第20話「それぞれができること」
「ブレーヴさーん」
「んー?」
布越しに伝わる月の明るさを前に、セティは暇そうに呻いた。随分と呑気なものだ、と思ったがブレーヴもブレーヴで正直今は何も考えていない。がたんがたんと揺れる馬車に身を委ねながら、少しだけ現れてきた眠気を振り払いつつセティを見た。
彼女は布で遮られて見えないはずの月を真っ直ぐに見ていた。
「ブレーヴさんはいつまでここに居るんです?」
「……?」
いつまでもなにも、拘束具で身動きが取れない今、脱出方法なんて無い。万が一脱出できたとして、最低一人は甲冑を着た男を見た。武器も何も無いのでは勝ち目は無いだろう。
セティは尚も上を見続ける。
「諦めたんですか? 信じてるんですか?」
ブレーヴの頭はいまだ空っぽだ。セティの言葉を聞いて、頭の中で消滅させるだけ。ただ、ぼうっと時間が過ぎるのを待っている。
「わたしたちがロストだってこと、トレノさんはちゃんと考慮してますよね」
ぱあ、と小さな光が生じた。ゆっくりと首をそちらに向けると、セティの拘束具が光の粒子となって跡形もなく消えていた。
少しだけ上を見ると、こちらを向いたセティとばっちり目が合う。驚いたことにその表情は落胆でも悲しみでもなく――笑っていた。
ああもしかしてこいつは、
「ではブレーヴさん。休憩は済みました?」
――信じている方か。
「手始めに、ナイフの扱いはご存じですか?」
☆
「正直屋敷の構造は知らない。縁がないからね。だから十分に警戒しつつ侵入、後、領主を探して仕掛ける」
「闇討ちってこと?」
「ああもちろん、殺しは無しよ?」
「分かってる」
移動しながらトレノが密かに作戦を立てた。
大勢の人数での行動には無理がある。だからまず、身軽に動けるフラム、ロイ、トレノが潜入する。ラセニア兄弟は恐らく領主を守っているだろうから、あの二人を探せば自ずと領主もそこにいる。大人たちは合図があった後屋敷に駆け込み、その二人の注意を引くことが仕事だ。
あとは簡単、領主を上手く脅せばいい。子供であるが得物は立派だ。傷のひとつでも付ければすぐに怖気付くだろう。
次第に海が近くなり、上層に足を踏み入れたことを知らせた。領主の家はすぐに見つかった。街の景観を壊さない白の壁と柱。しかし周りの貴族達の家よりは一回り大きい。これは潜入するのも骨が折れそうだ。
「まあこういう類は僕に任せろよ! ぱぱっと終わらしてやんぜ」
「あーはいはい期待してる」
「適当だなぁ」
フラムは身軽さを利用して、大人達に手を借りながらさっさと門を飛び越える。鮮やかな着地をしてこちらを振り向き、腰に手を当ててドヤ顔。
「うっわムカつくぅ……ロイ、あたしたちもさっさと行こう」
「フラムに負けたら恥だもんなー」
「おいお前ら聞こえてんぞ!」
「ちょっとフラム、静かにしてよね」
ドヤ顔から一転、ムスッと顔を膨らましたフラムをよそに、二人は何とかよじ登って門を超える。
屋敷前の庭は、屋敷から漏れる明かり以外の照明は一切無く暗めだ。まだ少し残る夏の明るさを気にせず駆けていく。
見張りはいない。この時代、領主の護衛という仕事に削ることのできる人数はあまりいないだろう。だからこそ強さに余裕のあるラセニアが請け負っているのだろうが、彼らは一番隊の隊長だ。本来なら部下の面倒も見なくてはならない筈だ。
「なんかすごくシンとしてるね」
「領主は独身、使用人もそんなに数が多いわけじゃないから」
「正面から入ってもバレないんじゃね?」
「流石にそれは軽率。ちゃんと裏から入ろう」
トレノは足を早めて開いている窓を探した。幸い、あるのはまるで入ってくださいと言わんばかりの小さな窓。しかし罠の可能性は低いように思える。
目線で合図をするとすぐに二人は首を縦に振った。
流れるように滑り込むと中は小さな物置のようだった。一番端に存在するであろうその部屋は緑の床の上に武器や雑貨など、様々な物が置かれている。三人が入っていっぱい、というくらいの広さ。
フラムは目の前の扉を少しだけ開けて誰もいないことを確認すると廊下へ出た。
そこは煌びやかな廊下となっていた。白の壁に黄色の光がグラデーションを作っている。赤い絨毯が敷き詰められ、歩いても靴音はそんなにしなさそうだ。
所々に置かれた花瓶を見詰めながら歩を進める。廊下の先はちょっとした広間になっているようで、十分に警戒しつつ覗き見た。
――誰もいない。
広間は玄関と一緒になっていて中央には二階へ上がる大きな階段。雑音すらしない静かな空間ではこの世から人がいなくなったかのように自分の鼓動と息遣いだけが耳に入る。
「……もしかしたら罠の可能性だってあるぞ、トレノ」
「ロイ……うん、分かってる。どうするフラム?」
「今更それを聞くか?」
二階の先は闇が蔓延っていた。窓から差す光以外の照明が無い。しかし一階は静寂が支配しており、人の気配など一切無い為やはり領主がいるとすれば二階だろうか。
念の為一階を全て回ってみたが、それらしい部屋が無い。それどころか人ひとり見当たらない。
息を呑んで二階への階段に足を掛ける。結果から言えば、件の部屋はすぐに見つかった。
もう陽も落ちて、真っ暗になった廊下に漏れる光。耳を澄ませば微かな生活音。誰かがいると確実に分かる。だが肝心なものが見当たらない。
――ラセニア兄弟は、どこだ?
「――ほう、賊か」
刹那、剣撃がフラムの頬を掠めた。冷たい殺気が全身を駆け巡る。
それは海。深海の如き海。深く燃え盛る炎にも等しい。
ごくりと唾を飲み込んで、嫌な汗が背中を伝った。フラムは反射的に剣の柄に手を掛ける。が、先にトレノの声が響いた。
「フラム、皆を呼んできて!」
「――ッ、分かった!」
フラムと入れ替わるようにしてロイが男の懐へと潜り込む。
「その顔、……タウラス・ラセニア。兄の方か」
「……茶色の髪か。貴様、ここの人間じゃないな?」
「ッ、俺はアクアエリクサーの人間だ!」
瞬間的に切り込む。自慢の素早さを利用して何発も打ち込んだ、が全て返されている。ロイが押しているように見えるが、向こうはやはり一枚上手。返すだけに留まらず更にロイの身体に少しずつ切り傷を与えている。剣の切っ先は問答無用でロイの皮膚を破り、血管を掠めた。
そして大きく振り被り、渾身の力を込めた一筋を振り下ろそうとする隙につけ込まれる。腹を蹴られたロイは飛ばされ、全身を壁に打ち付けた。ずるずると落ちて床に崩れ込む形になり、けほ、と渇いた咳を吐き出す。
「ロイッ!」
そこで何かに気付いたようにトレノがハッ、と目を見開く。
「あなたがタウラスなら、ハイザス・ラセニアはどこに――」
てっきり二人が領主の部屋を守っているのだと思っていた。だって彼らは双隊長。二人で一人と言わんばかりに、行動を共にしていた筈。だから――。
「相手がロストと分かっていて、檻だけで済ませるほどこちらも甘くは無い」
「――!!」
どうしよう、どうしよう! ごめんセティ、ブレーヴ! あたしの読みが甘かった――!!
心の中で必死に謝っても取り返しの付かないことだ。そうだと分かっているから、どうしても信じることしか出来なかった。
どうか無事でいて、と。
☆
トレノに言われ、フラムは反対側の廊下へと向かう。即ち皆が待機している外が見える窓。
月が顔を出し、夏の星空が各家庭の灯りと共存していた。そして屋敷の前にぽつぽつとオレンジ色の光があった。松明の炎はこれからの闘志の現れでもある。
急いで窓を開け、剣を抜く。それを外へと突き出して、上に掲げた。
落ち着けフラム、お前ならできる。トレノに教わった通りにすればいい。だってお前は、ロストなんだから――!
『行く前に少しだけ、待って』
ホールの外に出かけたフラムを呼び止めた言葉。
今更止める気なんて無い、そもそもあたしだって皆を助けたい気持ちがあるし、と彼女は言った。
『なんだよ?』
『このまま勝てるとは思わない。だからフラムには一つだけ助言』
『?』
そう言った彼女の指の狭間で、ばちりと火花が散った。
『あんたにしか使えないおまじないを、伝授したげる』
狙うは虚空の彼方、闇の狭間。彼らに見えていればいい、合図となるだけで充分。大きいものなんて期待しない。そう、出せればいい。
一点の集中。全身から剣先へ、感じたことのない波動を感じる。
掴めた頃にはもう出来上がっていた。剣先に現れた、火の玉を見つめ、フラムは、ふっと笑う。
「僕って結構、才能あるんじゃね――ッ!?」
天へと放つと同時に、咆哮が響き渡る。
ドタドタと駆ける音を聞きながら、フラムは元の位置へと戻って行った。
☆
「ハイザス・ラセニア、アクアエリクサー市街憲兵一番隊双隊長の一人です。以後お見知りおきを、ロストの御二方。もう会うこともないでしょうが」
檻を消失させて出た矢先、目の前には甲冑を付けた男が立っていた。ブレーヴよりも一回り大きいハイザスと名乗った男は、頭の兜を取り横脇で抱えた。深海のような髪、燃えるような瞳。それらはきちんとアクアエリクサーの者であると物語っている。
ハイザスは物腰の柔らかい人間だった。にこりと笑うその顔は人が良さそうに見える。事実丁寧な礼と共に挨拶を述べた。
「これはこれはご丁寧に、ハイザスさん。ところで、わたしたちは逃げたいんですけども」
「確かに、本来私は領主の護衛をしている身。ですが上には逆らえません。御二方を無事生きたまま、送り先へ届けることが任務なので。できない相談ですね」
「それは残念です」
「しかし私も人の心が無いわけではありません」
「と、言いますと?」
セティは軽く首を傾げる。横目でブレーヴを見ると、彼は少しだけ冷や汗をかいていた。じり、と構え、足下に落ちていたナイフを気にかける。
(トレノさんが置いてくれていたナイフ……わたしには使えませんが)
『手始めに、ナイフの扱いはご存じですか?』
こそり、と声を潜めて聞いた。トレノはここに乗り込む際、すれ違いざまにこう言ったのだ。
――ナイフを入れ込んでおく、と。
即ち『逃げろ』。そう、売るまでは責任がついてまわるが、売った後商品が逃げたところでそれは売る側の責任ではない。
トレノたちが責められる心配は無いし、セティたちは無事に逃げられれば、逃げた商品を一々追うほど人員を割いてはいられない。後は安心して暮らせる。
その趣旨を伝えるとブレーヴは頷いた。
『あんまり使いたくないが……、使えないわけじゃない』
彼は前を見据えた。布越しの、街を。
『大丈夫だ、やれる』
『――安心しました、あなたが使えないとわたしも危なかったので』
『そんな俺頼りだったのかよ……』
無計画だな、というボヤキを無視してセティはにっこりと微笑んだ。
『さ、行きましょうか!』
『ああ…………大丈夫かな』
サア、と風が吹く。夜風は夏の生暖かさを連れて、少し気持ち悪かった。
「はい、私に勝ったら、逃がそうと思います」
「一番隊双隊長サマに勝てとか、無理あるだろ……」
「では一本取ればいい、という事にしますか? まあ私も兄さんほど強い訳では無いんですけど」
彼は兜を被り直す。仰々しいデザインだが、纏う覇気の問題か、それはとてもしっくりと来る。
「傷一つでも付けられれば構いません。ナイフがあるのでしょう?」
「やっぱりバレてる」
「ですね……、やれますか?」
「やらなきゃならないんだろ」
ブレーヴははあ、と息を吐いて足元のナイフを拾った。簡素なデザイン。あまり高くは無いだろう。彼は檻に掛けられていた布を切って、切れ味を確認する。
「……ん、オッケー」
「準備は出来ましたか? ……そうですね、この場所では人目に付く。一旦街の外へ出ましょう」
住宅街から外れたこの場所だが、確かに人が来ないとも限らない。幸い門はすぐそこ。街から出る直前だったのだ。しかしセティは思った。――まるで逃げられることを前提としたような配置だな、と。
もちろん街からすぐに出なかったのは、商品が全て揃うのを待つ為とか、色々あったんだろう。だがそれでも、馬車が停まっている時間はかなり長かったように思う。
街から出ると相変わらずの荒野が広がった。白い壁の向こう側。セティは邪魔にならぬよう壁に身を預け、遠巻きに二人を眺めた。
「……この辺で良いでしょう。では、始めましょうか」
瞬間、彼の殺気が変わった。怖い、なんて思うものじゃない。的確な意思、殺さずして殺すという殺意。
ぐ、と身を屈め、抜刀。彼の細剣が姿を現し、その見事なまでの姿勢と合い、一つの絵が完成した。
甲冑をまるで付けていないと感じるほど速く、鋭い足運び。剣先は確実にブレーヴの足を狙い、彼は躱すことに精一杯のように見える。
「大丈夫ですか? 反撃の余地は無さそうに思えますが」
「……そう言うんなら、少しは手加減してもらいたいな――ッ!」
細剣の剣先がブレーヴのズボンを引っ掛ける。ピッ、と簡単に破け、中の皮膚までもを割いた。
彼は苦虫を噛み潰したような顔を浮かべ、何とか距離を作ろうとする。
「――ッ」
僅かな一瞬の隙でも作ることが出来たなら、こちらのもの。
『さあ、お前にならやれる――』
記憶の底で彼が呼ぶ。
『――ルイン』
「ふっ、」
「――!」
軽い息を吐き、剣撃を躱して相手の足下に意識を集中させる。
素早く手をかざし、小さく叫んだ。
「スパリーレ――!」
小さな穴、だけど足をもつれさせるには丁度いい。
ずる、と体勢を崩したハイザスはしかしすぐに立て直す。流石は一番隊双隊長が一人。
だが隙を作れたことに変わりはない、と。
刹那、セティの背中を悪寒が駆け抜けた。
見たことの無い、感じたことも無い恐怖。
その殺気はハイザスのものとはまるで別物。明確に殺す気で行くと、警告するような――!
「ほう、貴方」
ハイザスの手が止まった。兜のその奥で目を見張る。これは面白いものを見た、と。
笑みが零れて仕方が無い。口元がつい引きつってしまう。こんな強者、何年ぶりか!
彼に体制を整わせては駄目だった。あのまま行けば勝利はこちらのものだったのに。だがしかし、今の展開の方が何倍も面白い。そう、今のままでの殺意では喰い殺されてしまう。私も殺す気で向かわなくては。
「……彼に失礼ですね」
ぽそりと呟き、細剣に込めた力を変える。軽く、しかし強く。
風が砂を巻き上げ去っていく。本来美しいはずの月明かりが、今夜ばかりは妖しく地を照らした。
蒸し暑い、真夏の夜にセティは一人取り残される。
――ああ、なんて寒い夜なんだろう。
彼の心が、急激に冷める音がした。