの始めは通常、7月20日前後。今年は22日からだった。
膨大な数の中学校の夏休みの宿題を、たった1週間足らずで終わらせてしまった蓉子におののき、こうなったら自分も早く終わらせようと自らを戒めた甫。
その戒めが効いたのか、翌日から自分の部屋に籠って宿題を終わらせようとした甫だが、何者かに「甫はまだ宿題に手をつけていない」という話をされて蓉子が驚いたというのは別の話。
そして、高校の夏休みの宿題の量が見込み以上に膨大だったため、夏休みの間に遊びに行くという願望も潰えた。