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仮面を脱いだその男

「……これは何ですか」


 レティの声が震えている。理解不能再び、の恐怖である。

 彼女の反応に躊躇することなく、ディーはしれっと言い放った。


「贈物です」


 秋の恵みのコケモモを収穫していた先程までの平和はどこへ行ってしまったのか。コケモモの入った籠をきゅっと抱きしめたレティの目の前には、布が広げられ、その上にきらびやかな数々の品が広げられていた。


 フリルやレースや思いつく限りの装飾で飾られたきらびやかなドレス、体重でヒールが折れてしまうんじゃないかと心配になるほどの華奢な靴、ドレスと同じ布を使って豪奢な花をかたどった髪飾り、まばゆい輝きを放つ宝石の装飾品の数々。

 見たこともないそれらの贅沢品を目の前にして、レティは完全に腰が引けている。


「お好きな色を聞きそびれてしまいましたので、あなたに似合いそうな色を勝手に見つくろいました。体形の良く似たメイドのサイズで作りましたから、ドレスはサイズの補正が必要でしょうね」


 ぴらりとディーが広げたドレスの色は淡いピンク。

 ピンクって!


「あの、何の冗談ですか」


 頭痛が起きそうだ。こめかみをもみほぐしながらディーに真意を問う。


「あなたには黒もとてもお似合いですが、そればかりではもったいないかと」


 聞きたいのはそこではないのだが、ディーは真剣な表情でピンクのドレスをレティの肩に合わせ、満足そうに何度も頷いている。


 ピンクなんて自分では絶対に選ばない色だ。まだ村にいた子どもの頃だって、気後れしてそんな色着なかった。ドレスのサイズよりも何よりも、今すぐ自分に関する脳内イメージの補正を要求したい。


「足のサイズなんて知らないでしょう……?」


 それも体形が良く似たメイドのサイズなのだろうか。というか、体の線の出ない大きめのローブを着ているレティの体形など、どうやったって身長くらいしかわからないと思うのだが。

 そこまで考えて、唐突に嫌なことを思い出した。


 あの時か……!


 レティは一度水浴びの最中を目撃されている。一瞬だったので、見られたのは背中だけだったとは思うのだが、あの一瞬でどれだけの情報量を目の前の男は手に入れたのだろうか。


 恥ずかしさのあまり、無理矢理に記憶のかなたへ追いやっていた悪夢がよみがえる。脂汗を流しながらひとり脳内で悶絶するレティをよそに、ディーは平然としたものである。


「ああ、靴は平均的なサイズのものをお持ちしましたので、これはいわば見本ということで」


 気に入っていただけたのなら適正なサイズのものをお持ちしますよ、と続けるディーに、もげるんじゃないかという勢いで左右に首を振った。


「けけけ結構です!」


「では、次は他のデザインのものをお持ちしましょう」


 ディーは残念そうな顔も見せず、さらりと言う。


「ちがいます、デザインの問題ではなくて」


「色がお気に召しませんか?」


 ふむ、とディーは口元に手を当てて首をかしげた。


「ピンク、お似合いですよ」


 貴公子然とした笑みを浮かべる。

 恥ずかしさで顔が赤くなるのがわかった。いたたまれなくなって、レティはついに大きな声を出した。


「そうじゃなくて! あの、いただくわけにはいきません」


 ディーはあくまで穏やかに微笑んでいる。


「どうしてですか」


「いただく理由がありません」


 くすっと吐息のような笑いを漏らして、ディーが目を細めた。


「贈物に理由が必要ですか?」


「少なくとも、こんな大層なものを受け取るのには理由が必要です。そしていまそれはどこにも見当たりません」


「大層……ですか。私はそんな風には思いませんが」


 出た、金持ち発言。金銭感覚が違うと、こういうときに大変迷惑だ。

 レティは急に落ち着いてきて、心の中で盛大に舌打ちをした。眉間のしわもすごいことになっているだろうと思う。とれなくなったらどうしてくれよう。


「あなたにとってはそうでなくても、私たち庶民にとっては大層なんです」


 そもそもこんな森の中で、豪奢なドレスを着て、華奢な靴を履いて、着飾ってどうしろというのか。そんな格好ではここの生活の何もかもが上手くいかないだろう。つまりは壮大な無駄遣いということだ。


「では……、お礼ということでどうですか。いつもあなたはこうして私のために時間を割いてお付き合いしてくださる。先日は栗の収穫方法を教えてくださいました」


「どう考えても対価が釣り合っていません」


 たかが栗拾いの方法を教えただけでこんなに大げさなことをされてはたまらない。そんなお礼の仕方をしているといつか破産しますよ、と喉元まで出かかった言葉をかろうじて飲みこんだ。


「私が着飾ったあなたを見たいと言ったら?」


 口角が面白そうに少し上がる。なんだか少し意地悪に見える笑顔だ。

 よくわからないけど、彼がこの状況を楽しんでいることは確かだ。レティはむっとして言い返した。


「私は見せものではありませんのでお断りします」


「それは残念です」


 やれやれとディーが肩をすくめてみせる。


「受け取っていただけないとなると、処分するよりほかありません」


 しかたありませんねと、ディーは悲しそうに呟いた。伏せた瞳を隠すようにまつげが繊細に震える。俯いた顔に合わせて金の髪がさらりと揺れた。

 ぐっとレティは唇をかみしめた。ディーの寂しげな様子にではない。貧乏人根性を刺激するひとことに、だ。


「処分なんて……、あ、そうだ、そのメイドの方に差し上げればいいではないですか! その方のサイズなんだし」


 罪なのはディーの思惑なのであって、品物に非はないのだ。レティは自分のせいでそんなもったいないことをされてはたまらないとばかり言い募った。誰にも袖を通されないまま処分されるなんて悲しすぎる。それを作ったひとにも悪いではないか。


「あなたのために用意したものですよ? それに余計な勘違いをされても困りますので」


「勘違い?」


 小首をかしげるレティにディーはにこりと微笑むだけで答えはなかった。

 どうやらレティが受け取らない限り処分されてしまうのは彼の中では決定事項のようだった。

 それでも。


「……それでも、私は受け取れません」


 レティは視界に華美なドレスを入れないように俯いて足元を見つめた。

 本当は黒以外に目を奪われることがあっても、自分のために用意したものを処分すると言われても、受け取れない理由がある。


「掟、だからですか? レティツィア・ノイバート嬢」


 後頭部に振って来たディーの言葉に思わず頭を上げる。

 見上げた彼の目はいつになく真剣な光をたたえ、レティを射抜いた。


「……どうして、名字を」


 覚えている限り、名字を教えたことはない。

 名字を知ろうと思えばそれは。


「調べました」


 簡素な言葉でディーは返す。それでもレティを動揺させるには十分だった。


「調べた……?」


 震える声でおうむ返しに問うレティに軽く頷いてみせる。


「あなたはこの森から出られないと言うが、あなたの生活がこの森の中だけで成り立つとは到底思えなかったもので」


 そう言って右手の人差指で口元をちょんと触ってみせた。

 そのしぐさで、レティは先日小屋へやってきたディーの行動を思い出した。パン屑がついていることを指摘して払ってくれたのだ。


 森の中では小麦など育ててもいないし、小麦を粉にする水車もない。つまり、物資を外部から持ち込んでいることは明白だったのだ。


 あんなことで……?


 レティの背筋を悪寒が駆けのぼった。

 ここにきてようやくわかった。レティではこの男に太刀打ちなどできるはずもなかったのだ。


「ここから一番近いのはヘルネ村です。ですから、あの村のことを少し調べてみました」


 ディーの碧い眼が光を受けてきらりと輝く。追い詰めた獲物をもう逃がさないとでもいうように。


「帳簿によると七年前、ひとりの少女が失踪したことになっています。少女の名前はレティツィア・ノイバート――あなたのことですね?」


 レティは震える手で胸元を押さえた。うまく息ができない。答えることができないでいると、ディーはだめ押しとばかりに言葉をつづけた。


「五二年前にも失踪者がいます。ノーラ・アグーテ。この方は先代の魔女でしょうか」


 もしかして、彼はあの墓地の存在も知っているのかもしれない。


 うかつに名前など教えるんじゃなかった。偽名でもなんでも使えばよかったのだ。名前くらいでヘルネ村にたどりつくことなんてないと高をくくっていた。

 レティは過去の自分を呪った。あんなことで取り乱して判断力を失った結果、こんな事態に陥っている。


 ああでも、考えなければならない。おばばさまのことまで調べあげているということは、彼の目的はレティひとりではないだろう。それはこの森の秘密に関することだ。

 では、この男の目的はいったい何なのか。被害を広げないためにはどうすべきか。


「……あなたは何者なの」


 レティは後ずさって距離を少し開けると、睨み上げた。

 唸り声でもあげそうな表情で睨みつけるレティにも、彼は動じなかった。


「悪いようにはしません。話していただけませんか、全部」


「ひとの過去をこそこそ調べるようなひとのことを、信じられると思うの?」


 噛みつくように言い返すと、ディーは碧い眼を細めて寂しそうに微笑んだ。


「申し訳なかったとは思っています。あなたには……いつまでたっても信じていただけませんね」


 傷ついたような表情で目を伏せる。傷つけられたのはこっちだと、大声でわめいてやりたい衝動にかられた。


「レティ」


 せつなげな声で名を呼ばれて、レティはびくりと肩を震わせた。

 本当は七年前に名前など捨てたのだ。今となっては誰もその愛称でレティを呼ばない。目の前の男を除いては。


「あなたの目的は何」


 感傷を振り払うようにレティは努めて冷静に問う。

 動揺していてはことを仕損じる。


「こんなに回りくどいやり方をして、あなたは何を知りたいっていうの」


 ディーは仕方ないかという風にひとつため息をつくと、あっさりと白状した。


「この森で栽培されているものについて」


 ぐっとレティは息を詰めて、目の前の男を見上げた。


「夜に出る鬼火というのは、村人の松明の灯ですね。それをわざわざ鬼火と言っておどろおどろしい噂を広め、なおかつ悪い魔女がいるとして森からひとを遠ざける。そこまでして隠すものとは一体何です?」


 もうほとんど知っているじゃないか。

 隠し通せない。普段、ひとが見ることのできないような村の帳簿まで調べられるのなら、レティがどんなに口をつぐんだところでいずれ解答にたどりついてしまうだろう。


「誓って、あなたの不利益になるようなことはしません。話していただけませんか」


 真摯な瞳がレティを見つめる。


「……誰にも言わないと約束してもらえますか」


 しかしディーは申し訳なさそうに首を振った。


「お約束はできません。……ですが、そうですね。話していただけるのならこちらの目的もお話しましょう」


「取引のつもりですか?」


「とんでもない。誠意を示しているだけです」


 にこりと綺麗な笑みを浮かべる。

 目的が明らかになるのならば、もし村に害がおよぶようなことであっても、何かしら対策が立てられるかもしれない。ただし、彼が本当のことを話すのであれば、だ。


 彼を信用できるのか。

 レティには決めることができない。

 心の内を読んだかのように、ディーはふっと息をついた。


「……どうしてあなたはひとりで背負いこもうとするんでしょうね」


 ぽつりと呟くと、彼は意味深な視線をレティに向けた。


「話していただけないとなると……、魔法も使えない魔女、と妙な噂が立つかもしれませんね。興味を持つ者は多いでしょう、不自然ですから。この森にもきっとひとが大勢押し寄せるでしょうねえ。ああ、もちろん私は静かなこの森を気に入っているので、それは望むところではありませんが」


 そう言って浮かべた、とろけるような微笑みは悪魔の笑み。


 ああ、デジャヴ。


 こうしてレティはとうとう彼の魔の手に落ちたのである。


 * * * * * * * * *


 この森の中央には『禁域』とヘルネ村の村人たちが呼ぶ場所がある。

 そこでは『リコ』という植物を栽培しているのだ。


「リコ?」


 ディーは初めて聞く名前に首をかしげた。


「聞いたことがありません」


「リコは何故かこの森でしか生育しないんです。理由は分かっていませんが」


 一年を通して収穫できるリコの葉は、鎮痛作用を持つ。ヘルネ村の鎮痛剤の評判がいいのは、リコの葉を材料にしているからだ。

 ただし、村に代々伝わる精製法でないとその作用は大きく変わってしまう。


「リコの葉は乾燥させて粉末状にします。それを他の数種類の薬草やつなぎとなる小麦粉などと混ぜて丸薬にしたものがヘルネ村の伝統の鎮痛剤です」


 調合など大事な部分の詳しいことは代々口伝で伝えられ、村人のなかでも知る者はごくわずかだ。


「ただし、このリコの葉を単独で摂取すると、幻覚、妄想などの症状が出ます」


「麻薬、ということですね」


 ディーはさほど驚かない。してみるとやはり大体のあたりはついていたのだろう。


「依存性が極めて高く、禁断症状もひどい。そんなものが栽培されていると知られれば、政府によって規制がかかるか、真っ当でないひとたちに狙われるかの二択です。変な流出の仕方をしていると、いずれ栽培禁止の憂き目にあわないとも限りません」


 ヘルネ村は薬の製造で成り立っている。他にも軟膏など数種類を作ってはいるが、やはり売れ筋は鎮痛剤だ。それが作れなくなると、村の存亡が危うい。


「だから妙な噂でひとを遠ざけて隠そうと?」


 ディーの呆れたような声にレティは頷いた。


「私の本来の役目は禁域の見張りです。不審なものが禁域に近づかないように番をする。森の中を歩き回りますから、いかにも魔女っぽくふるまってある程度わざと目撃され、噂を本当のものとする。つまり、『魔女』というのは一般的な定義とは違っていて、役職のひとつなんです」


「鬼火の噂も同じ理由ですか?」


「そうです。この森は魔女の住む森と噂を広めていますから、昼間に村人がいるところを目撃されてはいけないんです。自然、夜に収穫するようになりましたが、松明の明かりを利用してそれも怪奇現象にしてしまえと」


 ディーは面白そうな笑みを浮かべた。


「随分面白いことを考えましたね」


「考えたのは大昔の人です。魔女だってもう何代目かわからないくらいですから」


 レティは口をへの字に曲げた。

 関係のないひとは気楽でいいものだ。こちらは秘密が漏れないように必死だっていうのに。


「ちなみに、魔女の掟とは?」


「魔女に課せられたふたつのルールです。魔女は森の外に出ることを禁ず。魔女は村人以外からの施しを受けることを禁ず」


「なるほど、外部からの懐柔などを想定しているのですね」


 ふむ、とディーは口元に手を当てて頷いた。


「それで、あなたは七年前にここに?」


「……私の話、関係がありますか」


 ちらりと横目で見ると、彼は満面の笑みで頷いた。


「話したくなければ無理強いはしませんが」


 爽やかな笑顔の瞳の奥に険呑な光が宿る。どうなっても知りませんよと無言の脅しを受ける。

 どのみちここまで打ち明けてしまえば、あとは何を隠しても同じことだ。もうどうでもいい。

 レティはやけくそな気持ちになって、口を割った。


「七年前、まだおばばさま……、先代が生きている頃にここに来ました」


 八歳の誕生日。出迎えてくれたおばばさまは、本当に悪い魔女みたいに見えて、フリッツの後ろに隠れて泣きそうになったことを覚えている。


「魔女はどうやって決めるんですか」


「健康状態などを原因とする魔女の交代時期に、村の議会で選出します。……詳しいことは知りませんが」


「選出?」


「村の中から候補者を数人立て、条件等を話しあいながら決めるのだと聞いています。もちろん、本人や家族の意志が第一に尊重されます。私の場合は、母の希望と聞いていますが」


「条件というのは、報酬という意味ですか?」


「それも含みます。魔女はそもそも無条件で生活を保障されます。森から出て行くことができないのですから、最低限の食料、生活用品等が支給されます。……私の場合は、それに加えて、病気で働くことができない母の生活の保障を条件として提示しました」


 ディーがかすかに整った眉根を動かした。


 目ざとくそれを見咎めて、レティは自嘲の笑みをこぼす。

 きっとあの話を思い出したのだろう。この条件では、母が私を売ったのだと言われても仕方がない。


 何か言われるかと身構えたが、結局ディーは何も言わず、ただ目を伏せただけだった。


「その後私は森に入り、先代の身の回りの世話から始めて、ここでの生活を教わりました。半年後、先代が亡くなり、私は正式に魔女となりました」


 ディーは言葉を選ぶように視線を彷徨わせた。


「……あなたの母上は」


「五年前に亡くなったと聞きました」


「死に目には会えなかったのですか」


「魔女とはそういうものですから」


 そんなことはこの森に来た時からわかっていたことだった。母の生活が二年間保証されただけでレティは満足だった。たとえ一度も会えなかったとしても。

 記憶の底に眠る母の面影は、いつのまにか随分ぼんやりしたものになってしまった。けれど、お互いが思いあっていたという絆さえ忘れなければ、レティにとっては瑣末なことと思えた。


「……あなたは村人たちによって一方的に犠牲を強いられている。それは正しいこととは思えないのですが」


「強いられているのではありません。私の意志でそうしているんです。禁域を守る魔女は村のための存在で、尊い犠牲となった魔女には尊敬と感謝を捧げなければならない。これは村に伝わる昔からの教えです。魔女に必要なのは尊い自己犠牲の精神と崇高な理念です。清廉な存在である魔女に選ばれたのは名誉なことと私は――」


 いつの間にか早口になってまくしたてるレティは、ディーの視線に気がついて口を止めた。眉間にはわずかに皺が寄り、不機嫌な表情にも見えた。


「ごまかすのはやめませんか」


 ディーは静かな声で言う。


「ごまかすなんて……私は」


 うろたえるレティの言葉をさえぎって、ディーは続けた。


「本当はあなたも気付いているんでしょう? それは尊敬や感謝じゃない。……ただの罪悪感だ」


 レティは言葉に詰まって唇をかみしめた。目の前の男を睨みつける視界がゆらりとゆがむ。


 そんなこと改めて言われなくても知っている。

 村人の自分を見る目がまっすぐでないことも。

 皆、心の中では自分じゃなくて良かったと思っていることも。


「……あなたに、何がわかるんですか。村のことも、私のことも、何も知らないくせに」


 ほろりと頬を雫が伝う。黒いローブの袖で乱暴に拭った。

 この男の前でなんて一番泣きたくないのに。


「村を守るためには誰かがやらなきゃいけない役目なんです。罪悪感で大いに結構よ。私は全部飲みこんで、そうやって生きてる。それともあなたにならどうにかできるっていうんですか?」


 噛みつくように言うレティを、ディーは瞳を揺らして見つめた。碧い瞳の奥にわずかな苛立ちを感じる。


「放っておいてくれませんか。私たちはこれでうまくいっているんです」


「そうでしょうか」


 レティはディーの言葉に目を見開いた。


「あなたの覚悟はよくわかりました。……ですが、村人の方に、あなたの覚悟に見合う気持ちがはたしてあるでしょうか」


「……何が言いたいの」


 声が震える。自分で自分が情けない。レティはぐっとこぶしを握った。


「あなたが村のためを思う気持ちを、村人の方々はどれほど信じているのだろうかと疑問に思っただけです」


 そんなの、信じてくれているにきまってる。自分は村のための存在する魔女だ。


 そう言おうとして、フリッツの姿が思い浮かんだ。

 数日前、村人数人を引き連れて、レティに釘をさしていった。彼らは、レティに対する疑念を払えているだろうか。


 それもこれも、全部目の前のきらきらしい男のせいだというのに。

 奥歯を噛みしめると、軋んだ音がした。


「余計なお世話よ」


 意地で絞り出した一言は無残に掠れ、弱々しく響いた。


「……それは失礼を」


 ディーの声は平坦だった。感情の感じられない声にレティは何故か少し落胆し、自分がみじめに思えてまた目が潤んだ。


 ディーは白馬の手綱を握るとひらりと背に飛び乗った。レティが丁重に返却したドレスや靴などが畳んでまとめてくくりつけられている。


「話してくださってありがとうございました。何度も言いますが、悪いようにはしません。……信じてくださると、嬉しいのですが」


 そう言って馬首を森の出口に向けたディーに、レティは慌てて追いすがった。


「待って! 目的を話すとあなたは約束したわ!」


 交換条件だったはずだ。情報をふんだくっておいて自分の懐をいためないなど、許さない。

 萎えそうになる心を奮い立たせて、レティは馬上のディーを睨みつけた。見下ろす視線は冷たくて、心が折れそうになる。


「もちろん、約束は守ります。ですが、それが今日だとはひとことも言っていません」


 その一言にレティは絶句する。

 動けずにいるレティをちらりと一瞥すると、彼は馬の腹を蹴り、森の中の一本道を出口の方へ駆け去った。

 追いかける気力も既になく、レティはその場に膝から崩れ落ちた。


 ――何を信じろっていうの。こんなことをしておいて。

 何も信じられない。


 それでも、嘘だとも思いたくないのだ。

 温かかったあの手のぬくもりも。

 迷ったように揺れる碧い瞳の揺らめきも。

 薄く染まった頬と、はにかんだように笑った口元も。

 確かに本物と思えたあの感情の動きを、否定することができずにいる。


 視界の中で何かがきらりと煌めく。のろのろと目をやると、青い宝石のついたペンダントが落ち葉の間に転がっていた。先程広げていた中にあったような気もする。

 深い青は、ディーの瞳の色だ。光を受けてきらきらと光るそれは冷たく輝いていて、憎らしい程に美しかった。


 衝動的にレティは宝石をつかみ、その手を振り上げた。

 噛みしめた唇は血の味がして、視界は瞳に満ちた涙でゆらゆらとゆがむ。振り上げた手は震えていて、華奢な鎖が揺れてさらりと音をたてた。


 壊してしまいたい。なにもかも。

 自分を縛りつけるこの森も。

 自らの非を見て見ぬふりでやり過ごす村人たちの傲慢も。

 聞きわけのいいふりをして体裁を取り繕ってきた自分の虚飾も。

 心の中を暴き立てて去って行ったあの男の面影も。


 けれどその手を振り下ろすことはできず、力の抜けた腕は静かに膝の上へ降りた。

 くっと喉の奥が鳴る。くぐもった笑いがこぼれ出た。


「……馬鹿みたい」


 まるで道化だ。

 口八丁で手玉に取られて、手のひらの上で踊らされていただけ。


 ぽたぽたと零れ落ちた涙がローブの膝を濡らす。

 ローブの袖で乱暴に涙を拭う。


「考えなきゃ」


 後から後からこぼれる涙がようやく止まったのは夜の帳が下りたころだった。

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