第26話「お仕事体験」
そもそも聞いた話ではセティはアレスロストで村一帯を消し去ったという。ロゼでも区画ひとつだけだった。アレスロストについてはまだ分からない部分も多いが、感情の起伏だけではない、ということだろうか。魔力の保有数と距離が比例するのであれば、彼女自身、とんでもない爆弾だと評してもおかしくはない。
「なにかマズかったんでしょうか……?」
おろおろしながら周りを見渡しているセティを安心させるように、カルトは頭を軽く撫でてやる。
「いや。単にびっくりしただけだ」
「そうですか……?」
おず、と顔を上げたセティに微笑みかけていると、横から声がする。
「――なあ、取り込み中悪いんだが、」
「何だ?」
ブレーヴだ。彼の手元を見ると、魔力の塊が疼いている。流石、器用だなと関心する。少し粗が目立つが、コントロール自体は全く問題ない。
それは風だった。小さな旋風が両手の中で巻き起こっている。
「ブレーヴは『風』か」
「セティのようにすごくはないが」
「それが普通だな。セティのはおかしい」
「あぅ」
糾弾を受けてセティの肩が更に縮こまった。そんなセティにトレノは『褒められてるんだよ』とフォローを入れる。不安そうにトレノを見ると、彼女は満面の笑みで頷いた。
優しさが身に染みてセティは感動する。その時だ。
「さあブレーヴ、セティ! 迎えに来たわよ!」
玄関の方から大声が響き渡った。
声の主は当然上機嫌なベルベット・ベルナチアであり、その声を聞いた瞬間カルトは深くため息を吐く。
「今日の授業はこれで終わりだな。じゃ、ブレーヴとセティは頑張れよ」
そう言うなり物凄い速さで教室を出て行き、数秒後には勢い良く扉が開かれベルベットが顔を出す。
「ここに居たのね! というかここが教室ね、中々いい環境じゃない。ところでカルトの姿が見えないということは、もう授業は終わったのかしら」
「ベルベットさん……」
呆れながら彼女を見る。まあ半分正解で半分ハズレ、と言ったところだ。あなたのせいで終わったんですよ、とは口が裂けても言えない。
ブレーヴとセティ自身は制服のままでも良いと思ったが私服に着替えるよう言われた為少しの間だけ自室に戻って手早く着替える。それを済ませ、部屋から出るなりほぼ誘拐とも言えるような強引さで声を上げる間もなくあれよあれよと馬車に乗せられる。
流石は貴族筆頭というところか、街を闊歩する馬車の数倍は手の込んだ作りだ。圧倒的なまでに装飾が美しく、行き交う人の目を一人残らず惹いている。
着いた場所は城より手前の屋敷。クリーム色の外壁と深緑の屋根。大きな門が開き、馬車を招き入れる。
「わあ、大きいですね!」
「前にも言ったけどベルナチア家は宰相の家系よ。まあ歴史の大半は失われてしまったけれど、続けているのは血かしら?」
「宰相ってことは……」
ブレーヴが手を挙げながら発言する。
「やっぱり立場は王族側なのか?」
少なからず弱い者の側に寄り添ったからこそ分かる。この都市は強い者と弱い者の差がある。
セティもそれは気になっていて、今後彼ら王族がどのような対応を取るのか考えていた。だってエミリアがアレだし。既に家出までしている少女の親は、どう考えているのだろう。
「そうね、王族側よ。弱き者を排除し差を無くす。ダメかしら?」
「その排除、と言うのは……」
「さあ? それはウルクかエミリアに寄るわね。今の王様はあまり期待出来ないもの」
玄関前で馬車が止まり、屋敷の中へ通される。
ベルベットの後に続いて二階に上がり、階段近くの部屋に入った。そこは広めの書斎で、陽光の指す日当たりの良い部屋だ。
「ただいま。お手伝いさんを連れて来たわよ」
「おかえり。ああ、カルトの代わりだっけ」
窓付近に置かれた机と椅子に男性がいた。
かなり若く、ベルベットと同じくらいの歳のように思う。
センターで分け、上げた色素の薄い金髪に、糸のように細い目。開いているかどうかも分からない目元だが、優しい印象を受ける。
「君たちがブレーヴとセティ? 僕はカーティス・グランシェだ。よろしくね」
差し出された右手に手を重ねる。丁度いい力加減の握手で、彼の人となりが穏やかなものであると分かる。
「カーティスさんは、えっと……」
ベルベットとは似ても似つかない見た目だ。机の上を見た限り仕事の資料のようなものが積み重なっており、先程までこの場所で事務作業をしていたと分かるのだが。
迷っているとカーティスは『ああ』と納得した声を上げる。
「僕が何者か、だね」
「あ、はい。この家の人じゃなくてもお仕事をするんですか?」
「いいや、違うよ。僕は確かにグランシェだけれど……」
カーティスがベルベットに目配せをする。彼女はニコッと微笑んで、つかつかとカーティスの元へ行き腕を組んだ。
急な密着にぎょっとするセティとブレーヴと、慣れたように呆れ笑いなカーティスをよそにベルベットが言った。
「婚約者同士なのよ、私たち」
「宰相の仕事を継ぐのは彼女じゃなくて僕なんだ。婿入りだね。だから仕事は基本僕がしている」
なるほど、距離が近いのも納得だ。
聞けばカーティスも貴族の出だが、グランシェの一人息子なので事実上グランシェは終わることになってしまう。衰退化が進む今、こうした貴族の血の途絶えは珍しくなく、弱い立場の貴族から順に家の名を終わらせ、より強力な立場の貴族に吸収されて行っている。
「グランシェの家としては光栄だね。貴族筆頭の家のご相伴に預かれるんだ」
カーティスは簡単に言ってのけるが、グランシェの家の者が下した決断が軽かった筈がない。
幾ら一番名の高い貴族とはいえ、やはり自分の家の名を少しでも残したかっただろう。
「さて、じゃあセティは私の補佐ね。ブレーヴはカーティスに着いて」
「分かった」
「はぇ、わたしがベルベットさんの補佐なんですか?」
嫌? と首を傾げるベルベットに対し、ぶんぶんと首を振る。別に難しい話じゃないわ、と彼女は続けた。
「私は外回り、カーティスは書類作業。セティはどっち?」
「ベルベットさんでお願いします」
即答した。確かに、書類作業をするより断然外回りの方が頭がパンクしなくて済む。適材適所だ。ちらりとブレーヴを見ると、仕方ないな、という顔をしている。正直彼にとっても、ベルベットと居るよりはカーティスと居た方が気が楽だ。
「じゃあ行きましょうか。ごめんなさいね、一息着く暇も無いけれど」
「あ、いえお構いなく」
「そう? ならお構いなく接するわね」
ああ言うんじゃなかった。カルトが今世紀最大の嫌な顔をする理由も分かる。
彼女、自分が出来ることは他人も出来る、と思っているタイプだ。
セティの声の無い悲鳴を後ろに聞きながら、ブレーヴは心の中で両掌を合わせ祈る。それからカーティスに向き直ると、丁寧に礼をした。
「よろしくお願いします」
「よろしく、ブレーヴ。ああ、敬語は取ってもらっていいよ。そっちの方が楽」
「そう、か? じゃあそうする」
「うん」
カーティス・グランシェは細い目元のこともあってか随分と顔付きが柔らかい。あのベルベットを婚約者に持つ男性だ。懐が深いのが伺える。
思ったよりも自分ができそうな仕事と上司で、ブレーヴはほっと胸を撫で下ろした。
☆
ベルベットに着いて行くと見えてきたのは城だった。まさかの歩きで出ていく為どこに行くかと思えば、確かに屋敷からとても近い場所だ。歩きでも問題無いのだが、貴族筆頭の娘が護衛も付けずに歩きなんて、大丈夫なのだろうかと不安になる。
ベルベットはきょとんとした顔でそれに応えた。
「護衛なら居るじゃない?」
彼女が指さした方向を見るも、誰もいない。まさか……、
「え、わたしですか!?」
「そうよ。他に誰がいるのよ」
「訓練受けてる護衛より弱いですよ!?」
「強いわよ。十分強いわ、ロストはね」
「あ、……」
そういう事か。確かに、誰よりも強い。
能力だけで見れば生半可な覚悟でロストと敵対しようだなんて思わない。消失能力は、それだけ脅威的だ。自らこの世界から消え去りたいだなんて誰が思うだろう?
セティは今、ノースリーブの私服を着ている。こういう指定があったのは、肩のロストマークを周囲に見せる為だ。
ベルベットは理解した? とでも言うようにニッコリと笑顔を作る。セティはコクコクと頷くと、彼女から離れないように距離を縮めて歩いた。
城の門を潜ると、以前訪れた場所よりも大分深くまで入って行く。ベルベットの歩みや巡回している兵士の態度を見るに、流石は宰相の娘だ、幾度となく城へ訪れていることが伺える。
「今日は何をしにお城へ来たんですか?」
「うーんそうね、色々ね」
「色々、ですか」
「折角だからセティも城の中をじっくり見るといいわ。一般人じゃ入れないもの」
「あっそうですね、そうします!」
そう言うとベルベットは廊下端の扉を開ける。廊下に直接陽の光が差し込んだかと思うと、そこは外廊下だった。中央にはあの大きな時計塔、更にその向こう側にはまた建物があり、珍しく人が多く見えた。
「あっちは憲兵隊の事務所ね」
「なるほど」
「時計塔は基本立ち入りは禁止されているわ。劣化が進んでいて危ないのよ」
「お城は広いんですね」
城壁を見た時も思ったが、中に足を踏み入れて分かる。自慢じゃないが、セティなら数秒も掛からず迷うことができるだろう。……自慢じゃないが。
「かつて多くの人が住まうこの都市を治める為、多くの人が働いていたのよ」
「今よりもっと、人がいたんですか?」
「ええそうよ」
商業地区だけでもかなり賑わっていたと思うのだが、それよりももっと、らしい。
人の少ない村の出であるセティには想像もつかないが、数年前、遡れば旧暦は街のどこにいても人で賑わっていたとか。
「セティは旧暦についてどのくらい知っているかしら」
「えと、資料がほとんど残ってないってくらい、ですかね」
あとは母の遺した本の内容くらいだ。
ベルベットはそこで足を止めると、金属製の扉の前に向き直った。少し重めの扉だが、女性一人が開けられない程ではない。
扉が音を立てて開く。中はとても広い空間で、棚が幾つも並んでいた。ロスト協会の資料室と似ているが、そこよりも天井は高く、窓からカーテンのように光が作り出す白い筋が降りていた。
「ここは?」
「図書室なのよ。本来はね」
「本来は……?」
棚の間を抜け、部屋の中央にやってくると長く大きな机が一つと、沢山の椅子がズラリと並んでいた。
セティが周りをきょろきょろと眺める。確かに、本来は、と呼べるかもしれない。
異常なまでに、並ぶはずの本が少なかった。中には全ての段に何も入っていない棚もあり、入っている棚でも多くても五冊程度。図書室と呼べるには微妙な本の量だ。
「これが資料がほとんど無い理由ね。一体誰の仕業でこうなったのか」
ベルベットは呆れたようにふぅ、と息を吐いた。
そもそも、と声を出す。
「五十年前、新暦に入った途端人々は皆昨日の記憶を忘れてしまった」
覚えていることは自分の名前、都市の名前、隣人の名前、自分の家、年齢。常識や知識。生活する上で必要なこと全て。
でも中には自分の職業を思い出せない人がいた。自分が昨日、何をしていたのか思い出せない人がいた。
「現王、ルイザット・サンドラは当時十歳だったらしいのだけど、彼が言ったのよ」
燃える夢を見た、と。
多くの人々が焔の中で命を終わらせていく。咆哮は徐々に消え、最後には大きな力が全てを飲み込んだ。
「それが戦争、ですか……?」
魔力大爆発に関する文献は実は無い。それはただ一人の男の、曖昧な記憶を元に作られた夢の話。
展示室に考察が並ぶのも、それを元に書かれたものだ。
ベルベットはある棚から一冊抜き出すと、部屋から出て行く。図書室へはその本が目当てだったらしい。次にロストとは何か、彼女はさながら学者のように人差し指を立てた。
「七人だったかしら、ロスト?」
「はい、そうですよ」
「ロストが扱える能力は何かしら」
「消失能力と、魔法ですね」
「それでは、その能力はなんの為にあるでしょう?」
彼女はセティの方へ振り返り、問題を投げかける。確か、母の本では『調律者』と書かれていた。
「世界を調律する為ですかね」
「ふぅんなるほど、そういう読みね」
「ベルベットさんは違うんですか?」
「いいえ、大体一緒よ」
消失能力の本来の使い方は『ものを消す』ことでは無い。再生世界において、一定の時間が過ぎると元に戻ってしまうものはそれ即ち開拓が不可能、ということだ。壊れかけた家を直したくても、時間が経てば元の壊れかけた家に戻ってしまう。だからロストが一旦家を消去する。すると新しい家が建てられるのだ。
消失能力が関わったものは元には戻らない。だからこうしてオルセイアの主要部分は開拓された。
また、魔法は自然の奇跡を模倣する。自然の力は人々の生活を豊かにする。
そういう意味での調律者。ロストは失われていく一方のこの時代を繋ぎ止め、繁栄させていく手段だ。
そこまで詳しく考えたことがなかったセティは頭が知恵熱を出しそうなのを抑えてなんとか理解する。
「でもこれ、ほとんどカルトが話してたことよ? 聞いたこと無かったの?」
「えっ、そうなんですか!?」
カルトさんちゃんと考えてたんだ、とか失礼なことを思ってしまう。
すると再びベルベットが足を止めた。目的地に辿り着いたのかと思ったが近くに部屋へ続く扉は無い。ふと、ベルベットの前方を見る。理由が分かった。
「あら」
前方に立つ人物はこちらを見ると愛らしくにっこりと微笑んで歩み寄る。すかさずベルベットはスカートの両端をつまんで、丁寧にカーテシーを行った。セティも慌ててそれに倣い、拙いお辞儀をする。
「ご機嫌麗しゅうございます、ウルク皇女殿下」
「ふふ、良いのよそんなに畏まらなくて」
まだ陽の高い青空に当てられながら、夜空を煌めかせ、ウルク・サンドラは挨拶した。
「ごきげんよう。セティさんはこの間ぶりですね。ベルベットはお久しぶりだわ。お元気でした?」