第3話「迷いの先」
「はああぁぁぁぁ……」
午後六時。女子部屋に大きなため息が響いた。
ロスト協会には色々な部屋がある。始めに通された応接室、教室の他に、実習室や、生活用であるリビングやダイニング、女子部屋、男子部屋など。
ぶっちゃけ広過ぎて何回か行き止まりにたどり着いた挙句、何故か外に出ていた所をたまたま奇跡の確率で通りかかったトレノに救出され、今の状態である。
ため息を聞いた向かい側のベッドに座るトレノが心配そうな顔をする。
「ちょっ、大丈夫? まだ気にしてんの?」
「だって、わたしだけできなくて……」
「だってって、セティは今まで一回もできたことないんでしょ?」
「それはそうなんですけど……」
あの時のことを思い返す。
失敗した理由は薄々分かっていた。
あの時、無意識に母のことを思い出してしまったのかもしれない。
それが原因で、怖気付いたのだ。自分は。
どんよりオーラを纏っているセティに対して、トレノは段々耐え切れなくなったかのように、
「うがー!!」
「ふぇ!?」
奇声を上げた。そして立った。
吃驚して反射的にトレノを見上げる。
「だあぁぁもう!! 一回の失敗でくよくよしない! ポジティブ大事!!」
「ぽ、ぽじてぃぶ……?」
「わーってことだよ!」
「わ、わー?」
「何やってんのあんたら」
わーっと両手を上げたトレノの真似をして、セティも立ち上がりわーっとした。
ところをロゼに見られた。
完全に呆れられている顔だった。
「ご飯食べ終わったらセティに話があるの。良いかしらって言いに来たんだけど」
「良いですよー」
「セティにポジティブを教えてたんだよ」
「多分教え方間違ってるわ、それ」
ロゼはそれだけ言い終えると、さっさと行ってしまった。
二人はその背中を見送ると、顔を見合わせる。
「……っぷ」
どちらからともなく吹き出す音。
そこから笑いになるのに数秒とかからなかった。
☆
夕飯は歓迎的な意味でなかなか豪華だった。
母とは違うが、しかし何か自分の家のような温かい雰囲気に包まれていて、セティはとても嬉しくなった。
肉は久しぶりだったのでゆっくりと味わって食べていた。
ダイニングから隣の部屋であるリビングへと移動する。
木製の建物は木のいい匂いがどの部屋でも感じられる。それはリビングも例外ではない。
フローリングの上には赤いカーペットが敷かれていて、中央にはエル字型のソファと椅子、テーブルが一つずつ。部屋の隅には暖炉があるので、きっと冬はとても暖かいに違いない。
観葉植物も充分にある為、緑の寂しさは無くなった。
セティはソファに腰掛けると、ロゼはその向かい側の椅子に座る。
テーブルにはロゼが容れてくれた紅茶がある。
一口飲むと、これまた美味しい。
瞬間的にセティの大好物四天王にランクインだ。
ちなみにまだ母のアップルパイとロゼの紅茶しかない。
「さて、話だけど」
「はい。あっ、ところでこれ何の茶葉ですか? 香りがとても良いです」
「ダージリンよ。……いやそうじゃなくて」
話を遮ってしまったことは謝るが、しかし多分自分で容れてもこんなには美味しくならないだろうな、と思う。
多分紅茶を容れる天才だ。すごい。
「えぇと、昼間のことなんだけど」
「昼間、というと、テストのことですか?」
「ええ。その、聞き辛いことではあるんだけれど」
ロゼは一旦言葉を切り俯く。何やら真剣そうな面持ちの為、つられてセティも同じような顔になってしまう。
「何か、辛いこととか……あったんじゃないかしら、と思ってね」
「え?」
――なんで分かったんですか。
とまでは言葉にできなかった。代わりに溜まった唾を飲み込む。
しかしロゼはそれを分かっていたかのように続ける。
「昼間のアレ、あともう一歩でアレスロストを起こしていたのよ」
「……!」
「そこで怖気付いてしまったのね。被害は起こらなくて良かったわ」
空気が震えていたもの、とロゼは言葉を零した。
紅茶のカップを両手で抱え、俯いたセティの顔が紅茶の水面に映る。
なんて酷い顔だろう。
ロゼは申し訳なさそうに優しく声を掛けた。
「……ごめんなさい、こんな話をして」
セティはふるふると首を振ると、やがてぽつりぽつりと言葉を紡ぐ。
「わたしは、母を、この手で消してしまったんです」
「……」
「村に怖い人たちが来て、それで……」
三十年間過ごした村が一瞬にして滅びていく様。最愛の母を目の前で失った事。
その悲劇が今のセティの心に鎖のように絡み付いていた。
やがてロゼはふう、と息をつくと、ゆっくりと語り出す。
「……私、祖母の死に目に会えなかったことがあるのよ」
「え……?」
「アレスロストはね、心の乱れで起こるの。心に深く残る悲劇を乗り越えろなんて言わないわ。受け入れるのよ」
顔を上げ、ロゼの顔を見る。
どこか悲しげで、それでも笑っていて、そして何よりかっこよかった。
こんな風になりたいな、と心のどこかで思う。
「嬉しいことも悲しいことも、全部背負って生きていく。そしてそれくらい強くなる。どう?」
「……難しそうですね」
「そうね、私も全然できてないかも」
ロゼは笑った。
釣られてセティも笑顔を取り戻す。
「過去じゃなくて今を生きてるんだから、踏ん張りなさい」
「はい」
手に持っていた紅茶を一気に飲み干す。
ほんのりと残る温かさが身に染みて、なんだかやる気がふつふつと湧いてきた。
「ごちそうさまでした」
「ええ、お粗末様」
立ち上がってぺこりと会釈をしてから廊下へ向かう。
早くお風呂に入って眠らなければ。
セティは明日からまた頑張ろうと、心に誓った。
☆
「わあ暗いですここどこですか」
迷った。
それも数分と掛からずに。
近くにある部屋の扉に掛かった札を見れば、第一倉庫と書いてある。
向こうの方には第二倉庫があって、その次が行き止まり。
「ええと、ここが倉庫でその前が実習室で、あそこがこうなってて……あれ、どういう道でしたっけ?」
やっぱりこの建物は広過ぎだ。
地図がさっぱり頭に入ってこない。
来た道を戻ってきたつもりだったのに、どこから間違えたのか。
明らかにおかしい。
と、その時だ。
ガタッ
「ひっ!」
びくりと肩を震わせる。
どうやら風が窓を揺らした様だ。
暗くて電気も付いていない。人気もない。
思えばお化けか何かが出そうなシチュエーションだ。
――超怖い。
「何してるんだ?」
「ひゃああぁぁ!」
「うおっ」
吃驚して思わずしゃがみこむ。
びくびくしながら涙目で後ろを振り返った。
月の光がその白をきらきらと照らしている。
――ブレーヴだ。
「も、もう、ブレーヴさん! 驚かせないでくださいぃ」
「ごめんって、まさかそんなに驚くとは」
安全を確認してから立ち上がる。
まだ心臓がばくばく言ってる。
「ブレーヴさんは何しにここへ?」
「ん? ああ、カルトに頼まれたんだよ。明日使うからって第一倉庫に資料取りに」
「資料?」
「ロストに関した資料だって。全く、面倒だからって俺に頼むか普通……」
チャリンと金属音を鳴らしてブレーヴは鍵を取り出す。
そして倉庫の鍵穴にそれを刺し、右に回した。
ガチャリ、と音が鳴る。開いた証拠だ。
「わたしも手伝います」
「ああ、助かるよ」
木の軋んだ音をたて、扉は開く。中は真っ暗だった。
月明かりが照らす範囲に浮いた埃を輝かせていた。
ブレーヴが扉横にあった電気をパチリと付ける。
途端に剥き出しの電球が光を放つ。
そこは棚だらけの部屋だった。
「わあ、これ、全部資料ですか?」
「え、もしかしてこの中から探せって……?」
ブレーヴが顔を引き攣らせている。
――これはもしかして、ひょっとするとなのだが……。
「……棚の位置とかは」
「何も言わなかったぞ、あいつ」
右を見て、左を見る。
意外と広かった。
それはそうだ。第二倉庫の扉があんなに遠かったのだから。
ざっと十個、棚がある。
「わたしは向こうを探します」
「じゃあ俺は左を。あ、ロストについてのを全て引っ張り出せよ」
「分かりました」
それぞれ手分けをして探すことにする。
両面棚なので時間がかかりそうだ。
ブレーヴはまだいいが、セティは背が届きそうに無いので脚立を使う。
棚に所狭しと詰まった茶封筒を一つ一つ引っ張り出してタイトルを確認する。
『サウス森の生態系変化について』
『出生率変化について』
『町村減少について』
――本当に色々あった。
セティは引っ張り出しては確認し、の作業を繰り返す中で、気になるものを発見する。
「あれ、これって」
『ロストが使う魔法属性』
――魔法なんて、聞いたことがなかった。
「ブレーヴさーん」
「なんだー?」
「ロストって、魔法とか使うんですかー?」
「俺は何も知らないけど、その内何か言われるんじゃないかー?」
ふむ、ブレーヴさんも知らないのか。
セティは頷きつつ、資料を手に取った。
この場所は学ぶところだ。ブレーヴの言う通り、その内学ぶことになるだろう。
魔法なんて、空想上のものだと思っていたので、少しわくわくした。
それから数十分。
セティとは反対に、手際の良いブレーヴが淡々と進め、遂に二人は背中合わせになった。
ようやく終わりそうだ。ただ、セティは三棚しかやっていないので少し申し訳ない気持ちになる。
「そういえばさ」
ふと、ブレーヴがぽつりと呟いた。
「はい?」
「ある神父が言ってたんだ。『ロストがスパリーレを行ったあと、消えた物体はどこに行くのか。俺は思うんだ。誰も行くことのできない、もう一つの世界に行くんじゃないかな』って」
「それって、ブレーヴさんの育ての親さんですか?」
「ああ。神父のくせに面倒臭がりな奴でさ、そうだな――カルトに似てるかな」
「あ、なんか想像できました」
ふっと笑いをこぼす。カルトが神父だと思うと、ちょっと面白い。まだ出会って間もないのに、この想像のしやすさは何だろう。
「俺はそのもう一つの世界ってやつに行ってみたいんだ」
「……」
「な、それに付き合ってくれないか?」
「わたしも、お供しても良いんですか……?」
「ああ。もちろん。一人じゃつまんないしな」
セティはパアっと表情を明るくさせた。
あんなに村に引きこもっていたのが嘘のように、今ではすっかりまだ見たことのないことに惹かれていたのだ。それはもう一つの世界も例外ではなく。
それに多分、ブレーヴはそこに母親がいるんじゃないかと言ってくれたのだ。行かないわけがない。
「ふふっ、楽しみです!」
「さ、作業も終わったし。風呂、まだなんだろ? 行っといで」
「え、でも」
「カルトの所には俺一人で行くよ。ごめんな、付き合わせて」
「大丈夫です! じゃあお願いしますね」
「ああ」
セティは持っていた封筒の束をブレーヴに渡すと、扉を開ける。
そしてふと、何か思い付いたように振り返った。
「ブレーヴさん」
「なんだ?」
「おやすみなさい」
月の光を背に浴びて、セティは目一杯笑った。
最初はきょとんとしていたブレーヴも、釣られて笑い返した。
「ああ、おやすみ」
☆
「あ、やっと来た」
「トレノさん!?」
着替えを持って風呂場に行くと、女湯と書かれた扉の前でトレノが座り込んでいた。
セティは吃驚した表情で問う。
「ど、どうしたんですか?」
「セティを待ってたんだよー。ちっとも来ないから。でも辿り着けて良かったね」
「あ、それ酷いです。わたし別に方向音痴とかじゃないですよ?」
「……ん? え?」
トレノが首を傾げた。まるで信じられないものを見るかのように、だ。
何をそんなに驚いてるのか分からないとでも言わんばかりに、セティは胸を張る。
「わたしはちょっと地図が読めないだけです」
「ごめん、ここに来る途中誰かに連れてきてもらったりしたの?」
「はい。ブレーヴさんが心配だからと、そこまで」
「近ッ! え、近ッ!?」
セティが指さしたのは丁度そこの曲がり角。確かに後はまっすぐ行くだけの道である。これで迷ったら最早天才だ。
あの後、挨拶を交わしてすぐだった。
『ごめんやっぱり心配だから案内するよ』とブレーヴが言ったのは。
幾ら広いとはいえこの施設は中庭をぐるりと囲っている。その為セティ以外の人間には割と簡単な構造なのだ。
まあ、そのセティが方向音痴を自覚していないのでこれ以上喚いても仕方が無いだろう。
「はあもういいや。お風呂入ろう」
まさか自分がツッコミに回る日が来るとは……とトレノはボヤいていたが、セティは素直に頷いて脱衣場へと入って行った。
☆
カポーン。
と、桶が音を立てた。
「はへー、広いですね!」
「ホントだねー!」
浴場は中心に数人入れそうな大きな湯船が一つと、周りにシャワーが三つ。小さめな温泉のようだった。
「わ、わたしこんな豪華な生活していいんでしょうか」
「それはあたしも同感。なんか慣れないや」
ぴちゃり、と水の音を立てて湯船にゆっくりと入る。体に巻いたタオルが浮いて、慌てて押さえつけた。
じんわりと冷えきった体を温めていく。春先とはいえまだ少し肌寒い。
風呂はなんだか至福だった。
ちらりと隣に浸かったトレノを見た。
「む、胸って浮くんですね……」
同性でも赤面するほどの、その豊満な胸を見つめ、セティはぼそりと呟く。
「ん?」
「何でもないです」
ぱっと目を背けた。
「そうだ!」
「はい?」
「背中洗いっこしよう! 一度やってみたかったんだー」
ざばっとトレノが立ち上がった。
突然の出来事に、セティの頭の上ではハテナマークが乱舞しているが、問答無用でトレノは腕を引っ張って、シャワー前の椅子に座らせる。
「あ、髪の毛も洗わせて? セティの髪綺麗だねー、お手入れどうしてんの?」
「はっへっ、えっと、何もしてませんが……」
「うっそ、そんなんでこんな綺麗なの!?」
最早されるがまま。
セティの両手は行き場を失って、膝に行き着く。
ぱらりと風呂に入る前にまとめた髪を解かれ、洗われ、終わったと思えば今度は背中。
何から何まで本当にされるがままで、セティは終始「あーうー」と奇声を発するしかなかった。
風呂から出てすっかりピカピカになった。
こんなにちゃんと洗った(洗われた)のは初めてだ。
これ多分いつも適当に洗っていたと言ったら怒られるので言わなかったが。
「おーいセティ起きてる?」
「はいっ大丈夫ですぅ……」
さっきからセティはこっくりこっくりと船を漕いでいた。
出た瞬間眠気が襲ってきたのだ。
気付けば十時。普段は九時に寝ていたので、当たり前である。
「ねこさん、まってー」
「ウソッ! この子立ちながら夢見てる……!」
「わたしもうダメですおやすみなさい」
「んえぇ! 待ってセティ起きて!?」
スーッと重力に身を任せ、セティは倒れる。
それをトレノは見事に抱きとめた。
現代位置は風呂場から部屋に戻る廊下。というか部屋の一歩手前でセティはダウン。
「う、ウソでしょ……」
静かな寝息を立てていた。
全てをトレノに任せ、それはもうぐっすりと。
月明かりが綺麗な静かな夜。響き渡ったのは一人の少女のため息だった。