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第6話「夜を纏いし月」

「あれ、ここに人が来るなんて珍しい。今や忘れられた場所だと思ってた」


 人影が立ち上がる。

 逆光でよく見えないが、声から察するに少年のようだった。


「すみません、お邪魔でしたか?」

「いいや。むしろこんな場所に人が来てくれて嬉しいよ。ここの景色綺麗だから、もっと有名になればいいのにな」


 言って、少年は笑った。


「いや、有名になるとくつろげないかな」

「そうですね、独り占めしたくなりそうです」


 風が吹く。

 ざあっと音を立て、木の葉とともに彼の髪を揺らした。

 逆光で見えなかったそれは鮮やかな栗色で、夕陽に溶け込んでいる。


「俺はシンザ。シンザ・スウェルタス。お前は?」

「セティです。セティ・モンド。ところで」

「ん?」


 セティは一息置いてから、深刻そうに声を出した。


「ここ、どこですかね……」


 きょとんと、少年――シンザは目を見開いて、それからぷっと吹き出した。


「ははっ、ちょ、知らないで来たのかよ……!」

「あ、笑わないでください! 真剣なんですよ?」

「ごめ、ひーっ! マジ腹いてぇ!」


 腹を抱えてどかっと座る。

 堪えようとするも、堪えきれなくて、くっくっくっと笑っていた。


「酷いですよ、こっちは真面目なんですから」

「ごめんって!」


 だがそれに追い打ちをかけるように。


 ぐぅ。


「ひゃぅっ……!?」

「ぶはっ!」


 こんなところで腹が鳴りやがってくれた。

 途端にセティの顔は夕陽にも負けないくらい赤面して、穴があったら入りたい気持ちに駆られた。

 ああそうだ。さっき路地裏に木箱があったや。わーい。


「ちょ、待てって、どこに行く……くっくっく……!」

「あ、あなた! 笑い過ぎでしょう!」

「ごめんって本当に! あっはっはっは!!」

「もう!」


 ぷりぷり怒ってセティはシンザの隣に同じ様にとすんっと座った。

 こうなりゃヤケだ。羞恥心なんかしーらないっと。


「ひー、ひー、……んで」


 シンザは笑い過ぎて息が切れている。

 なんかとても腹が立ったが、あくまで冷静を装おうとスルーする。


「迷子なんだっけ?」

「そうですね、そうなりますね!」


 怒るなって、とシンザは言って笑う。


「まあ確かにこの街の路地裏は入り組んでるしな。お前、この街に来てからどのくらい経ってる?」

「ええと、まだ今日が二日目ですよ」


 するとシンザは目を丸くして、


「お前バカだろ」

「失礼ですね」


 失礼にも程がある。初対面で今日会ったばかりの人に『バカ』などと言われる筋合いは全くもってこれっぽっちも何一つ無いと思うのだが。


「いやマジで。知らないのはまあしょうがないとは思うけど。来たばっかで路地裏入るとか自殺行為も同然だぞ?」

「そうなんですか?」

「ああ、俺みたいな『裏都市の住人(ヴィクタム)』ならまだしも、一般市民ですら近付こうとはしないぜ?」

「ゔぃくたむ?」

「ん、それも知らないのか」


 シンザは天を仰いで、遠い目をする。

 それが何だか、誰かを求めているような感じがして、少し悲しくなる。


「『裏都市の住人(ヴィクタム)』。殆ど差別用語だ。大抵はお金が無いとか就職先が見つからないみたいな理由でこっち側に住んでるけど、でも俺らの大半はロストによって住む場所を失った人たちだ」

「…………は?」


 すごくすごく長い時間が流れた。

 幾千、幾億の時を刻んだと思われたその時間は、しかし一秒にも満たなかった。


 ロストくらいは知ってるよな?


 シンザの問いかける声が聞こえて、セティは脳を真っ白にさせたまま見せかけだけで頷いた。


 だって。そんな。

 ロストニヨッテ(、、、)、スムバショヲウシナッタ?


 言葉が理解できなくて、何度も何度も嚙み砕く。

 あの人達がそんなことをするとは到底思えなかった。

 でも、それでも。

 まだ会って二日だった。二日しか経っていなかった。

 一年も、二年ももっともっと一緒に居たように感じていたその人達は、たった二日しか一緒に居ていないのだ。

 だから、それだけだから。


 わたしはあの人達を信じられる(、、、、、)


 その疑問が脳内を駆けずり回って、とてもうるさかった。


「ご、ごめんなさい。わたしそろそろ帰らなきゃ行けなくて」

「ああ、そうだったな。ごめん引き止めて」

「いいえ。帰り道、教えてくれませんか?」


 声のトーンが一定な気がする。

 ショックがどうしても隠せなくて、多分引きつった笑い方しかできていない。

 しかしシンザはセティのその様子に気付いていないようで、笑いながら立ち上がった。


「また今度、話そうぜ。いつなら会える?」

「んと、そうですね」


 今週末のお昼頃なら。

 そう言ってセティは路地裏を抜けた。


 ☆


「セティ!!」

「わ、わ、どうしたんですかブレーヴさん?」


 シンザに噴水広場まで送ってもらったすぐ後だった。

 般若の形相をしたブレーヴが、途端に泣きそうな顔になって駆け寄ってきたのは。

 探し始めてから既に一時間半以上が経過していて、二人ともとっくに帰っているそうだ。

 一方残された彼は割と焦りながら街の中をぐるんぐるん。

 途方に暮れた辺りで戻ってきたところ、ちょうど発見というわけだった。


「こ、っのやろ! 帰ったら説教だからな! 全く、年頃の女の子が出歩いてまた昨日みたく捕まったらどうするんだ!」

「すみませんブレーヴさん、説教もう始まってるんですけど」

「問答無用!」

「とても理不尽!」


 ――それでもこの人は自分を見つけた途端に泣きそうな顔をしたのだ。


 それは心配から来るもので、やはり彼はいい人だった。

 だから心配から来る説教は、耳が痛いところもあるけれど、心が温かくなるような、心地いいものなのだ。

 帰ったら一杯ご飯を食べよう。それこそお腹が鳴らないように。

 帰ったら話をしよう。今日楽しかったこと全部、振り返りながら話すのだ。ああそうだ、男性陣の話も聞きたい。

 帰ったら説教を聞こう。好きなだけ言わせて、はいはいとなだめるのだ。もちろんたくさん謝っておく。

 そして帰ったら――


「って、聞いてるか。セティ?」

「ええそれはもちろん。でもやっぱり帰ってから聞きます。言うことなくなっちゃうでしょう?」

「はあ、分かったよ。逃げるなよ? ちゃんと正座だからな」

「はいはい」

「返事は一回って教わらなかったのか?」

「はぁい」

「ったく……」


 くすくすと笑って、二人で帰路につく。

 あれだけ存在を主張していた真っ赤な夕陽は、いとも容易く闇に飲まれて沈んでいった。

 星がちらちらと光る中、太陽とバトンタッチをするようにして月が出る。

 そうしてあっという間に夕は夜になった。

 そう、帰ったら。

 帰ったらこの人達がいい人だということを、自分が証明できるように、たくさんいい所を見つけるのだ。


 ☆


 思ったより長く、くどくどと説教は続いた。

 それこそ年寄りみたいに何度も何度も同じことをブレーヴは繰り返し言っていて、セティもだんだん面倒になって「はいはい」と生返事を繰り返していた。

 さらに面倒なことに、適当に返事を返す度に反応してくる始末。

 全く、この生き物をどうしてくれよう。


「だから、あれ程『どこかへ行くな』と念を押していただろう」

「はあ」

「それでもお前はどこかへ行った。どうしてだ?」

「好奇心という魔物が心を支配してですね……」

「それだ。それをどうにかコントロールさえすればいいんだ。全く、そろそろ自覚したらどうだ?」

「あ、その件に関しては路地裏の途中で気付きました。もう手遅れでしたが」

「ああもう、つまり言いたいことは……」


 その先は何度も言われた。勝手にどこかへ行くな、だ。

 夕食が終わって、かれこれ一時間も正座の状態。流石に足も痺れてきた。

 多分夕食の時間に何を言おうか練ってたんだろうか。尽きることがない。


『セティ、セティ……!』


 その時、名を呼ぶ声が聞こえた。

 とっても小さな声だ。どこからか首を回していると、


「おいこら、聞いてんのか」

「聞いてます聞いてます。大丈夫ですオールオーケー」

「ならいいけど……。で、だ」


 また話し始めた。

 さっきの小声の正体はわかった。廊下の陰からトレノが顔を出していたのだ。

 一体なんだろう。

 目線だけで反応を返すと、彼女はパッと明るくなる。


『あたしが隙を突くから、その隙に……!』


 なるほど、そういうことか。

 つまりは逃がしてくれようと。

 セティはこくりと小さく頷いて了承を示す。

 途端に彼女は行動に出た。


「あー、ブレーヴ?」

「ん、なんだ? 今は忙しいんだが」

「あのね、そう、今日の授業分からないことがあって……」

「何言ってんだお前。簡単な数学だろ?」


 下手か。


 何も考えずに飛び出してきたやつだこれは。

 確かに今日の授業はセティでもできた。

 簡単に今後の説明をしてから、数学だけ行ったのだ。

 それこそ金の数え方とか、小さい子でもできることを念の為、と。

 正直退屈だったのを覚えている。


「えっと、そうじゃなくて、あー」

「なんなんださっきから」

「………………いまだセティ!」

「えっ今ですか!? あ、ブレーヴさんお風呂! お風呂の時間なので失礼します!!」

「あっ、ちょっと待てこら!」


 スタコラサッサー。

 勢いよく立ち上がって、女子二人は駆けていく。

 が、


「あ、やばいです足まじで痺れてます」

「セティ頑張って! なんならおんぶするよ! 鬼に追いつかれる前に!」


 足を踏み出す度にビリビリとした感触が足全体に伝わった。

『お願いします』とトレノの背に乗って、風呂道具を取りに部屋へ。

 ブレーヴはその背中をため息を吐きながら見ていた。


「追いかけねーの?」

「や、流石に我慢させてまでくどくど言うのもな……」

「いやいや、既にくどくどだったよ」

「マジか」

「マジだよアレは。僕も耳痛くなったもん」


 フラムは先ほどから菓子を食べながら説教の様子を面白半分で見ていたのだ。


「一時間も、とかカワイソーだなぁ」

「えぇ……あのくらい普通じゃねぇの……?」

「お前どんな風に育ったんだよ」


 面白半分呆れ半分。

 フラムは半顔でブレーヴを見る。菓子を食べる手は止めなかった。


 ☆


 闇も深い真夜中の、街の片隅。

 ひっそりと月が輝く中。

 知る人ぞ知る薬屋がそこにはあった。

 いつできたのか、何を売っているのかも誰にも分からない謎の店だが、しかしどんな病でもたちまち治る万能薬が売っている。という噂が流れていたりもする。

 そんな中、雀のような鼻歌が聞こえてくる。


「〜〜♪」

「ねえ、この薬草であってる?」

「ええ、ありがとうルミナ。あと夢遊草と、それからサルビアもお願いしますわ」

「分かった」


 夜のような紫の髪をした少年――ルミナは楽しそうに棚へと向かう。

 一方麗しい桃色の髪を二つに結んで、揺らしている少女は丁寧に薬草をすり潰し、瓶に詰めていた。


「これを寝かせて、それから……」


 まるで夜会でダンスを踊るように。

 二人の少年少女は慣れた手つき、慣れた足取りで狭い店内を歩き回っていた。

 ワルツを踊るように棚を引き出し、セレナーデを奏でるように深紅の実を手に取る。

 音響は少女の鼻歌のみのはずだが、それでもその空間には豪勢な音楽が流れているように思える。

 小さな店は、しかしどこまででも広く、どこまででも優雅に見えた。

 ちりん。

 そこに来店したのは、夜を連れてきたかのような黒髪だった。


「あらカルト、いらっしゃい」

「珍しいね」

「ああ、近況報告にな」

「そう言うのは事前に言ってほしいなぁ」


 まるで久しぶりに帰ってきた兄を慕うように、少年少女はカルトに懐く。

 寄ってきた二人の頭を撫でて、カルトはだが深刻そうに呟いた。


「さて、アイツ以外のロストは全員集まったわけだが」

「……ええ、そうですわね」


 カルトの声に合わせるように、一歩、少女は身を引いた。


「あの方がいつ行動に出すか、それが問題ですわ」

「いつでも準備はできてるな?」

「もちろん。仕事には手を抜かない主義でしてよ」

「ぼく達は平和ボケしてる奴らとは違うんだ。任せてよ」


 妖しく微笑んで再び少年少女は踊りだした。

 何事も無かったかのように夜会を繰り広げる。

 カルトはそれを観客気分になって、出来上がっていく薬を見つめていた。


「一年、か。さて長いのか、それとも短いのか」


 呟きは誰の耳にも、それこそ本人の耳にすら入らず、宙を舞って消えていった。

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