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第8話「ちょっとしたお茶会」

「今日は俺の家に行こうと思います」


 ぱん、と手と手の平を合わせて、シンザはそう言い放った。

 六月下旬。

 もうそろそろ終わってもいい頃の梅雨半ば。しかし今日は梅雨を疑うほどの、晴々とした快晴だった。

 週に一度。彼と遊ぶ日々は色鮮やかで、街のことはかなり知れた。

 噴水広場への行き方は完璧だし、どのパン屋が美味しいかも知れた。

 相変わらず城には行けてはいないが、裏都市の住人(ヴィクタム)の友達も増えたように思う。

 例えばカトレア。緑を含んだ黒髪を垂らして優しげに笑う彼女は、先日誕生日を迎えた為、トレノと選んだ可愛らしいヘアアクセをプレゼントした。大事そうに受け取ってくれたので、こちらとしても心地がいい。

 次にフィノ。彼の瞳は炎の様に明るく、性格もそれ相応に元気な子で、裏路地の中を一緒に駆け回った。

 そんなこんなで、この街に来てから大分充実した生活を送っていた。――勉強以外は。


「シンザさんのお家って、どこにあるんです?」

「消失地区だ。あそこはまだ整備されてないまま放置されてるから、裏都市の住人(ヴィクタム)の溜まり場になってるしな」


 いいか? と聞かれてセティは頷く。

 友達の家に行くのは初の試みなので、少し胸がドキドキする。


「消失地区はそう遠くはないし、お茶でもしようか。みんなも呼ぼうぜ」

「お茶会ですか!? 楽しそうですね! あ、それなら待ってください」

「なに?」

「わたしがお世話になってる所の方が、すごく紅茶を入れるのが上手くて。良ければ持って行きましょうか?」

「いいのか?」

「はい!」


 セティはそれだけ言って、一度戻る為に駆けていく。

 その背中を見守りながら、シンザは噴水広場に腰掛けた。


 ――周りの目が痛い。


 単なる被害妄想かも知れないけれど、それでも痛い。

 笑いながら駆けていく少年少女も、長閑に日向ぼっこをしているお婆さんも、近くのクレープ屋で買ったクレープを頬張りながら談笑するカップルも、餌を突く鳩でさえ、全てがこちらを見ている様で痛かった。


 ――やはり影は光にそぐわないのか。


 少しだけ、ほんの少しだけ、目頭が熱くなった。

 そんな時だった。


「大丈夫か、お前?」


 赤い少年が声をかけてきたのは。



「――ロス、ト?」



 ☆


「ありがとうございます、ロゼさん」


 元気よくお礼を言う。

 手元には大きめの水筒。溢れるくらいの紅茶が入っている。


「いいのよ、楽しんでらっしゃい。それより待たせてるんでしょう? 早く行ってあげなさいな」

「はい!」


 ――美味しい。

 そうやって笑顔で飲んでくれる皆の姿が目に浮かんで、セティは駆け足。

 噴水広場は長い坂を下りてすぐなので、そう時間はかからない。

 息が切れても、必死に水筒を落とさない様にして走り続ける。


「すいません、シンザさん! ――って、あれ?」


 広場で待ってるはずの少年に声をかけて、そして赤い髪を見つける。


「なんでフラムさんがここに?」

「あ、セティやっほー」


 ひらひらと手を振った少年――フラムはにこやかな笑顔を浮かべて、隣に座るシンザの背中をバンバンと叩いた。


「いやさ、こいつは浮かない顔してるから励ましてやろうと思って」

「痛い、痛い! ちょっと、これセティの知り合い? どうにかしてよ」


 二ヶ月も共に居れば彼がどんな人なのか分かる。うちの協会内にはまともな男子が一人しか居ないのもよく分かる。

 セティは呆れたように半顔でフラムを眺めた。


「フラムさんどんな人にも冷たい目で見られるんですね」

「えっ、二人ともその目やめない? 僕の何が悪いんだよ!」

「強いて言うならば存在」

「存在!」


 トレノからズバッと言っても構わないよ、と言われている。のでズバッと言っておいた。


「まさかセティに言われると思ってなかった……僕のガラスのハートが粉々に砕けちゃう……」

「さ、シンザさん行きましょうか。紅茶が冷めます」

「お、おう……」

「も――――無視かよ―――――――!」


 ベンチに腰掛けたフラムは地団駄を踏んでいたが、二人は逃げるように路地裏に駆け込んだ。

 確かにセティは自分が居ない間のシンザを気にはかけていたが、フラムが居てくれたのならば安心だ。そこは素直に感謝をしておく。

 だが決して言わない。彼には少し意地悪をしたくなるところがある。

 他人をいじる、とはこういうことか。

 セティは気付かれぬよう小さく微笑んで、シンザと共に消失地区へと向かうのだった。


 ☆


 何も無い。

 一言で言うのならば、この言葉が一番当てはまるだろう。

 消失地区はそんな所だった。

 セティが起こしたアレスロストよりは小規模だが、それでも、ある場所を中心として全てが消えていた。

 地面を抉られた円形の周りには、半分になった家が建っていて、木だって見事に半分だ。

 シンザ達裏都市の住人(ヴィクタム)は、まだ無事である空き家を使っているようだった。

 その中の一つ。

 戦争の名残りなのか、真っ白だったはずの壁は土と傷でぼろぼろになっていて、扉は既に無かった。

 窓でさえガラスは汚れて擦り切れ、半透明状態になっている。

 天井からはパラリと土くずが落ちて、コツンと床に当たった。その床はコンクリートと、削れて土が剥き出しになっている所が半分ずつ。

 広くは無いその家には、机と椅子が二脚。どこからか拾ってきたと思わしき内側が飛び出たソファが一つ。

 棚には数個の欠けた食器が入っていた。

 セティはこの有様を見て、息を飲む。


「す、ごいですね……」

「汚いだろ? でもまあ、しょうがないんだ。許してくれ」

「あ、いや。そんなつもりじゃ……」


 そんな家の中を、カトレアもフィノも、ハシェもシェールドも、皆が笑い合って寛いでいた。


 ――この人達には普通のことなのだ、と。


 セティの胸の内が痛くなる。

 まだフィノとハシェは幼い。七つ、八つになったばかりだと聞く。カトレアは一つ年下で、シェールドは十八になる面倒見のいいお兄さん。唯一の働き手だ。シンザはここの子供達の纏め役のようだった。

 子供でさえ、表から見れば汚くて、それを裏は受け入れて諦めていた。

 この都市はおかしい、と思いざるを得ない。


「セティ、お茶にしよう」

「……はい」

「……そんなに汚いの、嫌か?」


 セティが神妙な面持ちをしているので、シンザは少しだけ不安そうな目を向け覗き込む。

 途端にセティの顔は明るくなって、首を横に振った。


「ごめんなさい、ただその」

「その?」

「もっと、皆さんが贅沢できるようになればな、と」


 きょとん、と。

 シンザは目を丸くする。


「そんなこと、セティには関係無いだろう」

「いいえ、関係ありますよ。前も言いました。『お友達』ですもの」


 シンザは更に目を見開いて、それからぷっと吹き出した。


「セティはいい奴だな」

「失礼ですね、今更ですか?」


 二人は場に溶け込むように笑い合って、それから席に着こうとした。

 その時だった。

 パラリ、と。

 天井がいつものように土くずを吐いて、そしてビシリ、といつもとは違う音が室内に響き渡ったのは。

 亀裂はすぐさま大きく育っていって、皆が顔を上げる頃には既に、小鳥が巣立つように、落ちるばかりだった。



「――え?」



 ただただ、一瞬の間を縫って、誰かの間の抜けた声が出る以外は全てがスローモーションで。

 そして次の瞬間。


 光の帯が空間一帯を包み込んだ。


 ☆


 はっ、はっ。

 短い息切れがセティから発せられる。

 肩が激しく上下して、苦しかった。

 無我夢中で路地裏を駆け回った為、迷子にはなっているのだが、路地裏の攻略法は分かっているのでその辺は問題ない。

 セティの顔が歪んでいるのはそこでは無い。


 ――初めて。


「怯えた顔で見られたのは初めてですね……」


 乾いた笑いが漏れる。

 少しだけ泣きそうだ。

 冷たい壁にもたれかかって、そのままズルズルと腰を落としていく。


「――おう嬢ちゃん。そんなとこで何やってんの?」


 へらへらと目障りな目で笑う男三人組が話しかけてきたのはそんな時だった。

 いかにもチャラそうな感じの男達は、セティを取り囲むように移動して見下ろす。


「ここは俺らの縄張りなんだわ」

「嬢ちゃんみたいな良いとこ育ちそうな奴が来る場所じゃねぇなぁ」


 だがセティは生憎、そういうのを相手している気分ではなかった。

 無言で立って、壁を頼りに歩く。

 せっかく落ち込んでいるのに、こんなのが居たら最悪だ。


「おっと、どこにいくの?」

「縄張りに踏み入れたんだ。料金くらい払ってもらわなきゃ」


 瞬時に腕を掴まれ、ぐん、と引っ張られて身動きが取れなくなる。

 抵抗をしない代わりにセティは不機嫌を全開に出して、睨んだ。

 男達も負けず劣らず、へらへらと笑いを止めない。


「……すみません、今お金など無いので」

「そ、じゃあ家まで案内してもらおうかね」


 いっそ家まで案内してロゼに叩きのめしてもらおうか。

 セティの不機嫌度は殆ど頂点に達しようとしていて、左手をかざそうとした、その時だ。


「あらあらまあまあ」

「あ?」


 可愛らしい声が路地裏に響いて、次いでにカチャリという音もした。


「わたくしの店の裏で喧嘩はおやめ下さいな」


 桃の髪は隙間風に乗って、可憐に靡いた。

 セティは目を丸くする。

 その傘先の銃口は真っ直ぐに男の一人を狙って、


「――クズ共」


 パァン。



 エビルは、男の毛先を撃った。


 突然の少女の登場に、呆気に取られた男達は意識を取り戻してすぐさま逃げていく。

 セティは投げ出されるように解放されて、少しよろけて尻餅をついた。


「あっけない。……だから言いましたのに。都会では武器を持ちなさい、と」

「す、すみません……その」

「何でしょう?」

「お久しぶりです」


 思えば助けてもらってから二ヶ月ほど経っている。彼女に会うのは久しぶりで、会えたことが嬉しかった。


「改めまして、セティ・モンドです」

「……エビル・エンヴィーですわ。以後お見知りおきを」


 エビルは右手を差し出す。セティはその手を取って、立ち上がった。

 彼女には助けてもらってばかりだ。

 セティはふと、思い付いた疑問を口にしてみる。


「ここ、エビルさんのお店の裏なんですか?」

「ええ。薬屋をやっておりますの。路地の中ですから、あまり客は来ませんがね」

「お薬屋さんですか! エビルさんがお作りに?」

「もちろん。天才薬師とはわたくしのことでございましてよ」


 途端にセティの顔は喜色に染まっていく。

 歳はそうそう変わらない筈だが、少女一人で薬を作り上げるなど、尊敬に値する。


「すごいですね!」

「ありがとうございます」


 エビルは裾を少しだけ摘んで持ち上げ、華麗に礼をしてみせた。

 一言一動がまるでお嬢様のようで、本当に可愛らしい。


「中でお茶でも飲んでいかれる? 良いハーブティーがありますの」

「ぜひ!」


 お茶といえばロゼの紅茶だが、きっとエビルの淹れるお茶も美味しいに違いない。


 エビルの店は商業地区の大通りであるユーランド通りから左に向かって二番目のアネクス通り、更にその路地に入った中にあった。

 アネクス通りには病院や自治団体事務所などの建物があり、大通りと比べると圧倒的に人の数が少ない。

 外観はお洒落で、まるでカフェのよう。緑色の三角屋根は落ち着いた雰囲気を醸し出し、木製の壁は明るい白に塗られている。建物の前はちょっとした庭になっていて、ハーブなどが植えられている。

 アーチを超えて、ドアに辿り着き手を掛ける。

 ちりん、と甲高い鈴音が鳴って、幻想風景は姿を現した。


「いらっしゃいませ、ですわ。セティさん」

「わあ……!」


 壁一面に棚があって、奥には作業スペースと思わしき大きな机。その前に会計を済ませるレジがある。

 それだけならば普通なのだが、セティが驚いたのはそこではない。


 空中を浮遊する、空色に光る石から生える鈴蘭の様な草花。

 棚から溢れ出る真っ白な綿毛は、まるで意思がある様にくるくると回って、その途中で蝶となり消えていく。

 床には薔薇の花が這っていて、足場に迷った。


「これ、何なんです?」

「あれが空音草。鈴蘭と違って本当に鈴の音が聞こえます。大体はライト代わりですが、草や花から風邪を治す成分が取れます。棚から出るのは蝶魂。これは寿命を延ばす効果がありますの。下のは花虫ですわ。個体によって色々な花が咲きますが、一匹所持しておけば自然と湧いて出るので花に困りません」

「……変なものがいっぱいですねぇ」


 呆然と部屋内を見つめる。

 こういう生き物や草花の存在は聞いては居たが、まさか本当に居るとは思ってなかったのだ。

 人が住むエリアには存在せず一定の森や海から採れる様なので、もちろんこれが初めて見ることになる。


「さあ、お茶にしましょう。二階は居住スペースですから」

「はい!」


 作業スペースの横に設置された階段から二階に上がる。

 少し軋む木の小気味良い音を聞きながら、セティは一歩一歩を踏みしめるのだった。

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