第24話「二人の若者は」
ロイ・エンティは何とも言えない表情をしていた。
それは急に連れてこられた困惑や、皆に何も言わず来てしまった後悔、何も言わせてくれなかった憤怒、目の前に居る二人への驚きなどが入り交じった表情。……実に何とも言えない。
それを眺めながらバイゼルは豪快に笑い、酒を煽った。
「ハッハッハ、その顔は良いな! 肴になるわ!」
「バイゼル様、良くないですよ、色々と」
諌めるのは先程壇上で見たばかりの男。
バイゼル・クラウドスとフェリズ・ミースが一市民の俺に対し何の用だと、連れて来た本人であるタウラスを見るも、彼は首を振るばかりだった。少し困ったような顔をしている辺り、彼も大変なのだろう。
「さて、単刀直入に要件を済ませよう」
「……そうしてくれると助かりますが」
「いやなに。ロイ、と言ったな。仕事をする気は無いか?」
「は?」
仕事? 前領主が? 直々に?
目を丸くして驚いていると、バイゼルはニヤリと顔を歪ませた。
「もちろん拒否権は無いがな」
「はぁ!?」
「……バイゼル様」
「なんだ、こうでもしないと断ってしまう可能性があるではないか。そうなると儂がつまらん」
「いいえ、彼は断りませんよ」
そう言うと、今度はフェリズがロイに向き直った。彼の姿勢は正しく身分の高い者のもので、ロイの緊張感は高まるばかりだ。スラムの出ではやはり、一挙手一投足に差が出る。
「仕事内容としては私の秘書ですね。何分私はこういう仕事は初めてなもので。サポート面として、ロイ・エンティ。貴方に居てもらいたい」
「なんで、俺、なんですか?」
「さあ。バイゼル様の推薦です」
ちらりとバイゼルの方を見ると、彼はきょとんとする。
「なんで、と言われても、面白そうだから、と答えるしか無いだろう。大丈夫だ、儂の目は確かな自信があるぞ」
「……だ、そうです」
「……そうっすか。じゃ、断れない、と言うのは?」
「それは簡単です。仕事となれば金銭が発生します。ここは給料が良いですよ」
なるほど。確かに嬉しい話だ。
このまま下層でふらふらしているよりは、大分マシな話。
ロイに残された選択肢は肯定の二文字しか無かった。だが、メリットを差し引いても嫌だと思う気持ちは無い。単純に楽しそうだと思ってしまう自分がいる。
「分かった、分かりました。引き受けます、その仕事」
「助かります。ではロイ、下層に行きましょうか」
「下層?」
「む、出掛けるのか」
「ええ、バイゼル様はちゃんと家にお帰りなさってくださいね」
「あいわかった、そうしようかの」
ロイが理解するより早く話が進んでいく。あっという間に馬車に乗せられて、走り出す馬の背を窓越しに眺めることしかできなかった。
☆
「ああカルト、忘れているんじゃないかと思ってた」
「失礼だな、依頼したのはこっちだぞ。で、終わってるのか?」
「もちろんだ。早速だけど、座って。紅茶で良いかい?」
「いや、珈琲で」
「了解」
前回通された部屋、前回と同じ席の位置。そうしてカルトとブルーノは向かい合わせに座る。ブルーノは両足と、そして両手を組んで真っ直ぐにカルトを見た。
「さて、アストライアの事件概要から、順番に話そうか」
ノックの音と共に使用人が入り、珈琲を置いた。湯気の立つそれに角砂糖をふたつ放り込む。
「アストライア一家の焼失事件。幸いアストライア邸は住宅街とは離れた場所にあったから、あれだけの大火事でも周りへの被害は少なかったが……」
誰が居たかも、誰だったのかも分からなくなるほどの焼け跡。包まれる炎と煙の中で、彼らは悶え苦しんだのだろう。それはさながら火刑のようだった。
「火刑?」
「一家心中じゃない、と言いたいんだよ」
「どういうことだ?」
「そもそも誰か分からなくなるほどの死体は、見ていなかったんだ」
カルトは首を傾げ、持っていたカップを置いた。
ブルーノは躊躇うように一瞬だけ視線を逸らしたが、またすぐに戻す。
「当時の資料、大分深いところにあった。……殺されたと見た方が良い」
刺し痕は数カ所に及んだ。一番多いのが大柄な男、アストライア当主の遺体。女と子供の遺体には男ほどの量は無かった。
刺した深さから見てナイフくらいの小ぶりな得物、刺した場所から見て明らかに素人。
ブルーノは指を三つだけ立てて言う。
「……そして遺体は三人分しか見つからなかった」
「三人? 当主とその妻、あとは子供なんだろ? 誰が足りない」
「恐らく長男だな」
「なんだそれ、つまり長男がやったみたいな言い草だな」
「その通りなんだよ、カルト」
悲しげな表情を浮かべ、彼は言った。
これ以上の悲劇があるのか、と。
「当時、齢十の少年が」
己の家族全員を殺してしまう程の衝動に駆られたのならば。
それはどれくらいの想いで、どれくらいの覚悟だったのだろう。星の焼印が示していた。彼の、どうしようもないくらいの業火。
燃え盛る焔を前にして、ぽつりと零しながら得物を取り落とす。
「これを、上は隠さざるを得なかった」
「領主の子が主犯なら、そうなるだろうな」
アストライア家長男。
「――ルミナ・アストライア」
それが星の光を名に刻んだ、現在は十三になる少年の名前だった。
☆
「あれ、」
陸の珊瑚礁亭を訪れたフェリズ・ミースは軽く声を上げた。
「ウルク様もいらしていたんですか」
「あらまあフェリズ。ふふ、貴方。身分的には似つかわしくない筈なのに、随分とここに馴染みますね」
「それを言うなら、ウルク様は全然馴染んでませんねー」
下層の小さな店で急に展開された貴族によるトークに、目を丸くするのはセティとブレーヴ、そしてロイのみだった。何故か皆、何か話したそうにうずうずしている。
そんななんとも言えない空気を破って、ミシェリアが厨房から出てきた。
「皇女サマ、こちらでよろしいかい? ってあら、フェリズ!」
「母さん。ただいま帰りました」
「え」
ロイが吃驚して小さく声を出す。隣の男がミシェリアのことを、聞き間違いでなければ、母さんと――
「ああっ!」
どうして気付かなかったのだろう。ミースの性、確かに一致していて、何処と無く顔も似ている。
「全く、バカ息子が帰ってきたと思ったら随分と偉そうに……」
「あはは、良してください」
「それ、そのいかにもな喋り方が気持ち悪いんだよ」
「ああ、それは私も思いますわ、店主」
思いもよらぬウルクの賛同に、フェリズは苦笑いを浮かべながら頭を掻いた。
「皇女様の前で素を出すのは……」
「気にしないでいいのよフェリズ。素の貴方の方が素敵だわ」
「そうですか? まあ、他ならぬ貴方が言うのなら……」
瞬間、空気がピリ、と変わる。
店内に集まった客が一斉にニヤニヤし始め、ロイは唾をごくりと飲み込む。
フェリズは大きく息を吸い、全てに聞こえるように。先程までの表向きの表情とは打って変わり、年相応の青年の表情を浮かべた。
「フェリズ・ミース、今ここに帰還した! もし少しでも祝福の意があるのならば、俺の為に盃を上げてほしい! どうだろうか、ここに集う兄弟達よッ!」
壁が、屋根が、床が震えるほどのそれに乗じ、すぐさま応えが上がる。
「オオオ――――――ッ!!!」
野太い声が大半だったが、中には女の声も混じる。
掲げられた盃の中身が少しだけ零れる。水がまた舞って、揺れる水面がそれぞれの満面の笑みを映した。
雰囲気に付いていけないセティ、ブレーヴ、ロイの三人だけが呆気に取られていた。
フェリズはどかっと適当な椅子に座ると、ロイに着席を促す。
「いやぁ、やっぱり表向きの顔は疲れるな! 素を出していい場所ってのは気が楽だ!」
「いや、もはや誰ですか……」
凛々しい雰囲気は変わらないのだが、なんと言うか、はっちゃけ感が別人の域だ。
にっこにこした表情で彼は言う。
「アクアエリクサーの奴なんか大体そんなもんじゃないか? 寧ろアレをずっと演じることが出来た俺を褒めてほしいなぁ!」
「トレノもフラムも知ってたの?」
「うん。最初見た時はびっくりしたけど。フェリズはロイが来る前にオルセイアに行っちゃったもん」
「遊び相手が居なくなったの寂しかったなぁ」
「あっ、トレノとフラムか! デカくなったな!」
「えっ気付いてなかったの?」
冗談だ、と言いながら楽しそうに笑う。なるほど、近所のお兄さん的な、そういう立ち位置だったのだろう。
ロイがこちらに来たのは九年前、フラムやトレノが十一歳半と言ったところの頃だ。その時にはもうフェリズは居なかったということは、ざっと十年はオルセイアに居たということになる。
フェリズは二人の頭を乱暴に撫でた。それが元来の気性なのだろう、この男は傍から見ても好ましく思える。撫でられたフラムとトレノは少し照れくさそうにしているが、満更でもないようだ。
ところでセティが気になるのはまた別の人物だ。店の入口付近に立つ、顔を隠した男。背丈はブレーヴと同じくらいで、ずっとウルクと共に居た護衛役だ。そんな男が、なるべくロスト――主にセティに目を合わせないようにずっとそっぽを向いている。
セティは首を傾げながらじっと見詰めて何となくで声を掛けた。
「シェールドさん、何してるんですか?」
「っ……!?」
彼の目は何故、を物語っていた。すぐさま首根っこを掴まれて気付かれないように外へと連れ出される。
「なんで分かったんだ?」
「え、なんとなくです」
「…………」
呆れ半分、と言ったところか。シェールドは腕を組みながら窓越しにウルクの様子を見る。彼女はフェリズと話して笑っており、周りの喧騒もあって気付いてはいないようだ。少しだけ安堵の表情を浮かべる。
「で、なんでシェールドさんはここに?」
「見れば分かるだろ? 護衛だよ」
「見てもわからないから聞いたんですよ。なぜウルクさんと一緒に居るんですか?」
シェールドは困ったように頭を掻いた。ここで本当のことを語ってしまうのも構わないのだが、シンザ達に怒られそうな気がする。彼女は裏都市の住人を理解してくれている立場だが、それでも無関係の人間に変わりはない。
だからシェールドはこう言った。
「仕事だよ。憲兵の募集に受かった後、ウルク様に指名されたんだ」
「はへぇ、そういうのって指名制なんですね?」
「うーん多分違うと思うけど……」
そこまで話していると、店先からブレーヴが顔を出した。彼はセティと並んだ人物を見て少しだけ目を見開く。
「セティ、……と、シェールドか?」
「ウルク様の護衛のお仕事をしているんだそうで」
「まあ君達ロストと知り合いって言うことはあんまりバレたくないな。拗ねられそうだ」
あれだけワクワクしながら会いたがっていた人なのだ。元からシェールドが実はロスト達と顔見知りだと知れば、何故教えなかったのかと頬を膨らませるに決まっている。子供みたいな所のある彼女のその動作が何かと面倒で、頭を抱えるのはシェールドの方なのだ。
セティとブレーヴは顔を見合わせながら頷いた。
「分かった。ああいや、ウルク様が酒を飲んでしまわれてな」
「なんだって!?」
シェールドはすぐさま顔を青くして店中に入って行った。
窓から見ると楽しげに歌ったり、かと思えば愚痴を言い出したり。酔うと面倒くさくなるタイプのようだ。
「あぁ、シェールド。どちらに行かれていたんですかぁ!」
「すみませんウルク様、少し御手洗に」
「まあいいです。シェールドも飲みなさい!」
「いや俺は未成年……。っていうかウルク様! お酒は程々にと!」
「いいえまだです! まだ飲めま――」
勢いよく酒瓶を掲げたと思ったら、こてっと顔を下に向ける。そのまま体全体をシェールドに預けるように倒れてしまい、よく見れば穏やかな寝息を立てていた。
「………………す、すみません皆さん。ご迷惑を」
「いやいや、元気な皇女様で何よりさ。寝かせていくかい?」
「いえ、そこまでのご迷惑は。俺が連れて帰ります」
ぺこぺこと頭を下げながら、シェールドはウルクを背負って店を後にした。
その様子を眺めながら、フェリズはからからと笑って酒瓶を机に勢いよく叩きつけるように置く。
「さあ兄弟共、まだ夜は始まったばかりだぞ! そんなんで音を上げる気か!?」
再び怒号があちこちから上がる。
ロイはジュースを口に含みながら呆れ半分、しかしほっとしたように顔を綻ばせて人知れず笑った。
薄暗い路地の中。泣く涙は枯れ、体中の力ももう出なくなっていた。重力に身を任せるようにして倒れ、ああ、俺は死ぬんだな、と冷たい石畳の上でそんなことを思った。
次に目が覚めた時は檻の中。まるで動物のようにも見えるが、どうせどこで死んでも同じだった。もし自分が売られたのなら、それはそれで嬉しいのだ。こんな自分にも付けられる値が少しでもあるのなら。風が吹きゆく檻の中でそんなことを思った。
そして次に目を覚ました時、全てが変わっていた。
周りにあったのは笑顔と笑い声だった。
大丈夫? 怖くなかった? そう聞かれてまるで夢を見ているかのように首を傾げる。もしかしたらまだ夢を見ていて、いや、自分はもうとっくに死んでいて、ここは天国かもしれない。そんな風に。
現実なんだと思ったのは暖かい手が頬に触れてからだ。今まで冷たい世界の中でしか生きてこなかったから、身体がびっくりしたのか、反射的に涙が出た。周りの皆は焦ったように慌て始めて、それはそれで面白かったので笑ってしまった。そんな昔の記憶。
なるほど、アクアエリクサーはこうであるべきだ。
皆が楽しさを顔に浮かべ、疲れるまではしゃぎ回る。大人も子供も関係無くて、男女の違いすら些細なこと。それが全部心地よい。居場所がある、という実感に繋がっていく。
「ロイ、飲んでるか!?」
「……酒は飲んでませんよ。酔っ払いに絡まれるのって結構面倒臭いですね」
「お前物事をズバズバ言うな。良いことだ! それでこそ秘書」
暫く立っていろんな所を周っていたフェリズがロイの席の向かい側へ帰ってきた。
それから声のトーンを抑えて、余裕の表情を浮かべて言った。
「身分の差がある、ということはとても便利だが、」
「……?」
「それはアクアエリクサーの民には不向きだと思っているんだ。まあ、五十年前は元々オルセイアの領地だったらしいしな。名残りがあったんだろうが」
何が言いたいのか、本人の口から聞くまでは納得出来ない。だから期待を膨らませてロイは先を促す。
するとフェリズはニカッと青空のように笑ってみせた。
「身分制度を無くすための都市づくりだ。手伝ってくれるよな?」
彼にはロイが断るという選択肢を取らないことを知っているから。だからそう聞いた。これにはロイも笑い出す他無い。フェリズは少しだけびっくりしているが、すぐにまたいつもの顔に戻った。
「もちろんです」
「そうこなくっちゃなぁ」
下層の一角、決して大きくない食堂の片隅で、握手が交わされた。それはこの街の未来を決める重要なものの割には、随分と軽く、そして楽しげに交わされたものであった。