俺、心臓を預かる
魔導科の卒業試験―俺専用の魔導機を開発する―。その目標を達成するために俺はクロムフロウ魔法学校から少し離れた所にある『永秋の森』を訪れていた。『永秋の森』はこの世界でも特に魔力の流れが特異で、その影響かこの森に立っている木々は全て紅葉したまま時の流れが止まっているらしい。魔力は通常、酸素と同じように空気中を漂っているのだがこの森では魔力だけがその場で留まっている。人間が酸素を吸うのと同じように、魔力を用いて呼吸を行う魔物にとってはこの森は住みにくく、そのせいかこの森のなかにはあまり強力な魔物は入ってこず、冒険者の入門狩場としても人気がある。その反面、アイナのように強力な術と使う魔術師がこの森にいると魔術の媒介となる魔力が足りず、本来の力を発揮することができないことがあるらしい。
「にしても、綺麗な場所だなぁ」
改めて森を見渡し、その景色に思わずため息を吐いてしまう。広大な森で、一面が綺麗な紅葉色になっている。日本の森でも紅葉を見ることはできたが、ここまで広い、視界いっぱいに広がる紅葉は初めてみた。この森まではロイスさんが馬車で連れてきてくれた。道中でずっと緑色の森を走っている中、『永秋の森』に入ったとたん一瞬で世界が真っ赤になった時は、俺とノエルだけでなく、アイナもケイトも驚いていた。まぁ、そんな三人はと言うと―
「よぅし!さぁ、行こー!」
「ディオ君~、アタシここで待ってるからさ、ちゃちゃっと魔物の心臓獲ってきてよ」
「ケイト...あなたって人は...」
ノエルはノリノリで森を見回す。一応一緒に着いてきたケイトは酔っぱらっていたため着いてくる、と言ったときの記憶がなく、森についてからはこの調子でずっとグータラしている。アイナはそんなケイトを見て呆れていた。
「ケイト...なぜ貴女はそんなに残念なのですか...もういいです。行きましょう、ディオさん」
「お、おう」
樹にもたれ掛かってだれているケイトを置いて、俺とノエル、アイナは森の奥に進んだ。ロイスさんは何か仕事があるとかどうとかで一緒にはいない。日がくれた頃に合流すると言っていたから、まだ会えはしないだろう。
「ディオさん、あれを」
アイナに呼び止められる。アイナの指差す方を見ると、そこには大きめの白い狐のような魔物がいた。
「かわいいね~」
「あの魔物の心臓を頂きましょう」
「おう」
アイナの指示に従い、その魔物を仕留めようと仕込み杖を持って近づく。幸いまだ魔物は俺に気づいてはおらず、ばれることなく数メートルというところまで距離を縮めることができた。
「よし...」
俺は小声で呟き、仕込み杖から刃を抜き構える。抜き足差し足、ゆっくりと近づいていく。今だ!―いや、ちょっと待て。心臓を頂くってことは、こいつを倒したあと、解体するってことだよな?だれが?ノエルか?アイナか?いやいや、普通に考えて俺だろう。俺の試験なんだし。あれ?魔物の解体ってどうやるんだ?動物ならともかく―って動物の解体もしたことないだろ。なのにいきなり魔物の解体とか難易度上がりすぎだろ!ヤバい、そう考えると急に不安になってきた。それにこの魔物は狐のような愛嬌のある奴だ。いや、愛嬌が無いならいいと言う訳ではないんだけどもさ。――と自問自答を繰り返すこと数十秒。
「ディオさん!」
「えっ!?うわっ!」
仕込み刃を構えて呑気に後ろに俺が突っ立っているのに気づいた魔物狐はそのモッフモフな尻尾で俺を一蹴した。尻尾がモッフモフだったおかげでそんなに痛くはなかったんだけど、もちろんその狐には逃げられてしまった。
「大丈夫ですか、ディオさん!」
「あぁ、うん。大丈夫だったけど―逃げられちゃったな」
「はい。お優しいんですね」
そういってアイナは笑った。いやぁ、可愛いな。なんだろう、ノエルには到底たどり着くことは出来ないであろう、落ち着いた美人の魅力っていうのかな、コレ。
「ディオ~」
いつもより低く、軽く怒ってそうなノエルの声が聞こえる。
「な、なんだよ」
「今、ちょっと私に失礼なこと考えたでしょ」
「な、なんでだよ」
「勘だけど」
なんという勘の良さ!?妖怪か、お前は。
「べ、別にコレといって失礼な事は―」
「本当に?」
「すいません考えてました本当にすいませんでした」
「正直でよろしい」
ノエルとのコントを終えて、また森の散策を続ける。森の木は本当に全て紅葉していて、とても不思議な気分になった。この空間にいる俺達だけが取り残されてはいないだろうか、と不安にもなった。辺りは段々と薄暗くなっていき、空までオレンジ色に染まり始めた。
「魔物も現れませんし、今日はもう引き上げましょうか」
「そうだねー。また明日来よっか」
「だな」
アイナの判断で俺達は引き上げることにした。ロイスさんとの待ち合わせ場所に向かおうとしたその時、俺達がいる少し先から一瞬、物凄い殺気が飛んできた。
「!?」
「ディオ?どしたの?」
「ディオさん、大丈夫ですか?」
どうやらノエルとアイナは気づいていないようで、振り返った俺を不思議そうに見ていた。
「いや、俺、もうちょっと探すから二人は先行っといて」
「なら、私もディオと―」
「いや、俺一人で大丈夫だよ」
「そう?ならいいけど」
「ディオさん、お気をつけください」
「あいよ」
ノエルとアイナを先にいかせ、一人で森に進む。進めば進むほど殺気が強くなっていく。それにつれてだんだんと気分が悪くなってきて、足取りも悪くなる。
「なんなんだよ...」
その時、暗闇の奥に一筋の光が紅く煌めいた。次の瞬間、まるで悲鳴のような悲痛な獣の鳴き声が辺りに響き渡った。俺は急いでその鳴き声の発生源に向かった。
「一体...何が」
そこは大きな滝があった。その滝は月の光に照らされて、とても神秘的な―いや、今は違う。滝壺の側に大きな白狐が倒れていることで、儚さが現れていた。俺はその白狐に駆け寄った。本来白いはずのその毛並みはまだら模様のように赤い血で汚れていた。肩口から胸にかけてざっくりと斬られたその傷からは今もどくどくと血があふれでている。
「待ってろ!今魔法で―」
『―よ』
なっ!?こいつ喋った!?
『小僧よ。無駄な事はするな。我の命は今、そこいらの蟲より脆い』
白狐はそう言った。よく見ると俺が昼間に見つけた狐より断然大きく、美しかった。そして何より気高いその尾の数は九本。そう。こいつは―
「九尾の狐...」
『ほう...我の名を知るか...小僧、主は今、魔の物の心臓を欲しているな』
「......」
『ふふ...長きに渡って生きれば人の意思を読む程度のこと、容易いわ』
「確かにそうだけど、どうするつもりだ?」
『小僧―それならば我の心臓を使うといい』
「は!?」
『我はたった今、人ならざる者に斬られた。恨んではいるがこのままここで低級の物の血肉になるのも癪だ』
「...本当に良いのか?」
『あぁ...条件が一つある』
「なんだ?」
『我の心臓は小僧に預ける。そうすればきっと我の記憶は消えてしまうだろう。だが必ずこの九尾を斬った者を討て。それだけでいい』
「おいっ...」
『紅い剣を持つ人ならざる者だ...頼んだぞ、小僧』
「ちょっと待ってくれ!おい!!」
返事は返ってこなかった。九尾の狐は今も何か術を使っているのだろうか、そう思えるような美しい顔で瞳を閉じていた。
「ありがとな」
俺は腰に差していた解体用のナイフを抜くと横たわった狐の胸に突き立てた―
「あっ!ディオ~!」
戻ってきた俺にノエルが気づく。
「遅かったですね」
アイナも片付けをしながら俺に声をかける。ケイトも片付けには参加していて、順調に片付けは進んでいた。
「それでディオ君どうだった?」
「あぁ、心臓なら手に入ったよ」
「おぉ!さすがディオ!」
「でも...」
俺は滝での出来事を三人に話した。
「そんなことが...」
「あぁ。誇りのある奴だったんだと思う」
「でもでも、その狐さんの心臓を使えば試験には合格なんでしょ?」
「そうなんだけどさ...って、そういえばノエル、お前の卒業試験は?あるんだろ?」
そう。ノエルは俺と一緒に冒険者になってくれると言っていた。だからノエルもクロムフロウを卒業しないといけない。ということはノエルにも卒業試験があるはずだ。
「それなら大丈夫だよ~」
「?どういう事だ?」
「襲撃事件があったときの段階で私、科の授業とかもろもろ全部修了させてきたから」
「マジで!?」
ノエル、実は有能説。いつもの天然はキャラか!?
「でも、修了証書なくしちゃって」
違った。本気のようだ。
「それはそうと、俺たちが卒業したあと、アイナはどうするんだ?」
「私は...その...」
「ん?なんだ、言ってみろよ」
「はい...その、もしよろしければ...あの...ディオさんとご一緒させていただきたいかな...と」
「え!?!?」
「や...やっぱりダメ...でしょうか?」
「い、いやいや!全然ダメ、ではないんだけど―」
どうする!?全く考えていなかったぞ、こんな展開!?ちょっと前に「悲しんでるときは、一緒に居てやろう」みたいなことかっこつけて言ったけども!まさかこれから一緒に行くとは!?
「アイナ、一緒に行くのは全然良いんだけど、俺とノエル冒険者になろうとしてるんだぜ?いいのか?」
「はい。別に構いませんよ」
「本気かい!?アイナなら魔法省とかに勤めたほうが...それにアイナも卒業試験が―」
「卒業資格なら、ディオさんが編入してきた時点で既に獲得していました」
「ぱないっすね、アイナさん!?」
「それに、このまま学校を卒業して、世の中に出たとしても、周りの人に好奇の目でみられるだけですよ」
アイナのエルフの象徴である長い耳が揺れる。
「それは...そうかも、しれないけどさ」
「それなら、ディオさん達とご一緒させていただいた方が、楽しそうです!」
そう言って、アイナはにっこりと笑った。うぅん...いいのだろうか...ノエルもそれなりに優秀な人材。そこにアイナなんていう本気の天才が入ってきたら、なんかもう、俺が荷物じゃねぇか!!
「ま、まぁ、アイナがついてきたいって言うなら、俺はむしろ嬉しいけど...ノエルは?」
「いーんじゃないかな?大勢で旅した方が絶対楽しいよ!」
ノエル、良い子。
そんなことを言い合っていると、ロイスさんが馬車に乗って、俺たちを迎えに来てくれた。
「どうだい、ディオ君?心臓のほうは?」
「はい、ちょっと色々ありましたけどなんとか確保しました」
「それならよかった。ちょっと見せてくれるかい?」
俺は九尾の狐の心臓をロイスさんに見せて、何があったのかを伝えた。それを聞いてロイスさんはしばらく黙って何かを考えていたが、しばらくしてこう続けた。
「ディオ君、君が手に入れたその心臓は九尾と呼ばれる、幻獣のなかでも最高位の存在だ。分かっているね?」
「はい」
「その九尾がディオ君に心臓を預けたんだ。しっかりと創らないとね」
「はい!」
そのあと、俺たちは荷物を馬車に積み込み、クロムフロウに帰還した。その帰路の最中、ロイスさんは俺に話しかけてきた。
「...ディオ君」
「なんですか?」
「九尾ほどの高位の幻獣の心臓を核とした魔導機は世界的にもあまり成功例、いやそもそも幻獣の心臓を使うなんてそんなことはほとんど行われていない」
「そうなんですか!?」
「あぁ。ディオ君の場合は九尾の方から心臓を預けたようだけど、一般的に高位の幻獣は一流の冒険者が数十人がかりで討伐、心臓を抽出するんだ。ディオ君は本当に運が良い。多分、まだ冒険者でないディオ君が、それもかなりの高位の幻獣の心臓を手に入れるということはスゴいことだよ」
「...結局、どういう事すか?」
「あぁ、ごめんごめん。ちょっと話がそれたよ。僕は君の為に僕が持てる最高の技術で骨格を創った。でも、もしかしたら僕の骨格が九尾の心臓の魔力に耐えきれないかもしれない。そうなれば―」
「そうなれば、どうなるんすか」
「核と骨格が融合して、暴走する」
「!―そうなったらどうすれば...」
「そうなったときはディオ君がソレを倒すんだ」
「俺が倒す...でも九尾の狐ってやっぱり強いんですよね?それが暴走したとしたら―」
「どうなるかは僕も分からないが、君の神創魔法でもきっと苦戦することになるだろうね」
「...」
「今なら、まだ核にする魔物の心臓を選びなおすことが出来る―ディオ君。そこは君が選ぶんだ」
ロイスさんの言葉は普段とも、あの説明会の時とも違う、“重さ”があった。だが、俺の心は決まっている。
「ロイスさん―」
「どうするか、決まったかい?」
「はい。このまま、九尾の狐の心臓を使わせてもらいます」
「暴走のことも計算にいれたかい」
「大丈夫ですよ―俺、運だけは良いんで」
「!――そうか。そうと決まったら、学校についたらすぐに加工、開発に取りかかろう」
そうして、俺達一行を乗せた馬車はガタゴトと長い帰路を進んでいった。