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石膏像も恋をする!? ~キャンバスの向こう側~

作者: 春木

 数時間経っただろうか。

 彼はキャンバスの前に座ったまま、私とキャンバスを交互に見てはため息をついていた。

 美術室には午後の陽光が差し込み、その光線が彼の横顔を照らしていて、まるで一枚の写真のようだった。


「だめだぁーーー!」

 彼は鉛筆を投げ出すと、バンッと自分の膝を叩いて立ち上がった。

『ちょっとは落ち着いたら』

 私は呆れて言う。

 でも、彼は私の言葉に何も答えず、床に転がった鉛筆を拾っている。ちょっとした反応すらない。まあ、それもしかたがない。私は石膏の人形なんだから。


「やっぱ本物じゃないとな……」

 彼はぽつりと言った。

『そんなこと言うなら、さっさとモデル探しなさいよね』

「でも、無理だよなぁ。やっぱ俺にはお前しかいないよ」

 彼が、私の頭に優しく手を乗せた。石膏で作られた髪の毛をそっとなぞっていく。

『そ、そう? そこまで言うならいいけど……』

 私が照れていると、彼は手を離してくるりと後ろを向いた。

「石膏相手に何言ってんだろ。どうかしてるな」

 彼はキャンバスを片づけ、床に放って置かれたカバンを掴むと、こちらを一度も振り向かないまま美術室を出ていった。



『あ〜あ。帰っちゃった……』

 私は誰もいなくなった教室で呟く。

 いつの間にか日が落ちて、周りは暗くなっていた。

『お前さぁ、聞こえないのにしゃべってて、悲しくならないか?』

 不意に声がした。いかにも軽い感じの高校生みたいな声だ。

『うるさい、ギリシャ人。人の趣味に口挟まないでよ』

 私は隣に向かって言う。

 私の隣には、ギリシャ人の石膏が置かれている。その石膏のモデルが、本当にギリシャ人だったのかはわからないのだが、鼻が高く、彫りが深い顔立ちなので、学校に通う高校生たちには、そうあだ名を付けられていた。


 それにしても、こんな顔をしているくせに、軽い声を出されると、どうにも可笑しくて困る。

『ああ、寝よ寝よ』

 私はわざとらしく、大きな声で言う。

『あっ、ちょっと待てよ。寝るな、おい!』

 ギリシャ人の騒がしい声を聞きながら、私はさっきの彼のことを思い出していた。



 彼の姿を初めて見たのは、彼が美術部に入部した、つい三ヵ月前の話だ。

 彼が二年生になってすぐだったから、入部時期としては、ちょっと遅い。でも、絵の技術は美術部でも抜きん出ていて、そういう意味じゃ問題はなかった。

 ただ、彼は風景画を得意としていて、どうしても人物は描けないという問題を抱えていた。どうやらそれが、入部時期を遅くした理由らしい。

 彼は入部してから、同じ部の人にモデルになってもらったりしたのだけれど、どうしても人物は描けなかった。


 そこで私に白羽の矢が立った、というわけだ。石膏なら描けるだろう、と。

 最初の頃はそれでも苦心していたようだけれど、最近では、鉛筆で私の顔を小さな傷まで細かく描いてくれる。

 まあ、正直傷は描いてくれなくてもいいんだけれど。

 ただ真っ白な私の顔では、絵の具を使わなくても描けてしまうのが物足りないらしかった。

 そんな風にして、最近彼は人間のモデルを描いてみよう、と思っているらしかった。ただ、どうもその踏ん切りがつかないらしいのだ。



 放課後の美術室。

 描きかけのキャンバスが並び、床には絵の具がこびりついている、いつもの見慣れている教室。

『……のはずなんだけど』

 さっきから彼は、そわそわして、まるで動物園の熊みたいに、行ったり来たりしていた。

『キャンバスも用意だけして、私を描く気配もないし……』

 私は傾げられるものなら、首を傾げたい気持ちだった。

『女じゃないのか?』

 ギリシャ人が言った。いつもは黙っているくせに、こんなときばかり話すなんて、嫌な奴だ。


『そんなことないわよ。だって、描けないんだし』

『でも、最初はお前も描けなかったのが、今は描けるようになったんだぜ。進歩したんじゃないのか』

『もう! うるさい』

 私が叫ぶと、ギリシャ人は黙った。

 ギリシャ人が言うことを、私だって考えていないわけじゃなかった。

 でも、まだ早い。そんな気持ちがあった。


 コンコン

 こんな時間に珍しいノックの音。

「はい、どうぞ」

 彼は、緊張した様子で言った。

 ガラガラ、と音をたててドアを開けて入ってきたのは、白衣を来た女性だった。

「先生、わざわざありがとうございます」

「別にいいのよ。でも、美術室来るのは、私も初めてだわ」

 白衣の女性は、周りを見回しながら言った。


『こりゃ、アウトだな』

 ギリシャ人の憎たらしい声。

『…………』

『おい、大丈夫か?』

『うるさい……』

 涙が出るなら泣きたかった。こんなにも自分が石膏だったことを恨めしいと思ったことは今までなかった。

『本気だったのか?』

『…………』

『無茶言うなよ。お前は石膏なんだぜ』

『無茶でもなんでも好きだったの! もう、ぐちゃぐちゃ言わないで!』

 私は叫ぶ。


 彼が白衣の女性を目の前に座らせ、キャンバスに鉛筆をすべらせている。

 いつもなら描いている途中は見えない彼の絵が、よく見えた。

 まるで魔法みたいに、幾つもの線が女性の顔や体を形作っていく。

 きっと、彼はこれからしばらく彼女を描いていくんだろう。そして、色の付かなかったキャンバスに色を塗るに違いない。

 そうして一時間ほど彼は絵を描いてから、白衣の女性にお礼を言った。

 先に女性が出ていき、彼は嬉しそうにキャンバスを片づけていた。こっちには一瞥もくれなかった。


『ねえ! こっち向いてよ』

 私の声が届くわけもなく、彼はドアに向かう。電気を消し、廊下に出てドアを閉めようとした瞬間、彼は何を思ったのか、その手を止めた。

 電気をつけ、真っ直ぐこちらに向かってくる。


「サンキュな、ずっと付き合ってくれて。……って聞こえるわけないか、石膏に」


 苦笑いしながら、彼は去っていった。

『これでよかったのかな……』

 私はぽつりと言った。

『よかったんじゃない』

 いつもの憎たらしいギリシャ人の声が、その時だけは優しく聞こえた。


昔書いたものですが、自分の書いた石膏像の中でも1番のお気に入りです。

……まあ、石膏像を書いたことはこの一度しかないのですが。

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