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Dear me  作者: 執筆f
1/1

~It was like a nightmare~

好きって言ってみた。大学生にもなって情けない話だけど、僕にとってはこれが初めての告白だったんだ。

 並木が生い茂る公園の通り、連なるベンチの内の一つに二人で腰かけていた。高ぶった思いは、至って平凡な言葉に乗せて放たれた。

それなりに覚悟を決めてきたから言葉自体は出たんだけど、反応がその、薄くてね。「聞こえないふりでもしてるのかな」なんて考えてさ、どんどん顔があげられなくなってきちゃったよ。大体、昔からこういうのはあんまり好きじゃないんだよ。皆の経験談とかそう言った話ってよく片思いに始まって片思いのままで終わるじゃない、やっぱそんなもんなのかなって。

辺りの冷え切った空気は滞る喉奥の言葉を閊えさせた。一刻の経過を露骨に見せつける遠くの針時計は恥辱と焦りをより一層確かなものにしていったが、どれだけ望んでも彼女は口を開かない。いつの間にやら判決を待つ被告人の立場と自分を重ねていた。

時間が経てば経つほどに後悔って深く引き込んでいくんだよね。だんだん耐えられなくなってじっとしていられなくなるんだ。「いっそこのまま逃げ出してみようかな」ってなるんだよ。そんな我儘に甘えてきたから今まで告白っていう段階までいけなかったのかもしれないけどさ。

顔も見れない気まずさが絶頂を迎え、特に何ということは無いが立ち上がった。だが震えた足で逃げられるわけもなく、曲りなりにそれを隠すように自然な感じを装い尋ねた。

「コーヒー買ってくるけど、何か他に・・」

「私も」  「えっ?」

「・・・付いてくよ」

「あぁ・・うん行こう。」

意外だったね、心なしか手応え感じちゃったりしてさ、あんまり図には乗れないんだろうけど。でも何か敢えて何かしら言おうとしてるのを堪えているようには見えたんだよね、思い込みかな、チラッとしか顔見えなかったけど。それに女の人の表情程読みにくいものも無いってことぐらいは僕も知っている。これまでだってどれだけ、これって気があるサインなのかなって無駄に意識とかしちゃってさ、その時も恥ずかしかったけど、思い返せばより熟成したのが出てくるっていうか、桁が違うよ、もう恥ずかしい。期待とかするものじゃないね、来るはずないんだって半ば諦めている位がちょうどいいんだよ。

 そろそろ何だろう、こういうのもまた情けないんだけどさ、泣きたいわけでもないのに目蓋が熱くなってきちゃった。目の前が涙で滲んでくるんだよ。でもさ、まだここで折れるわけにはいかないんだよね。そんな気はするんだよ。かっこつけるわけじゃないけど男として生を受けたからには、そんな情けない姿を晒すわけにはやっぱりいかないよ。とりあえず上を向いてギュッと眼を閉じて、袖で目を拭ってみてさ。

頬は文字通り赤く染まり、コーヒーの用途を見失うほどに暖かくあった。真冬の夜に汗を垂らす姿はいささか怪しげである。仄かに赤みを帯びた目は煮えたぎり、感情の高ぶりを実にわかりやすく表していた。

「あのさ」 

「ん・・・?」

「その、さっきのは・・・私にってことでいいの・・・?」

その、なに沸騰しそう。心臓が弾け飛びそうな位早いんだよ、どうしようか。なんて言おう。

 一瞬の間をもって、口を開いた。震えた声が雪空に翻る。

「そうだけど・・・」

言っちゃった、なんかこういう気分って今なるようなものじゃないと思うんだけどさ、もうなんか間を埋めたくなっちゃうよ。さっさと二本のコーヒーを買っちゃって彼女に渡した。

「ありがと」

とりあえず胸を撫でおろしたっていうか、そのそわそわしちゃってるからさ・・・いい響きだよねアリガトって。

 買ったコーヒーを飲もうとベンチに戻ったわけだけどさ、まだ熱かったよコーヒー。仕方ないからズズッズッて啜ってたんだけど、彼女がコーヒーを膝の上に置いたからさ、いよいよかなって思った。僕もコーヒーを置いて。

「好きだよ、私も」

ハッと焦点を彼女に合わせて見つめた。彼女は俯き、マッチに点いた火のように耳を紅く染めていた。

一瞬の内に流れ込む幸福感と高揚感が暖かく押し寄せ緩やかに包むように心を満たしていく、そんな気がした。自然と力を入れていた膝は崩れギシギシと椅子に負担をかけるように寄りかかった。

こう歪みない澄み切った幸せっていうのかな、気持ちがよかったよ。溢れ出しそうなほどにね。もはや返事をしようにも言葉が見つからないよ。っていうかもう言葉なんて非力な媒体に収めたくないんだこの思いを、その、最低なこと言うようだけど、僕もう彼女を押し倒す一歩手前位まで来ちゃってるんだよね。でもやっぱり、その、手を重ねるところまでに留めたよ。落ち着かないといけないや。

「手、冷たいね」

「そうかな」

「そうだよ、ほら帰ろう」

冷たい筈はないと思うんだけどな、自分で分かるからね、こんなに暑いっていうのに。

 細かい小麦粉のような粉雪が頭に積もった。それでも盛大に積もったハラハラの雪を払わずにお互いの手をしっかりと握っていた。

「雪だね」

「うん…」

「その…ゆっくりかえろうか」

彼女は少し嬉しそうに微笑んだが、その表情を隠すように無理して自然を装おうとしていた。相殺する心に一喝するように握る手の力を強めた。真似して同じように握り返した。

「うん」

白に染められていく道にサイズの異なる足跡をつけて、サクサクと音を鳴らしながら歩いて行った。

  



そもそも彼女とはどう出会ったのかって話なんだけど、結構最近の話なんだよね。大学生活一年目の春、ちょうど僕も住み始めたころにさ、隣の部屋に引っ越してきて、挨拶に来てくれたのが始まりなんだよね。そしたら大学も同じでさ、まぁ近いところに引っ越してくるんだからそりゃそうなんだけど。これからようやく憧れのキャンパスライフが始まるんだって、盛り上がったらしくて一人暮らしも決意したらしいよ。

それからも会うたびに少し、また少しと話して、そのうちに何か惚れちゃってさ。理由を言葉に起こせって言われたらちょっと難しいかな。でもよくドラマとかでも言う通り、好きってそういうものなんじゃないかな。恋に理屈つけ始めたらそれは冷めのはじめなんだろうなって。まぁ下心がないと言ったら嘘になるけどね。でもまぁ敢えて言葉にするなら、いちいち可愛いって言えばいいのかな、何かね分かってるんだよ男のツボを。居て楽しいからかな、いいよね、なんかさこういう新鮮みのある恋って、大学生で味わえてるのって結構得な話だよね。皆

「味気なくなるもんだよな女見てもだからやっぱり、中学の時好きな子って一番いいんだよ、あのあどけなさっていうか」

「あれ凄いよな、何かウズウズするっていうかさ、すげぇ健全な恋してる気分だったわ」

「何にしても殿堂入りっていうのが、あるんだよな」

なんて言ってたしさ、僕はそういう会話の度に頷いていたよ。だって移ろう時間もあれど女の子とは微塵も縁がなかったからね。寂しいものだよほんとに。

ともかく、あの夜から正式に恋人という関係を築いたわけだよ。「恋人」こんな響きのいいフレーズがあるだろうか、夢幻のものとは言わないけどさ、いわゆる「ラブコメ」だとか「恋愛小説」なりのそういうもんだと思ってたんだよ。だから何というか焦っちゃうよ。

というのもさ周りには中途半端な恋愛を繰り広げて満足している人間が多くてさ、相手のことをというより自分の「恋人同士」っていう位置を守りたい不届きな連中が多いんだよ。全く嫌な時代だ。だからさ「自分ならこうするのに」っていう負け惜しみが次から次へと浮かんでたんだよ。さりげない感じを装っていつまでも好機を待っていたって時間だけしか進まないんだぞって思っていた。傍から見ていることしかできなかったから言えたことなんだろうけどさ。

「あのさぁ、ここで泣いてる暇なんてさ…ないでしょ。誰が苦しんでるのか分かってるの?あと三か月しかないんでしょ、早く行きなよ」

かつて突然彼女を病で亡くした友人が居た。余命宣告を訊いて、抜け殻のようになっていた友人に相談を受けた。今思えばそんな薄っぺらな言葉で片付けられるべき問題ではないが、散々悩み苦しんでいた友人は「もういいか」と縛りを解くように安い励ましに涙を流し、急いで彼女の下に走って行った。

 今の僕にはそういうのが必要なんだろうな。不謹慎だけどさ、「早く行きなよ」ってすっぱりと割り切った言葉が欲しいなとは思うんだよ。

 何をしたら恋人らしくなるんだろう。そもそも世の恋人達は一体なんであんなにも余裕に振舞えるんだろう。普段、会話切り始めるまでに僕五分は掛けてるっていうのにさ。色々思い浮かべてみるんだけどやっぱりベタな恋人像になってきちゃうんだよ。デートと銘打つときは必ずと言っていいほどベタと呼ばれるスポットに誘ってしまう。

 某ランドやカラオケ、海風が届く小奇麗な公園でクレープを咥えながら歩いたりもした。映画も一緒に観た。温泉旅館に二泊、三泊したこともあった。そして時にはいつものように、二人であの公園のベンチに腰かけた。本当にこれでいいのかなとは何度も思ったけど、少なくとも楽しかったんだよ。「もう彼女が傍にいるだけでそれで良い」っていうそんなよく見かける言葉にさなんとなく浮かんだ温かみを遠くに感じてて、でも密かに希望を描いてはいたんだよね。一言で言うと、「僕もそんなこと言ってみたい」っておもってて、でも実際、いざこんな機会が来ると違うものだなと思うよ。卑怯だし情けない。

 でもね、とある日のことなんだけど二人で夜遅くに星を見に行った日があってさ。帰り道、自転車を二人で押しながら話していると、彼女が笑いながら言ってくれてさ。

「星綺麗だったね」

って。この笑顔に甘えて、それでも「これでいいんだよな」って思っちゃうんだよ。

「今度もっと綺麗なの見せてあげるよ」

満たされる日々ってなんだろうなって、たまには思う余裕があってもいいのかなって思ったり思わなかったり。

そして今、いつものように、二人で帰り道にある喫茶店に寄り、適当に飲み物を注文したところだね。

しばらく話しながらコーヒーを待っていたんだけど、そのうちにちょっとおかしなことが起こった。

椅子に腰かけているとその現象は起きた。感覚が徐々に無くなり、世界が色褪せ、やがてこの場を含む全てが止まって見えた。

「どうしたんだ」 って心の中で繰り返し思った。

もしかすると急性の病気かなって。フラっていくって聞くからさ。でも僕の身体のあらゆる感覚が無いっていうのにのに椅子にはしっかり重心とってもたれかかってるんだよね。でもね、身体が微塵も動かないの。あらゆる物理的概念を超越した感じ。

眩んだ眼を凝らして見ると、向かいの席に座っている彼女も止まっているように見えた。

 何が起きたかってそう、時間が止まったんだ。文字通り。動いていた時に握っていた焦げ茶色の分厚い紙コップを中心とした景色も、コーヒーの温度も、全てが死んで行くように何もなくなって。次第に視界も真っ暗になってきた。

 


 濛々と意識が戻ってきた。だがそこは賑やかな喫茶店ではなかった。時間の感覚がないにも関わらず、意識がはっきりしてくるまでが長く感じた。

何だか夢半ばに無理やり起こされた月曜の朝みたいに鬱々としてて、しばらくすると視界もはっきりとしてきたんだけど、目に突き刺さるようなこの日光がさ。普段慣れてないからかな、悪魔が浄化していくアニメのワンシーンみたいな気分だったな。

無限遠に広がる大空の中にいた。どう考えてもそこに立つのは不可能ではないかと思うような水色の上にいた。辺りに大きな雲も漂い、イメージとしては大空に張られた全面ガラスの中に閉じ込められたような感覚だ。だがそこに、上、左右の限界は感じなかった。

 眼球の焦点が合ってくると少し先に彼女がいるのが見えてきた。何だかぼんやりしてて、

いつもの彼女の雰囲気は感じられなかったな。現状の処理とかでいっぱい、いっぱいなんだろうけどさ。

 気づくや否やっていうのかな、すぐ駆け寄ったね。「もしかして僕死んだのかな」なんて不安が脳裏をよぎりながらも僕は足の動きを止めることができなかった。

 弱々しく震えた肩に手を添えて、名前で呼びかけた。

「・・・・・・・・」

彼女は黙ったままだった。というか反応が無いに近かった。普通の人なら誰でもこうなるのかな。そういう僕だって、漫画や映画は人並み以上に読んでいるはずだけど、背筋に伝わる緊張感がさ今までの比じゃなかったりするんだよね。冷や汗って初めて掻いたかも。

 でも、それ以上に僕はワクワクしていたね。正直さ恋人との安全で幸せな生活にそこまで魅力を感じていないっていうか、夢物語のような世界で冒険に冒険を重ねる日々に憧れていてね、その憧れの程度が過ぎて高校時代、根暗しかいないこと分ってるのに美術部に入部したほどさ。一種現実の固定概念からは遠く離れた夢の世界で全力で生きてみたかったんだよ。だからこの大空を目の当たりにして、胸が躍るわけさ。それこそ生唾を飲むほどね。

「大丈夫? 真っ青だよ」

 ようやくして届いたに反応した彼女は添えられた青年の手に自身の手を重ねた。

「言う割には、手、冷たいね」

「そうかな」

「そうだよ」

 いやぁほっとしたね、僕ってさ内側だとこうもおしゃべりだけど表面には全く我を出さないからさ、こういう微笑みを拝める一瞬をとりとめのない感慨に浸っているんだよ。一々ね。そういうところで成り立っているところあるからさ、僕。

「さぁ、どうしようか、これから」

「うーん、ていうかまず私生きてるのかな、ここがもう天国ですって言われたらもうそれはそれでって思っちゃうけど」


「僕の手冷たかったでしょ? 生きてるんだって、いい景色だけどさ」

「あ、また出た「僕」。ちゃんと「俺」に直しなよ」

「癖だしなぁ、それに両親のことパパ、ママってよんでないだけいいと思うよ」

彼女は「まぁね」と笑いながらゆっくり歩きだした。足場の覚束ない大空の上を。

 すっかり気分も晴れてどうでもよくなってくると反響するように男の声が聞こえてきた。

「最後の自分に別れを告げろ。たどり着けば、その手を握れる。歩き続けるのだ」

何だかアトラクションの演出にも感じたね。ちょっと何を言ってるのかはよく分からないけどとりあえず現状に納得していけなかったら付いていけない。現に僕らにはもう現実性のある世界の定義がよくわかっていない状態にあるわけだからね。

「えっ最後って言ったよね。あっそういうこと・・・」

どうやら吹っ飛んでんのは僕だけらしい。こういうのも何だけどまだ生死に対する概念があったとは、本当に女の人って逞しいと思うよ。

 半泣きの彼女の手をしばらくぎゅっと握っていると、僕も彼女も足先から半透明になっていた。でも不思議と感覚はあるんだよ。はっきりとしたやつがね。半透明化は足先だけに留まらず、徐々に浸食していった。こういう時浸食っていうのかな。僕は死ぬ前の心地っていうのがどういうものか分からないけど、確信はあったんだ。このまま消えていくことは無いなって。何の根拠もないだろうけど、僕は延々と続く旅路の一角を見た気がした。

「霞香、大丈夫?」

「・・・うん」

「大丈夫なんでしょ、力抜きなよ」

「・・・彼方はさ、どうして、そのぶれないの?」

「どういうこと?」

「いつもしっかりしてる人が取り乱したりとか、いつも元気で大胆な人がカタカタ震えてたりだとか、あるでしょ」

「あるけどさ、別にこれと言って個性もなかったからね」

「そうじゃなくて、だから」

「分かってるって、でも僕はさ弱み見せられる立場じゃないだろう。僕は男だぞ、不安になってるのが普通さ、怖いし何があるか分からない、でももう僕は、ある程度生きたし、親にも多少だけど恩返しできた。君と数えられないだけの時間を共に過ごした。もう未練もないし、望みがある。またどこかで会えるかもね」

「何言ってるのかわからないよ・・・」

「僕も分かってないよ、理解してないけどさ、片っ端から出てきた言葉浮かべてんの。僕は受け入れてるようでやっぱり受け入れきれてないんだね、君にもう会えないのかなとか思いたくないからさ・・・霞香」

「何?」

揺らいでしまった心を埋めようと彼女に抱き着いた。しっとりとした肌、柔らかい体、微かな温もり、細々として折れそうな体を精一杯抱きしめて離せなかった。ここで離したら本当に手放してしまいそうになったからだ。かけがえのない彼女を憧れを捨て切れない自分自身を。

 ずっとこうしていたいんだよね。温かくてさ、僕ってそこまで体しっかりしてる方じゃないけどそれでも僕の方がまだって思えちゃうほど柔らかいんだ。ちょっと力を加えたら崩れてしまいそうで、もう愛くるしくてたまらない。泣くつもりなんて全くなかったけどさ、仕方ないよね。

半透明化が髪の毛の先まで終わり、もう時間も無い。涙を流してそれを拭う、これを繰り返す彼女を青年は暖かな眼差しで眺めていた。

 脳裏で走馬灯みたいなのが変則的に流れてきて色々思い出した。短い時間だったけど濃い日々を送らせてもらったよ。今日より良い日を、明日より落ち着いた日々を望んではさ、そういう欲というか夢、夢というか欲みたいな日々を味わった。

 頬まで流れてきた大粒の涙を舌で舐めた。

 

 燦然と刺した光に飲まれるように豪壮な影が追って二人を包む。渺々たる空間は更なる膨張を続けて、瞬く間に破裂し拡散した。散らばった欠片を手に取ると、白色の中に輝きを散りばめたような何かが迸発し、再び光に包まれた。







「ねぇ父さん、なんでコバートおじさんの風車は何で回るの。そこにおじさんいるよ?」

「ケード、お前の頬に吹いているのは何だと思う?」

「何、風だよ・・・?」

「そう、だが風はお前にだけ吹いているわけではない。父さんにも吹いているしコバートさんにも吹いている。ということはあの風車にも当然吹く」

「うん・・・あっ風か・・・」

「そういうことだ」

「へぇ・・・。ねぇ、あそこから見たら村の外まで見えるかな」

「どうだろう・・・見せてもらうか」

「えっ」

少年の父は向かいの畑で農作業に勤しむ農夫に声を掛けた。

「すいません、コバートさん、ケードが風車塔から外が見たいって、連れて行ってもらってもいいですか」

「おぉそうかそうか、丁度羽根に油を塗りに行こうと思ってたところだ。どれ、付いておいで」

露骨に嘘を吐いたコバートの真意を窺った。作業に飽きたのだろうか、割と気分が良さそうにコバートは風車塔のドアを開けた。

 そもそもなぜ外の世界が見たくなったのか。少年には望む景色があった。父が旅したこの村の外の、ずっとずっと彼方先まで、見渡してみたい。半ば夢物語の情景を頭に浮かべて、毎日を過ごし、唯一の望みは達成されずに膨れていくばかりだった。

「そらっ行くぞ」

 立派なひげを蓄えたコバートは、農家に見合わぬその豊満な体を上下に揺らし軽快な足取りで所々にひびが入っていたり苔生していたりする年季の入った階段を上る。少年はその速さに何とかして追いつこうとよろめきながら付いて行った。

 無限を感じる程、果てしない螺旋状の階段を上り、やがて最上階までたどり着いた。

「ふぅ、着いた着いた、っと鍵は・・・これだ、よいしょっと」

鍵をあけ、埃を被ったドアノブを握り、ギィーと扉を開いた。

「どうだケードこれがこの村のてっぺんからの景色だ。初めて見るんだったよな」

 コバートの声が少年の頭には全くというほど入ってこなかった。

窓から顔を突き出し、絵本に描かれたような異世界に吸い込まれるように遠く広く感じた。一息ついて目を瞑りもう一度見開く、すると風が勢い良く吹きかかり、陰鬱とした世界の狭さをつれて、生命の営みに傾く陽光の元へ吹き抜けていった。いつもよりのっぺり、くっきりと広がった雲、見渡せる大地のほとんどを覆う涼しげでしっとりとした緑の木々、所々に潤いをもたらす湖。遠くに見える物々しい風格の城壁は威圧感を迸り、静かに街を囲んでいた。筆舌に尽くしがたい、そんな肌身で感じる世界に脳は痺れた。

恍惚の境地にまで達する目の前の景色に少年は自身を否定された気分になった。

 後から少年の父も到着した。「そろそろ帰るぞ」と言い出すのかと思いきや、少年をそっと放っておくようにコバートとともに油を差しに行った。

「俺が油をさしてくる、アンタものんびりしてきな、たまの休暇だろ、あの子は俺が見てるから」

「・・・じゃあお言葉に甘えて」

「おうよ、日暮れまでには帰すよ」

父は風車塔を後にして最愛の妻のもとに向かった。

 私は若いころから、望みもなければ何かに打ち込む根気も備えていないろくでもない人間であった。逃げ場を探して本を読んだり散歩をしていたりを繰り返し、ろくに孝行もしないまま親元を飛び出した。自分でもそれなりに覚悟を固めてきた以上引き返すこともできず、そのまま自分の目だけを頼りに歩き続け、いつの間にやら地方では名の通った旅人となった。

 

妻のフィリオとは旅先の街で出会った。当時、宿屋の娘をしていて、まだ私は客の立場だった。

 手続きを終え、荷物を部屋に運ぶとカウンターから彼女が出てきた瞬間にフロントが静まりかえった。何だと思い二人して店の奥のドアに目をやると切り捨てられた宿主を引きずって強盗が出てきたのだ。パニックを起こす余裕もなく膝を崩した数人の中で、一人立ちっぱなしの私は目立ったのだろう。真っ先に手下が狙ってきた。

旅の中で鍛えられた私の剣術はとても術とは呼べないものであったが、大振りでも人を切れるほどの速さがあったためにその場で二人を切り捨てた。よほど腕の立つ者だと思われたのか頭を睨みつけるとあっさり降伏してきた。

その流れというか、私は宿側の人間にえらく気に入られた。「いつでもおいで」なんてまるであるべき親の愛を思い出したように。だが私には引けない思いがあった。憧れ、飛び出た、この世界を目の前に人の情に浸って、時を過ごすわけにはいかない、その思いはだんだん決意の現れなどではなくただの意地になっていった。

だが彼女はその凝り固まった私の意地を緩く解くように微笑んでいた。旅の話、宿の話、自身のことは一切口にしないで、たわいもない話をしていた。永遠と続けられるようなそんな満たされた時間が、だんだん増えていった。本当に幼いころ、父から聞いたことを思い出した。

「女の微笑みに少しでも安らぎをもったら、悩み時だ。夢をとるか、愛をとるか。そんなとき、我儘は許されねぇ。どっちもはねぇ。揺らいだとこついて、腐っていくからだ」

何言ってんだかまるで分らなかったが、相当悩んだのだろう。父はことあるたびにその言葉を吐いて、私はそれを聞いて、定着していたのだろう。

 非力なくせして、でかい世界を思い描く。私には頭に浮かんでくる幻想の終着点を追い続けることに人生をささげようと思った。ただ、自分に力がない以上、それが露見するまいと人並みのことはやってのけたが、負い目がそれだけある。自分に少なからず期待があるからだ。だから私にはそれが枷のように忌々しかった。この夢に溺れたい。長らく私の願いはそれ一つだったからだ。

 でも、もう取り返しのつかない私には妻や子を見せてやるのが、世話になった親に対する唯一の孝行ではあるのだ。何だかこのまま落ち着いてもいいのかなと思えてきてしまった。

 隣で居眠りをこける彼女の寝顔を見ながら感慨に浸る。

 彼女が起きたとき、そっと問いかけた。

「俺と一緒に来てくれない・・・か」

「・・・旅路にお供という形になるんですかね」

「いや、その」

「分かってますよ、どういう顔するかなって」

「でも、近くそういうことになると思いますよ。あなたはそう簡単に望みを捨てるような人ではないでしょうし」

徐に髪を梳き、紐を口に咥えながら話を続けた。夕焼けに照らされる彼女は神秘的な相貌の裏に母性のある暖みがあった。

「でも、申し訳ありませんが、私は旅には出れません」

どうして? とは聞けなかった。

「立場的にこういうこと言うものじゃないんでしょうけど、私はあなたのことが、好きです。人としてもそうですし、その、男の人としても・・・」

「・・・」

神経を張り巡らして会話をしているせいか、自然に言葉が出なくなってしまっていた。ただ、私の迷いが深まるばかりで。

 一回、落ち着いて何も考えずにぶらぶらと風に吹かれてみたくなった。

「どこに行くんですか」

「ちょっと散歩に、夕飯までには帰るよ」

「・・・そうですか」

何も考えずといっていたのに、私は自然と表札を眺めながら歩いていた。彼女がまだ若いのに将来を見据えて宿屋で時間を過ごすその意味を知りたかったからだ。

無粋なことはわかっている。女であろうが何だろうが人の隠し事を暴こうというのだ。愚かな行いであることは重々承知している。だが足を止めることは出来なかった。日暮れに近くなったとき、彼女の名の付く家を見つけた。大人数が入る広さではなかったが、一人で暮らすにしては少々広すぎると思った。

 何回かノックをしたが返事はない、カギは開いていた。興味本位でドアを開けるとそこには、弱々しくベッドに横たわった老人がいた。老人はこちらに気づいていたようだが、その目は怪しい者を睨む鋭さも、向かい入れる暖かさもない、人形のように死んだ目だった。

「・・・どちら様かな・・?」

「あ、その、娘さんにお世話になったものです」

「・・・そうでしたか、まぁ・・・かけてください」

ベッドのそばには木の小椅子が置いてあったまるで誰かが看病するために置かれたように。

「・・・失礼ですが、その旅の方ですか?」

「えっあぁ、はい」

そういうと老人は言葉を失くしたように黙りこくってしまった。

「ほんとですか・・・?」

「えっ、ええ」

「あぁ、そうですか、ああ、長生きはするものだ」

「どうされました?」

「頼みがあります」

「? と、いいますと」

「・・・私は、見ての通りとても自由とは言えない体です。このまんま九年過ごしてきました。ですから、その、察しが付く通り娘は幼い頃から私に時間と暇を拘束されて生きてきたわけです」

老人の眼が息を吹き返してきた。

「もう、私も長くありません、あの子は優しい。このままだと無駄な私の余生に人生の一番楽しい時期を費やすことになる。その、もしあなたでさえ良ければ、あの子をもらってやってくれませんか」

「・・・ですがいいんですかそんなこと、むやみに」

「この時代に旅に出る勇敢な方に任せられるなら本望です」

「そして何よりその眉間の皺、お若いのに色々苦労されたようだ。なかなかつくものではない。あなたになら娘も任せられる。この狭い家の埃っぽい淀んだ世界しか知らない彼女に、見せてやってください。本物を。私にできなかった分も全部」

「お願いしてもよろしいでしょうか」

皺だらけの手で私の手をしっとりと包んできた。繊細な皺と浮き出た血管は、その人生の過酷さを訴えているようだった。懇望の意をつぶさに伝えてきたようだった。

「も・・ちろんです」

「約束ですよ」

「・・・はい」

どこか愛らしさのある子供のような笑みが鮮烈に刻まれた。

 ぼうっとしていると、老人から口を開いた。

「もう、月が出始めています。宿を決めに行った方がいい」

「あぁそうだ、忘れてた・・・」

「気を付けて」

「ええ、どうも」

「旅の方」

声にひかれ、振り返ると世の陰に薄く覆われた老人の眼がじっとこちらを見つめていた

「約束ですよ」

「ええ」

 さび付いた戸を開け、侘しく流れる風を顔に浴びた。

青白く照った切なげな月光は辺りを照らし、静黙な路地には猫のいびりあう怒号が響く。独特な風情に包まれた人家の数々に交じって実質的な人の気配がした。

「随分遅いから何しているのかと思えば、どうしてあなたが私の家から出てくるんです?」

「一晩の間、待っててくれ」

「ちょ、待って・・・」

呼び止めの声を遮って一心不乱に街の外を駆けだした。障害物は切り捨てて、その足を止めずに走り続けた。

 あの老人には医者が必要だ。半ば命を諦めたようなあの姿を目の当たりにして、うまい飯を食べてふかふかのベットに横たわれるわけもなかったのだ。私のような小心者がそんな罪悪感を凌げるわけがないのだ。

幸いなことに、私はとびきり優秀な医者を一人知っていた。森の奥の泉の畔にこじんまりとした医院を構え、一人で自給自足をこなす、狩人のように逞しい医者を。

彼は腕こそ立ったが口が悪かった。どこぞやで聞いたその腕に頼ってやってきた患者を相手にしているらしいがこの時間に医院を開けているかどうかは分からなかった。どちらにせよあの近辺を生業にしているのだから、見つからないわけはないのだが。

 夜の帳が降り、しっとりとした新緑は、姿を見せず、不気味な葉の擦れる音だけを吹かせていた。少しずつ少しずつ進み、ようやくして青白い光の射すゆらゆらとした水の波紋が見えた。透明度の高い泉のそばは、神々しいほどに美しく、心和むものがあった。

 診察時間はとっくに過ぎていたが、窓から光が漏れていて鍵も開いているようだった。躊躇いなくドアを開くと、洒落たベルがチリンチリンと音高く響き、薬物実験中の彼の耳にも抜ける。毒々しい赤紫の液体をフラスコに入れてゆらゆらとかき回していた。

「診察時間の札が見えなかったか、俺は忙しい。帰れ」

決まった小言を耳に止めることなく、彼のもとに歩いていくと、面倒くさそうに振り向いた。

「なんだお前か、寝袋だったらそこに立てかけてるだろうが、出てけよ」

「お願いだ、話だけでも聞いてくれ」

「ぁんだ、うるせぇな」

「助けてほしい人がいるんだ、今すぐに」

「・・・まぁじゃなきゃこんな時間に来るわけねぇか。で、容態は」

「九年間ろくに動けずに横になったままなんだ」

「意識は」

「ある」

「患者の住んでるとこは?」

「テラティア」

「・・・やっぱりか」

「ダメなのか」

「いや、一概にダメとは言えねぇが人がどう施したって治るものじゃねぇ。そいつはシルモスキンっていう十六年前テラティアで大流行した病だ。そいつに効くのはテコラ二ってのしかねぇんだが、素材の在庫こそあれ九年、もしくはそれ以上病が体を蝕んでいたとなると厳しいな、よく今まで意識を保っていられたもんだ」

「でもなんとか、お前なら・・・」

「普通に考えてみろ、そんなに長い間動かなかった人間がこれから先、まともな人生送れると思うか。病気が治ったとこで、もう体中の至る所が崩壊する。九年っていう時間はそんなに簡単に埋まるもんじゃねぇ」

「そりゃ・・・そうだけど」

「気が済むまでやってやるけどさ、俺ができんのは薬までだ。そんな絶望的な患者と関係を持つわけにはいかない、医者としての人情ってやつだ、それでもいいな」

「・・・ああ、お前の、やりたいようにやってくれ」

何だか強く言えなかった。私程度の分際が命のどうこう言えるわけがないと思ったからだ。惨めで仕方なかったがそれでもやりきれなかった。

「待ってろ、すぐ調合する。」

「ありがとう」

何時間か待つと奥から白い粉を瓶に詰めて持ってきた。

「こいつを同封したスプーンで摺り切り一杯、コップに入れた水に溶かして飲ませろ。いいな」

「本当にありがとう、いつか埋め合わせる」

「早く行きな」

だんだんと日が昇ってくるのを確認し、わき目も振らずに駆け出した。何かを思うこともなく、ただこの瓶を届けることだけを頭に置き走り続けた。朝の風に大きく揺れる深い森を超え、踏み場が荒く、傾斜が激しい山を越え、遮る物のない、より新鮮な風が草芝を揺らす広大な野を超え、遥かなる道のりを超えて古めかしい装飾が施された街の門がだんだんと見えてきた。スパートをかけて速度を上げた。乗り物の自由を操るように足を躍らせて。

 ドアを破るように強く開いた。息を切らし頭を落とし汗を滴らせた。

 そこには、すすり泣く彼女と、青白くなった老人の姿があった。

 私はあんなにしっかりと握っていた瓶は地に落ち、カラカラと弧を描くように回り転げた。息吹を荒立て次から次へと汗が流れる。私は乾いた眼でじっとその光景を見つめていた。蓋が開いた瓶から薬のツンとしたにおいが立ち込める。

 魂が抜けたようにゆっくりと寄り添うとあの時言われた言葉がよみがえる。

「約束ですよ」

私には喪失感に打たれ地に伏せる、そんな普通の立場が無かった。泣き崩れている時間は無いのだ。

 傍で冷ややかな父の手を握る彼女に声をかけようと視線を顔にやったが何故か悲壮感に溢れて仕方ないという表情ではなかった。

 私はすぐさま家を飛び出し、線香とスコップを買いに行った。家に戻り傍の地面にスコップを突き立てて、掘り進めた。

「止めてください」

 いつの間にかに後ろに立って、私の服を掴んでいた。

私は聞かずに手を動かした。今の彼女の言葉に微量の真意も見いだせないからだ。

「止めてくださいって言ってるじゃないですか!」

「・・・何でそんな慰めるようにいつも私に尽くすんですか。そんなに可哀そうですか。お父さんの面倒を見て、仕事をする私がかわいそうだからですか!」

手を動かした。意地ではない。手を動かし続けた。

「やめてください」

手を動かし続けた。

「・・・やめてくださいよ・・・」

その手は止められなかった。

「止めてくだっ・・・」

一度手を止め「うるせぇな」と振り返って真っすぐに言った。

「いいから黙って慰められてろ!」

堪えていた声も、想いも、その詰められた孤独も、全て頬を伝って、流れ出たようだった。やがて力なく膝をつき、それでも失いたくない目を、鮮烈な迷いと共に視線の彼方に消し去った。

 彼女の眼には、何も映らない。喪失が彼女を蝕むように、抱擁され、変わっていく孤独の熱さを感じた。

「通りすがったただの旅人だぞ、俺は。お前のことなんて微塵も知らない」

「可哀そうに思わないかよ、お前もお前の父さんも、一切報われないままで。世の中ってのは不条理だろ。人と隣にいて、心から笑えたことがあるのか。この手も本当に止めてほしいか。やっと抑制から解かれて・・・自由を手に入れてうれしいとは思わないか!」

いつの間にか血走った目からは、涙が出た。感情の赴くままに飛散した飛沫は当てもなく空中を彷徨った。

「思えるわけないじゃないですか! 私が頑張ってたのは、気ままで笑いに満ちた幸せな日々が欲しいからじゃ・・・」

睨みつけるように彼女の眼を見つめた。その潤んだ眼は迫真に迫るものがあったが、どこか弱々しく、触れれば壊れてしまいそうな脆さがあった。

「私は、一人に・・・ってまた、あんな憐れみの視線を浴びて・・・どんなに狭くたっていいんですよ、一人は嫌なんです。みじめなの、嫌なんです・・・」

地面に膝をつき、止まらない涙に身を縮め、ひっくひくと彼女は体を大きく跳ねらせていた。

「・・・」

どうも約束は果たせそうにない。そう思った。逆らえないと分かっていたのだ時間には。でも彼女のさび付いた望みを、拭うことは出来ない。

 いとも簡単に拭えた涙を袖に残し、躊躇いながらも力強く穴を掘った。掘り続けた。

 振り返ると彼女の姿は無く、家からはすすり泣く声が聞こえた。空漠たる思いが耳に残る。

 空っぽの心を引きずって、家の外壁に凭れかけた。ふと先を見ると、丁寧に折られた、紙が芝生の上にぽつんと誰かが落としたように置かれていた。十中八九彼女のものだろう。

 どうやら遺書のようだった。力なくも芯のある、慈しみに満ちた字で、書き出しは親愛なる娘へと著されていた。


―私は九年お前の成長する姿を毎日見ることを生きがいに生きてきた。本当に幸せな九年、欠かさず看病してくれた優しさも根気強さも私が一番よく知っている。だからこそそんなお前の九年を奪ったかと思うと胸が痛い。お前には幸せな暮らしを与えてやりたかった。生まれた時からずっと。多大なまでの子不幸をして、最期まで面倒をかけて、本当にやりきれない。

病に掛かり動けなくなってから、私は私の現実が受け入れなくなっていた。母さんを失くしたお前が笑顔で仕事帰りの私に飛びついてきてくれること、本当にうれしかった。何より、この子には、幸せになってもらいたいと懇願し、決心した。お前にもっとたのしいことたくさんさせてやりたかった。奇麗なものたくさん見せてやりたかった。もっとお前の笑顔を見たかった。なのに私が見れたのはベッドからの景色だけだ。後悔と苦しみ、罪悪感と恐怖、悔しくてたまらなかった。現実であったがまるで悪夢のようだった。このまま何もなすことなく消えゆくのかと壊れた感情が足掻き、思った。

だが、私は死ぬ間際、一人の青年と出会った。爽やかな好青年というよりは、数々の悩みと葛藤に打ちひしがれてきた孤独な印象の青年だった。その手はじんわりと優しく、何だろうな何かを追い求めるような旅人という名の権化のような、いい男の手だ。そして聞いてみたのだ、娘を頼めないかと、明朗な声色で彼は言った。飽きる位に奇麗な景色を見せてやると、私の分まで。この男になら託せる。そう思った。もし彼がお前に手を差し伸べてきたら、その手を放してほしくない。私の手だと思って離さないで欲しい。お前は優しい娘だ。いつまでも幸せにしてくれ 親愛なる娘 フィリオ ―


「・・・言ってねぇよそんな・・・かっこいいこと」

 ぽたぽたと紙面に滴が垂れた。だが紙面には乾いた涙跡がほかにもいくつもあった。

一も二もなく駆けだして扉を破るように開けた。

「フィリオ!」

「・・・読みましたか?」

「あぁ・・・っ俺は」

「あなたには、言ってほしくなかったんです」

「抑制ですか、拘束ですか、私は囚われの身じゃないんですよ」

「・・・違う」

「本当にあんなかっこいいこと言ったんですか、お父さんに向かって。言えたんだったら相当・・・」

「・・・違う!」

「相当な人でなしですよ」

「違うんだ!」

「何が違うんですか! 全部あなたの言葉でしょう!?」

「あなたがいたって、いなくたって、どうせこうだった。惨めなのは、何も変わらないんですよ! 昔から今まで、辛い思いしながら、お父さんは生きてきたんです。私が否定するわけないでしょう!? 私が選んだんですから」

 私は彼女の手を引っ張り、そのまま持ち上げ、走った。

「何するんです、放してください!」

何も聞かなかった。ただただ走り続けた。

「どうして都合が悪くなると黙るんですか、あなたの言葉で語ってくださいよ!」

丘のてっぺんに着いた。だだっ広く景色が広がり、奥には荘厳な滝がいくつも流れ、岩壁に覆われた渓谷の至る所に陽光が射す、不可思議ながらも、どこか吸い込まれる圧倒とした場所だ。この地方を旅してきた中でも、お気に入りの一つである。

「見ろ、この大きさを! 違うのはお前の住む世界じゃない。見てた世界への望み、ずっと先だ。何のためにお前の父親は九年間も生きることができた? 見飽きた景色を眺めても、お前の笑顔には代えられなかったからだ。そうだろう。お前は幸せにならなきゃダメなんだ。惨めなんて二度というな! もっといろんな景色を俺は見てきた。俺はこの景色を一人になってでも見てみたかった。お前が孤独に耐えられないなら、一緒に来い、ずっと一緒にいてやる」

「・・・本当にずっと、一緒ですか・・・?」

「約束する」

 妻のフィリオとは遠い旅先の街で会った。当時は宿屋の娘であり、とある老人の娘であった。

 私は客の立場であり、些細なことがきっかけに恋をした。

 ある日妻の父親は死に、私はそれを助けられなかった。何ものにも代えられない思いを冷たい墓石に込め、二人で抱き合った。長らく続く旅の始まりであり。その原点は私にも分からない、だがただ一度、心から相手を抱き、その温度を刻む瞬間を私は以後忘れることは無い。ただの一度もなかった高揚感でさえも。



ここまでのご精読誠にありがとうございました。

本作は、まだ執筆途中でありまして、中途半端な話の切り方をしております。少しずつ書いていこうと思っている次第ですので、気長にお待ちいただけたら幸いです。

ということで、ここまで書き終わりましたが、まだ、舞台の幕は開きません。というより、まだ役者も揃っておりません。自分でも情けない話ではありますが、あくまでネット小説という一枠なわけですから少々手が抜けてしまうといいますか、正直しんどいです。

頑張って書きます。それくらいしか確約できる事実がございません。長い目でみてくださる、優しい読者様がお一人でもいてくださったらなと思います。では。

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