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その思惑とは裏腹に

 レティが自分の甘さを痛感するまでにそう時間はかからなかった。

 何せ相手はあの男である。


 昼食をとり終えたタイミングでノックの音が響き、うかつにも扉を開けたレティは驚きのあまり絶句した。

 森の中の小さな小屋にはあまりにも不釣り合いな、いつも通りのきらきらしい男が満面の笑みで立っていたからである。


「……家まで見つけていたんですか」


 今までここに彼が来たことは一度もない。だから知らないと思いこんでいたのが、よく考えれば煮炊きの煙からでも探ろうと思えばすぐにわかるだろう。この森の中に住んでいるのは自分ひとりなのだから。自分は調理すらも自粛しなければいけなかったのかとレティはげんなりとした。


「突然押し掛けた無礼をお許しください。お食事中でしたか?」


「いえ、終わったところですが……」


 何故わかるんだろうとレティが不審な表情を浮かべると、ディーはその端正な顔に常とは違った緩んだ笑みを浮かべた。


「パン屑が」


 舞うように動いた彼の右手がレティの口元をふわりと掠める。親指がそっと口角を撫でる感触に、レティは思わず後ずさって距離をとると両手で口元を押さえた。

 パン屑を口元に付けているなんて子どものすることだ。幼稚なことをしてしまった自分が恥ずかしくて頬に熱が溜まる。


「ああ、これは失礼を」


 ディーは言葉とは反対に、まったく悪いとは思っていない表情で手をおろして言った。にこにこと穏やかな笑顔でレティを見下ろしている。


「…………?」


 レティは首をかしげた。何かが変わった気がする。きらきらしいのも馴れ馴れしいのももとからの仕様だが、今までとは何かが違う。ひとことで言うのなら、『緩んだ』ような感じだ。

 なんだかあんまりいい予感がしない。


「何の御用ですか」


 聞きたくはなかったが、聞かねばきっと話が進まない。仕方がないので一応聞いてみた。

 しかし返ってきたのはレティに対する質問だった。


「あなたは何色がお好きですか?」


「は?」


「色です。あなたのお好みの色は?」


 また突拍子もないことを聞いてくる。いい予感どころか、嫌な予感しかしなくなってきた。


「どうしてそんなことを聞くんですか」


 警戒しつつ質問で返す。無駄になるだろうことは分かっていても、用心するに越したことはない。

 そんなレティの心を見透かしたように、ディーはとろけるような笑みを浮かべて相変わらずの台詞回しで答えた。


「あなたのことが知りたいからです」


 今日もキラキラオーラは絶好調。この美貌でそんなことを言われれば、世の女性たちは空の果てまで舞いあがること請け合いである。


 だがしかし。

 悲しいかな、負の方向へ考えるのがレティという人間なのである。

 もう予感どころか既に嫌な方向へ片足を突っ込んでいると自覚したレティは、婉曲な言い回しなどこの男には通用しないとわかっているので、はっきりと言い返した。


「私は知られたくないんですけど」


 むっつりとそう言うレティに、ディーは眉尻を下げて目を伏せる。


「ご迷惑ですか……?」


 伏せた碧の瞳に長いまつげの影が落ちる。しょんぼりと肩を落とすと、途端に儚げな雰囲気がプラスされて、何故かこちらがいじめているような気分にすらなってしまう。


「迷惑とかじゃなくて、その……」


 放っといてほしいだけなんです、という言葉が後に続くはずだったのに、ディーの嬉しそうな声にさえぎられて口にはできなかった。


「ご迷惑ではありませんか、それはよかった」


 変わり身の早さに言葉を失う。

 痛恨のミス。素直に迷惑だと言えばよかった。変に気を使うのは間違いだったと気付いてももう遅い。

 何の罠だこれは。私を罠にはめて一体何の得がある?


 やっぱり理解などできないのだ。

 レティは眉間にしわを盛大に寄せ、重いため息をひとつつくと、外に出て小屋の扉を閉めた。扉の脇に置いてあった籠を持ち、ディーの脇をすり抜けて歩き始める。


「ご一緒しても?」


「ご自由にどうぞ」


 背中から追いかける柔らかな声に、振り向かないままぶっきらぼうに答えた。

 どうせ断ってもついてくるんだろうとも思ったし、この森の中には近寄られて困る場所もある。どんなに嫌であっても、秘密を守るためには、レティにはこの男と一緒に過ごすという選択肢しか残されていないのだ。


「どこへ行くのですか? この籠は?」


 背後から伸びてきた手に持っていた籠を自然に取り上げられる。どうやら持ってくれるつもりらしい。中身が空っぽの重くもなんともない籠なのに、レディーファーストに余念がないとはご苦労なことだ。


「栗の実がたくさん落ちていたので、それを拾いに」


 この森の中に昼間足を踏み入れる者はほとんどいない。そのため、森の実りはほぼ手つかずなのだ。レティは毎年、自分に処理できる範囲でこれらを楽しんできた。ただ、今年は少し多めに収穫してもいいかと考えている。


「栗……お好きなんですか?」


 ふむ、とディーは口元に手を当てる。心のノートに『好物 栗』とでも書き込んでいるのかもしれない。うっかり想像してしまってレティはげんなりした。


「……さほどでも。知り合いに栗好きがいるので、その方に」


「知り合い? それはどちらの方なのですか?」


 のほほんとした口調で間髪置かずに聞かれて、レティはまた失言に気がつく。

 この森の中に住んでいるひとが他にいるはずもないことはこの男だって知っている。自然、どこで知り合いになるのか、さらには現在も親交のある様子を不思議に思われるのも無理はない。


 なんだか追い詰められている気がしてきた。

 ……いや、黙秘権だってあるはずだ。

 都合の悪いことはすべて黙秘しようと心に決めて、レティはつんと顎を上げてみせた。


「誰だって構わないでしょう。あなたには関係のないことです」


「そうですね。不躾なことを聞いて申し訳ありませんでした」


 話す意志のないことを態度で示してみると、ディーはあっさりと引き下がった。

 ふたりの足の下で、さくさくと落ち葉が音をたてる。


「あなたのことをお聞きしてもいいですか?」


 懲りずにまだそんなことを言うディーに、レティは諦めたようにため息をつく。

 あれやこれやと質問攻めにされるのも嫌だが、無言で視線を感じながら歩くというのは正直苦痛だ。無駄に顔面の整った男に、捨てられた子犬のような目で見つめられることに耐性もない。


「答えられないこともありますが、それでも良ければ」


 レティの個人的な事柄は支障がないが、そもそもこの森にはいろいろと秘密も多い。そこに絡んでくるとどうしても答えられない事柄もある。

 妥協案として、答えたくないことには答えないぞ、と意志を強く出す。それでもディーはにっこりと微笑んだ。


「ではまず……、そうですね。ご趣味は?」


「はい? ……なんですって?」


「ご趣味は、とお聞きしましたが」


 あまりの質問に思わず間抜けな声をあげてしまったが、ディーは真剣そのものの表情をしている。

 聞いていいとは言った。確かに許可したのはレティだ。


 だが。

 なんだその質問。見合いか!

 レティは心の中でハリセンを振りまわして盛大に突っ込んだ。


「あの、本気で聞いてます?」


 念のため確認する。

 きっと言い間違いだ。ご趣味、ごしゅみ、ごしゅ……、ああ間違いそうな単語がまったくもって思いつかないが、どうか言い間違いであってくれ。


 レティの祈りは天に届かなかったようだ。ディーは満面の笑みで力強く頷いた。


「本気です。あなたのことが知りたいと言ったでしょう?」


 レティは絶句した。

 隣を歩くきらきらしい男は後ろ暗いことなど何もないかのような顔をして、堂々としている。逆にそこが怖い、とレティは思った。何を企んでいるんですか。


「レティ?」


 遠慮がちに柔らかい声音で呼びかけられて、レティははっと我に返る。そして開き直ったような気持ちになった。

 聞きたいのなら答えてやればいい。

 レティはごほんと咳払いをして気持ちを切り替えた。


「趣味でしたね。趣味は……そう、徘徊です」


 こともなげに言ってみせる。そう、自分はこういう人間だ。実情を知っていくらでもひけばいい。幻滅でもされてしまえばこちらのものだ。

 ネガティブな返答でもって自分に向いた好意を台無しにする。レティが自虐的な思考で出した答えはなんとも残念なものだった。


 ところがである。

 レティはまだこの男の潜在能力を見誤っていたのである。


「散歩ですか。なるほど。森の中を散歩するのは気持ちがいいものですからね」


 ディーはさらりと散歩という単語に言い換え、うんうんと納得した風に頷いた。


「特技は?」


「呪いの藁人形作りです」


「手先が器用なのですね。それは素晴らしい。好きな食べ物は?」


「腐りかけの果物です」


「熟成したものは美味と言いますからね。何という通好み。好きな花は?」


「ジギタリスです」


「ああ、可憐な花です。毒があるそうですが、ジギタリスの花言葉は『熱愛』なのですよ」


 思わぬ反撃にレティは思わずむせた。


「おや、大丈夫ですか?」


 しれっとした顔で背中をさすろうとする手を反射的に避けて、げふんげふんとレティは息を整えた。


「……大丈夫です」


 どうにかそれだけを言うと、隣を歩く男を横目でちらりと見た。

 この男の耳にはネガティブな言葉をポジティブなものに自動的に翻訳してしまう機能でもついているのだろうか。毒のある不吉な花とされるジギタリスまで可憐と言い切り、『熱愛』まで持っていくその口八丁に脱帽である。


 これは無理だ。口ではとうてい太刀打ちなどできない。

 レティはさじを投げた。もうどうにでもしてくれ。


 そのあとも質問に適当に答えたりうけながしたりしているうちに、ようやく目的地に到達した。ここは小屋からそう遠くない場所のはずだったのに、なぜかいつもより既に疲労感がひどい。


 ディーから籠を受け取って、籠の中から軍手を取り出して装着すると、レティは栗拾いを始めた。

 地面にはたくさんのイガが落ちていて、レティは器用に足先で栗の実を取り出し、軍手で実をつまんで籠にぽいぽいと入れていく。もう何年もしている作業なので、慣れたものだ。


 その様子を面白そうに眺めていたディーは、しゃがみこんでイガをつんつんと突っついてみたりしている。


「……あの、とげが刺さるといけませんから素手では触らない方が」


 心配など欠片もしていないが、うっかり怪我でもされると後味が悪い。慣れていないのなら手を出さない方が身のためだ。

 そう思って忠告すると、ディーは優雅に立ち上がってにっこりと微笑んだ。


「お手伝いします」


 レティはディーの足元を見る。彼の足は上等な仕立ての皮のブーツに包まれていて、そんな足でイガを踏んだりしていたら、すぐに傷だらけになってしまうだろう。

 言葉にしなくても伝わったのか、ディーはこともなげに言う。


「ああ、靴のことはお気になさらず。いくらでも代わりはありますから」


 レティなら栗なんかよりもブーツを気にする。ここにある栗を全部拾っても、到底ブーツの値段には届かないからだ。

 さすが金持ちは言うことが違う。レティは心の中で大きく舌打ちをした。


 しぶしぶディーに予備の軍手を渡し、足で栗の実を取り出す方法を実演して教える。最初のうちこそぎこちなかった動きも、慣れてくるとだんだんそれらしくなってくるから不思議だ。


 疲れてきたところで少し手を止めて、腰をとんとんと叩きながら、なかなかどうして楽しそうに栗拾いに熱中しているディーをぼんやりと見つめた。

 動くたびに揺れる金の髪は陽光を透かして儚げに煌めき、楽しそうに細められた瞳は深海の青。上品な紺の上衣の首元には真っ白なクラヴァット、手にはくすんだ色の軍手。品のいい落ち着いた色の皮のブーツの足元にはとげとげのイガ。

 ……なんか変。方向性間違っていませんか。


 客観的に見てそう思ったが、本人が生き生きとしているからまあいいかと思いなおした。手伝ってもらった分確実に量は稼げているわけだし。

 お貴族様は栗拾いなんてしないだろうから、珍しいこともたまにはしてみたいのかもしれない。なんだ、かわいいところもあるじゃないか。


 日が傾くころには、大きなかごが溢れんばかりに栗の実でいっぱいになった。

 行きよりも格段に重くなった籠を当然のようにディーが担ぎ、レティを小屋まで送ってくれた。遠慮しようと思ったが、よく考えたら例の白馬が小屋の近くの木につながれていたのを思い出して、断る口実がなくなってしまった。


「ありがとうございました」


 ずっしりと重い籠を受け取って、レティは白馬の綱を木から外すディーの足元を見る。当初の予想通りブーツの足元は無残なことになっている。


「だから言ったのに……」


「何か言いましたか?」


 小さな呟きも聞きもらすまいとディーが反応した。「いえ」と小さく答えて、レティは考え込むように籠の中の栗を見つめる。手伝ってもらったおかげで、予定より多めの栗がそこに入っている。

 レティはおもむろに籠の中の栗を麻袋に分けて入れ、袋の口を固く縛った。その様子を不思議そうに眺めていたディーにそのまま袋ごと渡す。


「これは?」


 流れで受け取ったものの、訳がわからない様子で首をかしげるディーに、レティは仏頂面で答えた。


「お裾分けです」


「そんな。それではあなたの分が減ってしまいます」


 思ってもみなかった言葉に、ディーが慌てて至極当たり前のことを言った。


「手伝ってもらったおかげで予定よりも多めに拾えましたから、私はこれで十分なんです。それに、手伝ってもらっておいて手ぶらで帰すなんて、さすがに私でも罪悪感を感じますから」


 そう、人情の問題だ。傷だらけになった高級なブーツの値段がいくらかなんて欠片も気にしていない。断じて。


「お家に帰ればもっと味のいいものがおありになるでしょうから、ご迷惑かもしれませんが」


 卑屈な言葉でしめようとしたレティは、ディーの顔を見て拍子抜けしたように口をつぐんだ。


「迷惑だなんて……そんなことは」


 手元の麻袋を見つめながら、うつむきがちにそう言った彼の頬は薄桃色に染まり、伏せた瞳を縁取る長いまつげが繊細に震える。口元には、はにかむような控えめな笑みが浮かぶ。


 なんというか、妙な破壊力があった。卑屈な言葉に、いつも通りの胡散臭い笑顔と大げさな美辞麗句でそんなことはないといった風なことを返してくると思っていたレティには、衝撃的だった。


「ありがとうございます」


 顔をあげて、いまだ原状復帰できずにいるレティに礼を言うと、にこにことまた麻袋に視線を落とす。


 そんなに嬉しかったのだろうか。栗が?


 ようやくまともな思考ができるようになったレティは考えても無駄だ、と結論を出した。いつだって目の前のこの男は自分の考えの及ばない範囲で生きているのだから、考えても無駄なのだ。

 よくわからないけど、なんだかすごく嬉しそうにしているから、それでいいことにしよう。


 そう考えをまとめて、首をひねる。

 嬉しそうだからそれでいいっていう考え方は、はたしてありなのか?


「では」


 丁寧に麻袋を馬の背にくくりつけ、馬の手綱を持ってディーが振り返る。


「森の出口まで送ります」


「女性に送っていただくなんてとんでもない」


「森の中を勝手にひとりでうろうろされる方が迷惑なんです。さっさと行きますよ」


 恐縮するディーをばっさりと切り捨てて、先に歩きだす。この時間なら出口まで往復しても足元が頼りない程暗くなることはないだろう。

 風で落ち葉が降る中を歩く。話題も特になく、無言が少し辛いな、と思ったところだった。


「先日、あなたがおっしゃったことですが」


 歩幅を合わせて隣を歩くディーがぽつりと言う。


「何のことですか」


 察しはついたが、とぼけてみる。


「この森から出ることができたなら、と」


 ディーの声は静かだ。

 なかったことにできたらそれが一番いいと思っていたが、どうやらそう簡単にはいかないようだ。レティは腹を決めた。


「あれは聞かなかったことにしてください」


 固い声でそう言って、隣のきらきらしい男を見上げる。


「私がこの森から出ることは未来永劫ありません」


 シニカルな笑みが口元に浮かぶ。

 馬鹿みたいだ。あんな夢みたいな話、よりによってこんなひとにするなんて。


「……どうしてですか」


 ディーがレティを見下ろして問う。碧の瞳がゆらりと揺れた。


「掟だからです」


 魔女には役目がある。その役目のために、秩序を守るための掟があるのだ。


「だから、あれはなかったことにしてください」


 ちっぽけな小娘ひとりがわめきたてたところで、この掟は覆らない。禁域が存在する限り、魔女の存在は必要なのだ。

 自分にどうにかできることなら、とっくになにか行動を起こしていた。でも、これは自分ひとりの問題ではないのだ。自分のために多くの人に犠牲を強いるようなことはできない。

 レティが納得している限り、誰にも手出しさせない。それが最善の選択肢なのだとレティは理解している。


「だから」


「わかりました」


 もう来ないで、と何度も言った言葉を口に出そうとしたが、聞きたくないとばかりに先回りしてさえぎられた。


 気がつけば既に森の出口についていて、ディーは身軽な動作で馬の背に飛び乗った。

 馬上からレティを見下ろすディーは、夕日を背にした逆光になっていて表情が見えない。


「あの言葉を、今は忘れましょう。ですがそれは、あなたを諦めることとは、別問題だということを覚えておいてください。……いつか、あなたの気持ちが変わった時には、外へお連れするお許しをください」


 不穏な言葉だけを残して、「では」と浅く頭を下げて彼は駆けて行った。

 見る見るうちに小さくなっていく背中を見つめて、レティは重いため息をついた。


「……それじゃあ意味がないじゃない」


 大体、諦めるって何なの。どこからどこまでが本気なのか、相変わらずわからない。

 レティは頬にたまる熱の正体を量りかねて、途方に暮れた。


 * * * * * * * * *


 それは偶然だった。

 たまたま薬草畑にいて作業をしていたユーリは、森の出口にたたずむレティの姿を見つけ、駆け寄ろうとして思いとどまった。

 日のあるうちに森の中へ入るのはご法度だ。昼の森の中で目撃されるのは魔女だけでなければならない。


 歯がゆい思いをこらえて眺めていると、レティの後からやけにきらきらしい男が出てきた。

 遠目で見ても、身なりが良くすらりとした体形で優雅な所作。おまけにわかりやすく毛並みのいい白い馬を引いている。片田舎の森にはおそろしく場違いな男である。

 ――あれが噂になってるって奴か……。


 ユーリは丈の高い薬草の隙間から見つめた。

 夕日の中のふたりは絵画の中の別れを惜しむ恋人同士のようにも見えて、ユーリは変な想像を追い払うべく頭を振った。


 レティに限ってそんなはずはない。彼女はこの森になくてはならない魔女であり、禁域の守護という重大な役目を持つ。それをよくわかっている彼女が、身分が高かろうがどこの馬の骨ともわからない男と恋仲になるなどありえない。


 それでも目を離せずにじっと見つめていると、やがて男はひらりと馬の背に飛び乗り、去って行った。

 自分でもよくわからない安堵のため息をつき、レティの方に視線をやると、彼女は男の去った方をずっと見つめていた。横顔に迷子のような、せつなげな表情を浮かべている。


 途端に、ユーリは不安を覚える。

 先日村の製薬所に王都から派遣されたという若い役人が調査に入った時も、女たちがきゃあきゃあと黄色い声で騒ぎ立てていたのを思い出す。


 その男は確かに精悍な顔立ちで引き締まった体つきの、凛々しくて折り目正しい青年だった。ただ、無口で無愛想で多少目つきが悪かったと彼女たちに正直な感想を言ったら、「ギャップ萌えを妄想するのよ」となんだかよくわからないことを返されたあげく、「これだからユーリは」と何故か子ども扱いされた。

 それをそのまま製薬所長のドミニクさんに言ったら、ドミニクさんは遠い目をして「知らなくていいこともあるんだよ」と力なく微笑んだ。そして「ユーリはそのままでいておくれ」と何故か頭を撫でられた。やっぱりここでも子ども扱いだ。


 知らなくてもいいことなら知ろうとは思わないが、とにかく問題は、田舎には珍しい見目の良い青年が現れた場合、女たちはなんだか色めき立つということだ。

 彼女たちが何を期待しているのか、妄想しているのかは知らないが、その反応がどうやら一般的なのは事実なのだ。


 ユーリは幼馴染を信じている。でも、彼女だって十五歳の女の子なのだ。

 突然目の前に、いかにも品が良くて、顔が整っていて、体形も引き締まっていて、文句のつけようもない美男が現れたら、多少はよろめいてしまうんじゃないだろうか。

 おまけに、レティは普段あの森でひとりきりである。寂しさを感じているならそこにつけいられないとも限らない。


 大丈夫だろうか。

 不安に満ちたまなざしを森の出口に向けると、そこにはもうレティの姿はなかった。

※ご存知の方も多いでしょうが、作者の覚え的に補足。


ジギタリスについて

 西洋では暗く寂れた場所に繁茂し不吉な植物としてのイメージがある植物とされる。全草に猛毒があり取り扱いに注意が必要。釣鐘状の花を穂状に咲かせる。強心作用や利尿作用など薬効のために栽培された歴史もあるが、現在はもっぱら鑑賞用に栽培される。素人判断での使用は厳禁。花言葉は「熱愛」「不誠実」「隠されぬ恋」など。

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