第7話「楽しかった?」
週末の昼。
セティは急いで昼ご飯を食べて、外に行く支度をする。
あれから五日は経っている。
勉強も捗っているし、スパリーレの練習も上々だ。――多分。
寝起きは相変わらず弱くて、トレノに任せっきりだが、その分仲良くなったとも思う。
だから、噴水広場くらい余裕だ。――と言いたいところだが、不安が募る上にブレーヴにあれだけ言われたので送ってもらう事にする。
「と、言うわけでお願いしますねトレノさん」
「はいはい。もう友達ができたの? 早いねー」
「ええ。今日は話を聞かせてもらうんです」
好奇心を瞳に宿らせ爛々と輝かせる。
トレノは笑いながら、
「じゃ、いこっか」
「はい!」
今日の服はこの間のものとは別で、後に追加で買ったものだ。
ノースリーブを中々買わないので、肩の痣は隠れてしまうが、真っ白のシャツと緑色のフリルスカート。
いつものベレー帽も忘れてない。
お気に入りの靴を履いて、そしてセティはドアを開けた。
☆
「そんじゃ、あたしはショッピングしてるからね」
「はい。えっと、四時ごろ、ですよね」
「うん。その頃になったら迎えに来るよ」
言ってトレノは駆け出した。
向かう先はパン屋だった。――あれ、さっき昼ご飯を食べていたような。
ふるふると頭を振って、ベンチに腰掛けちょこんと待つ。
人通りの多いこの広場は、待ち合わせの人の数も少なくなかった。わいわいがやがやとうるさいのに、向かい側のベンチには猫が欠伸をしていて、隣のベンチではお婆さんが鳩に餌をやっている。
どこか長閑なのは、いい天気のせいもあるだろう。澄んだ青空に雲ひとつ無い、見事な快晴だった。
シンザがやってきたのは、それから数分も経たない頃だ。
「ごめん、待った?」
「いえ、大丈夫ですよ」
はあ、はあと息を切らして肩を上下させている。
額には汗すら浮かんでいた。
「本当ごめん、路地裏、遠回りしちゃって」
「どうかされたんですか?」
「いや、大したことは無いんだけど……。路地裏は治安が良く無いから、変な奴も居るんだよ」
「そうなんですか」
「そうなんだよ。だからお前、勝手にどっか行っても身の保証はしないからな」
念を押されて思わず返事をする。
失敬な、そろそろ自分の方向音痴も自覚してきたところだ。が、まあ今回は素直に従おう。決して自信が無いわけでは無い。
セティは心の中で頷いて、
「では、行きましょうか」
「あ、うん。今日はどうする? 路地裏の案内とかしようか?」
「それ面白そうですね。是非お願いします!」
そうして二人で駆けようとした、その時だった。
「裏都市の住人か。チッ、裏都市に引っ込んどけよな」
そんな小声が聞こえたのは。
小声は小声であっても、今のは明らかに本人に敢えて聞こえるように言っている。
よく見てみると、周りの人々は軽蔑するように、関わらないように目を合わせはしなかった。
純粋なるセティはその行動が理解できず、沸々と怒りが湧き上がってきていた。
「何です今の……!」
「いや、いいよ。面倒だ」
「でも!」
シンザの顔を見る。
「そんなのにいちいち付き合ったって、意味無いんだよ」
今回ばかりではない。そんな意味が含まれている。
「『裏都市の住人』は差別用語だ。分かるよな? 貧乏人に手を差し伸べる富裕層なんか、これっぽっちも居ないんだよ。――分かったら行くぞ」
「……」
セティには理解できない。綺麗な世界で育った人間は、汚い世界を理解できない。
だから、理解したくなかった。
「やっぱりわたし、許せないです……!」
「セティ」
「こんなのおかしいですもん!」
「セティ!」
シンザの呼び掛けに無視を決め込んで、セティは先ほどの男に声を張り上げる。
「訂正してください! 差別されていい人間なんか、居ないんですよ!!」
「ああ? んだよこのガキ」
「聞こえませんか? 訂正してください、と言ってるんです」
「訂正? 事実だろ?」
男の態度に無性に腹が立って仕方が無い。
シンザなんか諦めているようで、それにも腹が立った。
「もういいってば!」
「ダメです!」
譲れない、理由がある。
「シンザさんはわたしの『お友達』ですから! 『お友達』が傷付くようなこと、許せません!」
揺るぎない炎を瞳に宿して、セティは男に殴りかかる。――が、正確には、しようとして失敗した。
赤に近い桃の髪が視界の端を横切ったのだ。
「そこまでですわ」
凛と、その少女は立っていた。
歳はセティと同じくらいで、黒いトップスと、フリルを沢山あしらった少し長めのスカート。桃の髪は水々しい果物のようで、赤いリボンでサイドに括っている。人形の様な愛らしい顔立ちによく似合っていた。
「街中で喧嘩など、よくありません」
「でも……!」
「ええだから」
彼女はスカートとと同じ様な日傘をくるりと回す。
開かれていた傘は閉じられて、瞬間、男の隣を掠め取った。
「な、」
「仕込み傘ですの。いい歳こいて子供に嫌味かしら? 表通りにはそんなクズしかいないんですの?」
「テメェ……!」
セティを相手にもしていなかった男が逆上する。
案外短気な様で、少女の煽り一つでこのザマだった。
「黙って聞いてれば大人を侮辱する様なことばかりッ! 裏都市の住人を悪く言って何が悪いッ!」
「あら、では貴方も裏都市の住人にして差し上げましょうか?」
周りをいつの間にか囲っていた野次馬が徐々に声を上げ、『やっちまえー!』だの『嬢ちゃんファイトー!』だの叫び出した。
だが彼女がそれを冷たい目で一蹴すると、瞬時に周囲は押し黙る。
再び仕込み傘が火を噴いた。
「簡単ですのよ? 人を堕とすのは」
次は確実に狙うという意味を込めて、少女は傘を動かし心臓を指す。
男の顔がみるみる蒼白になっていくのは明らかだった。
終いには捨て台詞の代わりと言わんばかりに舌打ちをして逃げていく。
それを合図に野次馬も散っていった。
「あの、ありがとうございました」
「いえいえ。近頃の街は物騒だわ。武器の一つでも持っていないと危ないですわよ」
「ぶ、ぶき……」
仕込み傘は流れる様に元の位置へと帰っていて、彼女のその容姿はさながらお嬢様の様だ。
まさか、この可憐な少女の傘が武器などとは誰も思わないだろうなぁ、とセティは頷く。
「俺のせいで、本当ごめん」
シンザがしおらしく言ってきた。
それにセティは笑顔を向けて、ふるふると首を横に振る。
「あれはわたしが勝手にしたことです。謝る必要なんてありませんよ」
平穏が戻ってきた。そんな感じがして、セティは嬉しくなる。
と、タッタッと遠くから走る音が聞こえる。
何事かと振り返ると、紫色の髪を持つ少年がこちらに駆け寄ってきていた。
「エビル、買ってきたけどこれでいい? ――って、何事?」
「あらごめんなさいね。少し騒ぎを起こしていました」
「ええ!? 困るよそんなことしたら!」
「分かってますわ。さ、行きますわよ」
エビルと呼ばれた少女はこちらに向き直ると一礼。それから日傘を持ち直して歩いて行く。慌てて少年もこちらに一礼。少女に追い付こうと駆けて行った。
呆気に取られ、ぼうっとしていたセティはハッとして、
「で、では! 気を取り直して、案内、お願いできますかね?」
「もちろんだ」
シンザの顔は穏やかに笑っていた。
☆
「まずここから入るだろ? んで、すぐそこの曲がり角。こっち行けば服屋に近いし、こっち行けばカフェに近い。路地裏をマスターすれば近道なんてお手の物だぜ? ま、お前には難しいだろうが」
「なんですか失礼ですね」
むっと口を尖らせる。
それを見て、シンザは楽しそうに笑った。
「まあ大体は、ここ」
シンザが路地裏の曲がり角、その下の壁を指す。
そこには赤いペンキで『服屋』と書いてあった。反対側の曲がり角にも同じように『カフェ』と書いてある。
どちらも背景が赤みを含んだ茶色のレンガの為、目を凝らさねば見えない。
「案内が書いてあるんだよ。ヴィクタムでもマスターしきれてない奴も多いしな」
「へえ、これは便利ですね。でも何故下の方に?」
「裏都市の住人しか知らないように。見つける奴も居るには居るけど、重要な場所には合言葉とかあるから大丈夫」
「ほー」
セティは感心して頷いた。
これなら無謀に足を踏み入れても迷わなさそうだ。というか迷っていた時に見つけたかった。
「そーだなー、面白いのは向こうかなー」
「面白いとこですか?」
「おう。まあ見てろって」
言ってシンザは走り出す。
物が雑多に置かれ、足の踏み場を迷いそうなところでも軽やかに駆けていく彼に置いて行かれないように、セティも頑張った。
途中からアスレチックみたいな感じがして楽しくなってきた。
そんな頃だ。
ゴーン、ゴーンと。
大きな音が聞こえたのは。
「お、一時か」
「今の時計塔ですか?」
「ん。ま、近くにいるから中々デカイ音だろ?」
「ち、近くですか!?」
噴水広場にいた時は青を纏っていて、かなり遠くにあったというのに。いつの間に近くへ来たのだろうか。
それこそ少し駆けただけだったし、一時間以内に着けるような距離でもなかった。
「すごいだろ? 裏都市の住人の近道」
「すごいです! びっくりしました!」
本当にすごい。
だって少し行けば城壁が見えた。
赤煉瓦を高く積み上げたそれは、戦争での傷を諸共しない威厳を備えて建っていた。
でもそれよりも凄いのが、中に聳え立つ城である。
まるで歴戦の覇者。偉大なる王。
城そのものが王たる器のように、真っ白な壁は傷を隠そうとせず、しかしそれが何より器たる根源だった。
「入ってみるか?」
「入れるんですか?」
シンザはこくりと頷いた。
「まあ、一般展示室くらいだけど。流石に今も王族が居るから、深いとこは行けないよ」
「王族が……どんな方々なんですか?」
セティは単に興味本位だった。
だがシンザの顔は険しくなる。
「今の裏都市の住人の現状を知って、まさかいい人だなんて思うわけないよな?」
と、小声でそう囁いた。
『裏都市の住人』は貧乏な人々が付けられる不名誉な称号だ。
ロストによって住む場所を奪われ、貧乏故に退けられて、行き着いた場所が裏路地。
王族がちゃんとした政治を行っていれば、はみ出者など出なかったはずなのだ。
裏都市の住人達が嫌うのも無理はない。
セティはわざと話題を変えるように明るい声を出す。
「え、ええと! 一般展示室には何があるんですか?」
「ん、ああ。確かオルセイアの歴史物とか」
「五十年前の物は無いのでは?」
「そうなんだけどな、まあ残された物を手掛かりにっていうただの考察ばっかが置かれてんだ。入場料は無いから普通に出入りできるぜ」
考察だけでも世界を知らないセティには気になるものばかりだ。
「行ってみたいです!」
「そっか。んじゃ、行くか」
「あっ、でも」
「ん?」
セティは先ほどのことを思い出す。
彼は見るだけで差別対象と認識できる装いをしていた。
以前出会った時と変わらない緑色のタンクトップは、泥に汚れており、短パンも所々が破けていた。
焼けた肌には傷が残っていて、明らかにお金が足りないのだろう。
そんな彼を、城なんかに連れて行ったら周りの目が冷たくなるに決まっている。
「やっぱり……行くの、止めておきます」
「いいのか?」
「はい。またの機会に」
精一杯の笑顔を見せる。
シンザは『そうか』と言って納得してくれた。
気付いたのか気付いていないのか、彼は方向を変えて反対に進み出した。
「じゃあ別の場所だ。ここはオルセイアだからな。まだまだ沢山面白いとこあるぞ」
「次はどこですか?」
「そうだなー」
埃だらけの路地裏には、表に無いものが幾つもある。
日が傾き始めるまで、セティとシンザは時間を忘れて楽しむことにした。
☆
「おーい」
「あ、トレノさん」
噴水広場。
迎えに来たトレノが手を挙げる。
「今回は大丈夫だった? 迷わなかった?」
「何か失礼ですね……。大丈夫ですよ。迷った時は見つけてくれましたので」
「迷ったんだ!? それでも迷ったんだ!?」
当然だ。下に行き先が書いてあるとは言え、天然大迷路に方向音痴機能の付いたセティが勝てるはずもない。
トレノはふっと笑って、
「楽しかった?」
そんなことを聞いてきた。
素直に楽しかった、と言えば嘘になる。
今日はめちゃくちゃで、仕込み傘を振り回す美少女に助けてもらったり、シンザに向けられる目が怖くて目的の場所に行けなかった。
それでも確かに楽しかった。そんなとこだ。
だからセティは頷いた。
「はい」
もっと、この街を知りたい。もっと、世の中のことを知っていきたい。
セティの頭の中は、明日のことでいっぱいだった。




